ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

グリーフケア・アドバイザーとして

2010-08-29 08:18:44 | 心・身体・癒し

先日、渋谷で開催された日本グリーフケア協会主催のグリーフケア・アドバイザー講習会を受講してきた。

グリーフというのは「大きな悲嘆」「強い悲しみ」「喪失感」という意味である。

グリーフケアというのは主に大切なひとを亡くした方々へのサポート、ケアを指している。

昨今、このグリーフケアの必要性が全国的に見直されてきている。埼玉医科大学では独立して「遺族外来」という外来が設けられていて、癌やその他の病気で家族を亡くされた方のケアをしているそうだ。

そうした流れを受けて、最近ではいくつかのグリーフケア、グリーフカウンセリングのカウンセラーを養成する機関や、大学でもオープンカレッジに「グリーフケア」の講義をカリキュラムに加えるところが増えてきた。

今回私が受講したのは、ご自身も11年前にご主人を亡くされ、その後、アメリカでグリーフの勉強、研究をされた宮城大学で看護学を専門にしている宮林教授と言うかたが中心となって設立した日本グリーフケア協会が開いている講座だった。

聞くところによると、参加者の3分の1は看護師さんで、やはり病院関係、心理援助職についているひとの受講が多かったらしい。

なかには葬儀を取り仕切る会社の責任者、あるいは教育関係に携わっているかたも参加されたようだった。

午前、午後と5時間の講義を受けたが、やはり感じたのは私が以前から感じていたひととの別れにたいしての考え方と、講座で話された内容がほぼ同じ内容であるということだった。

グリーフケアというのは、もともとはアメリカが中心でフロイトなど歴史的な精神科医、心理学者といったひとの考え方が軸となっていたという。

その考え方と言うのは、できるだけ早く死別や大きな悲しみを取り除くこと、忘れることが中心となっていた。しかし、ここへきて考え方に変化が表れてきたという。
無理に早く悲しみを取り除いたり、亡くなったひとたちを忘れるのではなく、遺されたひとがこの世に存在しているあいだそのひとのことを思い続け、ともに生きることを奨励するようになってきているのだそうだ。

さらにここ数年の流れの特徴として表れてきたのが、悲嘆の対象が以前は配偶者や子どもであったものが、「親」に対しての悲嘆が急増しているという。
その背景には、親への依存、子離れできない親の存在があるのだとか、結婚をしないで親と長く同居している子ども、仕事を見つけられず親に生活の殆どを依存している子ども、また親のほうも子離れができず子どもの独立を阻んで結果的に共依存の関係になっている親子も存在する。

そうしたことから以前はほとんど見られなかった「親」に対しての悲嘆、喪失感が表面化してきたのだった。

また、別の方面からいわゆるペットロスの問題もテーマになっていた。
数年前までのアメリカでは公認されない悲嘆というかたちで、ペットが死んだことによる飼い主の悲嘆、喪失感が扱われてきたそうである。

現在は、そうしたペットとの別離によるグリーフも世の中に認知され、取り組みがおこなわれているという。

講師の宮林先生ご自身がご主人との別離を体験されていることもあり、講座の中では具体的な体験を語られる場面が幾度もあった。

そのすべてを紹介することはできないが、心理職にとどまらず一般の方々にも知っていただき、身近なひとが万が一グリーフケアを必要としたときの参考になればと思う。

まず、基本的には悲嘆はどんなに時間がたっても消えることはないということを承知しておくといい。そのため「もう忘れてもいいのでは」とか「もう何年たったでしょう」といった言葉かけはしないようにしたい。

それと同様に、落胆しているひとに「頑張って」は絶対に禁句である。すでに頑張っているひとに頑張ってということは酷な言葉のなにものでもない。その言葉によって相手は深く傷つき「これ以上どうやって頑張ればいいのか」と怒りを覚える場合もある。

もし、どうしても「頑張って」という言葉が出そうになったときは「頑張っているよね」と労いの気持ちを表す意味に使うといいだろう。

特に高齢者の場合、強い悲しみによって考えることができなくなったり苦痛になり、数字が嫌いになる傾向にあるそうだ。
参考事例として聴いた話によると、パートナーを失った女性が数字を嫌うようになったのを見て、周囲が認知症と間違えて施設に入れたということがあったそうである。

強い悲嘆の時期には周囲もくれぐれも判断を間違わないようにしてほしい。

また最近では、大事な人を看病して看取ったひとがうつ症状を訴えるケースが注目されてるが、うつ気分とうつ病との判断は慎重におこなったほうがいい。

ひとつの判断の目安として、一時的なうつ気分の場合は周りの思いやりに応える、反応、感謝の意思を示したりするが、うつ病の場合はあまりそれが見られないそうである。

グリーフは決して限られたひとが体験するものではない。
誰もが体験することである。

今までもグリーフケアを提供してきたが、これからはグリーフケア・アドバイザーとして、より一層グリーフケアが必要な人たちへ寄り添っていきたいと考えている。

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暑さと思考の関係は

2010-08-26 05:20:50 | 心・身体・癒し

今年は例年にない暑い日が七月からずっと続いている。

今まで経験したことのない猛暑酷暑の毎日は、身体に疲労感のみならず熱中症という一歩間違うと命のを落としかねない危険を私たちに与えている。現に最近のニュースによると、熱中症で救急車で運ばれたり病院にかかったひとは4万人にも上ったそうだ。

先日の気象庁の発表によると、この暑さ、猛暑酷暑はまだ二週間は続くそうである。さらいそれ以降も暑さの厳しい時期は10月まで続くと予想されている。

昨日のニュースにも取り上げられていたが、やはりこれほどまでに暑い日が続くとからだの弱い人に限らず、からだへの負担、健康への影響が懸念され始めている。

そうした懸念はあって当然だろう。

私たちのからだは体温が上がると、汗を身体から放出し体温を下げるという風に機能としての工夫がされているが、この汗をかくという作業は、意外に体力を消耗させる。もちろん体内から水分が出ていくわけで、それについても常に神経を使わなくてはいけない。これ自体、結構ストレスになる。

さらに夜中の気温が25度を超える熱帯夜によって寝不足が慢性化、疲労に拍車をかけることになる。

と、こういうことが、ここ二ヶ月あまり続いている。続いたことで、いつの間にか日常生活のパターンが狂っていることに気がついた。

食事や睡眠は、直接身体、健康に影響が出たり、ダメージも大きいことがわかっているので、意識してそうならないように心がけるが、それ以外の特に頭、思考が必要な行為、作業において効率や意欲が著しく低下していることに気づいたのである。

それは実際、私自身に関しては生活に直接影響を与えるものではないことから、あえて考えることがなかった。そのため気づくのに遅れたのだが、改めて生活を見直してみて気がついたことのひとつに書くという行為がある。

その書くという行為の中でも日記は、ここ三十年ほどほぼ毎日欠かさず書いていた。それが何日も書かずに過ごすことが多くなっていたのだ。書くには書くが短い文章だったり、ほんの数行だったりと、今までの私では考えられないことだった。

そのことに気づいたとき、さすがにショックを受けた。「これはまずい」、「このままではいけない」と真剣に考えている。

さて、そうしたものか。気づいたところで連日の猛暑酷暑はすぐに収まるわけはなく、まだ当分続くことははっきりしている。その状態のままモチベーションを上げていくためにどうすればいいのだろう・・・

ひとつには暑さが厳しくなる前に、思考を働かせることだ。思考を必要とするものに取り組み、暑くなる前に終わらせてしまうことが考えられるひとつの方法。現に今、この文章は早朝四時に書いている。

確かに日中と比較して、はるかに思考は正常に働いていることを実感している。まずはこんなことから始めて、徐々に以前のかたちに戻すことを目指そうか。

身体は、単に肉体と言う存在ではなく、思考をある意味コントロールしてしまうものであることを、改めてこの夏の猛暑で気づかされた。

今年の夏が、今年一年で終わること、来年以降も続かないことを心の底から願いたいものだ。

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旅をすることの意味・・・そして「存在」

2010-08-24 09:48:16 | 心・身体・癒し
私の生まれ故郷は、北海道夕張市です。

東京に移り住んで、最初の2、3年は家族で札幌や夕張に出かけていましたが、父親の病気がわかったり、私が忙しくしていたこともあって、ここ5、6年出かけていません。

帰省=旅の意味合いもあるのかな・・・とふと思ったとき旅をすることで得られるものが確かにある、そのことに気がつきました。

日常から離れ、非日常の世界に遊ぶ。

日々捉われていたものや思いといったものを、一時的ではありますが手放すことができます。
それによって、解放感を味わったり、もっと離れたところから自分を見つめなおすこともできる。

今の自分はなかなかそういう機会に恵まれていないなぁと実感しました。

それが結果的に、四六時中心理に関することばかり考えてしまう結果になっているのかもしれません。

といっても、それを嫌だと思っていない自分がここにいます。

「講師のひとりごと」に大高先生が「存在」すること について書かれていた記事を見つけました。


存在・・・・「いま-ここに-いること」・・・

相手の方に純粋に関心を向けながら、

心の深いところではつながっているような...。
                        (一部抜粋)

永遠のテーマなのかなと思います。


「存在」することhttp://www.therapy.jp/hitorigoto/?p=971

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北山修 『最後の授業』ー心をみる人たちへー

2010-08-22 14:38:32 | 心・身体・癒し
今年の冬まで九州大学で教鞭をとっていた精神科医北山修さんの本を読み始めました。

彼は、このたび63歳の定年を迎えたそうです。

その最後の授業に、初めてテレビカメラが入りました。

先日、その様子が4日間にわたってテレビで放映されました。

この本は、それを活字に起こし、彼の精神分析医としての考えを加筆したものです。


ある年齢以上の方には、きたやまおさむさんという方は精神科医よりも、作詞家としてのイメージが強いかもしれません。

「風」「あの素晴らしい愛をもう一度」「戦争を知らない子どもたち」

など、たくさんのヒット曲を書いてきたひとですが、あるときからテレビには一切出ないと決めたそうです。

数十年ぶりのテレビ出演でした。

それは彼が札幌医大で研修医をしていたときのこと、あの「北山修」が札幌医大で研修医をしていると聞きつけた記者が、彼の了承も得ず病院内を取材。
患者さんにまで、勝手にインタビューをしたそうです。

そのとき北山さんは大変憤りを覚えたといいます。
当然のことでしょう。
病を得、やっとの思いで病院を訪れ、担当のお医者さんにその症状を訴え、そこから医師と患者とのラポール(信頼関係)が築かれる、築いていく大切な時間、空間、「場」を土足で踏みにじられたのですから。

それを切っ掛けに、北山さんは患者さんの信頼関係を壊さないことを最優先に考え、テレビに出演することをやめたそうです。

私はテレビの放送も見たのですが、それだけでは勿体無い、活字としても読みたいと思い、すぐに購入しました。

読み始めていますが、「心をみる人たちへ」との副題がついているだけに、ドキリ、ギクリとさせられたり、なるほどと考えさせられたり、結構刺激的な内容です。

後日また、この本については触れたいと思っています。


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渦中にいるとき、外から見たとき…

2010-08-19 14:36:32 | 心・身体・癒し
8月9日に東京でボディフォーカスト・アプローチのワークショップに参加したことは、すでにお話しましたが、今回、少しの時間だったのですが、アシスタント的なことを体験させていただきました。

いつもは自分がワークをしている、その場面を客観的に眺めてみると、今まで感じなかったこと、気づかなかったことが見えてきました。

「BFAはいたってシンプル、手法も複雑ではない」と創始・開発者の大高先生は 言われていますがシンプルなものほど実は難しいのだと感じました。

本来、このワークショップはカウンセリングのなかでBFAを提供できるようになるというのが目的なので、ある種どっぷりとそのなかに浸ると言うよりじも、少しの冷静さをもって体験することが必要なのにも関わらず、自分の世界に浸りこみ自分が何を感じているか、体感しているかを観察できなくなっているケース、逆にそうしたひとを相手にしているにもかかわらず、上手にリードしてBFAを体験してもらえるように工夫するということを忘れ、一緒にはまり込んでしまうケースがありました。

また、一方で一見すると上手に相手に寄り添いBFA体験を促しているように見えるのですが、傍によって観察してみると、BFAでは大変重要とレクチャーを受けているはずのバックトラッキングができなくて、聴き手が勝手に判断した言葉を使っているというケースが見られたのでした。

自分をある意味、無くしてただただ相手に寄り添う。

それが本当にできるようになるまでには、時間が必要だとあの日、客観的に「場」を眺めたとき強く感じました。


そういう点で、とてもよい経験をさせていただいたBFAワークショップでした。


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満たされた時間そして広がった先に見たものは・・・

2010-08-16 15:37:48 | 心・身体・癒し
8月9日、朝からボディフォーカスト・アプローチのワークショップでした。

参加者は20名。壁に貼ってあったプリントには、満員御礼の札が貼られていました。

先生のBFAについての説明に始まって、恒例の自己紹介があり、ふたつのワークを体験しました。

いつも参加して感じるのは、存在=プレゼンスということです。

デモンストレーションワーク(オープンカウンセリング)を体験したひとは、必ずといっていいほど先生に癒されたとの言葉を発します。

ただ傍にいてくれるだけで癒しが起こると…

きっとそれが究極なのだと思います。


ここ一、二年ほど、カウンセリングのツールとして有効であることから、ワークショップでは、カウンセリング技術のレクチャーが中心でした。

BFAをやるようになって、劇的に身体が丈夫になった私としては、自己実現、自己成長に結びつくセルフワークも重要と考えていたのでちょっと残念に感じていたのですが、先日の名古屋校でのワークショップから、またセルフワークが盛り込まれるようになって、よかったというのが率直な感想です。


セルフワークは自分自身の内面を見つめ、そこから表出したさまざまな恐怖や怒り、悲しみといった壁を超えていく、なくしていくこと中心になります。


その壁を超えたり、なくしたりすることによって、今まで自分で自分の限界はここまでと決め付け、自己防衛で狭めた世界を、より一層広いものにしていこう、自分の可能性を広げていこうとするものです。


今回のワークショップでは、都合三回のセルフワークを体験、最後にデモンストレーションワークをおこなって終了となりました。

一回目のセルフワークは、まずは体験してみようということで、10分ほどの短いものだったのですが、あとの二つはイメージしたり、テーマを決めてのセルフワーク。

私にとっては結果として、どちらも意味深いものとなりました。


今日はちょっぴり笑っちゃった方のワークを紹介しようと思います。

最初のワークはイメージから入りました。

イメージのなかで、胸を広げ身体を広げ、自分の周りの世界の広がりを感じていきます。

心と身体をオープンにして、どんどん世界・宇宙と一体になっていく、そんな感じです。

五感を研ぎ澄ませワークをしていると、あるときビジョンが見えてきました。写真というより、絵といったほうがいいでしょう。

シルエットのような感じで草花が一面に茂っている、そんな映像が目の前に広がりました。

それをじっと見続けていると、不意に右手のほうに大きな岩のような壁のようなものが現れました。

そして、その岩壁に穴があいて中から光が外に向かって放射されたのです。

外界は結構な暗さだったので、その光ははっきりと帯状の太い束になって放出されています。


ちょっぴり眩しい感じがしました。

やがて、その岩壁と中から出ていた光の束が消えて、今度は右手に大きな黒い影が見え始めました。

それがドンドン大きくなって、見上げるほどになったとき「仏像」だと気がつきました。
仏像を横から見た姿がシルエットになって目の前に出現したのです。

「ホーッ」という感じで見続けていたら、仏像の周りにグレーの雲が一面に広がり、すべてがグレーの幕を下ろしたようになったのです。

そのときでした、突然どこかからか「○マ○ナ」という声が聞こえたのです。
「○マ○ナ」というのは、日本カウンセラー学院東京校で、講師をしている方の名前です。


そう、今、この文章を書きながら気がついたのですが、その「○マ○ナ」先生はロマンスグレーの素敵な40代。「○マ○ナ先生」ではなく「○マ○マ」と呼び捨てだったのが、今も凄く気になっているのですが・・・


このとき大事なのは、「どうして○マ○ナ先生の名前が出てきたのだろう」と考えないこと。

当然考えることはしませんでしたが、なぜかはまだわかりません。

きっと、これから一連のビジョンを振り返りながらのセルフワークをしたとき何かしらの気づきが生まれることと思います。


セルフワークが終わった段階で、皆さんにシェアをしたのですが、案の定「○マ○ナ」との声が聞こえたと話した瞬間、大爆笑が起きました。(ちょっとウケを狙っていたことは認めます)

で、このときのセルフワークは広がりを感じるワークという意味合いもあり、大きな仏像や、グレーの大きな幕を見たり感じたりしたことで完結したと捉えています。

ひとによっては宇宙を感じたり、宇宙を旅したり、空を飛んだり、泳いだりという体感を得る場合があります。

もちろん私もそういう体験を何度もしてきましたが、それをおかしいと受け取るのではなく、自分のなかにある「大宇宙」を感じたのだと受け取ることが、これからの自分自身の意識の広がりに繋がっていくのだと考えています。

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もがいている*その気持ちのままいたらどうでしょうね… 【BFA瞑想ノート】

2010-08-14 14:31:32 | 心・身体・癒し
相変わらず毎日瞑想をし、BFAワークを続けています。

このところ湧き上がっていた、ある感覚について先日、目が醒めた瞬間に「気づきの兆し」を感じ、早速ワークをしてみました。


このところ漠然と湧き上がっていたのは何かに「もがいている」という感覚。

それが「気づきの兆し」のあたりから、はっきりと「もがいている自分」を感じ始めていました。


それがある朝突然、「あれ!?」という閃きのような、ちょっとした開かれた感覚がでてきたので早速、BFA(瞑想)をやることにしました。

すぐに出てきたのがビジョンです。たくさんのも物やひとが目の前に溢れんばかりに出てきました。パソコン、時計、本、テレビ、キーボード、机、椅子 家族の顔 etc

そうしたものに囲まれ、うずもれている自分を感じます。やがていくつもの手が自分の足をひっぱり、身動きさせなくしているのを感じ始めて・・・


もがきながら、どうにか抜け出したいと思っていることを自覚したところで、その気持ちのままいてみることにしました。

その気持ちのまま居続け、感じ続けていると・・・もがき必死になっていた気持ちが徐々に鎮まるのと同時に自分の周りが見えてきました。

身動きがとれないほどあったさまざまな物たちを、丁寧にゆっくりとひとつずつ自分の手でどけ始めました。それと同時に少しずつ身体が自由になってきたのを感じます。そしてようやくそこから抜け出しました。

目の前にある、すべてのものを片付け始めて…最後に残ったのは家族の顔でした。
私は家族の顔をじっと見続けることにしました。するとどうでしょう、大きかった顔が段々と小さくなっていきます。家族と一緒にいる私の背中も同じように小さくなっていきました。


その様子を見ている大きな黒い影。輪郭のしかも一部しか感じられないのですが、それは明らかに私でした。

やがてすべてのものは目の前から消えました。


目の前にあるのはただ、ただ白い世界 無を感じます・・・

すこし薄汚れているけれど、それが私の「今、ここ」なのだと実感して終了。

この間、わずか5分でした。


終わって感じたのは家族と一緒に遠くにいった私の背中は、もがいていた自分だということです。

気づいたのは自分は何かを引きずっていたということでした。その具体的なものは、いくつも思い当たっていて…それが自分を窮屈にさせていたことにも気がつきました。

本当は、そうしたものを引きずる必要はないんだ。

今、ここから再生しよう。

新たな自分の時間、空間を感じながら再スタートを切ればいい、今がその時期なのだと思い当たりました。


今回は超スピード、5分で終了しました。

教育分析の時間でもたまにこういうことが起こります(ました)。

残り時間、5分で「何かある!」と感じるとワークをやってみます。

するとちゃんと時間内に気づきが起こる、不思議ですが・・・可能です。


思い切って捨てるもの、カタチを変えていくものそして新たなスタートを切るもの
私にとってどうやら8月、9月がその時期のようです。







カウンセリングご予約可能日についてのお知らせ

2010-08-11 20:41:49 | 心・身体・癒し

このたびカウンセリングご予約可能日のみを記載したブログを開設いたしました。

サンシャイン60ルーム、武蔵野ルームそれぞれの日程を詳しく記載しております。

アドレスは

http://blog.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/

 

どうそご覧になってください。

 

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身体に心の声を聴く☆BFAワークショップを開催します

2010-08-11 20:23:33 | 心・身体・癒し

昨年、一昨年と 友人であり、セラピーサロンAngelica  の


代表である、まゆみさんのご尽力をいただき、横浜で何度か


☆身体に心の声を聴く☆ワークショップ【BFAワークショップ】


開催させていただいてきました。



池袋サンシャイン60ルームでは、今年の二月に初めて


身体に心の声を聴くワークショップを開催することができました。


お陰さまで好評のうちに終わることができました。



この秋、第二回目のワークショップを開催いたします。


ご案内文と内容は以下の通りです。


どうか皆さま ふるってご参加ください。




☆あなたも身体に心の声を聴いてみませんか☆



身体と心は表裏一体。



身体には、自分でも気づかない深いところにある本当の



心が眠っています。



身体感覚や身体症状にアプローチすることで



本当の思い、欲求に気づくことが可能になります。



ボディフォーカスト・アプローチで



あなたの内に在る無限の可能性に気づいてください。






   身体に心の声を聴くワークショップ 


【ボディフォーカスト・アプローチワークショップ】




開催日時  9月27日(月)    11時~16時

                    (昼食休憩1時間含)




場所    ホリスティックカウンセリング宙(sora)

       サンシャイン60ルーム

        (豊島区東池袋3-1-1)



参加費   6,000円(飲み物付)

ご希望の方にはBFAセルフワークのためのMDを進呈いたします。



定員    5名様 



講師    株本 のぶこ

    

ホリスティックカウンセリング宙(sora) 代表




テーマは身体症状・身体感覚 & 夢



を予定しています。



ご自身の身体症状・感覚や夢を取り上げ



瞑想をベースにしたワークを体験していただきます。





 ◆お問い合わせ お申し込み◆

下記のメールアドレス、お電話にて承ります


 E-mail  space@heart.nifty.jp (お問合わせ)


 E-mail  space@hope.nifty.jp (お申し込み)
       


  0422-33-2758  (武蔵野ルーム)


  080-5174-2346 (サンシャイン・武蔵野共通)


※詳細はメール・電話でお気軽にお問い合わせ下さい。




☆~.:☆。*~★.゜~:☆。о☆~.:☆。*~★.゜~:☆。*~


【ボディフォーカスト・アプローチ(BFA)とは】



ボディフォーカスト・アプローチ(BFA)とは、日本カウンセラー学院



現名古屋校講師の大高直樹講師が、創始開発したアプローチ法



です。



ボディフォーカスト・アプローチとは、身体に焦点を当て、



身体感覚や身体症状、身体の動き、微細な兆候などから自己へ



アプローチしていく方法です。



「あるがまま」に受容れる、認め続け丁寧にアプローチしていくこと



で、自分の「欲求」や「感情」が「今、ここにある」ことに気づくことが


できます。



身体症状や身体感覚、感情にアプローチすることによって無意識


の領域にアクセス。



自分自身で気づけなかった、本当の思いや欲求、抑圧などに気づ


き、認め、受容することで心身の解放と無限の可能性を促します。




カウンセリングだけでなく、自己実現、自己成長への道を拓く術とし



ても有効なアプローチ法です。


井上ひさしさんが残して言ったもの 原爆の日に想う

2010-08-06 16:04:27 | 心・身体・癒し

今日は8月6日。65年前の今日、広島に原爆が投下された日ということは皆さんご存知ですよね。

今朝のテレビでは各局が、広島の慰霊祭を取材していました。

65年経って初めて国連の事務総長さんと、アメリカの在日大使館の大使が出席しましたが、被爆者の方々へのインタビューを聞くと「よかった」という声もあれば、「遅すぎた」という声もありました。

単純に良し悪しを語れないところに、65年という長い年月を原爆の後遺症などで苦しんできた多くの被爆者の方々の恩讐を見たのは私だけではないと思います。

先だって亡くなった作家であり劇作家の井上ひさしさんが書かれた戯曲に「父と暮らせば」という、比較的短い作品があります。

広島の原爆をテーマにしたものです。

図書館に勤務する主人公は、ひっそりと一人暮らしをしています。年齢的には結婚を考えてもいい年頃なのですが、結婚する意志はまったくありません。

あるとき彼女のところに幽霊になった父親が現れました。

そこから舞台は始まります。

彼女と父親の会話から、父親は広島の原爆で亡くなったことがわかりました。そして彼女は生き残ったことも・・・

父親は娘に結婚して幸せになってほしいと願っています。被爆し亡くなったひとのためにも、生き残ったひとに幸せになって欲しいと願っていたのでした。

しかし、娘は違っていました。被爆し亡くなったひとのことを思うと、自分だけが幸せにはなれない、なってはいけないのだと強く思い込んでいたのでした。

それは被爆して間もなく再会した、友人の母親とのやりとりがひとつの原因と思われました。

その母親が彼女と再会したとき「なぜあなたが生き残って、娘は死ななくてはいけなかったのか」と激しく詰め寄り、彼女を糾弾したのです。

娘は「自分は生き残ってはいけなかったのだ」と自分を責めるようになりました。

実はそれだけではありません。原爆が投下されて火の海と化した市街地。そこに暮らしていた父と娘の悲劇がそこにあったのです。

舞台は原爆によって庭の石燈篭が倒れ、そこにたまたまいた父親が体を挟まれ逃げることができなかったことを教えたのです。

火の手が間近に迫っています。娘は必死に石燈篭をどかし、父親を助けようとしますが燈篭はびくともしません。

父親は言います「父さんのことはいいから、早く逃げろ!」と……娘は生き延びました。

しかしそれは苦悩の始まりでもありました。自分は父親を見捨てた娘、本当は生き残ってはいけなかったのだと、ずっと自分を責め続けていたのです。

しかし、彼女のことを好きだという男性が現れました。

彼女も好意を寄せ始めました。「でもやっぱり駄目、私は幸せになる資格はないのだ」と、ひとを愛することを禁じ続けていたのです。

幽霊になって戻ってきた父親はそんな娘に言います。

「たくさんのひとが亡くなった。そのひとたちにも夢や希望があった」
「だから生き残ったお前が、そのひとたちの分もしっかりと生きて幸せにならなければいけないのだ」
「そうじゃないと、何のために父さんはあのとき死んだのかわからない」と…

この舞台を観て初めて私は、生き残ったひとも命が続く限り苦しむことを知りました。

それまでは、原爆の犠牲になったひとのことだけを思い、気の毒、可哀想 無念だったろう・・・それくらいにしか思っていませんでした。

しかし、現実には原爆投下は生き残ったひとたちをも苦しめ続けていたのです。

実はこれは後日談があります。

戯曲を書いていたとき、仲間のひとりが大地震をテーマに作品を書きました。プロの劇作家に何度も何度も駄目だしをされながら、その友人は書きました。しかし、最後は書くことをやめました。友人の思いが、どうしても伝えたいという思いを劇作家は汲み取ってくれなかったからだと言います。

そのとき傍にいた私には、友人がトコトンこだわり、結果書くのをやめた理由がよくわかりませんでした。

でも、井上ひさしさんの「父と暮らせば」の戯曲を読み、舞台を観たとき、はじめて友人の心の奥底にある深い悲しみを知りました。友人は阪神淡路大震災を経験していたのです。

阪神淡路大震災でも6千人以上の方が亡くなりました。「父と暮らせば」の父親と同じように、家屋の下敷きになり救出できず、猛火の犠牲になった方が大勢います。友人の思いの奥底には「父と暮らせば」の娘と同じような思いがあったのです。

井上ひさしさんは「父と暮らせば」を書くにあたって、広島の原爆資料館に出向き、なくなった方々の名前をすべて写経し、そのうえで戯曲の構想を練り執筆したそうです。

小品とも言えるこの作品には、そうした井上さんの思いが溢れんばかりに詰まっています。

ここ数年、毎年夏になると「父と暮らせば」が上演されるようになりました。戯曲本は世界数カ国に翻訳され出版されています。

是非、機会があったら舞台を観てください。

戯曲本を手にとって読んでみてください。


父と暮せば (新潮文庫)/井上 ひさし

¥340
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生命、そして生きるということがどういうことかを、それぞれの立場で感じ、考えてみていただきたいと思います。

9日は長崎原爆の日です。

65年前のこの日も暑かったといいます・・・

私がカウンセリングを学んだ、日本カウンセラー学院は、阪神淡路大震災のあった同年、開校しました。

 

 ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

ブログ『こころの翼』 http://ameblo.jp/cocoro-iyasi-sora

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php


新たなスタートとしての八月

2010-08-02 08:57:11 | 心・身体・癒し

八月に入りました。
今年の夏はすでに先月の時点で猛暑、酷暑。

熱中症で搬送されるかたが例年の何倍にもなっているそうです。
これから、まだまだ暑い日が続きます。くれぐれも気をつけていきたいですね。

振り返ると「暑かった!!!」 ということばかりが記憶に留まっていますが、個人的なことを お話すると、とても刺激的でインパクトがあった一ヶ月でした。

・朝日新聞、読売新聞、産経新聞に掲載された、日本カウンセラー学院 のPR記事にインタビュー記事を載せていただきました。

・プロセスワーク協会の第二回大会に初めて参加してコーマワーク (意識障害・昏睡状態のひととのワーク)の二子渉さんの講演を聴き、 初歩のエクササイズを体験したり、グループワークで二子さんとお話し する機会を得ました。

・BFAの世界でのプロセスワーカー的な存在になりたいということが明確になったことを切っ掛けに、セルフワークを毎日続けたこと での大きな気づきがありました。

・名古屋でのボディフォーカスト・アプローチのワークショップに参加。
広島の友人と再会するとともに、一緒にワークショップに参加しとても 充実した一日を過ごすことができました。

・名古屋校で知り合った、友人がお昼休みにわざわざ私に会いに きてくれたことも忘れられない出来事です。

そんな七月を過ごしたことで、私のなかにある変化が生まれました。

ホリスティックなカウンセリング=生老病死をテーマにしたカウンセリング を提供することを標榜してきましたが、その意識をもっとかたちのあるもの 具体的なかたちにしていきたいという思いが強くなったのです。

学院に入学して以来、ずっと思い続けてきたコーマワーク(意識障害・昏睡状態の人へのアプローチ)

年齢的なものや、アメリカで勉強しなければ会得できないのだろうと、学ぶことをあきらめていました。

しかし今回、アーノルド・ミンデル夫妻のセミナーで再会した、学院時代からの友人が、コーマワークを学んでいることを知っただけでなく、プロセスワーク協会の大会でコーマークの講演を聴くチャンスにめぐり合ったこと、さらにそのコーマワークでは屈指と言われる、二子さんと出会えたことで、私にも学ぶチャンスがあることを知りました。

ボディフォーカスト・アプローチを四年余りやってきて、この心理療法がさまざまな事例に有効であることを、この一年、カウンセリングの場で実感したことはとても大きな収穫でした。
「ああ、これでいいのだ」と思ったとき、新たに湧いた思いそれは「生老病死に関わるもの」のなかでBFAが網羅できない分野は何かと言うことでした。

そのとき気づいたのが、コーマワークでした。
うつ、インナーチャイルド、トラウマ、ストレス、不安、グリーフはBFAで対応できる。
もしできないとすれば、コーマワークだそう思ったのです。

コーマワークを学ぶことにより、本当の意味で生老病死と対峙するカウンセリングが 可能になると思い至りました。

八月、それに向けての新たなスタートを切ります。
しばらく味わっていなかった、ちょっとした興奮と期待が身体と心を包んでいるところです。

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