ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

*ホリスティックヒーリング宙(sora)*

ご訪問いただき有難うございます。                                    ☆身体に心の声を聴く☆心理カウンセラー、ヒーラー株本のぶこのブログです。                 ヒーリング宙(sora)は、五体満足だけが健康なのではないとの観点から、生老病死(しょうろうびょうし)を人間の本質と捉え、病・障害・老い・死を単に否定的に捉えず、その深い意味に気づき、生と死のプロセスの中で、より深い充足感の自己実現を目指すヒーリング&カウンセリングをコンセプトとしています。

*ホリスティックヒーリング宙(sora)* 

◆お問い合わせ ご予約◆   ◆下記のメールアドレス、お電話にて承ります                    ◆E-mail space@heart.nifty.jp (お問合わせ)   space@hope.nifty.jp(ご予約)                    ◆TEL直通080-5174-2346 事務所・武蔵野ルーム0422-33-2758                                     ◆定休日…不定休・お問い合わせください                                                       ◆南青山サロン 東京都港区南青山3 風花東京 アブリム3F(flower&Cafe 風花1F) 東京メトロ半蔵門線・銀座線 表参道駅(A4出口)徒歩4分                              サロンは大変静かなお部屋です。テラスから眺める緑の木々や草花、空に身も心も癒されることでしょう。 グリーフ、じっくり話したい・自己洞察したい方に。。。                      ◆武蔵野ルーム(女性限定)東京都武蔵野市(新宿駅からおよそ20分) JR中央線三鷹駅隣駅下車徒歩5分交通至便のルームです。※ご予約の後、改めてご案内させていただきます。                   ※詳しくはHPをご覧下さい。

主な専門

【ヒーリング】 ■臼井式レイキヒーリング ■カルナレイキヒーリング 【カウンセリング】 ■慢性疾患をお持ちの方とそのご家族(長期闘病の精神的疲弊・疲労感)※闘病は本人のみならず親ござん・ご兄弟にも疲弊・疲労感を生じさせるものです。 ■うつ症状をお持ちの方のそのご家族(うつの連鎖を防ぐために)※夫or妻がうつに罹患し闘病が長期になると、パートナーまでもがうつに罹患するケースは意外に見逃されがちです。支える方もご自身の心の健康に留意しましょう。 ■病気ではない、と言われたがどうにも体の調子が悪いと感じる方 ■気分が晴れない、軽い鬱かな・・と思い悩んでいる方 ■対人関係 不安 ■人と接することに難しさを感じている方 ■家族との関係をよりよいものにしたい方 ■老親と成人した子の狭間で、やりきれなさ・閉塞感を感じている方(介護の疲れ・子どもとの心の行き違い) ■こんな自分になっていきたい方 (自己実現、自己成長) ■メンタルケア 心の健康を維持・整えたい。思いを整理したい方 ■グリーフケア、サポート (悲嘆・強い悲しみ) 【セラピー】 Writingセラピー

エッセイコンクール授賞式

2006-07-27 08:45:31 | 心・身体・癒し
七月二十三日、復習授業が終わった教室で、「第三回エッセイコンクール」の授賞式が行われた。

今回も大賞は該当者なしということで、佳作に選ばれたのはSさんと私のふたり。
大高先生から記念の盾と賞品を授与され、記念写真を撮った。
その後、ふたりでインタビューを受ける。

学院で学んで自分自身が変わったこと、学院生やこれから入学しようとする人へのメッセージなどの質問に答えたが、自分が考えた以上に思いを話せないことにもどかしさを感じながらのインタビューだった。

学院で学んで変わったことと聞かれて真っ先に思うのは、やはり人との接し方だ。特に家族に対しての接し方が変わった気がする。学院に入学する前は、結構、お互いに細かなことにこだわって、それが原因で喧嘩になったりしていたのが、いつのまにか何かが起こっても、まずは私の方が「やってしまったことは仕方がない」と受け止められたり、「過ぎたことは仕方がない」とこだわらなくなった気がする。
さらにもう一つ、教育分析でワークのレクチャーを受けたり、BFAのセミナーで想を習慣的に始めるようになってから、同じ時間がゆったりと流れるようになったことは大きな変化だった。

勉強を始める前に関わっていた書道。展覧会などでの作品つくりで締め切りが近づくと、思ったように書けないことへの苛立ちと、時間が迫ってくる焦りとで、自分でもイライラしてくるのが分かる。さらに悪いのは、それを分かっているのに、家族にそのイライラをぶつけしまうこと。家族も最初は気を使ってくれるのだが、いい加減そういうことが長年続くと堪忍袋の緒も切れて、その時期が来ると家のなかは険悪な空気が流れるのだった。
ところが、今はどうかというと全くそういうことがない。例えばこの春の卒業試験の時期も、勉強をしなければいけないということや、試験が迫ってきた…というドキドキ感は自覚するのだが、以前のようにイライラしたり焦ったりすることなく、その日を迎えたという感じだった。家族からも「全然、苛立ちを見せなかった」「試験が近いということを感じさせず淡々としていた」と言われたことからしても、そうだったのだろう。

最後に、学院生やこれから入学する人へのメッセージ。
これはエッセイにも書いたことなのだが、やはり思うことは教育分析の重要性だった。自分の内面に触れることへの恐怖心、友人に悩みや葛藤を話すことで問題を解決できたと話すひともなかにはいたが、実際体験してみて感じるのは、その解決の深さがまったく違うことだった。そういう点では、学院生の人達も是非それを実感して欲しいし、私自身、受ける間隔は以前よりは開いているが、今後も受けていきたいと思っている。

今回のエッセイコンクールに応募してみて感じたことは、ひとつの卒業の区切りとしてよい記念になったということ、今後の自分自身を確認できたということだった。いただいた盾、先生からの励ましのメッセージを裏切らないようこれからも自戒していかなければ…感謝。

まだ日程は決まっていませんが、エッセイとインタビューが学院のHPに載るということです。決まったらお知らせしますので、よかったら覗いてください。

ドクターハラスメント

2006-07-21 08:43:41 | 心・身体・癒し
先日の講義からワークの実習が始まった。

今回はアサーショントレーニングとゲシュタルト療法の一部を取り入れるという、実践に活かせる方法でのワークである。

様々な相談のひとつに「○○にはっきり言いたいのだけれど、なかなか言えなくて…」というのがある。そういう時、カウンセラーのひとつの対応として、充分に話しを聞いた後、「どんな風にはっきり言えたらいいのですか?」と尋ね、「もしここに○○(さん)がいるとして、声に出して言って見ましょうか?」と目の前に置かれた、空の椅子に向って実際に声を出して言ってもらう方法がある。
勉強していたとき、私はこの空椅子に向って何かを言う、訴えるというのが苦手だった。いつも目の前の見えない相手に何と言ったらいいのだろうと、困惑しながらやっていたことを思い出す。

今回の授業では、講義の中で空椅子の位置は真正面とは決めず、あくまで相談者の話し易い距離、角度に置くというスタンスを取ること、常に相談者への配慮を欠かさないなどのきめ細かな対応が盛り込まれ、今まで以上に自然な姿での主張訓練法との印象だった。

私が選んだ主張したい相手は、T市にある某病院の医師である。数年前、母と二人で初めて訪れた時に受けた言葉の暴力「ドクターハラスメント」に対し、その場で言えなかった思いを吐き出すことにした。

まずはカウンセリング。カウンセラーに当時の状況と、そのときの心理状態を詳しく話す。たまたま通っていた近くの総合病院から、重態の病状でなければ近所の医院に替わって欲しいと言われた母と私は、電車で三、四〇分のところにある公務員関連の病院を訪ねた。診察を待っているときから何か嫌~な予感はあった。というのも、呼ばれて診察室に入っていく患者さんのほとんどすべてが、その医師に暴言を吐かれているのが聞こえていたのだ。「そういうことを聞いているんじゃない!聞かれたことに答えればいいんだ!」etc。
そして案の定、先に呼ばれた母に対して彼は信じられない言葉を投げつけた。
「なんでここへ来たんだ!」「本来、ここへくる筋合いではないだろう!」「混雑していることがわかって来るんだから、覚悟はあるんだろうな!」そして、極めつけが「今後、何があっても知らない、それを承知の上で来るのなら構わないが念書を書いてもらう!」というものだった。
蚊の鳴くような声で返事をしている母。憔悴した表情で診察室から出てきた母をいたたまれない思いで見たが、次に呼ばれた私に対しても彼は同じ言葉を投げつけたのだった。
結局、真正面から対決し抗議する勇気を持てなかった私たちは、黙って病院を後にするより他なかった。

ところが、時間が経つにつれてさっきの場面がまざまざと甦ってきた。それと呼応するように、間もなく二人の身体に変化が表れはじめたのである。
まず、顔色が蒼ざめ、次に心臓が動悸を始めた。ふと母を見ると同じように蒼ざめている。「あ、なんだかおかしい…」と思うと同時に、何と身体が小刻みに震え始めたのだった。
『怒りに身体が震える』というのはこういうことをいうのだと思った。初めての体験だった。到底、このまま街に居続けることはできず、すぐに家に戻ったが、その日一日、怒りは収まることはなかった。

一通り話し終え、私の「あの時、我慢をせずにきちんと言うべきことを言えていたなら、抗議できていたなら数年間も嫌な感情を引きずらずに済んだかもしれない。今日、この機会に言いたかったことを言いたい」というところからワークへと移行することに。
空椅子の位置は診察室をイメージ。医師がデスクに向っている姿勢に対して、私がほぼ九〇度に位置し抗議するというシチュエーションである。
初めのうちは、遠慮の気持ちもあって、控えめな口調で抗議というよりは、諭すという雰囲気を出したいと思ったのだが、実際にやってみて消化不良を起こしていることに気がついた。改めて仕切りなおし。今度ははっきりと抗議の意思を確認しての言葉だ。
自分でも一寸驚いたのは、話してもわからない人間に対しては事を表沙汰にするのも辞さない。そういう覚悟で臨むというスタンスを持てたことだった。あの時、私たちだけでなく他の患者に対しても同じ口調、横柄、横暴な態度で接していた情景が脳裏から消えず、きっと今もドクハラを続けているのだろうと想像したことが影響したのだろう。結果、二度目の主張はまずまず満足できるものだった。

ワークを終えて思ったのは、やはり理不尽な行為に対しては泣き寝入りせず、毅然とした態度をとらないといけないということだった。これからはきちんとそれが出来そうな気がした。

ただ、ここで断っておきたいのは、たまたま私たちが出会ってしまった医師の中にこういう人がいたということであり。世の中こうしたドクハラ医師ばかりではない。
実際、今、私が定期的に通っている御茶ノ水にあるJ大学付属J医院の先生方はいつも親身に接してくれ、丁寧な診察をしてくれる。三分間診療などもってのほか、一〇分、二〇分は当たり前、場合によっては三〇分以上かけて患者の話、訴えに耳を傾けてくれる。ちょっとした体調の変化にも敏感に対応してくれて横の連携もスムーズ。たとえ異常がみつからなくても、退出する際には「いつでもおかしいと感じたらいらっしゃい」と言葉を掛けてくれる。そういう積み重ねがあってこそ、医師と患者の間に信頼感が生まれるのだと思う。

今回の実習で自分自身、一寸驚いたのが、いつのまにか苦手だった空椅子へ言葉を掛けることが自然に出来るようになっていたことだ。初めての授業では、まだ何もわからない状況での実践ということもあって少々違和感を覚えたのだが、数ヶ月という時間の中でいつしか自分が抱いていたワークに対しての意識や理解、認識などに変化が起こったのだろう。今回、自然に話せたことで、ある程度、このワークに対しての苦手意識を克服できた気がした。

ちょっといい話

2006-07-19 08:39:15 | 心・身体・癒し
先日、病院の予約時間の関係で朝のラッシュ時間帯の電車に乗った。
中央線の某駅で品のよい老婦人が乗り込んできて私の隣の席に腰かけた。

いくつかの駅を過ぎた頃、その老婦人が前に立っている若い男性に「この電車は御茶ノ水に止まります?」と尋ねたのを小耳に挟む。それに対して「さぁ」と小首を傾げる男性。老婦人の困りきった様子に、思わず「停まりますよ。私もそこで降りますから一緒に降りましょう」と声を掛けた。
その言葉にホッと安堵の表情を見せる老婦人、これから娘さんが住む幕張にひとりで行くのだという。一見して結構なお年である。「失礼ですが…」と年齢を尋ねると、何と九十歳を超えているという。顔のつやは良く、口調もしっかりしていて、到底そんな年には見えない。素直にそれを伝えるとニコッとして身の上話を聞かせてくれた。

出身地や幼少のころにご両親をなくされたこと、ご自身も二十歳までは生きられないだろうと言われながら、今ではひ孫が何人もいるetc 
「母親の顔は覚えているけれど、声の記憶はないの。父親は顔も声も覚えているけれど…両親がずっと見守ってくれていたのだと思う」という言葉に、幼少に死に別れた親への思いの深さが伝わってきて切ない気持ちにさせられた。九十年以上も生きてきて、子供、孫、ひ孫に恵まれていても親への思慕は今も変わらずにあるのだ。
御茶ノ水駅で総武線に乗り換えるその老婦人に「くれぐれも気をつけて」と声を掛けて別れたが、ちゃんとあの後、幕張の娘さんと巡り合えただろうか…

同日の午後。病院の待合室で順番を待っていると、診察室から初老の女性が出てきた。
カルテを看護師さんからもらうためすぐには去らず、私の傍に立って待っている。ソファのスペースに少しゆとりがあったので、「どうぞ、腰かけませんか?」と声を掛けた。「ありがとう」と隣に腰掛けると、私に向って「ずっと通ってらっしゃるんですか?」と聞いてきた。「いいえ、今日初めてなんですよ、他の科から回されて…」と答えると、その女性が「実は今年の冬に主人が…」と身の上話を始められた。
聞けば内蔵機能が急激に低下して緊急入院したという。もし時期が少しでも遅れたのなら、生命が危なかったそうだ。ご自身も病みがちで看病が大変だったこと、今はご主人もすっかり快復されたという話を聞いて別れたのだが、何となく「不思議と今日は人の身の上話を聞く日だったのだ」と感じた。

実はこの後も、もう一人わたしと同年齢くらいの女性から同じように声を掛けられて話をしている。

家に戻って、その話を家族にすると「きっと話し易い雰囲気だったんでしょう」と言われた。
これからカウンセラーとしての活動をしていきたいと思っている私にとって、話しやすい、話したいと思ってもらえることが一番重要なこと。本当の意味での「一期一会」ではあったが、もしそう感じてくれて話しかけてもらえたのならそんな嬉しいことはない。
ただひたすらに聞くということは、実は簡単なことじゃなく、ちょっとした忍耐も必要なのだけれど、最もそれが私に求められていることなのだと再認識した一日だった。

テン・ネガティブマインド(1) 「拗ねる(すねる)」

2006-07-15 12:39:33 | 心・身体・癒し
「どうしても素直になれないんだよなぁ~」思わず口に出してしまう時もあれば、心のなかで思ったり。そんな気分になることってないだろうか。あるいは何故か決まって特定の人に対してそういった感情を抱いてしまうことは…。
そんな素直になれない自分を嫌だと感じていながら、ついつい拗ねてしまうのは、実はその人に対して何かお願いしたいという心の表れ。

例えば、自分のことをかまって欲しいのに、他の兄弟や別のことに関心が向いている親に対して拗ねてみせる子ども。わざといたずらをしてみたり、兄弟と親との間に割って入って邪魔してみたり、反対に親から声を掛けられてもわざと無視して向こうを向いてしまったり。端から見れば何かを訴えたいのだろうと、容易に推測はつくのだが、当の本人も相手もそれに気付いていないことが結構多い。「何が気に入らなくてそんな拗ねてるの!」とお母さんに叱られている場面に遭遇することも度々だ。

勿論おとなだって。本当は家族や好きな人に「こうして欲しい」と願っているのに、「どうせ話したところで分かってくれるはずがない」「叶えてくれるはずがない」と決め付けて、拗ねた態度をとり続ける。そんなとき相手は何のことかさっぱりわからず、チンプンカンプン。困惑の表情ということにもなりかねない。極端な場合、親密な関係なのだから黙っていてもすべて察してくれるはずと、一方的に思い込んで勝手に「分かってくれない~」と拗ねた記憶は?「ほんとお前って扱いづらいよな~」と言われたことはないだろうか。

そんなとき、ちょっと冷静になって自分は一体どんなことを相手にお願いしたいのかを考えてみるのもいい。「ああ、こんなことだったんだぁ」とか、意外に単純、簡単、あるいはくだらないことだったりする。それに気づき、自覚するだけで結構素直になれるものだ。そして、気付いたなら思い切って気持ちを相手に伝えてはどうだろう。そもそも「どうせ分かってくれない、叶えてくれないだろう…」と思っていたなら、「駄目で元々」「当たって砕けろ」でぶつかってみたらいい。結果、万が一OKだったならラッキーじゃん!儲けものというものだ。それに人の心はおかしなもので、お願いされる側も素直に言われると、結果として無理だとしても、一寸は考えてあげようか、できれば叶えてあげようかという気になる。

ただ、同じお願いをするのでも、これは逆効果じゃないかな?と思うのが「○○して欲しいんだけど、駄目でしょ? 駄目だよね~」という、無理だと決め付けたような言い方。おそらく相手は控えめに、低姿勢でお願いしているつもりなのだが、不思議に素直に伝わってこない。気持ちはわかっているのに、ちょっぴりイタズラ心が湧いてきて「駄目だとわかっているんだ~だったら…」なんて、一瞬、意地悪を(勿論すぐにOKを出すけれど)言ってしまうときがある。
何にしても、素直にお願いするのが一番ということだろう。

ただ、子供に対しては、おとなの方がちょっと心配りをして、素直に言える雰囲気を作ってあげることも必要だろう。おとなが思う以上に自分の気持ちを表に出せないのが子供のような(自分の子供時代を振り返っても)気がするのだが。


『茶話会&セルフワークミニ体験会』
 参加申し込み受付中

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)
http://www.kokoro-sora.com
ホリスティックカウンセリング宙では、BFA的カウンセリングの無料モニターを募集しております。詳しくはホリスティックカウンセリング『宙』(sora)ホームページをご覧の上、お問い合わせ下さい。http://www.kokoro-sora.com

ブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」
携帯からもブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」がアクセスできます。
旧   http://blog.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/
携帯  http://blog.m.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/

新   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora/(携帯も同じ)

ブログ 『ボディフォーカスト・アプローチ』
   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada(携帯も同じ)

ブログ「珈琲ぶれいく」
   http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/
携帯 http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/

『元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』
http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

『講師のひとりごと』http://www.therapy.jp/messages.shtml
 ☆タイトル「お久しぶりです!」
(更新されて読めないときはスクロールすると読むことができます)





「テン・ネガティブマインド」

2006-07-13 22:02:54 | 心・身体・癒し
学院に入学して最初の授業が終わった頃、新入生を対象とした入学ガイダンスが開かれた。いくつかの話のなかで印象的だったのが、『テン・ネガティブマインド』の話。

テンは「10」の、ネガティブマインドは「マイナス志向」とでも訳そうか…
例えば、誰にでもあるマイナス志向。ちょっと何かが起こっただけですべて悪い方へと考えがいってしまうような発想のいくつかを提示し、それがどれだけ私たちのやる気や行動力、さらには成功への道を妨げているかを聞いた。

「拗ねる(すねる)」「僻む(ひがむ)」「諦める」「いじける」「不貞腐れる(ふてくされる)」「さぼる」「人のせいにする」「努力・工夫をしない」「理屈を並べる」「後悔し続ける」これから時々、ひとつずつ取り上げて私なりに考えたことを記していこうと思う。

般性

2006-07-09 21:50:10 | 心・身体・癒し
先日、学院から『7月3日朝のテレビ情報番組に学院の先生が出演』とのメールが届いた。

当日の朝7時、テレビをつけていつでもOKの状態にしておく。20分すぎ、いよいよコーナーが始まった。「めざましどっち」二者択一。この日のテーマは「帽子とサングラス、どちらが似合うと言われたら嬉しいか」というもの。街中でのインタビューも含め、リアルタイムで携帯からのアンケートを募り、スタジオの出演者も帽子とサングラスの二手に分かれた。
インタビューで「何故、あなたはそれを選ぶのか?」との問いに多く聞かれたのが「前に一度挑戦したのだが、似合わなくって…(それ以来挑戦していない)」という答え。

ここで先生が「般化」についての話をされた。
「私たちは一度の失敗を、すべてのことに結びつけてしまう傾向がある。それを般化といい、例えばサングラスでいえば一度かけてみて似合わなかったから、『私にはサングラスが似合わないんだわ』になってしまう。本当はそのサングラスが似合わなかっただけで、他に似合うサングラスがあったはずなのに、そこでもう、試してみよう、挑戦してみようという気さえ起こらなくなってしまう」というような話だった。「へぇ~」と聞きながら、「あれぇ?なんかこの言葉、活字で見たような気がするな…」必死に記憶を辿ってみる。「あっ、そうだ!」思い出した。早速、本棚からNLPの本を一冊取り出してパラパラとめくってみると「あった!般化」

『般化』…人間が自分の経験のモデルを作るときに起こる普遍的なプロセスの1つが般化のプロセスである。般化は、もともとの経験の詳細な部分や豊かな部分を削り取ることによってクライエントのモデルを不完全なものにすることになる。つまり般化は、個々の具体的な状況に対処する際に、より多くの選択肢を与えてくれる弁別という行為を妨げる。と、同時に、般化は、苦痛の一経験をどうしても対処しきれないような打ち勝ちがたい障害の世界に悩ませるというレベルまで発展させてしまう。-以下省略―(魔術の構造より)

なるほど、そうか…振り返ってみれば日頃、私たちはそういう場面に頻繁に遭遇しているかもしれない。「どうせ私に似合うはずがない…」とか「しょせん、私がやったところで上手くいくはずがない…」と自分で自分の限界を決めてしまっていないだろうか。
でも考えてみればたった一度、ひとつのことで、どうしてすべてそうだと決めつけることができるだろう。そうやって決めつけることで結局は、元々あった(隠れていた)自分の可能性までも気付かずに封印してしまうことになるのだ。
かくいう私自身が持っている般性って何だろう…と考えた。う~ん…瞬時には思いつかない。無いわけはないのだが、逆にありすぎて絞れない?それにしても、いつの間にか「般性」を忘れてしまっているとは…ひょんなことから「勉強し直さないといけないな」と反省させられた。

ところで、先生が出演していた時間のあまりに短いこと。おそらく数日前から準備を始め、収録にも相当の時間がかかったことだろう。「報われてないな~」というのが正直な気持ちだった。番組制作とはそういうものなのか。そういえば、朝のニュースにも同じことを感じるときがある。たった十数秒の放送のために大勢のスタッフが現地に赴き、朝早く準備をしてヘリコプターに乗り込み、実況をしているのを見ると、表に出るのはほんの僅かなのだなとつくづく思う。苦労の大半は人の目に触れないものだ。

心に響く言葉(1)『癒してあげたい』

2006-07-07 07:07:40 | 心・身体・癒し
いつだったかテレビに映った温泉で、小学生の男の子が露天風呂に入りながら「癒されるな~」としみじみ漏らしていたのを見た。今の子どもたちはこんなにも疲れているのか…とさすがに複雑な思いだった。

現代は様々なことに疲れを感じている時代のように思う。それに呼応するように、デパートにはいろんな癒しグッズが売られている。ペットであったり、花や香り、色…etc。多くの人が癒しを求めている…そして、そのなかにカウンセリングというのも含まれているのかもしれない。

学院に入学する前、学院説明会に参加した。今は特別講師の先生が、学院の理念、システム、時代が求めているカウンセリングの状況、必要性などを、スクリーンを使って説明してくれたのだが、そうした話のなかで特に印象的だったのが「癒してあげたい」という言葉であった。正直に話せば、あの時の私はその言葉に違和感を抱いた。と、いうよりも疑っていたのかもしれない。カウンセリングでできることは相手に心を添わせること、悩みを聞くこと…そんな程度だろうと漠然と考えていた。今思えば、なにひとつわかっていなかっただけだが…

ところが入学して数ヶ月経った頃、意識を百八十度変える出来事が起こった。それは教育分析でのこと。子供の頃、いじめにあった体験からこの先、果たして男性のクライエントと向き合うことができるだろうかと話したことがあった。その時、先生はどういう対応だったかというと、黙って私が話すのを聴いていてくれた。コメント、アドバイス的なことは一切な無いまま、ひたすら聴き続けてくれたのだ。しっかりと私の気持ちを受け止め、ただ、ただ耳を傾けてくれていたのである。もしあの時、途中で何かを言われたなら、私は心を閉ざしていたかもしれない。

結局、気がついたら一時間喋りっ放し、結果として一回では終わらず、次回も…ということになったのだが、体感として残ったものは「癒された」という思いだった。そして、あの学院説明会で聞いた「癒してあげたい」という言葉が甦ったのである。

「カウンセリングは本当に癒せるんだ」と心の底からそう思えた瞬間だった。確かに傍に寄り添ってくれるだけで、話を聴いてくれるだけで癒されるときがあるのだと…感動だった。

ただ、それにはカウンセラーの側にすべてを受け容れる大きな、大きな懐が必要だと感じる。そこに辿りつくのには、きっと長い時間がかかることだろう。いつかそんなカウンセラーになれたらと、夢だけは見ているのだが、道は険しく遥か遠い…

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)
http://www.kokoro-sora.com

ホリスティックカウンセリング宙では、BFA的カウンセリングの無料モニターを募集しております。

詳しくはホリスティックカウンセリング『宙』(sora)ホームページをご覧の上、お問い合わせ下さい。
http://www.kokoro-sora.com


ブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」
携帯からもブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」がアクセスできます。

旧   http://blog.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/
携帯  http://blog.m.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/

新   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora/(携帯も同じ)

  
ブログ 『ボディフォーカスト・アプローチ』
   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada(携帯も同じ)

 
ブログ「珈琲ぶれいく」
    http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/
携帯 http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/


『元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』
http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php





以心伝心  

2006-07-05 08:38:33 | 心・身体・癒し
数日前、友人と会った。待ち合わせの時間を一応決めてはいたが、急遽「早く行ける!」とのメールをもらって、大慌て。転がるように家を出て、駅への道を走りながら返信する。 私「ごめん、ギリギリかも」 彼女「ええっ!もう着くよぉ」 私「どうすればいい? 待っててくれる?」 彼女「もちろん、でもどこかで昼食してるね」 30分後、駅に到着。「デパートの外づけエレベーターの近くの『パティシエ○○』にいるよ~」との連絡をもらう。 「えっ!」そこは私がもし「何処へ行く?」と言われたときに提案しようと心積もりしていた店ではないか。「助かった~」

ところがいざその店の前までいくと、店の名前が違う。なかに入って店の女性に「ここは『パティシエ○○』って言いますか?」 と尋ねると「いいえ、○○です」と素っ気ない返事。  「あれぇ、彼女の話からすれば確かにここなんだけどなぁ…」仕方なくデパートまで戻って何人かに聞いてみたが、誰もそういう店は知らないという。

あちこち探してさらに20分。もしやと思い、さっきの店に戻って看板をよ~く見ると、何と大きく書かれた店名の下に小さく『パティシエ○○』とあるではないか。一気に疲れがドット出た。結局、会えたのは初めに約束した時刻、 トホホ… 。彼女にしてもメニューの表紙に書かれていた名前を店名と思ってメールをくれたのだから、決して間違ってはいないのだ。4時間近くお喋りをしたあと、帰り際、さっきの素っ気なかった女性がニコッと「やっぱりここだったんですね」だって。ムッとしてカチン!ときたが 「ええ」と笑顔で答えてそれ以上は黙っていた。が、心の中で「アンタがもう一つの名前をちゃんと把握してたら、私はアチコチ探さなくて済んだのよ、もうっ!」 う~ん…自己一致できてない!

それにしても偶然ふたりともこの店を選んだことには驚いた。さらに私は家族にこの店のケーキを買っていく約束もしていたのだ。以心伝心ってやっぱりあるんだ。


ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)
http://www.kokoro-sora.com

ホリスティックカウンセリング宙では、BFA的カウンセリングの無料モニターを募集しております。

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)のホームページをご覧のうえお問い合わせ下さい。

ブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」
   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora/

携帯からもブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」がアクセスできます。  
旧 http://blog.m.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/
新 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora/


ブログ 『ボディフォーカスト・アプローチ』
   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada
携帯 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada


ブログ「珈琲ぶれいく」
   http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/
携帯 http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/

『元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』
http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

出会い

2006-07-03 13:39:32 | 心・身体・癒し
「出会い」について、考えてみたことがあるだろうか。先日の授業(卒業後の復習講座)で、先生が「自分がこの世に存在するのに一千年という時の流れの中で、どれだけの人が関わってきたか」という話をしてくれた。何と一兆人だという。途方もない数である。

これだけの人間の生命の繋がりによって、私たちの生命が「今、ここにある」と思うと、ちょっとした感動である。一兆人分の生命をもらって生きていることに他ならない。一千年という時間のなかの、一瞬のまばたききのようなわたしたちの生命。その短い時間のなかで、膨大な数の人々のなかから、いくつもの「出会い」を得ているのだ。まるで奇跡に近いような確率で…それを思ったとき「すべては偶然じゃない、必然なのだ」との言葉も説得力を持って響いてくる。

この一年あまりの間に、私にはさまざまな出会いがあった。それは人であったりモノであったり。それらすべてが私には大切な存在であり、これからも大きな、大きな存在であり続ける予感がする。もし、それらすべてが必然であったとするならば、これ以上の感動、喜びはないかもしれない。相田みつをさんの言葉で「その時の出会いが人生を変える時がある  よき出会いを」というのがあるが、おそらく今の私がそうだろう。

学院、福井先生、大高先生、先生方、クラスメイト、同期の仲間、そして先輩、カール・ロジャース、アーノルド・ミンデル、プロセス指向心理学(POP), ボディフォーカスト・アプローチ(BFA)etc いくつもの「出会い」で確かに私は変わった。心のみならず、心と身体の密接な繋がりを学び、実際に体験することで、以前の虚弱な私は此処にはいない。そしてそれは今、まさに現在進行形なのである。


ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)
http://www.kokoro-sora.com

ホリスティックカウンセリング宙では、BFA的カウンセリングの無料モニターを募集しております。

興味、関心のおありの方は、ホームページ
ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)をご覧のうえお問い合わせ下さい。
http://www.kokoro-sora.com

『たおやかに生きる』 著:株本のぶこ  オンブック出版 

 《苦悩から能力へ》
 「あなたにはがまんする力がある」と聴いたときから私の変容は始まった。
 解説:日本カウンセラー学院講師  大直樹

☆インターネットからご購入いただけます。
http://www.onbook.jp/bookd.html?bid=0129


ブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」
旧   http://blog.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/

新   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora/

携帯からもブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」がアクセスできます。  
旧 http://blog.m.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/

新  http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora/


ブログ 『ボディフォーカスト・アプローチ』
   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

携帯 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada


ブログ「珈琲ぶれいく」
   http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/

携帯 http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/

『元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』
http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php


知っている自分と知らない自分

2006-07-01 13:36:01 | 心・身体・癒し
自分のことは自分が一番知っている。

もしかして、みなさんそう思って生活しているいらっしゃるかもしれませんね。それはちょっと当たっていて、実は当たっていないのかもしれません。

心理カウンセラーの勉強をしてみて気がついたのは、自分が思っている自分はほんの少しであり、実は多くの知らない自分がいることに気付かないまま日々暮らしてきたんだな…ということでした。

これから少しずつ心について、そして心と身体について、感じたことや学んだこと、ワークやセミナーなどで体験したこと、色々な視点から感じたことなどを、時に脱線?するかもしれませんけれど、お話していけたらと思っています。
ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)
http://www.kokoro-sora.com

ホリスティックカウンセリング宙では、BFA的カウンセリングの無料モニターを募集しております。

興味、関心のおありの方は、ホームページ
ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)をご覧のうえお問い合わせ下さい。
http://www.kokoro-sora.com

『たおやかに生きる』 著:株本のぶこ  オンブック出版 

 《苦悩から能力へ》
 「あなたにはがまんする力がある」と聴いたときから私の変容は始まった。
 解説:日本カウンセラー学院講師  大直樹

☆インターネットからご購入いただけます。
http://www.onbook.jp/bookd.html?bid=0129


ブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」
旧   http://blog.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/

新   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora/

携帯からもブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず」がアクセスできます。  
旧 http://blog.m.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/

新  http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora/


ブログ 『ボディフォーカスト・アプローチ』
   http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

携帯 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada


ブログ「珈琲ぶれいく」
   http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/

携帯 http://kokoro-door.cocolog-nifty.com/iyasi/

『元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』
http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php


ご予約・お問い合わせ

ご予約はお電話で