食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、ショート・ショート 2題』

2014年02月12日 17時52分24秒 | 旅行

『キリング・フィールド』

映画で有名になった残酷な自国民虐殺の実話。ポルポト政権下で抑圧され強制労働にも

課せられた医者の経験談を映画化したもので、記憶違いではないと思うがジョン・レノンの

『イマジン』が感動の場面で流れていた。

映画の中でも虐殺された多くの屍や頭蓋骨がまるでゴミのような扱いをされ、人間の尊厳は

偉大なるポルポトの思想より遙かに劣るというのだ。カンボジアでもこのような人間の馬鹿げ

た行為は2度と起こさないようにとモニュメントを作ったり、遺骨を衆人に見せつけ戒めとして

いるのに、この後にも同じような残虐な行為は繰り返され、アフリカの一部の国、シリアなどは

進行形にある。

私たちもキリング・フィールドと呼ばれる収容所跡、現在は寺院が建てられている、その一角

に人の道を外れた行為を忘れないことを目的とした人骨のお堂がある。中には、夥しいほど

の頭蓋骨が積み重ねられ見るからにおどろおどろしい。どの頭蓋骨にも人格を有していたは

ずだし、身内や恋人もいたはずなのに静かに弔われる宿命ではなく、戒めの役目を負わされ

ている。どの一体も粗末に扱ったり、好奇の眼差しで見るべきものではない。

神妙な想いをしながら供養の祈りを捧げた。

     ガラス越しに見えるのは頭蓋骨の山

 

『ニイハオで静かになる』

昼間、ホテルから散歩に出ようと敷地から出ると、トゥクトゥクの運ちゃん達から勧誘の渦

に巻き込まれる。断りの返事や、変な相槌など打たずに無視し続けるのが一番いいことを

学び、冷たいようだが知らんふりをして通り過ぎる。大体に運ちゃん達は働き者とは言い

難い。午前中は元気よく声を掛け営業活動しているが、午後になると木陰の方で昼寝を

している連中が多い。それに比べると女性たちはよく働き身体を動かしているのは東南ア

ジア共通ではなかろうか。夜の街では更にしつこく声を掛けて来る。余りにも五月蠅いの

で、そんな連中が屯しているところは避けて通るようにするが、それでも逃れられる訳では

ない。

日本人だと知ってのことだろうと『こんにちは』『こんばんは』と声を掛けて来るので『ニーハ

オ』と返事をすると、それに何も答えないことに気づいた。同様に『アンニョンハセヨ』と韓国

語で答えると、同様に何の応答もなく静かになる。

カンボジアの人たちは中国人や韓国人が嫌いなのではなく、観光で来る人は日本人より少

ないからではないかと思われる。理由は是非は別として、便利なことに気づきどうしても返事

をしなければならないような時は『ニーハオ』の連発で何事もなく通過。

          ホテル前で客を待つトゥクトゥク野郎たち

 


『行ってみたい国』

2014年02月12日 17時50分07秒 | 日記

大の旅行嫌い、電車嫌いだった私は仕事で仕方なく移動せざるをなくなってから、徐々に

慣らされて移動することが苦にならなくなっていった。仕事の関係から支社のある広島に平

均すれば月に2回弱、多いときは週に1回なんて過密な時があった。宮仕えは個人的な事

情なんて全く関係ないから、調子が悪くても這ってでも行かねばならぬから、結果としての

スパルタ教育は功を奏し、慣れを産み苦から解放してくれた。

それでは旅行は如何なっていったのか。これも昔は『連休になると人込みばかり、そんなと

ころに出かけ混雑を楽しむ人の気がしれない』こんな風だから、子供たちが小さいころから、

家族旅行の思い出はあまりない。勿論、この近辺の山や海には出かけていた。

人からよく言われたこと。早くに退職してしまったから『時間があるのだから奥さんと旅行にで

も行くのですか。羨ましい』と私の時間割の心配を聞かされたものだ。しかし、私の計画の中

に旅行のカテゴリーは全く設定されていなかった。企業OB向けのイタリア旅行の案内が送ら

れてきたのに食いついて出かけてみたが、それでも旅行への導火線には火が点かなかった。

ひょんなことが重なると人は変身してしまい、今ではすっかりと旅行好きになってしまった。出

かけてよく思うのだが私たちにとって、その場所は非日常的な景色だったり、町の営みだから

観光客という別の姿で見るが、現地の人たちは日常そのものだから景色に見とれていることは

なく、今日のタスクを果たすこと、今晩のご飯は何かなどを考えているだろう。

そして私が好きなのはこうした国々を楽しんで再び日本に帰って来てご飯を食べる時である。

私はご飯の美味しさを確認するために海外旅行をしているのではないかとさえ思う。日本に帰

り私たちの日常生活に戻り暫くすると再び非日常の生活が恋しくなる。

何度も記述してきたがカンボジアは何度でも行ってみたい国だから、どこかのタイミングで、ま

たシンガポールはいつでもready to go。そして行ってみたいのは差当りオーロラの見える北欧

の国、南米インカの国々だが、こうしたところへは自力での旅行は困難なのでお上りさんツアー

で行くしかない。旅は自分の都合、値段、魅力が重なり合わないと出かけることはできないから、

日頃のアンテナの張り具合で計画は大きく左右されてしまう。旅は物見遊山でもあるから生活の

中で必須とはならない。少しも関心が及ばなくても話題にもならなくても困ることはなかろう。昔の

私なら確実にこう言っていたはずだが、変身してしまった今はアンテナを大きく広げて面白そうな

ネタ探しに精を出している。

海外もいいが当面の目標は福島の三春桜を愛でたい。


リンク