次女がこの世に生を受ける前夜、正確にいうと昭和四十八年五月十八日、未だ境
水道は鱸狙いで頑丈な人は釣りをしていた。この日は潮の止まりが遅く夜半前に好
調期がきた。特筆する釣果を上げたのではないが中々、潮が止まらずイライラしなが
ら待った記憶がある。というのは、妻の陣痛はいつ始まってもおかしくない状態だっ
た。父母が手伝いに来てくれているので気楽に出かけられた。潮が止まり凡そ一時
間は粘ったと思う、午前様を過ぎぼちぼち翌日の心配をする時刻になった。急いで
帰り支度をし家に着いたのは午前二時過ぎ、明かりをつけると妻が目を醒ました。
『どげな?』
『ウン、まだええみたい』
『えーか、今日はな遅いけん、陣痛はいけんで』
『そげなこと言ったって』
と、短い会話をして深い眠りについた。熟睡すると短時間でも随分寝たような気に
なるが、その時も同じで妻の起こす声で目が醒めた。
『お父さん、陣痛がきた』
『えー、こげな時間に』
こればかりは、薬を飲んで頑張れと言う訳にはいかない。未だ夜も明けぬ午前五
時、車を飛ばす。
『痛たたっ』と苦しそうな声を出す。
『頑張れよ』の励ましは母と私の声。
だれも居ない日赤病院で急患受付を探す。
陣痛が来たのでと説明するのに手際が悪く診察の段にならずイライラさせられた
が、ようやくのことで分娩室に入った。後は母が見てくれることになり私は家に帰
り再び眠りについた。寝たのも束の、母からの電話があり出産したものの臍の
緒が首に巻きつき酸欠で出てきたため顔は紫色で、目には充血みたいな跡があ
る。命には別状はないとのことだった。男か女かと、えらく気にする人もいるが私
は絶対に女の子だと思っていたし、名前は既に決めてあったので男の子と聞いた
ら驚いたかもしれない。
これっぽっちも男の名前を考えていなかつたから・・・
波瀾万丈の半日であったが、今日からは家族が一人増え四人になった。
イカナゴで小物釣り
大物は期待できないがもう一つ面白い釣りをしよう。連休を過ぎてしまうと境水道
にイカナゴの群れが発生する。大きさは三~四㌢の細長いドジョウの小型みたい
な魚。小さいが色々な魚からも好物にされている哀れな魚だ。イカナゴの脂をイカ
の短冊につけて鯛釣りをすると余りにもよく釣れるので瀬戸内海の鯛漁では禁止
されていると聞く。イカナゴは蒸して食すと美味だと母からも聞いたことがある。身
が細いのでこれ専用の網を作る。子供の昆虫採集用の目の詰んだ網を買い、網
だけを外し腰の強い八番線で輪を作り網を縫いつける。
古くなり使わなくなった竿をその柄にして網を取り付ければ完成。イカナゴをすく
い上げポリバケツの中に生かしておきこれを餌にしてセイゴ(二十五センチ前後の
もの)を釣る訳だ。餌採りで楽しみ更にセイゴを釣り楽しむことができる。口に針を通
し軽い錘を着けて流れの中をゆっくりと引き(この動作をサビキと言う)イカナゴを泳
がせる。竿は振出しでリ—ルなどは不要で二・五間もあれば十分である。スーッと流
すと穂先がククッと軽く引き込まれる、これは挨拶みたいなもので充分に食いつい
てはいない、イカナゴを引っ張っていると思えばいい。引く方向に送り込み食べや
すい状態にしてやる、辛抱との闘いになるが十秒ほど待っても拉致があかないこと
だってある。
ここぞと思うタイミングで合わせると穂先を水中に持ち込まんとする勢いで引く。その
感触を楽しみながら釣り上げていくのだが合わせが早過ぎて随分と失敗した。この
時期はメバルの旬になる時期でもあり当地ではタケノコメバルがこの餌に食いつき
セイゴと半々の釣果となる。この釣りはことの外、気に入りしばしば東の空が白むの
をみた。夜は冷え込みが残っているのでアノラックとセーターは必需品であることを
付記しておく。