ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

伏見稲荷神符12 鍵の発見2

2009-09-23 10:49:34 | 日本文化・文学・歴史
伏見稲荷神符の絵解きをするにあたってその絵柄を確定する作業は大変興味深い
結果となった。ひとつは黒狐とおもっていたのが鼠だったこと。二つ目は三個の鍵
と思っていたのだが鍵は蛇のくわえている一個のみで、上段で交差している絵柄は
<違い鎌>であった。余談ですが、9月20日の大河ドラマ「天地人」で小早川秀明
の家紋が<違い鎌>でしたのでびっくりしました。



伏見稲荷神社の境内にはたくさんの神狐像が祀られているが、その神狐像は玉、稲
穂・鍵・巻物など様々なものをくわえている。これらの物をなぜくわえているのか
今まで話題にされた様子はないが、伏見稲荷神社を参拝した折に稲荷神符や縁起と
の係わりがあることを私は直感した。最も興味深く思ったのが<鍵と巻物>の組み
合わせである。

鍵をくわえている狐像は伏見稲荷神符の絵柄そのものであり、その鍵は伏見稲荷神
符を解く鍵であり、巻物はその元となっている伏見稲荷縁起をあらわしていると思
われる。つまり鍵はふたつの謎を<解く鍵>なのだ。
ではこの神符のどの部分が稲荷縁起と係わっているかといえば、まず杉をくわえて
いる蛇である。この蛇は稲荷の祭神(宇迦之御魂神)そのもので梵語の<白蛇>を
指す<宇賀那>と考えられているのだが、前に述べた<杉と蛇の組み合わせ>に
よって、さらに三輪の大神神社の祭神である倭大物主櫛みか玉命をさしていると思
われる。しかもこの神名は大国主命の別称とされている。

また宇迦之御魂神は<穀霊>であるが、俵が三つ積まれている場所から連想する
<穀倉>を、秋の七草の暗号を解くルール、つまり掛詞によって転化させれば
<国造>を導き出せるのではないか。
国造とは古代に一国または一郡の長の呼称で「くにのみやつこ」「こくぞう」と
言い慣わされているが、出雲では昔から「こくそう」と清音で読み慣わしている、
と八十二代出雲国造千家尊統(たかむね)氏は著書『出雲大社』(1968年学生社)
で述べている。

この本の「出雲の国造」中に興味深い記述がある。
「令義解(りょうのぎげ)」と言えば、律令政治が熱意を持って行われていた承和
元年(仁明天皇)施行の「令」の注釈書で、奈良時代から平安時代にかけての、
諸家の説を定めたものであるが、

 神祇令ー天神地祇の解釈として
 「天神(あまつかみ)とは、伊勢、山代の鴨、住吉、出雲国造の斎く神これなり
  地祇(くにつかみ)とは大神(おおみわ)、大倭、葛木の鴨、出雲の大汝神
 (おおなむちのかみ)等これなり」

とある。私はこの天神と地祇の区別に関心をもった。
特に出雲国造の斎く神は天神で、出雲の大汝神は地祇であるとする考えは、同じ出
雲の大国主命が祀られているのに矛盾している。しかし、この矛盾は稲荷縁起で感
じた矛盾と同一のものであり、逆にいえば「穀霊である餅(杵築大社)が白鳥(新
羅)になった」とする私の仮説を証明する内容ではないか?
つまり、出雲の大汝神を祀っていた勢力を地祇、国譲り以後、天穂日命の後裔であ
る出雲国造を天神と区別しているのだ。

また、葛木の鴨が地祇で出雲の大汝神と同様に考えているのに対して、山代の鴨を
天神としていることも興味深い。山代の鴨とは本来は葛木の鴨であったが、山代
(山城・山背)に移住したことは『山城国風土記』逸文によって知られている。
その氏族の祖神を祀っているのが賀茂神社である。

しかし、いつ頃からかはわからないが、渡来氏族の秦氏の氏神としても祀られるよ
うになっている。私は稲荷縁起の弓矢と共通する矢の伝承を持つ賀茂神社、松尾神
社の祭神は秦氏が討ち滅ぼした出雲系の神であり、その祟りを鎮めるために秦氏が
斎き祀ったのではと仮説を立てているが、その秦氏を「やましろの鴨」と言ってい
る可能性は高い。
白鳥(新羅)側である秦氏が天神であることは言うまでもない。

  













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