ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

般性

2006-07-09 21:50:10 | 心・身体・癒し
先日、学院から『7月3日朝のテレビ情報番組に学院の先生が出演』とのメールが届いた。

当日の朝7時、テレビをつけていつでもOKの状態にしておく。20分すぎ、いよいよコーナーが始まった。「めざましどっち」二者択一。この日のテーマは「帽子とサングラス、どちらが似合うと言われたら嬉しいか」というもの。街中でのインタビューも含め、リアルタイムで携帯からのアンケートを募り、スタジオの出演者も帽子とサングラスの二手に分かれた。
インタビューで「何故、あなたはそれを選ぶのか?」との問いに多く聞かれたのが「前に一度挑戦したのだが、似合わなくって…(それ以来挑戦していない)」という答え。

ここで先生が「般化」についての話をされた。
「私たちは一度の失敗を、すべてのことに結びつけてしまう傾向がある。それを般化といい、例えばサングラスでいえば一度かけてみて似合わなかったから、『私にはサングラスが似合わないんだわ』になってしまう。本当はそのサングラスが似合わなかっただけで、他に似合うサングラスがあったはずなのに、そこでもう、試してみよう、挑戦してみようという気さえ起こらなくなってしまう」というような話だった。「へぇ~」と聞きながら、「あれぇ?なんかこの言葉、活字で見たような気がするな…」必死に記憶を辿ってみる。「あっ、そうだ!」思い出した。早速、本棚からNLPの本を一冊取り出してパラパラとめくってみると「あった!般化」

『般化』…人間が自分の経験のモデルを作るときに起こる普遍的なプロセスの1つが般化のプロセスである。般化は、もともとの経験の詳細な部分や豊かな部分を削り取ることによってクライエントのモデルを不完全なものにすることになる。つまり般化は、個々の具体的な状況に対処する際に、より多くの選択肢を与えてくれる弁別という行為を妨げる。と、同時に、般化は、苦痛の一経験をどうしても対処しきれないような打ち勝ちがたい障害の世界に悩ませるというレベルまで発展させてしまう。-以下省略―(魔術の構造より)

なるほど、そうか…振り返ってみれば日頃、私たちはそういう場面に頻繁に遭遇しているかもしれない。「どうせ私に似合うはずがない…」とか「しょせん、私がやったところで上手くいくはずがない…」と自分で自分の限界を決めてしまっていないだろうか。
でも考えてみればたった一度、ひとつのことで、どうしてすべてそうだと決めつけることができるだろう。そうやって決めつけることで結局は、元々あった(隠れていた)自分の可能性までも気付かずに封印してしまうことになるのだ。
かくいう私自身が持っている般性って何だろう…と考えた。う~ん…瞬時には思いつかない。無いわけはないのだが、逆にありすぎて絞れない?それにしても、いつの間にか「般性」を忘れてしまっているとは…ひょんなことから「勉強し直さないといけないな」と反省させられた。

ところで、先生が出演していた時間のあまりに短いこと。おそらく数日前から準備を始め、収録にも相当の時間がかかったことだろう。「報われてないな~」というのが正直な気持ちだった。番組制作とはそういうものなのか。そういえば、朝のニュースにも同じことを感じるときがある。たった十数秒の放送のために大勢のスタッフが現地に赴き、朝早く準備をしてヘリコプターに乗り込み、実況をしているのを見ると、表に出るのはほんの僅かなのだなとつくづく思う。苦労の大半は人の目に触れないものだ。