ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

突然ですが

2011-01-24 09:02:17 | 心・身体・癒し

突然ですが、ホリスティックカウンセリング『宙』サンシャイン60ルームは、移転することとなりました。

長い間ご愛顧いただきまして誠に有難うございました。

なお武蔵野ルームは今までどおり営業しております。

ご利用下さい。

新しいルームの詳細につきましては、後日改めてご報告させていただきます。

 

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ツイッターはじめました

2011-01-23 10:00:42 | 心・身体・癒し

なんと!ツイッターを始めてしまいました。


つい先日までは、まったくそんな気はなかったのですが・・・カウンセリングを学んだ母校である、日本カウンセラー学院がツイッターを導入したことから、思い切って始めることにしました。

本当は、「フォローを!」との呼びかけに応えようとしただけなのですが、フォローするということは、イコールツイッターを始めるということだったのですね。

初めて知りました。知らないということは、怖いことでもあります。

登録に名前を入力したら、すでに同じ名前で登録されていたのにはびっくりしました。そんなに多くはないと思うのですが…私がこの苗字で知っているのは親戚だけ。
インターネットで検索してみると、知らない方ですがふたりくらい出てきます。

以前、全国の電話帳を調べたときには、関西に同じ名前を何軒かみつけたことがありました。

今日でほぼ一週間になりますが、一応毎日二回ほどつぶやいています。
ただ、そのときの、その瞬間の思いや出来事をつぶやく(綴る)というのは、思った以上に難しいものだと気がつきました。

それと同時に、つぶやく(実際はつぶやいてはいるわけではないのですが)ということはどういうことかを考えてみて気がついたことがあります。

これは私の傾向ですが「何でだろう・・・?」そんな疑問が湧いたときにつぶやいています。

たとえばツイッターで言うと「どうして私の卵はオレンジ色に囲まれているんだろう・・・」といった具合に。

行為と思いというものの関連性をツイッターひとつで気づくことができる。
アンテナをはっていさえすれば、不思議や疑問はこんな風にちょっとしたところにいっぱい転がっているのかもしれません。

ツイッターにはまって何度もつぶやいて、いつしか疲弊したという話を聞いたことがあるので、ゆっくりのんびり、ゆったりと続けていくつもりです。

よかったらアクセスしてみてください。

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なにはともあれどうぞよろしくお願いします。

 

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同じものを食べていても

2011-01-20 09:00:47 | 心・身体・癒し

先日、スーパーから鶏のもつを買ってきて、甘辛煮を作りました。
日持ちがするように、ちょっと味付けを濃いめにしました。

鶏のレバーは下処理が面倒なので、今までは豚のレバーで甘辛煮を作っていたのですが、近所のスーパーでは豚レバーの塊を売っていません。なので仕方なく鶏レバーを買ってきたのですが、意外に美味しかったので最近は、もっぱらこれ。

実は、レバーを食べ始めたのには理由があります。

昨年の秋の定期検診で、母の血液数値にちょっとした異常が見つかったのです。
血液をつくる機能が衰えているそうで、その速度が遅くなっているのだとか。

実は、母方の曾祖母が、晩年白血病に罹患し亡くなっているので、もしや母も同じ病気の兆候が?と不安がよぎります。

とりあえず、貧血にはレバーがいいということで、早速、鶏レバーを買ってきて食べることにしました。

食べ始めて数ヶ月。

年が明けて、先週の検診で症状がすっかり改善していることがわかりました。
どうやらレバーを食べたことがよかったようです。

家族で同じものを食べていても、身体に現れてくる症状や数値は必ずしも同じとは限らないことを今回の血液検査で知りました。

身体は本当にデリケートで、神秘的だなと思います。


忘れないで

2011-01-17 09:12:27 | 心・身体・癒し

今年もまた、この日がやってきました。

1月17日は、16年前、阪神淡路大震災が起こった日です。

今もまざまざと憶えています。

あの日の朝、わけもなく早く目が覚めた私は、何気なくテレビをつけた、その瞬間です画面に地震が発生したとの速報が流れたのでした。

それからのことは、皆さんも記憶にあると思います。

この日は偶然にも、随筆講座の先生の一周忌でした。

さらに、随筆仲間のひとりのご主人が神戸に結婚式で出かけていた偶然も重なって、北海道にいながらハラハラドキドキ、生きた心地がしなかったことを憶えています。

そして、この震災がきっかけで、母校である日本カウンセラー学院が誕生したのでした。

以前、井上ひさしさんの「父と暮らせば」という戯曲に関連して、原爆で生き残った方の苦悩について書かせていただいたことがありますが、この震災でも、同じ思いをされた方がたくさんいらっしゃいます。

倒れた家の下敷きになってしまった家族。

炎が迫っているのに、どうしても救出することができず、断腸の思いで家から離れた方々がたくさんいらっしゃいました。

そうした方々にとって、おそらく悲しみが癒されるときがくることはないでしょう。

6、7年ほど前、戯曲を書く講座で勉強をしていた時期がありました。そのとき一緒に受講していた方が、地をテーマに作品を書かれていました。

指導する劇作家の方と意見が合わず、結果的にその作品は完成することはありませんでしたが、その方のなかに、どこか理解できない部分を感じて「どうしてだろう」と思ったものでした。

しかし、のちに「父と暮らせば」を観たとき、あの震災をテーマにした方のこだわりがどこからくるのかわかった気がして号泣したことを憶えています。

これからも、あの日を忘れることはないでしょう。

決して忘れてはいけないのだと思います。

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認知を変えることはできない【ゲシュタルト療法WS】

2011-01-14 09:06:03 | 心・身体・癒し

ゴードン博士のゲシュタルト療法ワークショップに参加して数日が経ちました。

まとめという感じで「心の扉を叩いてみたら・・・」にワークショップでの体験を二回に分けて書きましたが、そこに書かなかったことのひとつに「認知を変える」というテーマについて、参加者の方と博士が対話をされたことがありました。

そもそもは「パターン」を壊すということに関連したやりとりだったのですが、例えば、悲しいことがあると引きこもってしまうパターンがある場合について、参加者の方が「こういう場合、認知を変えることによって、そのパターンを変えたり、ダメージを受けないことはできないのですか?」と博士に質問をされました。

そのときあげられた例として、失恋をした場合、失恋のダメージから逃れるために「あのひとは私にそもそも相応しくなかったのだ」と考えたり、「私にはもっと自分に合ったひとがいる。あのひとは違っていたから別れたんだ」など・・・

それに対して博士の答えはこうでした。
「悲しみにもさまざまなものがある。例えば「死別」の場合、長年ともに暮らしたパートナーと別れたとき、その別離の悲しみを「認知を変える」ことで癒したり解決することは不可能だ。そうではなく、悲しみを感じたなら、その悲しみを充分感じること。そうすることが、一番の回復方法である」そんなふうに仰っていました。

そのときのやりとりが今も深く心に残っていて、書きたいと思っていたところ、昨日、学院のHPの「講師のひとりごと」に大高先生が偶然書かれていた文章を読みました。
とても心に響くものがありました。
こういうことなのだと思います。

 「講師のひとりごと」   グリーフワーク

グリーフ・ケアの本場であるアメリカでは、以前は悲しみをいつまでも感じること、それを引きずることは、好ましいことではないという考え方が主流だったそうです。
統計では、アメリカの場合、死別した後の再婚のパーセンテージが日本よりもはるかに高いのだそうですが、そうしたことの背景にはもしかしたら、こうした考え方が影響していたかもしれません。

しかし、近年、そうした考え方はは必ずしもあってはいない、悲しみを充分に感じきること、喪の作業が必要との考え方に変わってきているそうです。

以前もお話しましたが、本来、忘れる必要などないのだと思います。
なぜなら、そのひとを思ってあげられるのは、そのひととの思い出を持っている自分がこの世に生きている、そのときまでなのですから。

喪の作業はとても大切な作業です。ゆっくりと時間をかけて、そのひとのペースで悲しみを充分と感じきり、完結させていく。
そのためには、周囲の方々の理解も重要となります。

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ゲシュタルト療法ワークショップ二日目

2011-01-12 11:50:56 | 心・身体・癒し

ゴードン博士のゲシュタルト療法ワークショップ二日目。

一日目のワークショップを体験して感じたことは、今まで私がイメージしていたゲシュタルト療法のワークの仕方とはずいぶんと趣が違うということだった。

それまではゲシュタルト療法といえば、例えばエンプティチェアのような、一般的によく知られている手法を使ってワークをおこなう、あるいはもう少し踏み込んで、相手が何か表現したいのにもかかわらず、なかなか言葉にできないときに、「もし、あなたの頭が、何かを言葉にすることができたなら、今の感じをどう表現するでしょう」といったような、言葉を投げかけて、そのひとの感情にアプローチする手法が代表的なものと捉えていたのである。

しかし、今回、ゴードン博士によるゲシュタルト療法のワークショップは、そうしたイメージを覆すものだった。

一日目に博士がおこなったワークでは、クライエント(相手)の話を聴き、話してくれた場面を思い起こさせ、今、ここにある身体の感覚や、湧き起こった感情を感じてもらうことをした。

次にゴードン博士がそのひとの問題となっていた「対象者」となり、その対象者への思いを言葉にすることを促したのだった。そして思いを言葉にしたクライエントに対し、その問題を、誰か自分をサポートしてくれるひとを決め、そのひとに話を聞いてもらうことを提案したのだった。

こうした場面に遭遇して私が強く感じたことは「すべて基本は同じである」ということだ。

それはある意味クライエントが気づき、変化を起こすには、クライエント自身による自己受容があってはじめて可能になるということについて再確認したということであり、今までイメージしていたゲシュタルト療法によるワークよりも、ずっと自然体で身体感覚を大切にしたアプローチであることを知った瞬間でもある。

さて、二日目も自己紹介からスタートしたが、一日目と異なっていたのは、自己紹介で参加者が話した内容に対して、ゴードン博士が実験と称し、何人もにワークをおこなったことだった。

たとえば、ある参加者が「昨日のワークショップが終わって、家に戻ったあと、身体にある症状が起こったことを報告。幸い朝目覚めたときにはその症状は解消していたが・・・」と報告したところ、博士がその参加者に対して、他の参加者のひとりを選んで「あなたに私の〇〇(症状)を与えます」と言うようにと促したのである。

それによって、言葉をはっしたひとはすっきりした感覚を得られたが、受け取った側のひとは、それまでさわやかだった感覚が、重苦しいものに変わったと報告していた。

おそらく私がもし、渡し手であったなら、やはりその行為をすること自体躊躇していただろうし、受け取る側であったなら、同じように不快感を覚えていただろう。。。

博士のレクチャーによると、ともすれ症状を渡しなさいと言われたひとに生じるであろう「症状が相手に伝染したらどうしようという不安」な気持ち、受け取る側に生じる逆に「何ともいえない不快な感覚=症状を受け取ってしまったという感覚」の元にある症状は、現実に相手に伝染することはあり得ない、そこで交わされたのは、あくまでその症状を体験したという事実だけであるということだった。

自己紹介は続く、昨日のエクササイズで、あるひとが自分のパターンに気がついた。それは自分のことをわかってくれない、理解してくれないと感じると引きこもってしまう、心を閉じてしまうと話したことに対して、あるひとりのひとを指名し、そのひとに対して「私はあなたのことを友人とは思わないことにします」と告げることを命じるというものだった。

自分のことをわかってくれない、理解してくれないと感じたことで、引きこもったとしても、結果として、その行為が相手に対して、自分のことをわかってくれない、理解してくれないと感じさせることになっている可能性がある。
つまり、自分がされていると思っていることを、実は自分もしている。それが関係性ということだ。意図のあるなしに関わらず、私たちはすべてつながっているのである。

今回のワークショップでは「パターン」についての話が中心となったが、二日目のエクササイズでは、一日目におこなったエクササイズで気がついた、長年自分がもっている「パターン」を壊すために、現実レベルで誰がサポーターとしていてくれるか、そのサポーターに助けてもらいながら、具体的にどんなことをすれば「パターン」を壊すことができるかをグループでシェアした。

博士は「カウンセリングを受けにきたひとにとってのサポーターは、カウンセラー、セラピストである」そして「カウンセラーやセラピストはクライエントをサポートしながら、他にサポートしてくれるひとを見つけること、つくること、関係性をつくっていくことをクライエントに伝える、促すことをする役目を担っている」と話された。

実際にクライエントと接しながら感じることは、クライエントと社会とのつながりをどう促していくかということである。クライエントがたとえカウンセラー、セラピストとつながることができるようになったとしても、それはあくまでもカウンセリングと言う構造のなかだけだ。最終的な目標は、クライエントがカウンセラーやセラピストのサポートを離れ、社会に出て活動することであり、そこでサポートしてくれるひとと繋がることなのである。

ゴードン博士が話されたことは、私自身、カウンセラーの勉強を始めたときからずっと考えていたことであり、現在、実際にクライエントと接しているなかで、常に話していたことだった。今回、博士のレクチャーによって、改めて自分の考えが間違っていなかったことを確かめられたことの意味は大きい。

改めて振り返ってみると、二日間という短い期間ではあったが、パターンそして関係性について、とても中身の濃い充実した時間を過ごすことができた。今まで自分が抱いていたゲシュタルト療法に対するイメージも、大きく変わったような気がしている。

 

 

 


エサレン研究所所長ゴードン博士のワークショップ

2011-01-09 12:45:09 | 心・身体・癒し

新年早々、学院主催のワークショップに参加した。

毎年、学院ではたくさんのワークショップを主催している。私もBFAを中心に、いくつか参加しているが、こんなに早い時期の開催は初めてである。

今回、7日、8日の二日間の日程で開催されたのが、エサレン研究所所長であるゴードン・ウィラー博士のゲシュタルト療法ワークショップ。

エサレン研究所と言えば、人間性心理学、パーソンセンタード・アプローチで有名なカールロジャーズやゲシュタルト療法の創始者であるフィリッツ・パールズ、エンカウンターで有名なウイリアム・シュッツなどが、そこに滞在、ワークショップをおこない各自の世界を構築したことで有名なところである。

現在も心理学は勿論のこと、ヨガやダンス、絵画といった、ボディワークや音楽療法やアート・セラピーなどのワークショップが年間を通して開催されていて、世界中からたくさんのひとたちが訪れているそうである。

聞くところによると、ゴードン博士が急に来日されることが決まったこともあり、参加定員25名という小規模な人数を集めての開催となった。

たまたま昨年末、BFAのワークショップが神田で会った折、BFAの創始者である大高先生から、今回のワークショップ開催を知らされ、強く参加を勧められたことや、エサレン研究所が取り組んでいるなかにボディワークやヨガの存在を知ったときから、実存主義的心理療法以上にBFAとの共通性を感じていた経緯から、思い切って参加することにした。

参加者のゲシュタルト療法の知識、ワーク経験は私のように、学院の特修科で学んだ程度の初心者から、5年以上もゲシュタルト療法を学んでいるひとや、いくつものクラスを学び続けている上級者まで実にさまざまであった。

初級レベルの私にとって、この二日間で何を学べるのか、何を体験できるのか、ワクワクとドキドキが交錯するなかでワークショップは始まった。

初日は博士、参加者とも初対面ということもあり、まずは自己紹介からスタート。

その後、ゲシュタルトとは何ぞやというところから始まっての博士によるレクチャーがあり、参加者による、博士とのワークがおこなわれた。

レクチャーで印象的だったのが、博士が言われた「相手をわかろうとする必要はない、相手とともにここにいることが重要である」との言葉であった。それはまさに、カール・ロジャースが言っていた存在=プレゼンスである。

たしかに過去に大講演会、プレミアムワークショップに招聘した講師の方々に共通するのは、その存在感の大きさであった。

ただそこにるだけで、その「場」の雰囲気が和み、安らぎを覚える、安心感を得られるのだ。あの不思議な感覚とはいったいどこからくるのだろう・・・

そして、ゴードン博士もやはり同様に、存在=プレゼンスの雰囲気を醸し出されていたのだった。

レクチャーでは、人間が誕生して成長するにしたがって持つ「パターン」についての話が中心となった。
人間やチンパンジー、イルカといった一部の高等動物を除いて、動物のほとんどは本能によって行動するが、人間は何かが起こると、それに対応するために思考などを働かせる、それがパターンとして学習され、また同じことがおこったときに対応できるようになるのだそうだ。

ただ、そのパターンというものは、必ずしもよい方ばかりに働くとは限らない。問題が起こったとき、それが防衛として働いてしまい、一向に解決に結びつかない結果を招いてしまうことが往々にして起こりうるのだという。

ある問題を抱えてカウンセリングに訪れるクライエントの場合も、あるパターンに陥ってしまい、そこから脱けだせないがために延々と苦しむという結果を招いていることが多い。いかにそのパターンを壊すか、破るかがポイントとなるのだと博士は話していた。

そのひとつのツールとして、瞑想が役に立つと言う話をされていたのが、私のなかでヒットした。その瞑想的アプローチを使っているのがBFAだ。

終盤、ある参加者が博士のワークを希望し、オープンワークが行われることになった。

参加者の問題は、関係性の問題から来るある症状であった。
その具体的な内容は、個人情報なのでここで明らかにすることはできないが、ある決まった時期になると、必ず起こす症状について参加者は話し始めた。

ワークを見ながら感じたのは、BFAのやり方ととても似ていることだった。その症状が起こる原因となった、過去のある場面、そこに登場する人を、今、ここにイメージすることでリアルな感情を呼び覚ましていく。そして、その問題に関わるひとをイメージのなかで対峙させ、湧き上がる思いを言葉にしていくことを促したのだった。

最初は、少しずつ遠慮がちにしていた参加者だったが、徐々にその世界に入り込んだところで、今まで押し殺していた感情が噴きだし言葉となって表れた。それは様子を見守っていた私の心に、ひりひりとした痛みをもって伝わってくるものだった。

やがて思いを言い尽くした参加者に対して、博士が言ったのは、その思いを自分をサポートしてくれるであろう立場の人間(例えばパートナー)に、伝えて理解してもらう作業をする必要性があるということだった。
自分のなかで、誰にもわかってもらえないのだと決め付けて引きこもらず、理解してくれると思える信頼できる相手にきちんと話をすることがとても大事なことであると。

なぜなら、それが実は自分が持っている「パターン」である可能性があるからだ。

この事例でもそうだが、とかく私たちは、自分が抱えている問題は誰にもわかってもらえない、理解してもらえないものであると、捉えがち、思いがちだ。
それによって、自分の殻に閉じこもったり、壁を作ったり、引きこもったりしてしまう。

しかし、このワークを観察してわかったのは、まずは自分がオープンになること、さらに抱えている問題そのものもオープンにすることによって、自分が持ち続けている「パターン」を壊すことの重要性だった。壊すことによって、事態はおのずと変化を始めるのである。

ワークが終了して強く感じたこと、それは「基本は同じなんだな…」という思いと、やはり自己受容があってこそ気づきがあり、それではじめて変化が起こるのだということを再認識したことだった。

エクササイズをした。
自分が抱えている問題をひとつ挙げ、そのパターンを洗い出してみる。そして、それをペアをひととシェアするというものだった。

このエクササイズが、二日目の新たなエクササイズに繋がっていくことを、この段階ではまだ、私たちはまだ知る由もなかった…

                                              (続く)

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インフルエンザからの気づき

2011-01-06 10:07:34 | 心・身体・癒し

暮れにインフルエンザに罹りました。

最初に母が罹り、「うつりたくないな・・・」と思っていたら、数日後に「何か変・・・」
それでも気合で乗り切ろうと、買い物に出かけたのですが、結果としてそれが悪かったようで、その日の午後から熱が出始めました。

一日様子を見て、近くの医院で診てもらったところインフルエンザB型に罹っていると判明。インフルエンザに罹ったのは、数年ぶりでした。

幸い早めに診てもらい、インフルエンザの薬を処方してもらったので、二日ほどで熱は下がりましたが、この間、色々なことを考えました。

そして気がついたのは、数年前に罹ったときと、今回との意識に違いがあるということでした。

数年前に罹ったときは、まだ自分のなかにBFAの世界観が根付いていなかったのでしょう。

自分でも驚くほど精神的に、ズドンと落ち込みました。

学院を卒業して「さあ、これからカウンセラーとして活動していくゾ!」というやる気満々の時期だったのが逆の作用として働いて「やっぱり私は身体が弱い。自分の好きなことをするのは無理ということなのかな・・・」とか、「いったいつになったら治るのだろう・・・」と焦ったり。

そのせいか治りも遅く、外出できるようになるまで2、3週間もかかった記憶があります。

今回はどうだったかというと、熱が出た段階で「これはきっと休みなさいという合図だ」「いつか治るときがきたら治る。そのときがくるのを待とう」「すべて宇宙にゆだねてみよう」そんな風に捉えている自分がいました。

そして「今、ここのこの状態を受け入れて、淡々と時間をすごそう」と思うことができたせいでしょうか、今までにない早さで熱が下がったのです。これにはちょっと自分でも驚きました。

 

つねに私たちは、こころも身体も変化し続けています。
同じ状態が延々と続くことはありません。

「熱を出した」=「つらい」ということは事実ですが、その状態がずっと続くわけではありません。そのことを自覚し、その状態を受け入れ、委ね(諦めることも含めて)た先に、必ず変化が訪れる。そのことを信じられたことで、精神状態はいつも通り穏やかでした。

できることなら病気はしたくありません。熱も出したくはありません。

しかし万が一そうなったとき、それを拒むのではなくそれも「今、ここ」の現実と受けれたとき、心の在り様はちがったものになるようです。

インフルエンザに罹っての気づき、それも今の私に与えられた課題だったのかもしれません。

年が明けて昨日が、仕事始めでした。インフルエンザで奪われた体力もすっかり回復。今年も意欲的に取り組んでいこう、そんなことを思いました。

BFAに特化したブログを始めて数年が経ちました。

今年も自らの体験を基本に書いていきたいと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

 

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あけましておめでとうございます

2011-01-01 10:00:00 | 心・身体・癒し

あけましておめでとうございます。

2011年の幕開けです。

皆さんは、どんなお正月を過ごされていますでしょうか。

昨年は、たくさんの方々にブログにアクセスいただきまして、有難うございました。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

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