食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『夢追人、初猟』

2013年07月06日 17時21分21秒 | 趣味

ハンターにとっては待ちに待った解禁の日を迎える。猟は日出から日没迄で新聞

やTVで言われるその時刻になる。1分でも1秒でも過ぎてから発射すると狩猟法違

反で免許取消しと罰金または懲役になるから趣味の中で違反に対する処罰が一番

厳しい。だから日の入り時刻丁度に目の前に獲物が出てきても撃つことは出来ない。

法律を破った為の過ちは人身に危険を及ぼすから当然のことだと思う。

私とYさんは二人で松江巿近郊の古江の池に鴨を狙って出かけた。子前6時50何分

が日出で、現地には1時間前に行き場所取りをすることにした。私たちが車の中で待

っていると数人のハンターがやってきて、同じように待っている。どの人も昨夜はグッ

スリと眠れたのだろうか?

やがて、パトカーまで駆け付けて動向を窺っている。時刻の違反取締りの為かと思っ

ていたらこちらにきて、銃の所持許可証、狩猟登録証等の検査を始め出した。やが

て、日の出時間がやってきた。土手に向いながら銃に散弾を詰め込む。自動銃で薬

室に一発、薬倉に二発入り発射すると薬室の空薬莢は横に押し出され薬倉の散弾が

自動的に薬室に持ち上げられ次の弾が発射可能になる。

土手から覗くと真鴨が一杯いる。一団が気配を知り奥に飛び立つ。それを契機に一

斉射撃が始まった。ババーン、すぐ近くでYさんも鴨めがけて撃っている。

奥から数え切れないほどの鴨が飛び出してくるがここからは高すぎて命中の確率が悪

そうだ。たまに鴨が落ちる。誰の弹が当たったのかは判らない。自分だぞと意思表示し

た人のものになってしまう感じだ。

その場は近くの人と言うことにして治まった。私たちも2人で1羽の真鴨を獲物にできた。

この池は大きい池で一番奥は歩いて行くと15分はかかる。池にいた鴨が逃げた後にも

別の池で追われた鴨が次から次へと出入りしてくるがい所を飛んでいるのに撃つ奴

がいるので猟にならない。私たちは2人とも弾を使い果たしてしまったので八雲で兎猟

をすることにして池を後にした。

パピーはビーグルで白と黒が主体でちょっとだけ茶がある四つ目だ(目の上に茶色の

盾毛みたいな模様があり目にみえるので四つ目と言う)。この年の春に友人の紹介でも

らった犬でこの日まで休みの度、山に行き訓練を重ねてきた。兎なら兎の縄張の中を

1〜2周くらいは回す(追跡)し山鳥も臭いがあれば追い出す。家から15分の所に前から

兎の訓練に行き兎がいることを確認してある場所があり、そこを選んだ。犬は主の長靴

姿を見ると条件反射し『山に行ける』と思いワンワンと大騒ぎを始める。喜び勇んで車に

乗る。猟犬は子供の頃から車に乗せ酔わないように訓練しておく。車酔いする犬は乗

用車には乗せられない。そうかと言って犬用の車を買えないし。


『沈黙の臓器』

2013年07月06日 17時18分51秒 | 日記

沈黙の臓器と呼ばれるのは少々の疲労やダメージを受けても、直ぐに症状がでな

いで我慢すれば元に戻ることが多い、つまり慢性的な病状を起こしやすいものの別

名とされている。酒飲みに対して一番最初に指摘されるのが肝臓だ。この場合は原

因がはっきりとしていること、自覚症状として取り敢えず二日酔いなどで分かり易いも

のだと思う。だが元々、酒に強い人は二日酔いなどないから、酒による疲労があっ

ても表立っては分かりにくく慢性的になり易いのかもしれない。

私の周りに馴染のなかった膵臓、シンガポールEさんのママが膵臓がんになり昨年

春、日本への最後の巡礼を終えた直後に逝去された。ママのことを聞いてから膵臓

について少しばかり知識を得ていた。その時にも『沈黙の臓器』ぶりを『自覚症状が

現れ膵臓に異常が見つかった時はレベルⅣの末期』と表現されていた。初期症状

として腹が痛い、胃腸などを調べるが異常は見つからず、あちこちと検査で道草を

取らされている内に悪化し、膵臓にたどり着いた時はかなりの重症になっているの

が普通のパターンで、それほど見つけ難いものだと言われている。

酒に関係するのは肝臓ばかりと思っていたら、膵臓との関わりも深く酒の慢性的な

悪影響で重症に陥ることがある。娘の旦那さんが、その症状で入院してしまった。

来週には退院することになっているが話を聞いて、俄かには信じ難い内容だった。

以前、膵臓で入院治療した経過があり以来、数か月に1度は検査で通院し、酒を含

む生活面のチェックを受けていたのに、酒の影響による膵炎の診断だ。

一義には本人が一番注意深くしなければならない事には違いないが、専門家がそ

れを補足して・・・・と思うからだ。

しかし専門家云々への小言はお門違いかも知れないと思わされる事に気付く。

最近の医療は異常の変化や有無を血液検査の結果を数値化して、特定のものが

変化していないか否かによって正常・異常を判断する。もし数値に現れない形での

症状だと身体は異常でも,見立ては正常となってしまうからだ。勿論、これと逆の

きっと人間は都合の悪いことは、こっちに置いといて見て見ぬふりをすることもある。

本当はそうした小さいものの中に隠されているのを私たちは見逃しているからでは

なかろうか。


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