ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

ドクターハラスメント

2006-07-21 08:43:41 | 心・身体・癒し
先日の講義からワークの実習が始まった。

今回はアサーショントレーニングとゲシュタルト療法の一部を取り入れるという、実践に活かせる方法でのワークである。

様々な相談のひとつに「○○にはっきり言いたいのだけれど、なかなか言えなくて…」というのがある。そういう時、カウンセラーのひとつの対応として、充分に話しを聞いた後、「どんな風にはっきり言えたらいいのですか?」と尋ね、「もしここに○○(さん)がいるとして、声に出して言って見ましょうか?」と目の前に置かれた、空の椅子に向って実際に声を出して言ってもらう方法がある。
勉強していたとき、私はこの空椅子に向って何かを言う、訴えるというのが苦手だった。いつも目の前の見えない相手に何と言ったらいいのだろうと、困惑しながらやっていたことを思い出す。

今回の授業では、講義の中で空椅子の位置は真正面とは決めず、あくまで相談者の話し易い距離、角度に置くというスタンスを取ること、常に相談者への配慮を欠かさないなどのきめ細かな対応が盛り込まれ、今まで以上に自然な姿での主張訓練法との印象だった。

私が選んだ主張したい相手は、T市にある某病院の医師である。数年前、母と二人で初めて訪れた時に受けた言葉の暴力「ドクターハラスメント」に対し、その場で言えなかった思いを吐き出すことにした。

まずはカウンセリング。カウンセラーに当時の状況と、そのときの心理状態を詳しく話す。たまたま通っていた近くの総合病院から、重態の病状でなければ近所の医院に替わって欲しいと言われた母と私は、電車で三、四〇分のところにある公務員関連の病院を訪ねた。診察を待っているときから何か嫌~な予感はあった。というのも、呼ばれて診察室に入っていく患者さんのほとんどすべてが、その医師に暴言を吐かれているのが聞こえていたのだ。「そういうことを聞いているんじゃない!聞かれたことに答えればいいんだ!」etc。
そして案の定、先に呼ばれた母に対して彼は信じられない言葉を投げつけた。
「なんでここへ来たんだ!」「本来、ここへくる筋合いではないだろう!」「混雑していることがわかって来るんだから、覚悟はあるんだろうな!」そして、極めつけが「今後、何があっても知らない、それを承知の上で来るのなら構わないが念書を書いてもらう!」というものだった。
蚊の鳴くような声で返事をしている母。憔悴した表情で診察室から出てきた母をいたたまれない思いで見たが、次に呼ばれた私に対しても彼は同じ言葉を投げつけたのだった。
結局、真正面から対決し抗議する勇気を持てなかった私たちは、黙って病院を後にするより他なかった。

ところが、時間が経つにつれてさっきの場面がまざまざと甦ってきた。それと呼応するように、間もなく二人の身体に変化が表れはじめたのである。
まず、顔色が蒼ざめ、次に心臓が動悸を始めた。ふと母を見ると同じように蒼ざめている。「あ、なんだかおかしい…」と思うと同時に、何と身体が小刻みに震え始めたのだった。
『怒りに身体が震える』というのはこういうことをいうのだと思った。初めての体験だった。到底、このまま街に居続けることはできず、すぐに家に戻ったが、その日一日、怒りは収まることはなかった。

一通り話し終え、私の「あの時、我慢をせずにきちんと言うべきことを言えていたなら、抗議できていたなら数年間も嫌な感情を引きずらずに済んだかもしれない。今日、この機会に言いたかったことを言いたい」というところからワークへと移行することに。
空椅子の位置は診察室をイメージ。医師がデスクに向っている姿勢に対して、私がほぼ九〇度に位置し抗議するというシチュエーションである。
初めのうちは、遠慮の気持ちもあって、控えめな口調で抗議というよりは、諭すという雰囲気を出したいと思ったのだが、実際にやってみて消化不良を起こしていることに気がついた。改めて仕切りなおし。今度ははっきりと抗議の意思を確認しての言葉だ。
自分でも一寸驚いたのは、話してもわからない人間に対しては事を表沙汰にするのも辞さない。そういう覚悟で臨むというスタンスを持てたことだった。あの時、私たちだけでなく他の患者に対しても同じ口調、横柄、横暴な態度で接していた情景が脳裏から消えず、きっと今もドクハラを続けているのだろうと想像したことが影響したのだろう。結果、二度目の主張はまずまず満足できるものだった。

ワークを終えて思ったのは、やはり理不尽な行為に対しては泣き寝入りせず、毅然とした態度をとらないといけないということだった。これからはきちんとそれが出来そうな気がした。

ただ、ここで断っておきたいのは、たまたま私たちが出会ってしまった医師の中にこういう人がいたということであり。世の中こうしたドクハラ医師ばかりではない。
実際、今、私が定期的に通っている御茶ノ水にあるJ大学付属J医院の先生方はいつも親身に接してくれ、丁寧な診察をしてくれる。三分間診療などもってのほか、一〇分、二〇分は当たり前、場合によっては三〇分以上かけて患者の話、訴えに耳を傾けてくれる。ちょっとした体調の変化にも敏感に対応してくれて横の連携もスムーズ。たとえ異常がみつからなくても、退出する際には「いつでもおかしいと感じたらいらっしゃい」と言葉を掛けてくれる。そういう積み重ねがあってこそ、医師と患者の間に信頼感が生まれるのだと思う。

今回の実習で自分自身、一寸驚いたのが、いつのまにか苦手だった空椅子へ言葉を掛けることが自然に出来るようになっていたことだ。初めての授業では、まだ何もわからない状況での実践ということもあって少々違和感を覚えたのだが、数ヶ月という時間の中でいつしか自分が抱いていたワークに対しての意識や理解、認識などに変化が起こったのだろう。今回、自然に話せたことで、ある程度、このワークに対しての苦手意識を克服できた気がした。


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