このところずっと、言葉にするということについて考えていました。
学院に入学して、最初に出会ったのが、アーノルド・ミンデルの「こん睡状態の人と対話する」という本でした。
それより少し前に祖母が亡くなり、意思の疎通ができないことの悔しい思いを体験していたことから、こういう世界もあるのだと感激。
これをきっかけにトランスパーソナル心理学に詳しい大高先生に師事、ボディフォーカスト・アプローチに出会ったことで、私の方向性が定まりました。
スピリチュアル的な世界での体験を言葉にすることは、結構難しいものがあります。
BFAの学びのなかでも、さまざまな体験をしてきましたが、それを理解してもらうためにどうやって表現していく
か、体感をどうやって言葉にするかにずいぶんと苦労してきました。
拙書「たおやかに生きる」のなかでも、実際に体験したことを書きたいと思いましたが、なかなか編集者に理解してもらえず、何篇かボツになったり、自ら断念したものが少なからずありました。
つまり、これは話し言葉に限らず、書き言葉にも大いに通じる問題だということです。
先日、いつも学ばせてもらっているふたこわたるさんが、例によってとても刺激になる文章を書いてくださいました。
題して、「波動、エネルギー ~使うことばが自分にかけている魔法」
このなかで、ふたこさんは一般にスピリチュアルという言葉で語れる領域は、目で見たり触ったりできるものではない現象をかなり扱うといい、それが危うさにつながると言われました。
そうした危うさを避け、豊富な経験を自分のものとして受け取っていくには、どうすればいいか。
それを具体的に示してくれたのでした。
結論から言うと、実体のない言葉はできるだけ使わないということ。
では実体のない言葉とは、どういうものを言うのかと言えば。
例えば「ここは波動がいい場所だ」「ここは波動が悪い」など、ふだんよく耳にする言葉ではありますが、実は
そこには具体的に何をどう感じているかが伝わってきません。
それが実体のない言葉なのです。
では、それを実体のある言葉、体験的な言葉にすると、どういう表現ができるでしょう。
たとえば「ここいいると、身体の表面にザワッとした感覚を覚える」とか「肌にピリピリした感覚がある」など、実際にそのひとが体験し、体感してこそ感じる感覚を言葉にしていることがわかります。
なので、そこには他者の意図や思惑、感じ方が入る隙がありません。
周囲に振り回されることなく、自分が感じたものだけを受け取ることができるわけです。
今回は、ふたこさんが仰ったことをかいつまんで、ポイントだけをお伝えしましたが、彼の文章に対して、私は次のように自分の体験をシェアさせていただきました。
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「自分で確かめられる事実のみで構成されているいい方になっています。他の人がどうであるかは関係ない。」
「自分の人生に起こる出来事を他の人やものや出来事の責任にしないとか、他者に支配されるスキを作らないとか」
このふたつ、すごく重要な気がしました。
読ませていただいて思い出したのですが、スピリチュアル、波動やエネルギーという分野や言葉自体知らなかった20代の頃、函館に行ったとき、ある大きな有名な寺院の前を通り過ぎた瞬間、ザワァとした、全身が泡立つような感覚になったことがありました。
その時、たまたま一緒にいた家族に、その感覚をそのままストレートに言葉にしたという記憶があります。
あのときの自分は、自分の足で立つことができていたのだろうか…ふと、そんなことを思いました。
あるいはスピリチュアル、波動、エネルギーという言葉を殆ど知らなかったから、感じたままに言葉にすることができたのかなとも思います。
ただ、それから数十年が経って、心理に関わるようになってスピリチュアル、波動、エネルギーと言ったものと関わりを持つようになっても、体感をそのまま言葉にして表現している(ピリピリ、ビリビリした、皮膚から光の束が出ている感覚など、空気が軽い、重い、粒子が小さいなど)最初の体験を言葉にしていたことが影響しているのかなと…
「自分を弱める魔法をかけてしまっている」
ああ、そうか…と頷きつつ、言葉が持つ(不思議な)チカラのようなものを改めて認識させていただいたように思います。
ちなみに青字は、ふたこさんが書かれた文章のなかでポイントになる、そして私自身の体験と関連する重要なキーワードとして、ピックアップさせていただいたものです。
さらに、最後の「自分を弱める魔法をかけてしまってる」という一文は、言葉を仕事をしていくうえで重要なツールとしているものとして、とても重みのある言葉として受け止めました。
ものやひとや境に流されず、自分の足で立っているためには、自分が体験したことを自分の言葉で伝え、表現することが、とても大切なのだと改めて気づかされた、そんな気がします。
今以上、自分の体験をきちんと言葉で伝える、表現することを意識し、磨いていかなければいけない、今までの経験もふくめ、できるだけ体験、体感を言葉にしていく訓練をする必要性を感ています。