食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、チャオプラヤー川クルーズ』

2014年03月08日 17時40分20秒 | 旅行

 川沿いには沢山の有名施設があり陸から見る風景は市内観光で観ている。それを川側から眺められる、それも夜景

の中を食事しながら眺めるのだからリッチな気分になる。

ホテルで待っているとガイドがやって来て、クルーズに参加する他の人をピックアップするためホテルに寄ってか

ら船着き場に向かう。政変騒動の余波を受け、こうしたツアー客も激減しており、この日ガイドが担当した日本人

は私たちを含めて4人だけだった。

有名な観光地に出かけても、以前はもっと大きなグループの日本人や個人客で溢れていたろうに、余りで会わない

から私たちは異国情緒を味わうのにはいい条件だった。

船着き場に着くが出航まで十分な時間があったので、近くにあった小さな土産物屋のような所に出たりは入ったり

して暇つぶしをしている内に、大雨が降り出し、身動きがとれなくなり暇つぶしの延長はこの建屋内だけに限定さ

れてしまう。早い話が軟禁状態のようなもの。

南の雨はザーッと降り直ぐに止むから少しだけ涼しさを運んでくれる。時間が来た時には小降りで出航には何の支

障もなくなっていた。クルーズの客は欧米からの人で、この船は日本人にとって完全にaway状態だった。船に乗

り込み1つのテーブルに妻と座り周りを見回すが、待合所の様子と同じで、私たちから見れば外人さんばかり。

こうしたディナークルーズは大衆観光客向けのものだから、決してゴージャスな料理は準備されず定番のバイキン

グ料理が殆んどだ。

中華料理なのかタイ料理なのか区別のつかない炒め物、スープ風のもの、種類は多く出ているものの、お客が一巡

する頃にはハイエナが餌を漁った跡のような寂しい状態になってしまう。

だが、クルーズも食事時間も長いからお客の胃袋を満足させるために、適当な時間を見計らって料理の追加が成さ

れるから、割り勘勝ち出来る人には見逃してはならない。私たち日本人は食事をしながら話をする習慣はないから、

このような場面では外の景色を眺めて時折『きれいな景色』と呟く程度のもの。

それに比べると外人さんはペチャクチャと話が盛り上がり、そんな所にライトアップされた綺麗な景色でも目に入

れば『Excellent』などと更に盛り上がる。黙々と食事をする日本人夫婦をそんな外人ばかりが囲み、船は静かに

聖なるチャオプラヤー川を遡上して行く。

昼間に見た寺院は光で浮かび上がらされて、別の光景を見ているように綺麗だった。

 


『地域の将来は誰が考えるべきか』

2014年03月08日 17時27分39秒 | 日記

少子高齢化、都市集中型の社会構造、限界集落、都市部インフラの老朽化、雇用形態の変化、賃金格差、産業の

洞化、将来像の2極分化、年寄りの資産頼み、原発事故。

日本国内の抱える悩みを1分以内に答えなさいと問いがあった場合、すぐに思いつくものとして挙げてみた。勿論

のこと、人により列記するものは異なるだろう。それぞれの事項についても置かれている立場によっても年齢によ

っても受け止め方に違いもあろう。私はまちづくりの組織に属しており、地域の活性化や安心安全の確保など身の

回りの問題を少しでも軽減できればと思い活動している。このようなことには関わったことはなかったから、得意・不得

意ではなく、関心事・無関心事によって取り組む姿勢に変化があると思う。

先述の中にさらりと『地域の活性化』とある。ある町に住んでいて『この町には活気がないから活性化が必要だ』

と感じる人がいれば、全く無関心の人もいる。町の活性化が必要と説く人は元々、賑やかなことが好きで多くの人

が行き交う環境づくりを目指したいのだろう。

それではそうした環境が住民に何を与えてくれるのか。商いをしている人には都合はいい。人の交流が盛んなのに

町には提供するサービスが不足していると起業チャンスにつながる、雇用も生まれるからこれもいいことだが、簡

単な話ではなく夢物語に近いから日本中の多くの地域が悩んでいる。

しかし、こうしたことに全く関わりを持たない大半の一般人の中には、喧噪もない静かな田舎町ののんびりとした

環境がいいとする人もいる。しかし、今のままで経年すると少子高齢化から限界集落、集落の崩壊、地域消滅の波

が町の奥の方から押し寄せてくるのは目に見えている。

私のような年寄りはこうした形で近隣の地域が崩壊していくのは忍びないと思い、無い知恵を絞り出そうと一生懸

命になっている。しかし脂汗は出て来ても知恵の輪は外れない。だから困っている。

ある人が言った。

『あの地区は現在XX世帯あるが、あと5年もすれば半分、10年したら無くなる』

それでは、地域が無くなったら誰が困るのだろうか。私たちは地域が無くなることを経験していないが昔にはもっ

と山奥にも集落があり、自然淘汰のように消え去っている。結果として人は便利な場所に移り住み新しい町を形成

していくのだから、町は時代と共に代わるのが当然との考え方も成り立つ。

日本人は農耕民族だから土着に執心、地域への拘りも強いのかもしれない。実際には5年10年先の話なら今とそ

んなに大きく変化していないと思うが、数十年後に自分の住む地域がどうなるのか、どうしたいのかは、その時代

に生きていく人が真剣に考えることが重要だと思う。

と、割り切ってみても、元の道に戻り『妙案探し』に奔走せざるを得ない、誰もの課題であろう。


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