『キリング・フィールド』
映画で有名になった残酷な自国民虐殺の実話。ポルポト政権下で抑圧され強制労働にも
課せられた医者の経験談を映画化したもので、記憶違いではないと思うがジョン・レノンの
『イマジン』が感動の場面で流れていた。
映画の中でも虐殺された多くの屍や頭蓋骨がまるでゴミのような扱いをされ、人間の尊厳は
偉大なるポルポトの思想より遙かに劣るというのだ。カンボジアでもこのような人間の馬鹿げ
た行為は2度と起こさないようにとモニュメントを作ったり、遺骨を衆人に見せつけ戒めとして
いるのに、この後にも同じような残虐な行為は繰り返され、アフリカの一部の国、シリアなどは
進行形にある。
私たちもキリング・フィールドと呼ばれる収容所跡、現在は寺院が建てられている、その一角
に人の道を外れた行為を忘れないことを目的とした人骨のお堂がある。中には、夥しいほど
の頭蓋骨が積み重ねられ見るからにおどろおどろしい。どの頭蓋骨にも人格を有していたは
ずだし、身内や恋人もいたはずなのに静かに弔われる宿命ではなく、戒めの役目を負わされ
ている。どの一体も粗末に扱ったり、好奇の眼差しで見るべきものではない。
神妙な想いをしながら供養の祈りを捧げた。
ガラス越しに見えるのは頭蓋骨の山
『ニイハオで静かになる』
昼間、ホテルから散歩に出ようと敷地から出ると、トゥクトゥクの運ちゃん達から勧誘の渦
に巻き込まれる。断りの返事や、変な相槌など打たずに無視し続けるのが一番いいことを
学び、冷たいようだが知らんふりをして通り過ぎる。大体に運ちゃん達は働き者とは言い
難い。午前中は元気よく声を掛け営業活動しているが、午後になると木陰の方で昼寝を
している連中が多い。それに比べると女性たちはよく働き身体を動かしているのは東南ア
ジア共通ではなかろうか。夜の街では更にしつこく声を掛けて来る。余りにも五月蠅いの
で、そんな連中が屯しているところは避けて通るようにするが、それでも逃れられる訳では
ない。
日本人だと知ってのことだろうと『こんにちは』『こんばんは』と声を掛けて来るので『ニーハ
オ』と返事をすると、それに何も答えないことに気づいた。同様に『アンニョンハセヨ』と韓国
語で答えると、同様に何の応答もなく静かになる。
カンボジアの人たちは中国人や韓国人が嫌いなのではなく、観光で来る人は日本人より少
ないからではないかと思われる。理由は是非は別として、便利なことに気づきどうしても返事
をしなければならないような時は『ニーハオ』の連発で何事もなく通過。
ホテル前で客を待つトゥクトゥク野郎たち