言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

あの頃

2016-08-21 09:24:48 | 言の葉綴り
言の葉13 あの頃……ハルノ宵子
吉本隆明全集1の月報10より

村上さんが家に来ると、私は必ず「村上一郎文学者〜!」と言って出迎えた。おそらく父が、「やっぱり村上さんは文学者だな」と言うのを聞いていたからなのだろう。
村上一郎をまったくご存知ない世代の方に説明するならば、戦時中海軍将校だったのに生き残ってしまった、ざっくり言えば″ウヨク〟のひとだ。三島由紀夫の割腹自決がらほどなく、死に場所を求めていたかのように、自刃してしまった人である。
村上さんは週に1度ぐらいは訪れ、世間話や事務的な話をしては帰って行った。お酒を呑んで乱れた記憶はない。あまり飲まなかったのか、酔っぱらわないタチだったのか分からないが、いつもクールでシブイ男だった。村上さんは漫画がムチャクチャうまかった。ノラクロや赤胴鈴之助をプロはだしの線で、スラスラと黒板に描いたのが印象的だ。それも″サヨク〟の代表、島成郎さんの家の黒板にだ。いわゆる「ブント」のリーダー島さんも、あらゆる意味でイイ男だった。まずは色気があった。″エロい〟と言ってもいい。精神医科に転身してからも、「女性患者はね、まずオレに惚れさせなきゃダメなんだよ」と言って、はばからない人だった。村上さんと対照的でめちゃくちゃ陽気な酒だった。酔うと豪快に「ワハハハ!」と笑った。島さんは、私が幼稚園の頃の、″お嫁さんになりたい人No・1〟だった。(ちなみにNo・2は梶木剛さん)。今だって、あんなイイ男はいない!と思っている。
そんな島さんの家で、私と両親、島夫妻、編集者1人、母の親友″あっこおばちゃん〟、そして村上一郎さんとで撮った写真が残っている。バックは、村上さんのノラクロと赤胴鈴之助の黒板だ。ウヨクもサヨクもない、最高の笑顔だった。
村上さんが将校時代の軍刀を持って来て見せてくれたこともある。皆で持ち上げ、「うわ〜!重いんだね」などとはしゃいだ。後にその刃が、村上さんの命を奪うことになるとも知らずに。
島尾敏雄・ミホ夫妻、奥野健男さんと娘の由利ちゃんと一緒の写真もある。どうも私がいじめるらしく(?)、由利ちゃんは、どの写真も半泣き顔だ。三浦つとむさんの大きな背中を″おすべり〟にしたり、谷川雁さんを「ガーン」と呼んで
いたり、多くの名編集者が出いりし、遊んでもらった。江藤淳さんが、生まれたばかりの妹の頭をなでながら、「いいなぁ〜女の子…姉妹っていいなぁ…」と、子供のいない江藤さんは、うっとり言っていたのを覚えている。吉本全集を読んでくださる方々は、「なんと贅沢な幼年時代だろう!」と、思われることだろう。私だってそう思う。しかし、そう思うのは—イヤその前に(父も含めて)、ここに登場した人の名前を誰1人として知らない方が、日本人の99.6%位なのだということを感違いしてはならないと思う。
あの頃皆、エラくなかった。最後まで誰もエラくなかった。ただ自分がやるべきと信じることを真剣にやっていただけだ。
主義主張が違えば、もちろんぶつかり合う。でも、論争してケンカして「コノヤロ!バカヤロ!お前とは絶交だ〜!」以上の感情はなかった。今の″知識人〟と言われるエラい方々は、主義主張が違えば、お互いに嫌悪し、憎み、排除に向けて足を引っ張り合う。
あの頃は良かっだ…なんてボヤく気は さらさら無いが、ウヨクもサヨクも1個の人間として尊重し、存在を認め合っていた。やはり現代は、不寛容なケチくさい時代になってしまったのだろうか。
(はるの・よいこ 漫画家)


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