ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

未来を担う子供たちのために  その2

2012-11-29 10:07:35 | 心・身体・癒し

昨日、ここに未来を担う子供たちのためにという題で、記事を書きました。


FBでのやりとりで書かせていただいたこと、大事なことだと感じましたのでここにも書かせていただきます。


(FBより)


今、とても危機的な状況にあると感じています。


橋本さんはあれほど脱原発を支持していたのに、今になってできるはずがないと言いだしています。


安倍さんは政治生命をかけて再稼働すると言ったという話を聞きました。


今だけを見るのではなく、この国がこれからも存在できるのかというところまで問題は深刻だと感じています。



またどこかで大きな地震があったら(非現実的なことではありません)、そしてまたフクシマのような原発事故が起きたら、私たちは国そのものを失うことになりかねないと思っています。


今、自分たちが快適に生きることだけを思っているひとにとって原発はなくてはならないものでしょうが、この国を担う子どもたち、そして未来に生まれてくる子供たちのために、今、私たちは真剣に向き合わな
ければいけないのだと思います。


たとえ何年、何十年かかっても。理想に向かっていかなければいけないのだと…

 

と、ここまで書いて、維新の会が脱原発を盛り込んだとのニュースがでました。

ブレまくっています。自分の言葉が信用に直結していることに自覚がないとしかいいようがありません。

 

 


未来を担う子供たちのために

2012-11-27 10:02:41 | 心・身体・癒し

理想はそこにむかっていこうとするところに意味がある

 

実現しないから無理と理想を捨てたとき

 

現実に合わせていくことを選択したとき

 

現実はより低きところへと流れていく…

 

堕ちることに無関心ではいたくない



たとえ原発のない国が理想だとしても

 

理想に向かって歩み続けていきたい

 

未来を担う子供たちのために

 

未来に生まれてくる子供たちのために


変化してきている自分そして周囲

2012-11-20 11:50:59 | 心・身体・癒し

春からずっと体調を崩していた父。昨日も大腸の調子が悪いと先日CT検査をした結果を聞きに、K大学病院に出かけた。

 

1週間ほど前、母が拭き掃除をしていて力のかけどころが悪かったのか、首を負傷。数日前に病院に行ったところ、頸椎がずれているとの診断が出た。そのため、今回の父の付き添いは私一人。

 

結論からいうと、大腸検査の結果は異状なし。

時間にゆとりがあったのでお尻の床ずれ(本人いわく)を見てもらいたいと、皮膚科を受診した。

 

で、処置室で看護師さん、担当のお医者さんに患部を見せたところ「どこ?」と聞かれた。それくらい傷はすでに回復していたという証左。

 

付き添っている私がちょっと恥ずかしくなったが、せっかく見てもらったこともありはっきりと聞いてみた「本人は、痛いと言って寝て治すつもりか横になっていることが多いのですが…」

 

先生の答えは「それはかえってよくないですね。もう傷らしい傷ではないので、どんどん動いてください」だった。結局、ふたつの科も異常なし。

 

ということで、私もやっと父の病院の付き添い、家での介護もどきからも解放されることとなった。

 

この半年間、本当に病院通い、介護と大変だったなか、書くセラピーのセションや通常のカウンセリングのセッションをしながら、夏には書くセラピーの公開講座の講師をさせていただき、名古屋に通ってセミナーを受け、東京でのセミナーも受け、さらにレイキのイニシエーションを受けレベル3*マスターになった。

 

さらにあるがまま、今ここ指向アプローチの内容にも新たな展開が始まりそう…11月からは別のセミナーに参加することになった。レイキの仕事もすでに始まっている。

 

こうした流れを見てみると私自身はもちろんのこと、私をとりまくあらゆる世界が動き始めているということ。

 

これから少しずつ今までとは違った方向になっていきそうな予感がするこの頃、少しの変化や軌道修正、あるいは整理などしていくことになるかもしれない。

 

ときに思いもかけない出来事、流れが起こることがある。

 

今、私はそこの岐路に立たされているような…そんな気がする秋。

 

ゆっくりと丁寧に、自分を生きていきたいと思う。


怖さの向こうにある使命に気づく

2012-11-18 11:56:23 | 心・身体・癒し

7日、8日と名古屋のセミナーに行ってきました。

 

7日は、午後にいつものセミナー

 

夜からは、私の長年のトレーナーであり、ココロホット・コンサルティングの

 

代表の先生と、セミナー仲間のWさんと3人で、体験型心理講座に参加

 

8日は、午前と午後に渡って、先生が学んだ手技の世界を会得すべく

 

Wさんとレクチャーと実技指導を受けてきました。

 

体験型心理講座と手技については、のちほど改めて書くとして

 

ここでは、午後に行われたセミナーで体験したことをシェアしたいと思います。

 

今回体験したのは、自分のなかにある怖いものをいくつか挙げ

 

そのなかで最も強いと思われるものをひとつ絞り、それに焦点を当てて

 

セルフで瞑想的アプローチをしていくというものです。

 

参加者全員が、それぞれ自分でこれが怖いと思えるものをピックアップ。

 

私個人は、怖いものがあっただろうか…と思うくらい

すぐには思いつかなかったのですが、最終的に出てきたのが

 

映画「風と共に去りぬ」でどうしても見ることができないシーンが浮上。

 

それは、南北戦争が熾烈を極め、スカーレットも怪我をした軍人の看病に

 

看護婦として参加。そこでおこなわれる傷が深くて手だてのしようがなくなった

 

手足の切断手術のシーンでした。

 

映像はもちろんのこと、音声を聞くのも怖くて、この映画を見るたびに決まって

 

目をつぶり、耳をふさいできたことを思い出したのです。



そして、それに似た感覚としてもうひとつ湧き上がったのが日本刀。

 

以前、デパートの日本の古い貴重な品々を展示する展覧会で見たのですが、

 

日本刀の前に立った瞬間、えもいわれぬ怖さが湧き上がり背筋がゾワーッと

 

したことがあったのを思い出したのでした。



先生に話すと「日本刀のほうがいい」ということで、ワークでは日本刀を見た

 

ときに感じた怖さ、ゾワーッとした感覚を感じていくことに。

 

ところが、ワークをし始めてすぐ、もうひとつのイメージが湧き上がってきたのです。

 

それは、ずっと以前、私が小学校2年生の頃。

 

テレビで「真田幸村」という時代劇が連続ドラマで放送されたことがありました。

 

元々、ひとを斬るシーンや、戦争を描いたドラマは嫌いだったのですが、

 

歴史物ということもあって、両親が好きで毎週欠かさず見ていたもの

 

ですから、否が応でも見ざるを得ません。

 

あるとき、そのドラマでひとりの老婆が侍に無礼を働いたらしく、片腕を

 

切り落とされる

 

場面が流れました。

 

そのときの映像も、音声も記憶には残っていないのですが、そうした場面

 

があったことだけが、今も鮮明に記憶として残っています。

 

さらにその老婆。実はのちの放送でもう片方の腕も切り落とされてしまうのですが…



そのときの怖かった記憶が、ブワァ―と甦ると同時に今も、武士が切腹をする

 

シーンがあると、切腹よりも介錯の場面に怖さを感じることに気づいた瞬間、

 

自分の心が見えてきました。

 

私は血を見るのが怖いのではない、切られたり怪我をしたりすることで生じる

 

痛みに対して怖さを感じていたのです。



そこに気づいて、ハッとしました。

 

レイキマスターになって、すぐに依頼を受けてレイキを提供しているクライエントさんが

 

実は、身体全体に痛みを抱え長年苦しんでこられた方だったのです。

 

何年間もいくつもの大学病院を受診し、ほとんど改善が見られない状況だったなか

 

たまたまご縁があり、レイキを提供させていただいたのですが、3週間ほどが経って

 

実際に、現在、痛みが和らいできたとのお話を伺うようになっています。



とは言いながら、このことがワークに影響しているのではという思いが頭をよぎり

 

もしかしてこれは思い込みや錯覚なのではと思った瞬間です。

 

「嫌だ、嫌だ、嫌だ」という声が聴こえてきました。

 

それはまるで「その事実を否定しないで」と訴えるように響いてき

 

思わず涙がボロボロとこぼれて止まらなくなったのです。

 

そのとき、初めて私は自分の使命とは、もしかしてヒーラーなのかもしれない

 

きっとそうなのだろうと思うことができました。

 

今まで周囲の人たちから、「ヒーラーになれる」「ヒーラーだ」「癒し人だ」と言って

 

もらうことが多かったのですが、今回のワークでやっと自分自身「納得」する

 

ことができたように思います。

 

レイキヒーラーとしてはまだまだ初心者。

 

これからも研鑽をつみ、特に「痛み」に対応できるヒーラーになっていけたらと

 

思っています。


自分を生きるということ

2012-11-17 11:49:26 | 心・身体・癒し

セッションが終了しました。


知識はときに生きづらさを誘発します


私たちは、得た知識、情報としての平均に


自分を合わせようとついついしがちですが


平均的な生き方など誰一人としてあるものではなく


ひとりひとり違った人生を生きています。


体感を大切に、自分の心と向き合って、



 


しっかり生きていくことではないでしょうか。


それが「自分を生きる」ことなのだと思います。



思考と感覚を使うセラピー

2012-11-16 14:57:37 | 心・身体・癒し

書くという行為は、いわゆる知的な作業です。

 

思いを言葉にし、言葉を繋げて文章にしていく作業は主に思考を使います。



一方、瞑想…特に私が指向している「あるがまま、今ここ指向アプローチ」

 

が提唱している瞑想、ヴィバサナー瞑想は

 

「ありのまま、あるがままの今をただただ認め受け容れる」ことから

 

思考ではなく感覚、感情を感じ取っていく。

 

と、正反対のことをしているように見えます。

 

実は思考、感覚はどちらも大事。

 

日常生活において片方だけでは生きられません。



今年の夏、書くセラピーの公開講座をさせていただきましたが、

 

そのとき、瞑想と書くことを組み合わせる試みをおこないました。

 

初めての試みでしたので、どのようになるのか、参加者の方々は

 

どんな印象、感想を持たれるか興味津々でした。

 

で、講座終了後、感想をいただいたところ、皆さんから予想以上に

 

瞑想をしてから書くという方法はいいとの声をいただきました。



書く前は、これを書こうと思っていたのが、瞑想をしたことで

 

新たなテーマが浮上。

 

結果として、浮上したことについて書いたところ、

 

数日前の洞察と繋がり気づきがあった方。

 

辛い体験をされ、ずっと目をそむけていたけれど、瞑想で思いが湧き上がり、

 

恐れずそこに目を向けて書いてみたところ、問題点がわかったという方。

 

気づかずにいたけれど、自分のなかにこんな問題点、課題があったと

 

気づかれ、それをテーマに書かれた方。

 

他にも子どもの頃の体験が湧き上がり、自分の中にあるトラウマの正体が

 

わかったetc

 

私が想像した以上の効果、結果がこの講座では表れたのでした。



と、いうわけで書くセラピーと瞑想会を組み合わせた取り組みを、

 

今後計画したいと思っています。

 

「あるがまま、今ここ指向アプローチ」の瞑想とはどういうものか、

 

それを踏まえて「書いてみる」それによって、どんな思いや気づきがあるか、

 

体験していただこうと思いますので、興味、関心のおありの方

 

もうしばらくお待ちください。


書くことは自分の内面との対峙

2012-11-15 11:47:20 | 心・身体・癒し

書くセラピーを体験した方、皆さん一様に自分自身と向き合った時間でしたと言われる。

 

書くということは、心にあったもやもやした気持ち、澱のようにたまった何かしらの思いを、書き言葉にして表現するということでもある。

 

その時、どうしても通過しなければいけないのが自分の心と対峙すること。

 

自分自身と向き合わなければ、書きたいことはでてこないし、書けない。

 

初めはつらいことがわかっているので、見てみないふりをし、差し障りのないことを書こうとするが、時間が経つにつれ、回数を重ねるほどに、漠然と書いていることに自分自身がものたりなさを感じてくる。

 

「本当の自分はこうじゃない、本当の思いはこんなものじゃない」と気づいたとき、自ずと書く内容も書き方も変化し始める。

 

だからこそ、書くセラピー、書くという行為は繰り返すことが必要。

 

日常のなかで書いてよし、非日常のなかで書くのも、またよし。

 

とにかく「書く」そのことが心を軽くし、開放を促し、ありのままの自分を受け容れる、最初の入り口、きっかけになるのだ。

 

坦々とコツコツと…


今月のココロホット瞑想教室は

2012-11-14 11:54:00 | 心・身体・癒し

ココロホット瞑想教室 11月は18日(日)に開催されます。

 

心理援助の関係の方だけでなく、一般の方も参加できる内容になっています。

 

ありのままの自分を受け容れることによって、自分の身体に繊細な感覚をもって感じてみる。

 

それによって、さまざまな気づきを体験できます。

 

是非、皆さん一度体験してみてください。



詳細については、ココロホット・コンサルティング

http://www.cocoro-hotto.com/

 

ココロホット瞑想教室

http://www.cocoro-hotto.com/MeisoukyoushituTokyo2012.pdf


生かされている

2012-11-14 11:48:39 | 心・身体・癒し

数日前、母のもとに一通の手紙が届いた。



差出人は、ずっとむかし40年以上も前に、同じ市営住宅で仲良くしていたFさんからであった。



今でいうママ友で、母を入れて仲良し4人組はいつも一緒。



子どもの年齢もほぼ同じで、家族ぐるみで外食をしたり、それぞれに家に集まって料理研究会をしたり

 

映画を見に行ったりと、年数としてはわずか2年ほどだったのだが、とても楽しく、たくさんの交友関係の中でもっとも記憶に残っているひとたちだった。



そのなかのひとりだったFさんは、とても気配りのできる面倒見のよいひとだったことを憶えている。



あるとき、市営住宅が取り壊されることになり、4家族はそれぞれ別の地域に引っ越したが、Fさんとは、我が家が東京に移り住むまで親しい関係が続いていた。



あれから10年…Fさんからの手紙は、衝撃的なものだった。



ご主人が認知症になり、ほとんど会話も成り立たない状態に陥っているという。



ある病に罹ったことが切っ掛けで発症したと書かれていたが、何とその病名と言うのが、先だって父が転倒して頭を打ち、2か月後に血腫が見つかった「(慢性)硬膜下血腫であった。

 

母も私もあまりの衝撃の大きさに言葉を失った。



まさかFさんのご主人が認知症になるとは…

 

同じ病に罹った父は一命を取り留めるどころか、今は元の状態とまではいかないものの、自力で散歩に出かけられるまでに回復し、病気のさなかに中断していた俳句も再開、月に一度の句会にも出かけられるようになってきたというのに、方やFさんのご主人は認知症になってしまったという。



手紙の最後に、Fさんは「今日はディサ―ビスで、主人は泊りにいきました。今夜は私もゆっくり眠ることができます」と書いていたが、その文面から、どれほどご主人との日々が過酷なものであるかが察せられ、胸が痛んだ。

 

本当に人生とはいつ何時何が起こるかわからない。



今回の父の一連の病気と入院。



父本人はもちろんのこと、家族である母も私も大変な思いをしたが、本当に奇跡に近いタイミングだったのかもしれない



自分で生きているつもりでいても、どこか見えない力で生かされている、そう強く感じた今回の出来事。

 

改めてもらった命を大切にしていけなければと強く思っている。


小さなしあわせ

2012-11-10 11:54:30 | 心・身体・癒し

先日、久しぶりに丸一日お休みでした。


父とふたり、バスに乗って家電量販店に買い物に行ってきました。


父は電気ストーブと、髭剃り私はミニコンポを買う予定


お店では3種類のコンポを値段、大きさ、メーカーの知名度で選び



このくらいの予算でと予め店の人に伝えたうえで、

 

3機種ともCDを聴かせてもらって音質を比較。

 

で、価格も音質も真ん中のレベルに決定し、購入しようとしたところ

 

在庫がないとのこと。

 

他の店も調べてもらったのですが、近隣の店はすべて在庫がないと

 

いうことで、何と一番上のレベルを、予算内の金額に値引きしますけど

 

どうですか?と言ってもらいました。

 

音質がいいことは、確認済みなので願ったりかなったりです。

 

即決で購入することに…結局、1万円値引きしてもらうことができました。


で、帰りのバスがタイミングよくきてラッキー!



「ホント、今日はついてた~」と喜びながら、ささやかなことに


喜べるっていいなあと思っている自分にちょっと嬉しくなりました。


今日の幸運に感謝します。


事実は小説よりも奇なり

2012-11-01 11:43:23 | 心・身体・癒し

昨日は、午前中に日記を書いたりセッションの記録をまとめたり

 

テープ起こしをして過ごし、午後からは読書三昧。

 

520ページほどある本を一気に読了しました。



「母の遺産」という水村美苗さんが書かれた小説で、

 

結構評判がよかったことから、2か月ほど前に購入。

 

本の厚みに圧倒されて、しばし積読状態でしたが、

 

意を決して読み始めました。

 

ここ数年、ほとんど読む本と言えば心理関連書。小説はしばらくぶりです。



読んでみての感想は…

 

個人的には何かが足りない、ちょっと表面的というか…

 

確かに読者を引きこませるものはありましたが、心を揺さぶらせるような

 

そんな感覚には、結局最後までなれずに終わりました。

 

何故かな…と考えてみたのですが、思い当たったことが二つ。



かつて劇作を学んだとき、講師だった斉藤憐さんが

 

「随筆や小説の類が紙飛行機だとしたら、戯曲は人を乗せる飛行だ」と

 

言われたことがあったのですが、その言葉通り、どうも人物の内面の

 

描き方に物足りなさを感じたようなのです。



そしてこれはあくまでも私個人の感覚ですが、読みながら

 

現実の生活はもっと生々しく、痛々しく、苦しく、悲しいものだという

 

思いが湧きあがっていたのでした。




セッションに来られる方々の人生はひとりひとり違います。

 

ふたりとして同じものではありませんが、

 

共通しているのは想像を絶するほどの苦労や悲しみを抱えている

 

ということです。



事実は小説よりも奇なりという言葉がありますが、

 

今回、しばらくぶりに小説を(しかも評判の高い)読んでみて

 

この言葉の重みのようなものを感じました。

 

私たちは、いつも、つねに現実を生きているのだと…