ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

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主な専門

【ヒーリング】 ■臼井式レイキヒーリング ■カルナレイキヒーリング 【カウンセリング】 ■慢性疾患をお持ちの方とそのご家族(長期闘病の精神的疲弊・疲労感)※闘病は本人のみならず親ござん・ご兄弟にも疲弊・疲労感を生じさせるものです。 ■うつ症状をお持ちの方のそのご家族(うつの連鎖を防ぐために)※夫or妻がうつに罹患し闘病が長期になると、パートナーまでもがうつに罹患するケースは意外に見逃されがちです。支える方もご自身の心の健康に留意しましょう。 ■病気ではない、と言われたがどうにも体の調子が悪いと感じる方 ■気分が晴れない、軽い鬱かな・・と思い悩んでいる方 ■対人関係 不安 ■人と接することに難しさを感じている方 ■家族との関係をよりよいものにしたい方 ■老親と成人した子の狭間で、やりきれなさ・閉塞感を感じている方(介護の疲れ・子どもとの心の行き違い) ■こんな自分になっていきたい方 (自己実現、自己成長) ■メンタルケア 心の健康を維持・整えたい。思いを整理したい方 ■グリーフケア、サポート (悲嘆・強い悲しみ) 【セラピー】 Writingセラピー

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癒やすということ07'

2007-12-24 15:16:39 | 心・身体・癒し
今日はクリスマスイブ。今年もあと一週間を残すのみとなった。

この冬は、学院に通っていたとき以来の忙しい暮れを過ごしている。
秋から始まった臨床技術向上プログラムに参加、月に二回、夜の講義に通っているのだ。
さらに今月と来月は特別に日程が組まれ、毎週講義がある。
講義は二時間半、終了するのは夜の九時半。
大急ぎで学院を出て、通勤快速に乗るのだが、家につくのは十一時を過ぎる。

しかもこの時間ともなると家の近くの駅までの直通はあまりなく、立川で乗り換えるのだが、驚く程の混みようでぎゅうぎゅう詰めという感じ。改めて多くの人が遅くまで働いていることに気づかされる。

先週も例によって立川駅で乗り換えたのだが、忘年会シーズンのせいか、いつも以上の混みようで身動きもとれない。
やっと発車のベルがなったと思った途端、物凄い勢いで女性が乗ってきて私の目の前に立った。

全速力で走ってきたのと間に合った安堵感からか大層足が震えている。
あまりにもひどく震えているので私もちょっと心配になり、思わず「大丈夫ですか」と声をかけるとその女性は肩で息をしながら「大丈夫」と返事をしてくれ、「これを逃すと一時間待たなくちゃいけないものだから」と言ったのをきっかけに話を始めたのにはちょっとびっくり。
しかしそもそも声をかけたのは私の方。
これも何かの縁と思い、しっかり付き合おうと心にきめたのだった。

見たところ六十代と思われるその女性、都心での観劇の帰りだと言いどこに住んでいるかから家族のこと、いかに芝居が好きか、若い頃はどこに住んでいたか。更に子供の頃に住んでいた所のせいで母親によく芝居に連れて行ってもらった話まで聞かせてくれた。

そして、その母親が今年の夏に亡くなったという話では涙を目にいっぱい溜め、ハッとしたように「ごめんなさいね、いやな話を聞かせて」とひと言。
が、この時ふとある言葉が口をついて出た。
「いいえ、そんなこと気にしないで下さい。いつも思うんですよ、いったひとのことを思うとき、供養をしているって」

私のその言葉に女性の顔がふわっと明るくなった。
結局私が電車降りるまで三十分間会話は続いた。
降りる間際、「有難う話を聞いてくれて」と言ってもらって別れたが、おそらく女性とはもう会うことはないだろう。
まさしく一期一会。

振り返って感じるのは、あれもひとつのカウンセリングだったかもしれない。

今また、私の中に「癒やすということ」はどういうことかの思いが沸き上がってきている。

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生命の奇跡

2007-12-18 15:15:33 | 心・身体・癒し
先日、ある番組で嘘のような本当の話が紹介された。
それは海外での起こった、あるご夫婦が体験した生命の奇跡のドラマだった。

ある男性が、ある女性にひと目惚れをして結婚した。
男性は初婚。一方、女性には前の男性との間に子供が二人いての再婚だった。
やがて二人の間にも子供が誕生。一家五人の穏やかで幸せな日々が始まろうという矢先、彼女の身体に異変が起きた。
検査の結果は、末期の癌だという。
余命半年との宣告に、絶望に打ちひしがれる彼女と彼、そして三人の子供たち。

しかし彼は、その絶望感を振り切るように、あることをしようと決心する。
それは結婚式。
実は結婚はしたものの、生活に余裕がなかった二人は結婚式を挙げていなかったのである。

式を挙げる場所は近くの公園。親類や親しい友人を招いての手作り結婚式が彼によって着々と準備されていく。
そして、いよいよ明日が結婚式という日、突然彼女の容態が急変、病院へ担ぎ込まれ集中治療室へと運ばれたのだった。
容態は予断を許さない状態。半ば危篤状態だった。
緊迫した空気のなかずっと彼女を見守っていた彼がある決断をした。

「病室で結婚式を挙げよう」
神父がよばれ、医師、看護師、数人の親族が見守るなか、二人の結婚式が始まった。
厳かなうちにも執り行われた式は、誓いの言葉の場面に。
まずは彼が誓いの言葉を述べ、次に彼女が…しかし彼女は相変わらず危篤状態のままである。
誰もがこの場面が沈黙のまま過ぎていくことを疑わなかった。彼さえも…

が、しかしそこで奇跡は起こった。
彼女が言葉を発したのだ。
「私はここにいるわよ」
そこにいたすべてのひとが驚愕し、狂喜したのは言うまでもない。
しかも彼女は意識を回復しただけではなかった。
翌日、予定された結婚式を挙げるため、何と公園まで歩いていったのだ。

その後、彼女は退院。
自宅で夫と三人の子供たちと一緒に元の生活に戻ることができたのである。
そのときの彼女にインタビューした映像が残っていた。
危篤状態からの奇跡の生還を喜ぶ様子が映し出された。
一方で癌が治癒したわけではない現実と向き合わなくてはいけないことでの死への不安と怯え、家族と別れなくてはいけない嘆きの気持ちが赤裸々に語られていた。しかし同時に彼女は言っていた、「残された一日一日を大切にして生きていく」とも…

番組は彼女がその取材の三ヵ月後に亡くなったことそして残された彼と三人の子供たちの今を…を伝えていた。
彼もまた彼女と同じようにあの奇跡の日から、そして現在も一日一日を大切に生きていることを。
彼女が旅立ったことは悲しい、しかし三ヶ月間という貴重な時間は彼と三人の子供たちに大きなそしてたくさんの愛と幸福そして思い出を与えてくれたようだった。

生命が神秘であるように、その誕生も終焉も私たちには想像もつかない神秘を抱いている。
科学では計り知れない叡智がそこにある。
生きることも死ぬことも数値で判断できない不思議な力が備わっているとしか思えないときが確かに存在しているのだ。

アーノルド・ミンデルによって拓かれたプロセス指向心理学「コーマ・ワーク=昏睡状態の人と対話」するは、まさしくこうした生命の力、エネルギーが最後の最後まで人間に備わっていることを示したものといえるだろう。



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スタンプ集め

2007-12-13 15:14:44 | 心・身体・癒し
スタンプ集めと言っても、よくあるドラッグストアやスーパーなどで発行しているポイントのことではない。
心理学的な見方による、物事の捉え方を心の内に溜め込んでしまう過程を、文字通り買い物をしたときにもらえるスタンプになぞらえて言い表したもの。

「賞品と交換できるまで感情を貯めこんでおく」というもので、ラケット感情といわれる不快なものだけでなく、その他の感情にも見られるもので、さまざまななかたちで誰もが貯めこんでいる可能性がある。

例えば不快なものでいえば、普段は母親の言いなりになっている子供があるとき、何かのきっかけで突然激しい怒りを出すときがある。
これは「相手に対して小さな怒り」という茶色のスタンプを貯めこんでいて、ちょうどある数が貯まったスタンプを景品できるのと同じように「さあ、これだけ我慢したのだから怒るぞ」と感情を爆発させるのだ。

小さな不快な感情を「茶色のスタンプ」と表現して、それを貯めこんだ末に起こしている「ゲーム」のひとつ。
そのときに不満があるのなら、そのときに相手に伝えて解消しておけば良いものを、それをできずにあるいはせずに貯めこんでしまうというパターンのことを「スタンプ集め」というのである。

このケースでよく聞くのが、夫婦の間で行われる「スタンプ集めの末のゲーム」である。
普段小さな不満を抱えながらその時その時解消しないでいる妻が、あるとき「堪忍袋の緒が切れた」心理状態となり夫に向かって怒りを爆発させるというもの。
身近な人たちは勿論のこと、情報番組などに出てくる有名人の夫婦が語る夫婦喧嘩のエピソードなどでもこの「スタンプ集め」が男女間の意識の違いとも絡んで、結構論議を巻き起こす。

「何で不満があるのならその時に言わないんだよ。すっかり忘れていたしとっくに時効だ。そもそもずーっと昔のことを今更持ち出すなんて卑怯だろう」というのが夫側の主張。
一方、妻のほうはと言えば「ずっと我慢してきたのよ、その我慢ももう限界。いったいあなたはどういうつもりなの」という気持ちで怒りを爆発させるのだ。

この男女間の差というのはそれぞれの脳のつくりとも関わりがあるらしい。
女性の左脳と右脳とをつなぐ脳幹というものが、男性のそれよりも太く情報の伝達量や流れに違いがあるのだという。
夫としては妻に小さな怒りを貯めこまれているだけでも怖い?のに加えて、遥か昔に持った怒りまで持ち出されてはたまったものではないだろう。と、想像するのだが…

実は「このスタンプ集め」茶色のスタンプ(不快な感情)だけではない。
金色のスタンプというものもある。
どういうものかというと、何かよいことをしたときに自分を褒める、認めるという意味で「金色のスタンプ」を集め、それがある数になったところで「これだけよいこと
をしたのだから」という理由をつけて自分にご褒美をあげるというのがそれだ。
これを「金色のスタンプ集め」という。

例えば、何か高級なブランド物を買いたい、海外旅行に行きたいと思ったとする。
そのときそれを実行するために仕事をしようと頑張って「これだけ頑張ったのだから買ってもいいよね、休みをとって行ってもいいよね」と自分自身を納得させ、大金をはたいたり、休暇願いを出したりしてもいいんだと考えるのが「金色のスタンプ集め」をするということ。

一見すると自分にやる気を起こさせるいい考え方、方法と多くの人は捕らえているかもしれない、ただちょっと実はそこに落とし穴があることにも気づいてみるといい。

というのも、これもある意味、自分の考え方を証明するかたちといえるかもしれないのである。
「私は普段 I am not OK だから、I am OK になる瞬間のためには、ご褒美として金色のスタンプをたくさん貯めておかなければならないと考えている場合があのだ。

このような生き方をしていると、いつまでもI am OK  つまり「あるがままの私、私は私でいいのだ」と思えない可能性がある場合が考えられる。

これから年末年始に向けて自分にご褒美をあげようとしているあなた。
もし、自分自身のなかにあるそのようなゲーム感覚があるとしたら、それに気づいていつも I am OK になれるようにしたいものですね。

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シンクロニシティー

2007-12-09 15:13:56 | 心・身体・癒し
いつもここに書くときは、いくつかのテーマのなかでひとつ選んで書くのだが、今日は突然「シンクロニシティー」について書こうと思いついた。

今までにも何度か書いてきた「シンクロニシティー」
シンクロニシティーは日本語では共時性と言われ、カール・ユングによって提唱されたことはよく知られている。

で、私自身のことについて言えば、BFAを始めて意識、無意識の世界に強い関心を持つようになってから実に頻繁に起きるようになった。が、振り返ってみると子供のころからよく起きていた現象だったことに気がついた。

ある人のことを思うとその人から手紙が来たり、電話がきたりは四六時中、その人が我が家にやってくることもしばしば。たとえば学校からの帰り道、ふと「○○さんが来ている気がする」と思うと実際その人がいた、ということは珍しいことではなかった。

そんな日常のなかでも実は忘れられないことがひとつある。
それは小学5年生のときのある日の夢に関連して起こった出来事だった。

その当時、住んでいたのは四階建てのアパートの二階。
私はよく窓から外を眺めていた。
で、その夢の具体的な場面というのはこうだ。

いつものように窓から外を眺めていると、ふとある人たちのことが思い出された。その人たちというのが数ヶ月前まで、私が入院生活を送っていたとき同室になった男の子とその後両親。
すると突然、私のなかでその男の子が退院し、家族三人で歩いている姿が見え始めた。さらにその歩いている道の先には私のいるアパートがある。
「いったい何、この映像は?」と思ってふと遠くに目をやると、何とその三人がこちらに向かって歩いている姿が見えた。驚いて固まってしまっている私を尻目に、彼らはどんどん我が家へと近づいてきて、やがて玄関のチャイムが鳴り、
出迎えに出た私の目の前に、男の子とご両親が満面の笑みをたたえて立っていて…
そこで目が覚めた。
が、驚くべきことに何とその日の数時間後、まったく同じシチュエーションが目の前に現れたのだった。

その頃はまだシンクロニシティーという言葉や現象についての知識などなかったこともあり、「正夢」としての認識しかなかったが、それ以降もずっとシンクロニシティーは起きていた。

で、十数年前のこと。
地元の大きな美術館に印象派の絵画展を観にいったときのことだった。
ある絵画の前で私は突然動けなくなってしまった。

何と、そのキャンバスの表面のある部分の筆の跡がくっきりと浮き上がってきたのである。が、それだけではなかった。その筆跡の上に筆の穂先さらには柄までが見え、その絵を握る人の手までが見え始めたのだった。
それまで何度となく絵画展に足を運んでいた私だったが、こういう体験をしたのはそのときが初めてだった。

あまりの感動に家族にそれを話したことは言うまでもない。
が、出来事はそれだけでは終わらなかった。なんと当時大々的に行われていた『システィーナ礼拝堂』の天井画修復作業で、その天井画を描いた「ミケランジェロ」が天井につけた掌の後が発見されたという記事が新聞に載ったのである。偶然とはいいながらあまりにも短い間で起きたことに、しかもその内容の凄さに私のみならず家族中が驚愕したことは言うまでもない。

改めて「シンクロニシティー」について触れるが、何か二つのことが意味やイメージにおいて類似性や近接性をもって現れるとき、このふたつの事象が時空間の秩序で規定されているこの世のなかで、従来の因果性では何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、それをシンクロニシティーの作用とみなすというのがそれだ。

ユングは全てではないとしても、偶然の一致は単なる偶然ではなく、「同時発生」か、あるいは普遍的な事柄を作り出す力の連続性によるものと信じたのだった。
こうしたエネルギーによって、直観的な意識と行動が調和する過程をユングは「個性化」と名づけたのだった。
そして、集合的無意識による個性化された人間の意識のコミュニケーションを通して現実の出来事が形成されるというのがユングの論である。

彼の説明によれば、シンクロニシティーとは「非因果的連関の原理」であり、因果関係の外部、あるいは因果関係に付随して働く連絡形式であるという。

ただ、ユングの理論は科学的方法による検証が不可能であるということから、呪術的思考と主張する者もいるという。
しかし、現在では遠く離れた出来事が。直接に物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは量子力学の相関関係で明確にあらわされているのも事実なのである。

あなたも日々の暮らしの中で、こうしたことが起きている可能性は充分に考えられる。
ちょっと気をつけてすごしてみては如何?

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カクテルパーティー効果

2007-12-04 15:13:01 | 心・身体・癒し
身近な場所として例えば喫茶店やレストランに入った瞬間、話し声がうるさいなと感じるときはないだろうか。

実は私自身、東京に移り住んで最初に感じたのは、そうした店で話す人たちの声の大きさだった。

以前住んでいた札幌でもよく友人たちと喫茶店などでお茶を飲みながらおしゃべりを楽しんでいたが、あまり人の話し声をうるさいと感じたことはなかったように思う。
が、こちらでの生活も7年目に入り最近は雰囲気にも慣れたのか、今はどこに行っても会話を楽しんでいる。

こうした場面で面白いと思うのは、最初はうるさいと感じる話し声が自分もそのなかに入り誰かと話しを始めると気にならなくことだ。
というより、そうしたなかでも自分が話している相手の言葉はちゃんと聞こえているということ。

雑音と大切な音を耳が聞き分けているのだと思うが、そうだとしたら耳はたいそう優れものといえるのではないか。

そんなことを思っていたら、先日、興味深い記事を見つけた。
左脳が大切な音と、雑音を聞き分けていることが実証されたというのである。
それを実証したのは、岡崎市にある化学研究機構生理学研究所、柿木教授らのチーム。

心理学では、騒がしいパーティー会場や喫茶店などでも会話の相手の声が聞こえることを『カクテルパーティー効果』と呼んでおり、そういう現象が起こることは広く知られていた。

が、しかしその生理学的メカニズムまでは解明されるには至っていなかったのだろう。
今回発表された内容は、こうした大切な音と雑音を聞き分ける能力を持っているのが左脳の聴覚野であり、カクテルパーティー効果は人間特有の聴力であることを実証したというもの。

音を聞き取る聴覚野というのは、脳の左右にあり片方の耳からの音は両方の聴覚野が受け持っているという。

成人男女10人による実験では、雑音と特定の信号音を聞いてもらい、音を処理する神経細胞の活動を測定。
両方の音によって減衰する神経活動が、右脳の聴覚野に比べ左脳の聴覚野は低下しなかったというのである。
それにより、左脳は信号音を聞き取る能力が発揮されるが、右脳は両方の音が干渉しあって能力は低下したそうだ。

以前より左脳は言語理解をつかさどる言語野が集中していることは知られていたが、今回の結果で左脳の聴覚野が音や言葉を特別に聞き分けていることも証明できたことで関連性があるのではないかという話である。

「心」や「心理」と表現されがちなことも、突き詰めていくと「脳」がつかさどっていることがこうした研究によって解明されるのは興味深い。
心理学は科学というのもなるほど頷けるのではないか。


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