言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

柳田国男の『遠野物語』①

2016-09-03 10:19:15 | 言の葉綴り
言の葉14柳田国男の「遠野物語」①



抜粋その1 遠野物語 柳田国男著
大和書房 1979.6
初版序文
此話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折折訪ね来り此話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非ざれども誠実なる人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じたるまゝを書きたり。思ふに遠野郷には此類の物語猶数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。此書の如きは陳勝呉広のみ。

昨年八月の末自分は遠野郷に遊びたり。花巻より十余里の路上には町場三ヶ所あり。其の他は唯青き山と原野なり。人煙の稀少なること北海道石狩の平野よりも甚だし。或は新道なるが故に民居の来たり就ける者少なきか。遠野の城下は則ち煙花の街なり。(略)


抜粋その2
題目 地勢 (数字は話の番号)
一 遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて囲まれたる平地なり。新町村にては、遠野、土渕、附馬牛、松崎、青笹、上郷、小友、綾織、鱒沢、宮守、達曽部の一町十ヵ村に分かつ。近代或は西閉伊郡とも称し、中古には又遠野保とも呼べリ。今日郡役所の在る遠野町は即ち一郷の町場にして、南部家一万石の城下なり。城を横田城とも云ふ。此地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、其川の支流猿ケ石川の渓を伝いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。伝え言ふ、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、其水猿ケ石川と為りて人界に流れ出でしより、自然に此如き邑落をなせしなりと。されば谷川のこの猿ケ石に落合ふもの甚だ多く、俗に七内八崎ありと称す。内は沢又は谷のことにて、奥州の地名には多くあり。

◦ 遠野郷のトーはもとアイヌ語の湖という語より出でたるなるべし、ナイもアイヌ語なり

題目 神の始
二 遠野の町は南北の川の落合にあり。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早池峰と云ふ、北の方附馬牛の奥にあり。東の方には六角牛山たてり。石神と云ふ山は附馬牛と達曽部との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴なひて此高原に来たり、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の胸の上に止まりしを、末の姫目覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早池峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。

◦ 来内、ライナイもアイヌ語にてライは死のことナイに沢なり。水の静かなるよりの名か
早池峰=アイヌ語にてPaha(東)ya(陸)Chinika(脚)の意という(『方言誌』)
附馬牛=現在、地元ではキモウシと発音している。アイヌ語にてChikuni.paush(樹の満つる場所)
の意という(『方言誌』)
六角牛山=六角牛は六角石にてアイヌ語でRak(雲のかかる)Kut(岩)
の意という(『方言誌』)
以下省略

早池峰山 〈遠野物語ニ〉



〈当方注〉
本書は129話、遠野物語拾遺299話を収録。之を題目毎に目次に掲げている。地勢、神の始、里の神……河童……略

尚、次回はこの遠野物語を原典のひとつとして思想論を展開した「共同幻想論」吉本隆明著を通して、この物語の一部や柳田国男の人となりを取上げてみたい。



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