サラリーマン時代は源泉徴収、政治家と官僚が適当に決めた税率で天引きされ
て、手取りだけに目が行きがちだった。若い時からの夢は当時、定年は55歳だっ
たから定年後は自分でしたいことを思いっきりやる、具体的に何をするかなんて考
えていない。それは遠い先で明確な目的もないから具体的に何かをしていたので
もない。時の流れは制度や仕組みを変えながら進むのが世の常だ。定年55歳は組
合との協議の結果、60歳に延長となった。私の夢か計画は別として定年退職が5年
も伸びてしまったのだ。普通なら収入源が途絶えなくなるから喜ぶべきなのだが、素
直に喜べない5年の壁。
若い時からの希望は別として、私の会社生活は家庭の事情やら私の我やらあり、定
年退職と言われる60歳を大きく早まる50歳で退職することにした。大きく後押しした
のは50歳を超えると社内的な処遇として『定年退職扱い』となり、各種制度の中で中
途退職との大きな壁がなくなり有利になることだった。ただ、社会的には自己都合の
退職で雇用保険の受給なども、その扱いになる。50歳で退職し再就職する意思があ
るのなら条件のいい会社を退職する必要などない。当時の雇用保険は未だ余裕のあ
る状態だったから、たしか10カ月間の支給があり無税だった。
この年は雇用保険を主収入にして生活してみたら、その軽量な生活に驚きと喜びを
感じてしまった。それまでは組合健康保険、厚生年金に加入していたが、国保と国民
年金に変わる。これらは収入額で決まり会社が半額負担する。国民年金と厚生年金を
比較することは無理があるにしても、厚生年金、国保は健保と同じ条件ながら共に1/
3くらいの負担に減ってしまった。
更に住民税、県民税は最低負担の『均等割り分』これのみの負担で、市町村民税は払
ったのか否かはっきり覚えていないから、払っていたとしても些少・・・年額で数10万円
の支出減となった。
蜜月のような1年を終えると、いよいよ自己資金を中心とした生活をしていかなければ
ならなくなった。退職時、厚生年金、基金などを一時金で貰わず10年有期で貰うことに
したり、退職金についても一部年金化する方を選択したので、この方からの収入と自己
資金、つまり貯金を食い潰すことで生計を立てた。
収入は在職時の半分以下になったが、今まで食べていたものを松から梅にランクダウ
ンさせた訳ではなく、以前とあまり変化のない生活をしていた。
60歳になると厚生年金がもらえるし、63歳になれば満額の年金生活になると、心待ちに
していたが、いざその年になり受給開始になると先述の国保、住民税の重さがずっしり
と肩にかかる。現在、国保は当時の約6倍、住民税は7倍くらいを納めなければならなく
なっている。私の場合、少し変わった経歴になってしまったから、こうした経験をした訳
だが、身軽に効率よく暮らすには『自分のお金で暮らす』これに限る。中途半端な年金
を貰うと『底なし沼の国保』『先のない地獄、介護保険』
『役に立たない社会税』など尻(けつ)の毛を毟り取られることになる。その点、貯金だけ
だと、いくらリッチな暮らしをしていてもスリムな社会費用負担で済む。
たまたま通過してみたら、こんなことが分かっただけのことだから、お勧めできるもので
はないが、世の中の仕組みをもっと知れば、別のいい方法があるのかもしれない。