食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、繁華街と公園』

2014年03月07日 17時26分42秒 | 旅行

Tanidadori谷田通り、日本語でかけばこうなる。実際に日本人が作ったビルがあることからこう呼ばれるように

なった。この近辺は繁華街だから人通りも多く、夜になればまた形の違う姿が見られるのではないかと思われる。

残念ながら私たちの泊まったホテルから夜にわざわざ出かけることもないと、夜の姿を見ることはなかった。

現地の日本人も沢山利用しているようで、日本語で書かれた和食の店が沢山開いている。ラーメン屋は定番、変わ

ったところで『吉野家』と同じ店構えだから誰もがそう連想して足を向け何か少し変と看板をマジマジ見ると『吉

牛屋』?または『吉牛』と偽物だ。

どこにもこうしたものがある。タイに来るためトランジットは上海だったが、有名観光地の豫園でカーネルサンダ

ーおじさんが立っているからKFCかと思ったらKCFのような感じの店名で叔父さんをよく見ると少し変えてあ

った。

ここに来れば和食にありつけることが分かっていたから、ここで食事を摂り近くのルンピニ公園に行く予定で出か

けて来た。人混み溢れる通りを物色しているとラーメン屋を見つけたので、そこに入ってみる。店の中は如何にも

日本を意識したような造り、だからラーメン屋というよりうどんか蕎麦屋のようなのに、現地人の従業員がたどた

どしい日本語で注文を取りに来た。

最近の海外にあるラーメン屋は国内と変わらないほどの味を出しており、食べてみて大失敗のケースは今のところ

ない。この店も然り、ホテル近くでも同様だった。

ラーメンを食べ腹ごなしに、ここからMRTで隣の駅にあるルンピニ公園で散歩することにする。タイの午後だか

ら暑さは増してくるが緑のある公園は涼しいとはいかないが、風らしきものも吹いており、木陰にいると過ごし易

い。ザックリとした地図をうる覚えに園内を歩いていると大きな波紋と共に1m弱のトカゲが泳いでいる。

公園にこんな大きなトカゲがいるとは驚き、だが更に足を進めると草むらからノシノシとゆっくり出て来て池の方

に向かう奴もいる。

ここでは珍しくない光景だった。園内には数知れず大小のトカゲが自由気ままな暮らしをしている。

木陰で昼寝などしていたら側にトカゲが来ていたなんてこともありそうな雰囲気。周囲は開発され近代国家の様相

を持つ、緑の一角は野生動物の塒(ねぐら)でもある。

昼間は人が多くない、この公園は夜になると夜市が開催され賑やかさを演出する。私たちはタイ最終日、出発時刻

まで時間があったので夕食がてら夜市に出かけてみた。昼間は閉めていた小さな店が一斉に店を開け、周辺では屋

台が開き食の万国博のように多くの料理が客を待っていた。和食系は見当たらず焼きそばに似たものを買い、タイ

最後の晩餐を開催した後、市場を歩いているとテンポのいいピアノ曲が流れていた。タイの人が作曲したものらし

いが本当のところは分からない。タイの音楽といえばムエタイの時に流されるメロディーを想像してしまうが、チ

ャオプラヤー川を連想させるのに引き寄せられ買うことにした。1枚1000円と日本語でお嬢さんが言う。

値切ることなどに対しすっかり素直になっている爺は、買う意思を伝えると、ニッコリとしてもう1枚サービスで

くれるという。よし、よしこれでよし。

                ナイトバザールの外観、中に店が犇めいている

                       何でも揃う店構え


『私の特別な日2.20』

2014年03月07日 17時25分10秒 | 日記

今日も断続的な雪の中、明日予定されているNPOの果樹園で最終となろう苗木の植栽準備をしていた。その道す

がら、どこかに勤めている訳ではないから平日でも自由に動ける身分を有難く思った。『えーと、今67歳だから

50引いて17年間も自由人だったのだ』

私が退職したのは50歳の時の2月20日。定年退職の場合は誕生日であるが、自己都合退職、出向などは20日〆

で計算される。円満退職の場合はある程度仕事の区切りができた時期を設定するのが、今までお世話になった会社

に対する姿勢であろう。私の退職直前に有給休暇は積み残し分を合算して40日近くあった。他社でも自社でも退

職前に有給休暇を消化するため長期休暇をとる人がいる。権利であり当然のことだと思う。こんな格好で年休消化

するのではなく在勤中にもっと有効的に使いたかったのだろうが、仕事の都合上やむなく消化できなかったのだか

ら、経営者はこんな事、知っているのだから正面から向き合い歪なことにならないよう要望したい。

退職前、職場のメンバーが『退職前、年休を消化していく人がいるのに,なぜ使わないのか』と問われた。残した

有給を放棄したのは単純な理由『2.20を過ぎれば自由の身。毎日が有給休暇だから』

さて、自由の身になって17年間、会社勤めは30.5年だったからその半分以上を過ごしたことなる。車を運転しな

がらのことだったから、これ以上深く思い返したり考えたりしなかったが、少し落ち着いて振り返り、足らざるを

知る、これからの道などに思いを入れてみる必要があると思った。

人には特有の日があろう。過ぎてしまったが2.20は私の新しい道の始まりの日でもあった。

そして、あと4日で3回目の3.11を迎える。亡くなった方は3回忌を迎えられ一つの節目となろうが、未だに行

方不明の方もおられ、こうした方々のご家族は今も不明と死亡が結び付かない狭間で3年の時を過ごされ、また次

の年に向けての1年が始まる。原発で家を追われた人たちにも無念の3年、明るい展望の見えないまま、ただ時が

回っているに見える。

政治家だけでなく言葉だけの『東日本大震災からの早期復旧』には辟易(へきえき)としている。


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