ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

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主な専門

【ヒーリング】 ■臼井式レイキヒーリング ■カルナレイキヒーリング 【カウンセリング】 ■慢性疾患をお持ちの方とそのご家族(長期闘病の精神的疲弊・疲労感)※闘病は本人のみならず親ござん・ご兄弟にも疲弊・疲労感を生じさせるものです。 ■うつ症状をお持ちの方のそのご家族(うつの連鎖を防ぐために)※夫or妻がうつに罹患し闘病が長期になると、パートナーまでもがうつに罹患するケースは意外に見逃されがちです。支える方もご自身の心の健康に留意しましょう。 ■病気ではない、と言われたがどうにも体の調子が悪いと感じる方 ■気分が晴れない、軽い鬱かな・・と思い悩んでいる方 ■対人関係 不安 ■人と接することに難しさを感じている方 ■家族との関係をよりよいものにしたい方 ■老親と成人した子の狭間で、やりきれなさ・閉塞感を感じている方(介護の疲れ・子どもとの心の行き違い) ■こんな自分になっていきたい方 (自己実現、自己成長) ■メンタルケア 心の健康を維持・整えたい。思いを整理したい方 ■グリーフケア、サポート (悲嘆・強い悲しみ) 【セラピー】 Writingセラピー

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信頼する・されるということ (その2)07'

2007-08-28 14:50:18 | 心・身体・癒し
心理カウンセラーとして大切なことのひとつはクライエントとの信頼関係を築くことである。
それを専門用語で「ラ・ポール」というのだが、先日、この「信頼する・される」ということについて気づかされる出来事があった。

それは七月のボディフォーカスト・アプローチのセミナーでのことだった。
たまたまこの月は、単発と三回シリーズの最終回の両方が行われたのだが、いつも一緒に参加している人たちのなかで単発に参加したのは私一人であった。

集まった二十人ほどの参加者はほとんど全員が(一人を除いて)初対面。しかもボディフォーカスト・アプローチのセミナー自体初めてという人たちばかりである。
いつもとは全く違う「気」の雰囲気に戸惑いながら始まったセミナーは、私の感じた通り何とも靄がかかったような空気感のままに進行していった。

やがてテーマである「道」でのデモンストレーションが始まった。
最初はそんな予定は盛り込まれていなかったのだが、気がつくとその場の流れとして私がデモンストレーションでセラピストになることとなった。
当初は突然の出来事に困惑し、みんなが見ている前でワークをするという緊張感に包まれたが、いつもながらの「あたって砕けろ、駄目で元々」のモットーが背中を押したかたちでワークがスタート。

実際、始まってすぐの時点ではこれからどうなっていくのか、クライエントへの促進や介入のタイミングに神経を使わなくてはいけないとの思いもあって、頭の中はそのことでいっぱいだったのだが、冷静に様子を観察してみるとクライエントはいつしか自らの力でワークを進めている。

そのことに気がついた私は、その時点で促進や介入をする、しなければとの思いを持たないようにした。
と、同時にクライエントのワークの邪魔をしないことに意識を変えていたのだった。

結局三、四十分はかかったのではないだろうか。
結果的にクライエントはある程度の気づきを得てワークは終了し、デモンストレーションでのセラピストを務めた私は大きな失敗もなく無事その役目を終えることができた。

そして今、改めてあの日のデモンストレーション・ワークを振り返って思うことがある。

あの時、どうして私はセラピストとしての促進や介入を極力控え、クライエントのワークの邪魔をしないことを一番に心がけることができたのだろう…と。
あの時、私の傍らでクライエントは自らワークを進めていった。
見方によればセラピストの存在は不要だったとも言える。(ただ、実はワークを進めるにあたって最初クライエントはセルフワークをしたが、上手くいかずセラピストの存在が必要であると判断して再度ワークを行ったという経緯があった)

そうした流れのなか、私が思い切って促進や介入をしないで見守ることができたのは、おそらく私の中にクライエントへの信頼があったからだ。
もし、少しでもクライエントに対して大丈夫だろうか…といった不安な気持ちがあったとしたら、やはり私は決められた通りに促進しようとしたり、ある程度の介入をしていただろう。
しかし、あのとき私なかで湧いた思いはクライエントへの信頼の気持ちだったことは間違いない。

今まで私は教育分析を通して、自らがクライエントの立場からカウンセラー、セラピストを信頼するという思いを実感してきた。
それによって、クライエントから信頼される安心を与えられるカウンセラー、セラピストになりたいと思ってきた。
ただ、それはあくまでもクライエントという一方の立場から生まれた思いに他ならない。
が、しかし今回デモンストレーションという特殊な場でセラピストを務めたことで、初めて私はセラピストがクライエントを信頼するということがどういうことかを知ることができた。気づくことができたのである。
そういう点で、今回の経験は私にとって、本当に得がたい貴重な体験だった。

頭ではわからない、本を読んだだけでは実感できないこうした貴重な体験を、これからのカウンセリングに是非活かしていきたいと思う。
カウンセリングルーム『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com/


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ストレスと身体

2007-08-26 14:49:44 | 心・身体・癒し
最近新聞やニュースでよく目にするのがうつ病にかかる人が急増しているという話題だ。
実際、日本での罹患率の高さは世界の水準を越えているらしいことから国内のみならず問題視されているようである。
いったい何時からこうした状況が始まったのだろう。

よく言われるのがバブル崩壊後の不況によって大量の人員整理が行われ、更には幸いにも会社に残れたのはいいが、合理化の余波で必要最小限の人員さえも削られてて今までの何倍もの仕事をこなさなくてはならなくなったことが挙げられる。
このことによる心身の疲労、過労が引き金になっているのだ。

しかしながら原因がわかったところで実際にはそう簡単には休めるわけではない。逆にこうした極限状態のなか、一度仕事上で失敗でもしようものなら即クビを言い渡されかねない厳しい職場環境があるのである。
そうした場に、ずっと身をさらさなくてはいけないのが現実なのである。

私の知り合いで某有名企業に勤めていた男性も、取って当たり前の有給休暇を何年間もとれないまま毎日残業、残業に追われて、とうとう身体を壊してしまい退職したが、不幸中の幸いとでも言おうか心的疾患にかかる前に辞めて「経済的にはレベルは下がったものの再就職ができ、人間らしい生活ができるようになったことにホッとしている」という話は心が痛んだ。

また、近年は世界経済もグローバル化の時代を迎え、企業は国際競争に勝たなくては立ち行かない状態に置かれている。
設備投資などにかかる費用も莫大で、結局はそのしわ寄せが働き手に向けられているのだとか。

先日のスクーリングで一緒になったある有名企業に勤めているという男性が、私が心理カウンセラーだと知って話してくれたのだが、やはり会社内でうつ病に罹る人が急増しているという話だった。
しかも、その事実を人事の人に知られてしまうと辞めさせられる可能性があるので、総務課の彼に相談する人が多くなっているという。
バブル前の会社には見られなかった仲間同士の足の引っ張り合いもあって「職場は本当に殺伐としているんですよ」と何とも寂しい話を聞かせてくれたのだった。

いつだったか、IT長者と目される会社経営者がテレビで「人材はいくらでもいる」という話をしていて唖然としたことがあったが、実際今もそういう経営者は少なくないようだ。
これもアメリカ中心の実力主義なのだろうが、人は機械ではないし、ましてや使い捨ての物でもない。ちゃんと心があり、かけがえのない生命の存在なのだ。

それでもここへきて、深刻化する「うつ病」に罹る人の急増に企業も気がつき始めたのか、アメリカの実力、能力主義が必ずしも良いとは限らない、日本にあった企業、経営の姿があるとの方向転換を模索しているという話を耳にするようになってきた。

ちょっとはホッとしているところだが、働く人自身もできるだけストレスを溜めないよう、少しでも休む時間をみつけて休養するとか、好きなことをして疲れをとるといった工夫をして欲しい。

どうか、できるだけ無理をしないように。
厳しい状況のなか実行するのは難しいとは思うが、うつ症状が重くなる前に自分なりに工夫して自分の心と身体を護っていって欲しいと心から思う。

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)
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また来るね

2007-08-21 14:48:58 | 心・身体・癒し
今年もこの時期恒例の24時間テレビが放送された。

今回の目玉は何と言っても六十六歳にも関わらず24時間マラソンに果敢に挑戦した萩本欽一さんだ。
多くの人たちが驚かされそして心配して見守ったマラソンは無事、萩本さんの完走で幕を閉じたことは正直ホッとするとともに嬉しく、感動的でもあった。
萩本欽一さんの快挙に大いに励まされ勇気をもらった人はたくさんいたのではないだろうか。

今回、番組では色々な人たちの自分の転機となった瞬間を紹介していたが、そのなかで私が特に心打たれたのが、若くして進行性の胃癌に冒された女性の癌を宣告されてから最期の時を迎えるまでの日々の話であった。

仕事先のオーストラリアで告知され余命半年と言われた彼女が選んだ生き方は抗がん治療での入院生活ではなく、友人たちを訪ねて歩く日々だった。

訪ねる友人たちには病気の事は予め知らせての旅ではあったが、最初のうちは彼女もまだ深刻な病状には至っていなかったこともあって、周囲の方が明るい表情に励まされたかもしれなかった。

しかし余命宣告を過ぎて数ヶ月経った頃には彼女の身体は限界に近づき、腹水が溜まったせいでまるで妊婦のような状態だったという。
そんな状態になりながらも彼女は明るく振る舞っていたらしい。
そして別れ際、必ず「また来るからね」との言葉を残したそうである。
普通に考えるならあり得ない別れの言葉。

何故彼女は「さようなら」ではなく、「また来るからね」の言葉を残して逝ったのか。

ヒントは彼女がオーストラリア時代に出会った一編の詩にあった。
それはあの「千の風になって」の原詩だった。
好んで読んでいたというこの詩によって、おそらく彼女のなかに肉体は滅びても心はいつも愛する人たちの傍にいる。いつでも会いに行くとの思いが育っていったのではないか。
それが別れ際「また来るからね」の言葉となったのだろう。

残念ながら彼女は二年前の八月十四日に旅立たれたそうだが、多くの友人たちの記憶と心の中に今も生き続けていることと思う。
そしていつも友人たちのあいだを風になって渡っているのではないか。

日本武道館で聴く秋川雅史さんの「千の風になって」は、今まで何度となく聴いてきたなかで最も素晴らしく広がりを持って私の心に響いてきた。
宇宙をもイメージさせる広がりの世界を持ったこの歌を秋川さんはこれからも歌い続けるという。
きっと残された人たちを慰め励まし続けていくことだろう。

歌は時に人に力を与えることがある。と同時に歌は人によって育てられ熟成し大きくなっていくことがある。
まさしくの「千の風になって」はそうした歌だったと言える。

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信頼する・されるということ07'

2007-08-18 14:48:19 | 心・身体・癒し
ここ数日、ニュースや新聞を賑わせている記事に、北海道銘菓『白い恋人』の賞味期限の改ざんがある。
当初、社長は事実を把握していなかったと印象付ける会見があったが、ここへきて実は改ざんは十一年も前から行われていて、しかもその事実を社長も認識していたという報道が流れ唖然とした。

北海道出身の私としては何ともやりきれなく、憤りを覚えてしまう。
先だっての牛肉のミンチ偽装問題、また数年前大きな話題となった雪印の問題と何故かこういう問題に北海道の企業の名前が挙がる。
地域特有とは思わないが、やはりどこか意識の上で問題があるのだろうか…と、ついつい思ってしまう。

先日のスクーリング『経営学総論』という授業があった。
企業の資源というテーマを勉強したのだが、そのなかで取上げられていたのが「人的資源」、「物的資源」、「情報的資源」さらに近年注目されているという「ブランド資源」の四つ。

授業では「企業にとって何の資源がもっとも重要か」とのテーマでグループディスカッションし、みんなの前で発表するという時間があったのだが、ここでちょっと首を傾げたのが「ブランド資源」に対しての重要なキーワードとして「信用・信頼」というものが全く講師の講義にも学生間のディスカッションにも話題に上らなかったことだった。

私としては「ブランド」が好まれ重要視される原因のひとつには「信用・信頼」が結構な比重を占めているとの感覚があったのだが、誰の意見からも出てこなかったことが意外であった。
想像するに、多くの消費者はその「ブランド」であれば「品質は確かである」と初めから信用し、百パーセント安心して高いお金を惜しげもなく払うのではないだろうか。

一方、企業にしてもその「ブランド品」に自社の信用・信頼度を託し、消費者にプライドを持って接しているのではないのか。
私はそこに「信用・信頼」というものの重要性を見るのだが…

残念ながら、現代において最も重要と思われる「信用・信頼」は軽視されているように思う。
「誰にも分からなければ、見つからなければどんなことをしてもいい」という考え方が蔓延し、そうした「信用や信頼」の上に成り立っていたはずの企業が自ら信用、信頼を損なう行為を平気でするようになっている。

しかし、いざ問題が露呈すれば企業は完全に消費者にソッポを向かれ、欺いたことへの代償は大きい。
雪印にしても食肉会社にしても結局は経営が立ち行かなくなったことは明白。
問題が発覚してから事の重大さに気がついても「あとの祭り」だということを、もっと企業や経営者は自覚する必要があるのではないか。

どんなに時代が変わっても変わらないものがあること、人と人との間には信じてこそ成り立つ関係性があることを私たちは知っているはずである。

私が子供のころによく親や大人に言われた言葉のひとつに「お天道様が見ている」というのがあった。
「誰も見ていないと思ってはいけない、常にお天道様はあなたの所業を見ているんだよ」という意味である。
目に見えるものしか信用しないという感覚ではなく、いつも私たちは目に見えない何かに見られているのだという「畏怖」の念を自然に学んだような気がする。

失くしてわかる「信用」そして「信頼」の重みを、私たちはこうした出来事によって気づかされているのかもしれない。


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伝えるということ07'

2007-08-14 14:47:55 | 心・身体・癒し
気がつけばブログ『心の扉を叩いてみれば』も、一年が経った。

ホームページより数ヶ月早くスタートしたブログも、途中プロバイダーを変えたことを機にデザインを一新。出来るだけ心そして心と身体についての文を載せたいと思い続けてきた。

ただ去年の暮れから一度ならず二度もパソコンの不具合で接続が出来なくなるというアクシデントに見舞われ、それに伴いブログも中断せざるを得なくなり、いつもアクセスして下さっている方々にはご心配をおかけして申し訳ない気持ちで一杯…

と同時に果たして私はちゃんと伝えてこれたのだろうかとの思いが湧いている。
おそらく先日スクーリングで受けた『プレゼンテーション』の授業が影響しているような気がする。

何かを誰かに伝えたいと思うとき何が一番大切かと言えば、それは何をどうやって伝えるかという発信する側の思いではなく、受け手がどんなことを知りたいか、そこに思いを馳せることが重要なのだということを学んだのだった。

そういう点で、もしかしたら一方通行だったかも知れないという反省の気持ちが湧いている。と、同時にやはりブログで伝えるということの限界を感じることも…

そしてそれを痛感したこととして、先日のボディーフォーカスト・アプローチ単発セミナーでの出来事があった。
その日の二十人余りの参加者が私以外初体験だったこと感じた困惑や戸惑いの「気」。
それがデモンストレーション(実演)によって徐々にクリアーとなり、最後には全員の「気」が講師の元へ束となって集中したのを目の当たりにした時、私の中で湧き上がったのは「いくつかの理論より一の実践なのだ」という思いだった。
そこに私は言葉や文字で伝えることの限界のようなものを感じたのである。
しかし、すべての事物を実践や実演で伝えることも実際には不可能。そこに発信する側のジレンマが生じる。

が、結局はそうした現実や限界を認め、向き合いながらいつも自問自答しながら希望を持ってやり続けていくことが大切なように思う。

これからも無理をせず、自然体で内側から湧き上がった思いや外側からやってきた物や事、気づきなどを伝えていきたいと思う。

まだまだ稚拙ではありますが、これからもどうぞよろしくお願いします。

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河合隼雄さん07'

2007-08-11 14:47:23 | 心・身体・癒し
先日、臨床心理学者の河合隼雄さんが亡くなった。
昨年の夏に脳梗塞で倒れられてから一年余、多くの人たちの願いも空しく、とうとうその生涯を終えられた。
河合さんと言えば日本で始めてユング派の心理臨床家となられた人で箱庭療法を紹介したことでも知られている。

河合さんの経歴は異色だ。
初めは京都大学で数学を専攻し高校教師となられたが、現場で生徒たちの「心」に直面。
大学院で心理学を研究し、やがてユング心理学に傾倒しスイスのユング研究所に留学されユング派心理臨床家となったのだった。

河合さんはユングの理論をそのまま日本に持ってくるのではなく、日本人の感覚に合わせそれらを解説したり、日本人の思考や感性を神話や仏教を通して分析するなど、また近年は文化庁長官としての仕事にも取り組まれ、その活動は単なる心理臨床家の域を超え多岐に渡ったことはよく知られていた。

訃報の直後、朝日新聞に掲載された評伝の記事に中沢新一さんがコメントを寄せているが、「日本にほとんどいなくなった賢者だった」と語っている。
なるほど…私などただの一度もお会いしたことは無く、著書や放送大学などの講義を通じてしか聴いたり読んだりしたことはないが、今回の訃報を聞いた瞬間、身内以外では今まで無いほどの衝撃を受け悲しみに打ちひしがれたのは初めてのことだった。

おそらくそれは、私自身が心理学を学び始めたこと、学院講師のボディフォーカスト・アプローチを通じてユングの世界に触れ、更に今年に入って急速にユングの無意識の世界へ誘われたことが大きく影響しているのだと思われる。
そして私だけでなく多くの心理学を学ぶ人々、心理学に関わってきた人達にとっても河合さんの存在は大きな拠り所であり、日本の心理学界にとってまさに巨星のような存在だった。

できることならもっと早くから河合さんに触れその大きく広く深い知性から多くの影響を受けたかったと思う、しかし一方でたとえ短い時間でもメッセージを放送を通じて受け取れたこと、著書によって河合さんの心理の世界に触れられた幸運を実感している。
それが私にとって必然だったのだとも…

この先、河合さんから新たなメッセージを受け取ることはできないが、これからも多くの著書を通じてユングの世界、無意識の世界を受け取りそして感じ取っていきたいと思う。

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