先日から参院選用ポスター掲示板が設置され始めた。ついこの前に市議選があっ
たばかりなのに、また選挙かと、こんな感じ方をした。それもそのはず政権交代以降
の政治に全く関心を持たなくなっている時の選挙だから余計にそう思わせる。私の
ような無党派層には長らく続き陳腐化し切った自民党から新しい息吹を期待させた
民主党のあの体たらくの受け皿になる政党などない。
だが世間というか、日本人というかは知らないが、あの陳腐化自民党は駄目だと言
ったのに、交代したらそれよりもマシだから、陳腐化は改善されていない自民党を選
んでしまった。
選んだ方にもの申せば『自民党は何も反省していないし、何も変わっていませんよ』
となる。選ばなかった人には別の苦悩がある。選ぶも地獄、選ばないのも地獄とは悲
しい国の選挙だ。さらに衆参2院政のカーネルとなるべき思想が全く根付いていない。
衆議院と参議院がねじれている・・・・・こんな表現を平気でしていること自体、参議院
不要を認めていることになる。
参議院は『良識の府』と言われ、例えば衆議院での決議を真摯に論議し異議ありを連
発し、立法の質を高めていくはずだったのに、いまや完全に衆議院のクローン化して
しまっている。
参議院で政党が党議拘束のようなことをする。もう、この時点で参議院なんか無駄の象
徴だ。私は参議院の意義なんかあると思っていない。
衆参で意見の食い違いを論議する能力のない政治屋どもが何処かで教わった『民主
主義の最後は多数決で』・・・・結局これにしか頼る術を持たないから『ねじれ』などと言
って恐れるのだ。
山陰中央新報の『明窓』に『国民レベル以上の政治家は生まれない』とある政治家の
言葉と紹介されていた。政治家が開き直って『国民が馬鹿だから政治家もそれと同じ』
と言っているのだろうか。
この言葉は政治家ではなく国民の政治への関心の薄さを嘆き反省する言葉なら納得
できるのだが、政治家だけには言われたくない。