ベトナムは1970年代の熾烈な内戦ではなく東西冷戦の代理戦争のような様相になり共産
主義と自由主義が真っ向から長く、辛い戦いを繰り広げた。当時、政権はアメリカが後ろ盾
となり傀儡政権と揶揄されながらも統治の体は為していた。一方の北で反発していたホーチ
ミンを頭とする共産主義者はソビエトの支援を受け、最初はゲリラ的な戦いだったが、勢力を
増し遂には政権を倒しアメリカをも撃退したことは歴史的には、そう古い事ではない。
私たちは離れた所から、この理不尽な戦を眺めていた。理不尽というのはベトナム国民の選
択ではなく、世界の両巨頭の意志のままに進められたようなものだからだ。アメリカとソビエト
が戦回避の努力を十分にしたとは思えない、戦になり戦力に勝るアメリカは自国の軍事品在
庫処分の如く消費し、無駄な殺戮を続けた。
あまりにも戦力に違いがあり大人と子供の戦いのような違いが報道されるようになると、アメリカ
は『悪』ベトコンは『正義』のような図式に見え出した。アメリカの若者たちを中心にアメリカの直
接的な敵ではないベトナムで命を落とさなければならないのか、戦争に対する意義が問われ
ていた。
フォークソングやヒッピーなど当時の若者は反戦の象徴としてこの問題を取り上げていた。戦争
が終わるとアメリカは回顧に走りランボーが現れてくる。この頃は、ベトナムでの戦いに関する映
画が次々と出てきた。時代は移り変わり、ベトナムで反米などと言う声は一つも聞こえてこない。
むしろ、ドイモイ政策の推進によってかつての同胞だったソビエトよりアメリカに近い路線に変わ
り、国内ではソビエトの通貨ではなく米ドルの流通が一般化している。
ベトナム戦争でB52北爆、ベトコン、アメリカ大使館放棄、サイゴン陥落の経過と共に生きてきた
者にとって、復興の道を確実に歩んでいる姿は気になる所だ。2009年5月、米子発、韓国経由
のベトナムツアーが企画された。予め計画していたものではなかったが、たまたま旅行会社のHP
でこのツアーを見つけ参加することにした。旅行から帰り2か月後に食べ物が詰まるという自覚症
状が現れ、10月、食道、胃がんの手術を受けた。
当時を思い返してみると、体調は絶好調ではなく食欲は低下傾向にあり、酒が残り易いのが常
態化していた。食は細いものの朝昼晩と食べていたし、食道がんや胃がんの兆候のようなものは
何も感じなかった。何よりも海外旅行に出かけるだけの元気と気力は問題なかった。