ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

古代からの暗号 <雀>と名がつけられた<仁徳天皇>

2023-03-27 12:18:42 | 日本文化・文学・歴史

これまで私の謎解きは和歌から始まったのですが、前回は日本書紀・履中天皇条の<磐余稚桜宮>のエピソ
ードを深掘りしていくと、定説とは違う人間関係が見えてきました。
履中天皇の前代は仁徳天皇、その前は応神天皇ですが史書には歴史記述とは思えない異質なエピソードがあり
密かに伝えたいメッセージが隠されているのではと感じていました。特に私の心に訴えてきたのは<日本書紀
巻11大鷦鷯天皇元年条でした。要約します。

 初め天皇の生まれた日に、木菟(ずく・フクロウ)が産殿に入って来たので応神天皇は武内宿禰大臣を召し
 て「これは何の瑞か」とたずねました。答えは「良き印です。昨日私の妻が出産しましたがその時に鷦鷯
 (雀・ミソサザイ)が産室に飛び込んで来ました。全く同じ事が起こるとは良き前兆でしょう。どうでしょ
 う産殿に飛び込んできた鳥の名をお互いに交換しましょう。そこで<太子には鷦鷯の名を取って大鷦鷯
 (おおさざき・大雀)皇子、大臣の子は木菟の名を取って木菟宿禰と名がついた。この子は平群臣の始祖
 である。そして「このように産屋に飛び込んできた鳥の名をお互いに交換して子に名付けた事を<後の世
 の契りとせむ>と申された。」

と記しています。万葉集の場合には「勇士の名を聞き継ぐ人も語り継ぐがね」、日本書紀の場合には「後の世
の契とせむ」と後世の我々に向けて何か重要なメッセージを発信しているように思いました。

そこで仁徳天皇の名が<大雀・大鷦鷯>という鳥の名であり、これまでの天皇名とは全く違う名付け方に違和
感を覚え<雀>の情報を集めました。すると仁徳紀の鳥の名交換説話に登場する武内宿禰の後裔氏族に<雀部
(さざき・ささき部ー武内宿禰の後裔氏族の一つで仁徳天皇の名代の雀部。伴造の氏族。>とありました。

上図は以前掲載した武内宿禰の系図(『古事記』孝元天皇段による系譜)ですが、孝元天皇の孫に武内宿禰
がおり、彼の子世代が9名おりますが、その中に許勢小柄宿禰を始祖とする雀部がありました。
また、『古事記』神武天皇段には神武天皇の皇子・神八井耳命の後裔氏族として意富(多)臣はじめ18氏族
が記されていますが<雀部臣・雀部造>の名がありました。
つまり雀部氏には神武天皇の二男・神八井耳命の後裔氏族で主に九州一帯と東国に勢力があった者と孝元天皇
の後裔氏族との二流の雀部がありました。

* 許勢(巨勢・居勢・己西)氏とは

 日本古代史上武内宿禰の子供(葛城氏・蘇我氏・平群氏・紀氏ほか)は天皇家をバックに国を動かす実権を
握った氏族を輩出しており、許勢氏にも履中天皇の頃から最高執政官(総理大臣級)として名をのこしている
人物はいましたが一般的には我々世代まで名の知られている人物は孝徳天皇頃の許勢徳陀古位でしょう。

上図は大和における豪族の分布図(『倭国と東アジア』鈴木靖民編 日本の時代史2より)です。
武内宿禰の後裔氏族は大和地域の南方から西方にかけて大きな勢力を持っていましたが、許勢氏の勢力範囲は
小さく弱小氏族に見えます。ところが近江の朝妻筑摩(滋賀県米原市)にある筑摩神社には許勢小柄と繋がり
があると思われる謎の祭りがありました。この祭りに注目したのは許勢小柄の<こがら>からでした。
<小柄>をはじめは<おがら>と読んでいたのですが、鳥の名にあったような記憶があり検索すると<こがら>
という鳥でした。

<コガラ>とは漢字表記は<小雀>。スズメ目シジュウカラ科の鳥で留鳥。ユーラシアの中緯度地方に分布し
日本では九州以北に生息する。検索サイトには別称として<鍋かむり>と記され、この名前を冠した祭りが
紹介されていました。滋賀県米原市朝妻筑摩に鎮座する筑摩神社の祭礼で「鍋冠(なべかんむり・なべかむり)
祭」と呼ばれ、この祭りは日本三大奇祭の一つといわれています。

*「鍋冠祭」(なべかむり・なべかんむり祭)

筑摩神社の春の大祭は5月3日に行われますが、御旅所から神社まで約1㎞を総勢200名が練り歩きますが、
行列の中に狩衣姿の少女8人が鍋(竹篭に和紙を張った鍋)を被って加わることから「鍋冠祭」とも呼ばれ
ています。
過去の鍋冠祭には少女ではなく妙齢の女性で、それまでの男性経験の数である鍋を被るという不文律があり
平安時代に書かれた『伊勢物語」(紀貫之)には
「近江なる筑摩の祭とくせなむつれなき人の鍋の数見む」
(近江の筑摩神社のお祭を早くして欲しいものだ。素知らぬふりをしている貴女がいくつの鍋を被るのか
 見てあげよう)と歌われるほど有名だった。
江戸時代には虚偽の鍋を被った女性に神罰がくだり、被っていた鍋を落とされ笑い者になった事から池に
飛び込み自殺した例があり、藩主の井伊氏が鍋かむりを禁じたが再興の嘆願がよせられ復活した。が、7歳
の女児による行列に替えられたという。
なんとも下世話で庶民好みの祭りですが、本来は<鍋>にも<冠>にも意味が込められた<風刺的>な祭り
だったのではないかと思います。

私の推理ですが
 「鍋」は鋳造や鍛造の技術に携わった者を象徴していると思われ、朝妻筑摩は近江国坂田郡を根拠とした
金属採掘・精錬などを生業とした古代豪族・息長氏の根拠地です。この息長を冠し、仲哀天皇の皇后と
なったのが息長帯比売(神功皇后)です。前回のブログに記したように応神天皇の母は息長帯比売ですが
父親は後世まで不義密通説の伝わっている武内宿禰と考えています。この男女の血を引く応神天皇>の子供
が誕生した時さらに我が子と皇子とをすり替えてしまった、それが鳥の名を替える説話となったのではない
でしょうか?系図上では天皇家の血統に属する武内宿禰ですが、素姓のよく分からない崇神天皇が欠史8代
とは別系統であれば神武天皇系の皇統に戻そうとした可能性もあります。
 「冠」は大王や天皇の被るもの。この場合は<仁徳天皇>を象徴したものであり、「鍋かむり」という
小鳥の正式な名は「コガラ」という<雀>の仲間でした。
思うに<大雀>という名前を持つ<仁徳天皇>の真の姿は<許勢小柄>であり、<鳥>の名は皇位<取り>
を暗示するものだったのでしょう。










 

 

 

 

 

 

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