ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

気づき《アウェアネス》 そして『安心できる存在』としての意味と価値

2007-04-28 07:18:18 | 心・身体・癒し
ただ、残念なことに気づきによって広がる自分自身の世界を目の前にして、傷つくことを怖れ此処に留まるひとのどれほど多いことか。それを証左するような記事を偶然見つけた。

『遠ざかる尾崎の叫び 尾崎豊没後十五年若者は変わったか』

気づきに対しての直接的な内容ではないのだが、先日の朝日新聞にあの頃の若者と現代の若者とを、彼の歌に対しての印象や感想を通して比較した記事が掲載されていたのだ。

「僕が僕であるために」や「15の夜」など、当時の若者たちに圧倒的な支持を受けていた尾崎豊はある日、あっけなくこの世を去った。
あれから十五年…今では彼の歌は高校の倫理の教科書にも載るくらい、社会的に認知されるようになっている。

「社会への反抗」「社会への苛立ち」への表現と見られがちな彼の歌詞を、その典型として描かれた教育現場の先生たちが「実はこれらの歌は、自分自身と向き合い自分の生き方を模索し苦悩する姿なのだと」評価「自分と他者とのアイデンティティーの問題が内包されているのだ」と捉え、教科書への掲載を望んだ結果だという。

確かに単なる社会への反抗ならば、『卒業』に書かれている「人は誰も縛られたかよわき子羊ならば 先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか」といった表現はしないだろう。
少なくともここにあるのは対立軸ではない、共に悩める存在として大人を見ていることに他ならないのである。
そこに彼の生きることへの戸惑いと内省への深い洞察が垣間見られ、あの時代を共に生きた若者たちが彼に共感し自分自身を投影したのだ。

が、そうした(教科書に載るという)事実とは裏腹に、肝心の若者たちからは共感を得られなくなっているのだという。
しかも、そうした若者が年々増えているそうである。

「周りに迷惑を掛けるのは間違い」「大人も子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」etc。
「何とものわかりのよい若者たちだろう…いや、このものわかりのよさとは…一体これはどういうことなのか?」
正直、あまりにも素直で従順な彼らに私のほうが驚かされた。

なぜなら私たちの十代の頃は、社会の矛盾、大人たちの矛盾、そして自分たちが抱える矛盾に毎日毎日翻弄され自分はもしかして精神的におかしいのではないか、二重人格者なのではないかと真剣に悩んだものだった。

それは決して一部の若者ではなく、仲間みんなが抱える「社会や人間が抱える矛盾との闘いの日々」であったように思う。
本気で担任の先生と口から泡を飛ばしてやりあった男子生徒がいた。それを他人事とは捉えずに一緒になって考え、援護しようと意気込んだ十五歳のわたしたち。
そして、それらを乗り越えた時、若者は初めて大人として生きることを受容した(できた)のではなかったのか。

考えられる理由は何か…精神科医の香山リカさんは「反発したり知りすぎると損をする。損得勘定が判断の基準になっている」と分析している。つまりは自分の心、内面までを損や得というものさしで計りコントロールしているということなのか… 
一方、作家の吉岡忍さんの話によると、ひとつには彼の歌は内面に深く切り込んできて、現代の若者には触れて欲しくないところに及ぶからだという。現状に適応してトラブルなく過ごすこと、それが若者の価値観なのか…

今という時代は、小学生のうちから人の心を読み、人との摩擦を極端に避け、人との距離を上手に置いて付き合うことが当たり前のようになっている。
本音と建前を使い分け処世術を身につけてしまった大人ならまだしも、小学生のうちからこういうことに神経を使う、使わなければ円滑な(表面上の)交友関係を保てないとは…極端に傷つくことを恐れている姿がそこから垣間見えてくる。

結局彼らは自分を見つめること、内面に深く入り込むことで見えてくる「真の自分」に気づきたくない、それによって傷つくことをやはり避けたいのだろう。
そしてそれは決して若者たちだけではないこと、そこから表出する問題点、課題については前回触れた通りである。

時代、社会の流れが大きな壁になっているとはいえ「気づき」の意味や価値が色褪せ、無意味なものと化すわけではない。
逆に自分自身の内面としっかりと向き合うことで、自分が気づかなかった「逞しい」「強い」自分に出会えるはず。
その意味や価値は想像するよりずっと大きいことに是非気づいて欲しい。

そして、そのサポートをする役目をセラピストやカウンセラーは担っているということも…

昨年の暮れに起こった私自身の大きな気づき。
それによってあらゆるものが変わってしまい、今もその大きな流れのなかにいることを実感する日々を過ごしている。
あの時の気づきのひとつに『カウンセラーとはクライエントにとって安心できる存在なること』というのがあった。
実はそれは私自身が教育分析を受けてきたなかで感じた思いに他ならないのだが、あの時はまだそれが具体的にどういうものなのか「安心」とは一体どういうものなのかということが、漠然としか見えていなかった。

が、今回「気づくとは傷つくこと」という言葉によって気づいたのは、カウンセラーが自ら「気づき」を経験し「傷つく」という体験をしておくということがいかに大切か、重要であるかということだった。

もし、カウンセラーやセラピストが「気づき」への怖さを抱えたままクライエントと向き合ったとしたらどうだろう。
クライエントはおそらく「気づき」を起こす機会を逸してしまうだろう。
あるいはそんな状態のなかにあってもクライエントが大きな気づきを起こし始めた場合、カウンセラーは自らが体験していない場面に遭遇したことで、思わずたじろいでしまうかもしれない。
が、しかしそれは極力回避しなければならないこと。

「クライエントにとっての安心できる存在」となるためには、セラピストやカウンセラーが自ら「気づき」「傷つき」それでもなお「今、ここにいる」ということを体験し、実証しなければならないのだ。
そして「気づくことは何も怖いことではない、恐れることはないのだということ」さらに「たとえ傷ついたとしても大丈夫。ひとはちゃんとそこから回復する能力がある」ということをカウンセラーが身をもって示し、その上でしっかりと寄り添うことでクライエントの「気づくこと」への援助をすることが必要なのである。

カウンセラーやセラピストは自らの深い内面と対峙することを避けてはいけない。対峙し続けていかなければならないのである。
ここにカウンセラーやセラピストの「安心できる存在」の意味と価値があるのだと思う。

以前、ある交流分析のセミナーで、一般の(心理学を専門にしていないという意味)参加者がエゴグラムに関連して「人として(自分)としてのあるべき姿を示すものはどういうものか」と質問したことがあった。
それに対して、福井先生は「あるべき姿というのはありません。ただしカウンセラーとしてという限定ではありますが」と答えられていたことがあったが、おそらく「カウンセラーとしてのあるべき姿」のひとつにこうした問題、条件も含まれているのではないだろうか。

「腑に落ちる」それは「心が動く」ことなのだという。
心が動いて心の底からそう思えた瞬間。
それがやがて行動、実行へと結びついてゆく。

誰にとっても「気づき」そして「傷つく」ことは辛い。
しかしそこを乗り越えた時、新しい自分を実感するだろう。


☆☆☆ 最後に大切なメッセージを ☆☆☆

「気づきがあったからといって、即、それを行動には移さないで下さい。無理をすると良くありません。気づきは貴方のなかに記憶となって残り、いつかその時期がきたとき自然と貴方を導いてくれます。決して焦らないで下さい」




気づき 《アウェアネス》

2007-04-25 07:17:51 | 心・身体・癒し
『気づきとは傷つくことでもある』そう教えてくれたのは、日本におけるPOPの第一人者であるF先生である。

先日、トランスパーソナル学会『春のスペシャルイベント』で、学会会長のM先生とF先生とののコラボレーションが開催された。

そのなかでF先生がPOPのワークショップとデモンストレーションを披露。
そのデモンストレーションにクライエントとして壇上でワークを受けた女性が気づきによって流した涙に対してF先生が言われたのが、この「気づきとは傷つき」との言葉だった。

F先生のその言葉を耳にした瞬間、身体中が泡立つような感覚と胸に熱いものがこみ上げ「感動」のようなものが湧いてきたのだが、思いもかけないことがその後に待ち受けているとは…まだその時点ではわからなかった。
が、セミナーが終了し自宅に戻ってすぐに私のなかの何かが動き出し始めたのである。

実は、この日を前後して私の周りでトラウマ、抑圧、アダルトチルドレンといった問題が持ち込まれ、加えてセミナーの当日にも同様な話を聞くことになるなど、立て続けにその手の問題が起こっていた。

「これはいったいどういうことなのだろう…」きっと今までの私ならあれこれと考え始めていただろう。
だが、もうそんなことは必要ない。
「おそらく何かしらの出来事、あるいは気づきといったものが自ずと起こるはず」そんな予感があった私は「これも大きな流れに乗っているはず、流れに任せてみよう」と、いずれやってくるであろう気づきを気長に待つことにしたのだった。
が、どうやらこの問題に関してプロセスはまだ過程の途中にあったらしい・・・

ほどなくして以前からトラウマを抱えながら、なかなかそこにアプローチできずにいたひとのトラウマとようやく向き合う機会が巡ってきた。
結果としてトラウマを完全に解消するところまではいかなかったが、ある程度の気づきを起こすことができ何に囚われていたかをクライエント自身が認識できるところまでは辿りつけたことを確認して終了。
これからもこの問題と向き合い続けることの大切さを伝えることができたことは大きな前進だったように思う。

以前、講師からトラウマに対しての取り組み方のレクチャーを受けた時「一度に解決しようとしては駄目、薄皮をはがすようにゆっくりと時間を掛けていくことが大切なのだ」とのアドバイスと、再体験、再決断の必要性を説かれたことがあったが、実際に今回向き合ってみてまさしくその通りだと実感したことは言うまでもない。

さらに数日後、現在勉強している人間関係の心理学のテキストのなかに偶然トラウマや抑圧、虐待やアダルトチルドレンに対しての対応に再体験、再決断が有効との記載を見つけたのである。
これにより一層講師の指向の正しさと必要性の再確認することができたことは私にとって大きな収穫になったことは間違いない。

そんなことがあって間もなく、あるひとからちょっとした家族間の人間関係について話を聞く機会が訪れた。
話の中身というのが「つい先日、家族から何気ない言葉をもらったのだがどうも自分はそれが気になっているらしい。たいしたことではないと思うのだが…」といったもの。
内容的にはありがちな話題であり、当初は単に話を聞くだけで終わりそうに思われた。
が、しかしその後フッ…とそのひとが漏らした「(気になっていることは)本当はそんなたいしたことじゃないのかもしれない…それに自分は嫌なことは脇に置いて楽しいことをしたり考えたりする方がいいと思っているから」との言葉に思わず私は「どういうこと?」聞き返したのだった。

そのひとが言うのには「嫌なことを脇に置き、見ないようにして楽しいことをしたり考えたりするほうがいい」それが自身の思考のパターンなのだという。
その言葉を聞いた途端、私の中でえも言われぬ違和感と疑問が湧いた。
果たしてそれでいいのだろうか…

「嫌なことを見ないようにして楽しいことをしたり、楽しいことを考えるようにする」これは一見普通のことのように思われるが、実はそれは同時に事実から目をそむけることにほかならない。
確かに一時的には忘れることはできるだろう。
しかしそれで問題が解消されたわけではない。
逆にこのときしっかりと向き合わなければ、いつかまた同じ問題が浮上しかねないのでは?

そう思った瞬間だった、『気づき』というものの凄さと重要性が見えてきた。
そしてその「刺激」となったのが、トランスパーソナル学会でF先生が言われた『気づきとは傷つくこと』という言葉だったのである。

普通、多くの人たちは傷つくことを恐れ、あえてネガティブなものから逃げ目を反らす傾向にある。
何故か・・・それは気づくことによって今までの自分を否定しなければいけなくなったり、覆されたりするからなのだ。
気づきが起こることで自分自身の内面が傷つくからなのだということに「その瞬間」気がついたのである。

例えば、夫が妻に何か気になることをされたとする。
その行為を夫は「なぜそんなことをするの?」と真正面から聞いた時、もしかしたらそれが切っ掛けとなり喧嘩になるかもしれない。
あるいはそれがちょっとした刺激になって積年の思いを噴出させるという結果になるかもしれない。
往々にしてひとはそうなることを恐れ、そうなることが嫌でそこには触れまいとするのである。

確かに避けてきたことや嫌なこと、辛いことと向き合う作業は本当に苦しく痛みも伴う。
できれば見たくない、目を背けたい、避けたい、忘れたい。
だから別のことを考えたり楽しいことを思ったりして忘れたかのように振舞う。
しかしどうだろう、自分では忘れたつもりでもあるとき「ふっ」とあの時の嫌なことが出てくることはないだろうか。

何故か…実はそうしたものを単に記憶の底に押しやっただけなのだ。
つまり、記憶の底に押しやったとしても、忘れたつもりになっていても記憶は消えないでしっかりと意識の下に残っているのである。
それがちょっとした刺激で出てくるのだ。

更にそうしたことを繰り返していくうちに、自分自身の深い深いところに入っていき、自分では理由が分からない不安や恐怖、苦しさや悲しさ、寂寥感やどうやっても満たされない不充足感や痛みといった身体症状というかたちになって表出、自らを苦しめることになってしまう。
避けていては決して問題は解消されないのである。

それに対して、しっかりと現実と向き合い自分の周りに起きたことを見つめたとき、そこから必ず『気づき』は起こる。
そしてその気づきが起こった瞬間、今までとは違う自分そして世界が広がっていく。

実はあらゆるところに『気づきの種』はある。
ただ、それに意識を向けていないだけなのだ。
そしてその「気づき」は特にネガティブなもの、見続けると辛い、怖い、嫌なもののなかにほど大きな種が潜んでいるのである。

例えばあなたがあることを切っ掛けにして「私は何と小さなことにこだわっていたのだろう」と気づいたとしよう。
そのことに気づいた瞬間、あなたはもうさきほどまでの「ちいさな私」ではなくなっているのだ。

そうした痛みに耐えながら自分と向き合い、見続けそして受け容れたとき「気づき」は起こる。
そして気づいた瞬間に変化が生まれるのである。
それは目に見える大きなもののときもあれば、小さなものの場合もある。
しかし明らかに今までとは違う自分になっているのだ。
理由なく怖いという場合も、しっかりと向き合うことでその怖さの正体が見えてくる。
そして「自分はこのことを怖がっていたんだ」と気づいた瞬間、怖がる必要がないことを知るのである。

しっかりと向き合い自分の思いを確かめたとき、初めてそれは解消されるのだ。
気づきとはそれほどまでにあなたを新たな世界、可能性へと導いてくれるのである。

ぜひ勇気を持って自分自身と向き合って欲しい。
そしてそのサポートをする役目をカウンセラーやセラピストは担っているのだということも…  (続く)


※再体験(再決断療法)とは、そのひとが囚われている過去の出来事をできるだけ詳細に再体験し、再体験することによって、そのときの感情や情緒が意識の表面に浮かび上がり、それを解放していくこと。その出来事の再体験と解放を何度も繰り返して再統合に至るというもの。



トランスパーソナル学会 「春のスペシャルイベント」に参加して (その2)

2007-04-22 13:42:47 | 心・身体・癒し
今回参加してみて感じたのは、私が想像する以上に諸富先生のトランスパーソナルについての捉え方が広いことだった。

トランスパーソナルといえばスピチュアルな世界、最近ちょっとしたブームとなっていることもあって前世や守護霊という言葉が興味本位に使われがちだが、すべてをそこに直結しては大変狭くなってしまうことは否めない。それ故に、トランスパーソナルはスピチュアルな世界のみに留まらない大きな世界観を探求していくのが本来の姿。従って、前世や守護霊についても否定はしないが、トランスパーソナルはあくまで自己探求であり、他者にそれを求めていくことには懐疑的であり、それも自らが自己探求する過程で分かっていくものとのスタンスを明確にされていたのが印象的であった。

更にそれに関連して前世や来世について、その捉え方、括り方についても話が及び、一般的には前世は過去、来世は未来と解釈し、時間を横軸にとらえているが横軸ではあくまでそれは日常的な世界におち、ベタになってしまうこと、縦軸に捉えることで前世も来世も「今この時、ここ」という次元での「自己探求」へとなっていけるのだという話には説得力を持って聞いた。

先生方はそれを大きなU字の図形を書いて説明されたが、Uの最も広い表層の部分が意識の世界、そしてその下にある無限とも思われる部分が無意識の世界であり、そこに前世や来世をも含む無意識が存在してい
る。自己探求の過程においてとき表出する世界とは、過去や未来ではなく、私がそしてあなたが感じた「今、ここ」での世界なのである。

以前、教育分析のなかで講師の先生からのメッセージを受け取ったが、そのときは具体的なイメージがいまひとつ描けなかったところがあった。
が、今回の解説を聞いて実はこういうことだったのだということがわかり、あのとき聞いた意味や深いところを理解できたのは大きな収穫だった。
これからも誰かの力を借りるのではなく、自分自身の力で今の私に影響している遠い過去や未来を探求し続けていこうと決心した日でもあった。
  
1時間の昼食休憩後、セミナーは富士見先生によるプロセスワークのデモンストレーションから始まった。

この場での初めてワークを体験するのは負荷がありすぎるかもしれないとの配慮から、ワークをすでに体験済みの人に白羽の矢があたった。
諸富、富士見両先生と面識のある女性が壇上に立つことに。
最初に女性が今現在の身体症状を富士見先生に説明。胃が痛い、締め付けられる感覚があるというところから、プロセスワークが始まった。

具体的な流れは、プライバシーの問題もあるのでこの場では紹介できないが、閉めている動作からジャムのビンの蓋がイメージされ、実は閉めているのではなく、自らが閉めていたのだということに気がついた。
女性から発せられたキーワードは「知りたい、わかりたい」とうもので、私なりに想像することができたのと同時に、何かしら私自身ににも共通するものを感じ取りふっと涙が滲んできたのを憶えている。

デモンストレーション中にちょっとしたアクシデント的ハプニングがあったが、富士見先生の誠意ある対応で、逆に会場は明るく温かな微風が流れたようであった。
後半は会場の参加者全員がそれぞれ自分自身の身体症状を使ってセルフワーク体験を二度行って終了。
午前11時から途中1時間の休憩を挟み午後5時まで、5時間のレクチャーだったがあっという間に過ぎた
ような気がする。

終了にあたり、富士見先生から会場に漂った「静かで思い、沈鬱な雰囲気」について、それが「死を悼む」ようなものであったことが明かされた。「おそらくその言葉を聞いて思い当たるひとが何人かいたかもしれない」という話もされていたが、たぶんその通りだったと思う。
仏教伝道会館を使ってのセミナー、偶然にも8日は「花祭り」(お釈迦様の誕生日)でイースター、しかも会場には尼僧さんがいらしていた。そうした偶然の重なり、そして参加者の意識が即「気」となって反映されることは充分考えられる。
こうして充実した時間はゆっくりと過ぎてゆき終わりを迎えたのだった。

さて、セミナーの前半でプロセスワークによって明らかになった、諸富先生の「闘う」ことの具体的なものは、一体どんなことだったのだろう。
結局、先生自身の気づきによって「本を書く」ということが明らかになった。
(ちなみに諸富先生から本が出版されるというお話がでたが『友だち100人できません』というタイトルだそうです)


トランスパーソナル学会 「春のスペシャルイベント」に参加して

2007-04-19 13:41:38 | 心・身体・癒し
去る4月8日に開かれた、トランスパーソナル学会セミナー『春のスペシャルイベント』に参加した。

今回の目玉はなんと言っても、学会の会長である諸富祥彦氏と、日本におけるプロセス指向心理学の第一人者である富士見幸雄氏(藤見幸雄から改名されたとのこと)とのコラボレーション。

会場となった仏教伝道会館の一室は、通常のセミナーの参加者の数倍が集まっていたのではないだろうか、始まる前から今回のセミナーへの期待が静かな熱気となって漂っていた。

最初にまずは諸富先生が登場。
初めて身近にお会いした諸富先生は、テレビで講義をする時の先生然とされたイメージよりも、ずっとざっくばらんな明るい雰囲気を醸し出していた。
ちょっと早口なのはテレビと一緒。
早速、富士見先生を迎えるに当たってプロセスワークを意識されているのか、朝の電車で気づきについて話された。

最近のトランスパーソナルについての世間の動向(スピチュアルブーム)や、ある種の動きに対しての危惧について話された。
この問題は、諸富先生ならずとも気になるところである。
広まることで理解が得られる場合もあるが、ともすれば逆な流れに陥りかねない。
そんな危うさも抱えているのが今なのである。
それについて先生はある決意をされているようでもあった。

時にユーモアを交えての諸富先生の話に会場は少しずつ熱気を帯び始めたところで富士見(藤見)先生が登場。
先生の著書を通して私が抱いていた学者然、ちょっと近寄りがたいという硬いイメージとは随分と違い、想像以上に普通っぽい感じだったのにはちょっと驚いた。それほど親しみやすい方との雰囲気を醸し出されていたのだ。(実はそれはあくまで印象であることを後に知らされることとなるのだが…)

諸富先生、富士見先生の対談は、学会に長く在籍している会員にとっては懐かしいツーショットだっただろう。
五年ほど前までは一緒に活動さてれていたおふたり。
諸富先生はいかに富士見先生のPOPに感銘し傾倒しているかを熱く語られ、富士見先生も静かにそれに応えられていた。

富士見先生が今日、この会場に足を踏み入れられた時の感想をこんな風に表現されていた。
「とても静かな重い空気が流れており、自然と自分もその雰囲気に合わせて静かな低いトーンで話しているのがわかる」と。
やはり富士見先生はそういうところまで直観的に感じ取られるほど微細な感覚を持たれているのだろう。またそうした「気」をこの会場に集まった参加者たちが確かに発しているのだ。

和気藹々な雰囲気のなか始まった対談だったが、富士見先生は先ほどの諸富先生の発言(トランスパーソナルについての思い)を取り上げ、極々自然の流れのなかでワークは始まった。
そのあまりにも自然の流れでのワークの始まりに、私などはウットリしてしまったほど。
今までもボディフォーカスト・アプローチで紹介していると思うが、今回富士見先生が行ったのは、気になっている人、その相手自身になってみるというワークだった。

諸富先生が今、一番関心を持っている人物。それを具体的には記せないが、結局トランスパーソナル心理学を純粋に学び研究しようという立場ではなく、その立場を利用して何かを起こそう、利益を得ようとする存在・対象のすべてなのだと思う。

最初、諸富先生は富士見先生に促され、自分が槍となってその相手と闘おうという動作をして見せた。すると、すかさず富士見先生が諸富先生に対してその相手になってみることを提案。さらに富士見先生が諸富先生になりふたりの丁々発止が始まったのだった。
そこで諸富先生の口から飛び出したのが、「生命がけ」と「世渡り上手」というふたつのキーワード。

やがてワークが一段落。富士見先生が解説されたのが、このふたつの言葉こそ諸富先生が今、必要なことなのだということだった。
ある対象に対してのイメージは「生命がけ」であったことを諸富先生自身が認めていて、もうひとつの対象に対しては「要領のよさ」をチョット羨ましいと感じていたらしいということが出てきたのである。

このとき、諸富先生が「槍で闘いたい」と思っているのが1次プロセスであり、そのエッジを越え「実は生命がけ、世渡り上手になりたい」と思っていたというのが2次プロセスということになる。
そして、富士見先生は「そこの部分が諸富先生には欠けている」と話され「この回のために闘いなさい。命がけで要領良くなりなさい」と温かなエールを送っていた。
この「闘う」ということに関しては後に諸富先生は自分にとって「闘うことが具体的にどういうこと」なのかに気づかれることになるのだが…