7日朝、洗面所で歯を磨きながら、もわぁ~っとですが「原発問題がいつまでも収束しなければ、たぶん首都は東京ではなくなるんだろうな…」そんな思いが湧き上がってきました。
そして読んだその日の朝日新聞に、こんな記事が載っていました。
長文ですが、興味、関心のあるかたは読んでみてください。
☆インタビュー☆ 歴史のいま ☆オピニオン☆
【3・11に砕かれた近代の成長信仰 もやっとした不安】
歴史家、大阪大名誉教授 川北 稔さん
近代国家でこれだけの規模の災害と事故に襲われた例はありません。
世界史的に見ても、非常に特殊な事態が起きています。
アメリカのサンフランシスコ大地震や阪神・淡路大震災、あるいは最近のニュージーランドの震災にしても、地域は比較的限られていました。
しかし今回は、日本全体の何分の1という規模です。被災地以外の生活や経済にも大きな影響を与えています。今後、人々のものの考え方を変え、歴史の方向性を変えるかもしれません。
近代とは、経済成長を前提とした時代です。社会の土台に「成長はいいこと」「ゼロ成長なんてとんでもない」という発想がある。
私は「成長パラノイア」と呼んでいます。どうやったら経済成長できるか。人々はこれを追い求め、国家が後押しし、学者が研究してきました。
この成長を裏打ちしたのが、地理的な拡大と科学技術の発展でした。
15世紀以降、西ヨーロッパの国々は食料や資源、労総力を求めて世界のすみずみに出かけていきました。しかし地球には限りがあります。やがて成長は壁にぶつかりそうになりました。
それを突破してきたのが科学技術の発展でした。
農業の生産性を向上させたのも科学技術。
エネルギー問題を「解決」してきたのも科学技術です。
石炭から石油、そして原子力へ。科学技術は経済成長を裏打ちする「魔法の杖」でした。自然の脅威から我々の生命や財産を守ってくれるのも科学技術でした。
ところが今回、それがいっぺんに揺らいでしまいました。
日本は世界的に見て、もっとも科学技術が進んだ国です。その日本でさえ、巨大な津波に負けてしまったのです。そして科学技術が生んだ原子力発電所が厄災を生み出し続けています。
人間がつくりだしたものによって、人間が大きな厄災を受けてしまう。その意味では、今度の原発事故は戦争に似ているかもしれません。
これまでは、大規模な災害は科学技術で乗り越えればよかった。
今は、科学技術でも抑え込めない自然災害があること、そして科学技術が巨大な災害を生んでしまうことが、あらわになってしまいました。
もしかすると科学者は「今回は失敗したが、基本的には原発は安全」と考えているのかもしれません。
でも、一般の人の印象は違います。原発を新たに造ることは、当分無理で
しょう。
そうすると、「経済は常に成長するべきだ」という考え方を後退させないと折り合いがつきません。科学技術によって支えられてきた近代社会、そして成長信仰そのものに、大きな影響を与えるのではと思います。
科学技術が十分に信頼できるものではないということになると、社会的に、もやーっとした、正体のわからない、妙な不安感が出てくるかもしれません。
自然災害が政治・経済・社会を安定化させることは歴史を振り返れば何度もありました。
たとえば、17世紀のヨーロッパで起きた気温の大きな低下です。ふだんは凍らないエムズ川まで凍るほどで、凶作に陥りました。
社会が非常に不安定になり、政治的にはイギリスで革命が起こり、フランスでも大きな反乱がおきました。迷信やデマが広まり、いったん消えた魔女狩りが復活したほどです。
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