ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

宇宙の采配と引き寄せの法則

2011-09-28 17:00:12 | 心・身体・癒し
ある方から「引き寄せの法則」についての質問をされました。

その方は「引き寄せの法則の本を読むと、思ったことは叶うと書いてあるが、すべての願いがかなうとは限らないのではないか」とお話しされました。
私も「すべての願いがかなうわけではないように思います」とお返事しました。

それでは、何の意味があるかと疑問を持つかもしれませんが、これが結構大事なように思います。

これは、あくまで私の考えですので、引き寄せの法則の本に書かれていることと違っているかもしれません。
あらかじめ、それを断ってお話ししますが、こうした願い事をかなえるエネルギーやパワーは、
私たちにあるのではなく、宇宙にあり、すべては宇宙の采配なのではないかはないかとおもいます。

なので「こうなればいいな」という意識は持ち続けるけれど、あとはゆだねる。
それが大事なのではないでしょうか。

強く願えば願うほど、それはエゴとなり純粋性を失います。
その気持ちに取り込まれてしまって、がんじがらめになってしまう。
強い、強い思いをまずは手放すことが大切なようにおもいます。


いつだったか、私がいつも話している「宇宙の采配によって生きる」と「引き寄せの法則」は矛盾するのではないかと言われたことがありました。

実はずっと、このふたつが矛盾すると考えたことがありませんでした。
なので、そのときはじめて「宇宙の采配」と「引き寄せの法則」の関係につけて考えたのですが、自分でも驚くほど自然に出てきたのは
「引き寄せの法則」で願うこと、その「願い事」や「意識」自体も、宇宙の采配からきているのだと思う」という言葉でした。

BFAでずっと学んできたことのなかに、肉体は滅びても意識は残るという考え方があります。
意識は粒子、そして意識の粒子は宇宙に存在するというもの。だ
としたら、私たちが持つ、さまざまな「意識」はそもそも宇宙がもたらしたものと考えられなくはありません。

つまり自分の意思であると思っていることも、実は宇宙からきているもの、いわゆる「引き寄せ」もその背後には宇宙が存在している。
そんな風に考えれば「宇宙の采配」=「引き寄せの法則」という図式も、まんざら不自然ではないでしょう。

そこで「ゆだねましょう」、「強く願いすぎたち固執すると、がんじがらめになり、身動きが取れなくなりますよ」と言いたいのです。


そういうてんでいわゆるシンクロニシティー、「思いがけず」が、もしかして重要な鍵を握るのかもしれません。

いつか、きっとの気持ちを持ち続ける、希望を持ち続けながら、でもそこに執着はしない。

そして何かいいことがあったら「有難う」って素直に思うこと、感じること。それがよい引き寄せをもたらすかも。

男心☆女心

2011-09-26 08:37:41 | 心・身体・癒し

書いて心を癒すWritingセラピスト株本のぶこです

すっかり秋ですね。

昨日外にでて真っ青な空がとても高く見えました。

今朝はどんよりとした曇り空です。


秋の空は変わりやすいことから、ひとの心になぞらえていますが、

男心と秋の空というひとがいれば、女心と秋の空というひともいて

本当はどっちなのでしょう・・・・


心理カウンセラーからの視点BFAの学びから

ひとの身体、心、行動etcは変化し続けている

もちろん宇宙、地球、自然、ありとあらゆるものが

時とともに変化し続けている

と考えると・・・男心も女心も

ひとという存在自体が移ろいやすいものなのかもしれません

 

今朝の朝日新聞の記事を読んでなおさら感じました

記事の内容は・・・

読んだ方は察しが付くかも



 

幸せのかたち

2011-09-20 10:38:18 | 心・身体・癒し

身体感覚に心の声を聴く心理カウンセラー

writingセラピスト株本のぶこです。

今もときどき思い出すひとがいます。

通信制高校に通っていた時、同じクラスに看護師さんをしている50代の方がいました。

子供さんはいらっしゃらなくて、ご主人は病弱で、生活はその方が支えていました。

卒業してから毎年1月の最終土曜日に開いていた

新年会兼クラス会。

ある年、その方が私に向かってふっとつぶやくように

「結婚したからといって幸せとは限らないのよ結婚したことで背負う苦労もあるのよ」と

あのときどんな気持ちでそう言われたのか聞いたわけではないのでわかりませんが

たぶん、ずっと独りで生きていくであろう私を気遣っての言葉だったと思います。

それから数年後その方は不治の病であっけなく逝かれました。

病弱のご主人を残して・・・

ひとそれぞれ与えられた一生があり

生き方があり幸せのかたちがある

そんなことを言いたかったのかな・・・





 

どっちも大事ゆとりをもって

2011-09-17 15:59:29 | 心・身体・癒し

カウンセリングの勉強をしているときによくパターンとしてでてきたのが「どうなりたいか」という質問でした。

どうなりたいの?

それが実現したらどんないいことがあるの?

どんなことが起こるの?

それには、どうすればいいと思う?

みたいな質問をしていくのですが、なりたい自分を描いたときに時々出てくるのが

ふたつの相反する答えの場面でした。
 

例えば、時間がないだけど二つのことをしたい

どっちも捨てられない、捨てたくないどちらかに決められない

でも時間がない・・・

こんなときちょっと考えられるのが相談者はひとつに絞らなくてはいけない

決めなくてはいけない、そう思い込んでいるケースがあるということです。

そうしたとき

相手を受容しながらさりげなくいう言葉があります

「どちらも大事なんですね」

その一言で

相手は「そう、どっちも大事なんだ」と気づかれます。

そして、どちらかを捨てるのではなく、どちらも生(活)かす方法を

自ら見つけ出そうとし始めるのです。
 

人間の感情というものは、そう簡単に割り切れるものではありません。

なので、迷っている相手に選択を迫るような質問は、必ずも

そのひとの心の底の欲求とは合致していない場合があります。


どっちも大事、両方大切。

そんな心の揺れにも「OK、OK!」

とゆとりをもって対応できる

そんな存在にいつもなっていたいなと思います。



 


書くセラピーって何?vol. 5 広がる可能性

2011-09-07 08:53:45 | 心・身体・癒し

今日は書くセラピー広がる可能性についてお話しようと思います。

書くという行為にはいろいろな効用、癒し効果があることをお伝えしてきましたが

そこにたどり着く方法、手段もさまざまなものがあります。

シンプルにただひたすら書いていく。

その繰り返しによって自然に癒されていくもの。あるテーマや目的をもって書いていくことで、意識や行動に変化をもたらすもの。

書くことで今までの人生、生き方を振り返りこれからの人生、生き方を考えるきっかけとしていくもの。

書くこと、それ自体に楽しみや喜びを見出し、自己表現やコミュニケーションのツールとして活用するetc。

ひとり一人その時々必要なものや求めるかたちにあった方法で取り組めるのが書くセラピーなのです。

 

書くセラピーの効果については、これからもお伝えしていきます

 

どうぞお楽しみに。

 


新しいホームページができました

2011-09-04 08:56:09 | 心・身体・癒し

先日もちょっと触れましたが、

 

今までアクセスしていただいていた

 

手作りのホームページが

 

パソコンの買い替えによる影響で

 

更新ができなくなり

 

やむを得ず、別のサイトを利用して

 

作成していました。



それがやっと完成しました。

 

といえ、まだまだ修正が必要と思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

ご覧になった感想、改善点などをいただけると

 

嬉しく思います。

 

今後ともホリスティックカウンセリング宙(sora)wo

 

どうぞよろしくお願いいたします。



ホリスティックカウンセリング宙(sora)HP


 http://kokoro-sora.jimdo.com/

 


記憶は筋肉に宿る

2011-09-04 08:52:36 | 心・身体・癒し

記憶は筋肉に宿る。

そんな話があることを知っているだろうか。

一見すると非科学的、根拠のない話に聞こえるが、初めてその話を聞いたのは数年前、ボディフォーカスト・アプローチのワークショップだった。

比較的非科学的と思われることも、実際に様々な形で体験してきたので、私自身はすんなりと意識のなかに入ってきたが、これを一般的なものとして受け入れられるかといえば、そう簡単にはいかないようだ。

現実にこの説を拙書「たおやかに生きる」で書こうとしたとき、編集者から説得力がないと却下された。

しかし後になって、実はそうした考え方が必ずしも非科学的=信用できないとは言えないことを確信する、ある出来事に遭遇した。

それはいつものようにBFAのワークショップに参加したときのことだった。

そのときのテーマは「身体」

身体感覚に意識をむけながら、セルフワークをしていくことを何度か繰り返した。

痛みや重たさ、だるさや痺れなど感覚に意識をむけると初めは微細な感覚だが、やがて増幅されたり変化をおこし始める。

ときには心の琴線に触れたのだろう涙を流すひともいる。

セルフワークが終了後、

参加者の何人かがどんな体験をしたかをシェアしたが、あるひとの話してくれた内容に参加者全員が驚愕した。

そのひとは、ある時から長い間ずっと肩の疼き、痛みを感じなから生活していたという。思い当たるふしもなく、ただ漠然と痛みを覚えていたそうだ。

またまBFAをしながら肌で痛みをで感じた彼女は、あえて感じることをし続けた。

するとどうだろう。

しばらくして、遥か昔の記憶が甦ってきたのである。


子供の頃、友達と遊んでいて肩を脱臼したときのことが、鮮やかに甦ってきたそうである。

そして、そのビジョンを体感し、痛みをずっと感じ続けていったところ少しずつ痛みや疼き、違和感が薄まってきたという。

BFAのワークショップに参加しセルフワークで記憶が甦るまで、そんな出来事はすっかり忘れていたそうだ。

まさしく記憶は筋肉に宿るである。

その出来事以降も、多方面から似たような話を聞いたり、BFAと同じような考え方をしている分野のひとから意見を聞いたり、筋肉や神経の痛みと怒りが密接に結びついている説を医療の分野で読んだりする機会が増えている。

非科学的と捉えられていたが、徐々に受け入れられてきているということなのだろう。

科学的に実証されることだけが真実とは言えないことを示しているようで興味深い。