ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

シュナイダー博士の言葉から その1

2008-03-29 13:42:59 | 心・身体・癒し

 『ボディフォーカスト・アプローチ(BFA)ショートワークショップ』 

  
☆ セルフワークと夢語りの会 ☆

一般に言われる夢分析とは違い、BFAの夢はセラピストが分析したりすることはしません。

あくまであなたが見た夢を、あなた自身が瞑想的アプローチによって、意識の領域まで浮上させ、そこに潜んでいた本当の欲求や気づかずにいた抑圧、自分の本質を認識、受容していきます。それによりら自己を防衛していた壁を超え、今までよりも広く大きな世界にいる自分を体感。

ポテンシャルを広げていくことになるのです。あなたも是非、ご自分の世界をそして可能性を広げてみませんか。



☆ 場所:ホリスティックカウンセリング『宙』 サンシャイン60 45階 

    http://www.kokoro-sora.com/

☆日時 2010年 2月22日(月)   13時00分~16時30分

☆参加費 4、500円 (飲み物付き)

☆人数: 5名前後 (最小催行人数3名)

☆お申し込み☆
  氏名、電話番号、簡単な自己紹介、「ホリスティックカウンセリング宙」のHPから下記のアドレスにてお申し込み下さい。
 

☆お申し込み・お問い合わせアドレス→  space@hope.nifty.jp

  件名は『BFAワークショップ申し込み』と記入をお願いします。

☆参加費のお支払いにつきましては、お申し込みのあと折り返しお支払い方法などをお知らせいたします。

皆さまふるってご参加ください。
 

 

先日の学院主催の大講演会で「実存主義的心理療法」について講演を行った、アメリカセイブルック大学院のシュナイダー博士はいくつもの心に残る言葉を残していかれた。

これから何回かに分けて、その言葉を紹介したいと思う。

「花は咲く。と、同時に枯れていく」 つまりすべての事象には両方の事実があるということである。

花のみならず、誕生には死が、光には影が、白には黒が、善があれば悪もまた然り。この世のすべてがその両方の事実によってなりたっているのである。

が、しかし、とかく私たちはポジティブなもの肯定的なものにこそ価値があり、逆にネガティブなものや否定的なものには価値や意味がないと思いがちだ。しかもそのネガティブなものを意識、無意識にかかわらずできるだけ排除しようと試みる。排除することでよりよい人生をおくることができると思っている。

もちろんポジティブはひとをやる気にさせるし、前向きにさせる。生きる意欲を駆り立て、勇気や元気を与えてくれる。

一方、ネガティブや否定的なものはひとを落ち込ませ、思考を後ろ向きにさせ、極端な場合は生きる意味を見出しにくくさあせるというのが一般的な捉え方だ。

 しかし、本当にそうだろうか。事物の存在は一方だけが存在することはない。そして対極にある存在があってこそそれは際立ち、その価値や意味が見出され生かされるのである。 ひとの心も然り、不安があるからこそ「今、ここ。この時間」が味わえるのである。

もし何の不安や心配がなかったとしたらどうだろう。思うに、おそらく私たちは「今、ここ」を自覚することなく、ただ漫然と毎日の生活を当たり前のように過ごしていくに違いない。そういう点において、ひとは不安や心配があってこそ、ひととして生きられるのだ。生命力や存在の大きさの前に謙虚にもなれるのである。

 「人間はちっぽけな存在である」とシュナイダー博士は言われた。欧米では人間が自然を征服できる存在であるという考え方が主流という。

しかし、東洋的思想は人間も自然界のひとつの存在であるという考え方に根ざしている。決して人間が特別な存在ではなく、自然界のほかの生物、生命体となんら変らない同等の価値を持つものとして捉えているのだ。実際そうなのだと思う。

ずっと以前、あるときふっと気づいたことがある。それはミミズと人間の生命の重さ、価値はおなじだったのだということ。人間を特別な存在と思っているひとには何を馬鹿なことと言われそうだが、今もその考えは変わらないし、実際あらゆるものの生命の重さ、価値に差などあろうはずはない。

人間が不安や心配を手放し傲慢になったとき、そこに生じるのは競争や諍い、憎しみや妬み、恨み、蔑みのこころなのかもしれない。ポジティブなことや肯定的なことのみを追求するのではなく、不安やネガティブにも目をむけ、それらの感情を認めることがひととしてバランスの取れた人格を形成することに繋がり、ひいてはよりよい人生を歩むことが出来るということではないだろうか。

シュナイダー博士はこうも言われていた「謙虚さと存在がひとの成長を促し、可能性を開く燃料となるのだ」と・・・

 

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08’エクウスと実存主義的心理療法

2008-03-24 09:56:33 | 心・身体・癒し

 『ボディフォーカスト・アプローチ(BFA)ショートワークショップ』 

  
☆ セルフワークと夢語りの会 ☆

一般に言われる夢分析とは違い、BFAの夢はセラピストが分析したりすることはしません。

あくまであなたが見た夢を、あなた自身が瞑想的アプローチによって、意識の領域まで浮上させ、そこに潜んでいた本当の欲求や気づかずにいた抑圧、自分の本質を認識、受容していきます。それによりら自己を防衛していた壁を超え、今までよりも広く大きな世界にいる自分を体感。

ポテンシャルを広げていくことになるのです。あなたも是非、ご自分の世界をそして可能性を広げてみませんか。



☆ 場所:ホリスティックカウンセリング『宙』 サンシャイン60 45階 

    http://www.kokoro-sora.com/

☆日時 2010年 2月22日(月)   13時00分~16時30分

☆参加費 4、500円 (飲み物付き)

☆人数: 5名前後 (最小催行人数3名)

☆お申し込み☆
  氏名、電話番号、簡単な自己紹介、「ホリスティックカウンセリング宙」のHPから下記のアドレスにてお申し込み下さい。
 

☆お申し込み・お問い合わせアドレス→  space@hope.nifty.jp

  件名は『BFAワークショップ申し込み』と記入をお願いします。

☆参加費のお支払いにつきましては、お申し込みのあと折り返しお支払い方法などをお知らせいたします。

皆さまふるってご参加ください。
 

 

先日の大講演会での「実存主義心理療法」についてのシュナイダー博士の話で、「実存主義的心理療法」の世界が描かれている作品がふたつ語られた。

 ひとつは映画「普通の人々」そしてもうひとつが演劇「エクウス」だった。 「普通の人々」は実はまだ観ていない。 が、「エクウス」の方は、劇団四季が数年に一度上演するのを何度か観てきた。

ある少年が、あるとき自分が世話をしていた数頭の馬の目をアイスピックで刺すという事件を起こす。 司法が、その事件の背景に何があったのか、何が潜んでいるのかを探ってほしい、そして少年の精神を健全なものにして欲しいとある精神科医に依頼。 精神科医は少年と向き合うなかで、精神科医自身も内面と厳しく対峙する過程で葛藤し、苦悶しそして少しずつ少年と心を通わせていくという内容だ。

 好きで何度か観ているうちに、台詞を活字で読みたいと戯曲を探したのだが、出版年がずいぶんとむかしだったこともありすでに絶版。 八方手を尽くして、やっと古本屋で手に入れたのだが、まさか、ここにきてそれが「実存主義的心理療法」を描いた作品だったとは…

シュナイダー博士からその話を聞いたときは、正直鳥肌が立った。 と、同時に「ここへくるということだったのか」とも・・・ 心の深層で「心理をしたい」と思った切っ掛けもこの作品だったかも。

実は最近、この手の話が頻繁に起きている。
十数年前にふっと湧いた思いが、教育分析の場や講師との対話で繋がってみたり。 心理学の著書にでていたり・・・ 自分では解明できない、何か不思議なものがそこにある。 ただ言えるのは、今、やっと繋がったとの安堵感のようなものがあることだ。 そして振り返ってみれば、驚くほどまっすぐの道を歩いている。

それは「周りも一緒」とか「世の中がこうだから」とかというある種の「基準」を求める発想や判断も一切入り込む隙が無いくらい、強いもの。
もしかしたらその芽は、十数年前に、あるいは遥かむかしに芽吹き始めていたのかもしれない。

 

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現在・過去・未来

2008-03-23 10:17:08 | 心・身体・癒し

 『茶話会&セルフワーク(BFA的)ミニ体験会』

  ☆ 場所:ホリスティックカウンセリング『宙』   サンシャイン60 45階 
    http://www.kokoro-sora.com/

      ☆2010年1月18日(月) 13時半~15時半  

  ☆参加費 1,000円 当日払い (飲み物・お菓子付き お菓子の持参大歓迎!)
☆人数:5名前後(先着順) 皆さまお誘い合わせの上、お気軽にご連絡下さい!

「現在・過去・未来」と言ってもむかし流行った歌の歌詞ではない。

心理カウンセリングや心理療法を提供する上で重要な問題となるのが、この時間というものの捉え方である。 日常、私達は時間を横軸で見ている。

過去は過ぎ去ったもの、取り戻せないもの、戻ってこないものとして捉え生活している。 一方、現在はまさしく「今、ここ」であり、今、自分がいるこの時間、空間を指していることは誰もが感じているのではないだろうか。未来はこれから訪れる未知の時間、世界を表しているというのが一般的な解釈である。 そして、その現在、過去、未来が多くのひとの心に住みつき、時に抑圧や後悔、不安や心配といったかたちで精神面に作用するのだ。

カウンセリングや心理療法にはさまざまな手法があるが、交流分析でよく言われるのが「他人と過去は変えられない」というもの。
他人と過去は変えられないとの考え方に立ち、人間関係の問題や負の記憶を繰り返してしまうパターンに気づいて、自分自身が変ることで改善していこうというのである。そうして自分自身が変れば、自ずと相手も変化を起こしたり同じパターンでの負を繰り返さなくてもよくなるという基本姿勢をとっている。
そういう意味では、過去でもなく未来でもなく、「今、ここ」の考え方がベースになっていると思うのだが、ちょっと違うのが、それが知的に解釈されていることではないだろうか。

ゲシュタルト療法にしても、ボディフォーカスト・アプローチや、先日の大講演会で学んだ実存主義的心理療法にしても「今、ここ」は同じだが、そのアプローチの仕方が違う。 つまり過去を脇に置くのではなく、「過去を今、ここで感じてみよう」とのスタンスがとられており、知的というよりは心理的、身体的な感覚を大事にしている。
そうしたアプローチをすることにより、過去は「今、ここ」で体験し直されることとなり、その結果、今までとは違った感覚やイメージが湧き起こる可能性が生じる。

悲しみにくれた過去だったものが、実はその過去が現在の自分にとって必要な体験だったと気づくこともあれば、ある人に対して漠然とした怒りを感じていたものが、その原因となるものが明らかになり、それと同時に今まで自分が感じていたほどのものではなかったのだと気づくこともある。 そのとき過去は「今、ここ」によって新たな「過去」として生まれ変わる。

嫌な思い出だったものが、事実は事実として残りはするが、そのとき感じた感情の部分は消失したり、書き直される。 こういうことから、心理療法的に言えば、過去は実は変えることができる。

実際、私もそうしたアプローチの仕方で過去のトラウマ的なものを解消した。これがいわゆる「再決断」なのである。 ただ、その壁を越えるのにはやはり痛みや苦しみが伴うというのは仕方がないのだが、再決断する前と後ではまったくその心の軽さ、有り様が違う。いかに「今、ここ」にいる、生きるということが大切かということに他ならないのだ。

  『ボディフォーカスト・アプローチ(BFA)ショートワークショップ』 

  
☆ セルフワークと夢語りの会 ☆

一般に言われる夢分析とは違い、BFAの夢はセラピストが分析したりすることはしません。

あくまであなたが見た夢を、あなた自身が瞑想的アプローチによって、意識の領域まで浮上させ、そこに潜んでいた本当の欲求や気づかずにいた抑圧、自分の本質を認識、受容していきます。それによりら自己を防衛していた壁を超え、今までよりも広く大きな世界にいる自分を体感。

ポテンシャルを広げていくことになるのです。あなたも是非、ご自分の世界をそして可能性を広げてみませんか。



☆ 場所:ホリスティックカウンセリング『宙』 サンシャイン60 45階 

    http://www.kokoro-sora.com/

☆日時 2010年 2月22日(月)   13時00分~16時30分

☆参加費 4、500円 (飲み物付き)

☆人数: 5名前後 (最小催行人数3名)

☆お申し込み☆
  氏名、電話番号、簡単な自己紹介、「ホリスティックカウンセリング宙」のHPから下記のアドレスにてお申し込み下さい。
 

☆お申し込み・お問い合わせアドレス→  space@hope.nifty.jp

  件名は『BFAワークショップ申し込み』と記入をお願いします。

☆参加費のお支払いにつきましては、お申し込みのあと折り返しお支払い方法などをお知らせいたします。

皆さまふるってご参加ください。
 

 

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大講演会08'

2008-03-20 13:45:53 | 心・身体・癒し
三月上旬、六日間にわたって開かれた学院主催による大講演会。
その余韻が今も私のなかに残り大きな波動となって揺れ続けている。
過去にもこの大講演会には参加しているが、こうしたかたちで残っているのは今回が初めてだった。

今回、初来日された、実存主義的心理療法のセイブルック大学院のシュナイダー博士は、実存主義を唱えたロロ・メイの直弟子だという。

前日のワークショップで感動的なビデオを見せてもらい、実際のカウンセリングの様子も垣間見られたことで、大講演会への期待は否が応でも大きく膨らんだ。

実際、午前十時から十七時四十分という長丁場だったのにも関わらず、あっという間だったというのが終わっての感想だった。
それほどシュナイダー博士の講演は刺激的かつ充実した内容で、デモンストレーションでのクライエントのやりとりには少なからず感動を覚えた。
この大講演会が始まる前、講師から教えてもらい読んだ著書のなかイメージした大きな世界が実際、目の前で繰り広げられていることは感激であり、いつも講師からレクチャーを受けていた内容が、シュナイダー博士の口から発せられることに驚愕。ちょっとした感動を味わったことが今も心を揺らし続けている原因かもしれない。

シュナイダー博士は言う「実存主義的心理療法とは『共にいるアート』である」と、それは二人が共にいる存在であり、セラピストとして存在することなのだ。

最近の心理療法のなかで、ブルスというひとが実存主義的心理療法を高く評価しているそうだ。
「実存主義的心理療法は、あらゆる心理療法の土台となる可能性がある」と。
著書を読んだ時点でも感じたことであり、シュナイダー博士の講演からもそれは伝わってきたのだが、この実存主義的心理療法というもの、ほかのゲシュタルト療法や来談者中心療法などといったひとつの限られた心理療法とは異なる点がある。
それはひと言で言えば「大きな世界」といったものであり、いろいろな療法の要素が複合的に融合している、そんな印象を受けた。
それを分かりやすく例えるとすれば、「ボディフォーカスト・アプローチ(or POP)」と「フォーカシング」、そして「来談者中心療法」を融合したものと言えるのではないかと思う。

実際、シュナイダー博士による話の内容はフォーカシングのジェンドリンの哲学によるものであり、デモンストレーションは、とてもボディフォーカスト・アプローチに重なる部分があった。
さらに、そのカウンセリングのベースに流れているものは、カール・ロジャーズの自己一致、共感的理解、そして自己受容であり、そのなかでも重要と思われるのが自己一致と自己受容。

特に自己受容について博士はこんな風に話してくれた。
「クライエントが完全に治癒するということは、否定を完全に体験することであり、否定と共に存在することである。自分を否定していた、切り離していたことと共に生き切ることであり、自由を味わうことなのだ」と。
さらに、「花は咲く、と同時に枯れていく」つまり両方の事実があるということ。
不安があるからこそ、今、この時間が味わえるのであり、生命力や存在の大きさの前に謙虚にもなれる。
人間はちっぽけな存在。謙虚さと存在がひとの成長を促し、可能性を開く燃料になるのだと話された。

それゆえ、実存主義的心理療法では精神疾患を必ずしも病理とは捉えない。
これらもすべて複雑な人生の体験である。
うつ的症状にしても、辛い体験は人生を狭めているだけではない。人生を変える要素になり得る。
障害にしても、新しい可能性を含んでいる。ただ、ずっとそこに存在する用意(覚悟)があれば…
本当のセラピーとは、その人自身をより大きくしていくものである。
ものの見方を変えて、敏感になって、能力を身につけていくものであるとシュナイダー博士は話されていた。

これらはすでに教育分析で講師からレクチャーを受けていたことに他ならない。
そういう点において、今回の講演会は私にとって、今までの教えを再確認する場になったといっても過言ではないだろう。
実際、博士が行った、デモンストレーションはボディフォーカスト・アプローチを垣間見ているようであったし、クライエントの反応も日頃、ボディフォーカスト・アプローチのセミナー・ワークショップで見る光景となんら違いはなかった。

ただひとつ違っていたのが、実存主義的心理療法はクライエントに壁(エッジ、バリア)を超えさせることに予想以上に慎重なことだった。
そのことから私は逆に、何故、ボディフォーカスト・アプローチはクライエントの殆どに壁を越えさせることができるのだろう…という疑問を抱いた。
思うにそれはクライエントへの信頼の度合いの違いなのではないかと…一度、創始者である大高直樹講師にその点についてのレクチャーを受け確かめたいと思っている。

ひとつ残念だったのが、アメリカではブリーフセラピーが主流で、症状の改善に時間がかかる実存主義的心理療法は好まれないという。
また、精神疾患に対しては安易に薬が処方競れる傾向にあり、実存主義的心理療法を推し進めようとする機関に対して、製薬会社からの妨害があるそうだ。
しかし実際に調査してみると、二年後の改善度(再びセラピーに通う頻度)は実存主義的心理療法のほうがよかったという結果がでているということだった。

先日のガン哲学外来の開設と要望の度合いを踏まえ考えてみると、健康なひとの自己開発、自己成長といった分野でのカウンセリングよりも、ガンのみならず病を抱え心理的葛藤を余儀なくされるひとへのカウンセリングがこれからは求められるのかもしれない。
そのとき対応できるのはブリーフセラピーや、認知療法といったものではなく、生きること、そして死といったものを真正面から見据えることのできる実存主義的心理療法なのかもしれない。

そんなことを考えさせた大講演会だった。


ワークショップ08'

2008-03-17 03:46:31 | 心・身体・癒し
今年もまた学院主催の大講演会が開催された。
例年は六月の前後に行われるのだが、今年は三ヶ月ほど早まって三月上旬に開催の運びとなった。
一昨年は来談者中心療法、昨年は家族療法、そして今年は実存主義的心理療法の専門家である、セイブルック大学院のシュナイダー博士を招聘した。

最初この企画を知ったとき、私のなかで生まれたのは「実存主義的心理療法とは何?」という思いであった。
今まで学院で学んだカリキュラムのなかには組み込まれていないものだけに、「難解なのではないか」「果たして理解できるのか」といった思いと不安から申し込むのを躊躇していた。
ところが日程が近づいたある日、ずっと教育分析を受けてきた大高講師から「自分の考えと近い」という話を聞く機会があり「だったら理解できるかも、大丈夫かも」と判断、申し込むことにしたのだった。

ただ、それだけでは心もとない。
先生に「予め実存主義的心理療法とは何かを少しでも知っておきたい。参考書を教えて欲しい」と頼んだところ、ある一冊の著書を勧めてもらった。
それが「セラピープロセスの小さな一歩」ユージン・ジェンドリン、池見 陽 著 である。
早速、読み始めた私、半分も読みきらないうちに胸にビンビン来るものを感じた。
それは今まで読んだいくつもの著書からは得たことの無い、感動に近いものだった。

前半の文章からは、大高先生が創始したボディフォーカスト・アプローチを連想させ、まるで本のなかで再体験しているような不思議な気持ちにさせてくれた。そして後半ではジェンドリンの語る哲学プラスカール・ロジャーズの来談者中心療法を学びなおしているような気分になった。
さらには今まで漠然としか掴めなかった、沈黙の意味さらにはバックトラッキングの意味と価値を知ることができたのだった。
それはすなわち普段、教育分析で大高先生が私にレクチャーしてくれていたことにほかならず、改めて私は大高先生の考え方に流れる心理カウンセリングの本質というものを、この著書によって確認したのだった。

そして迎えたワークショップ当日。
今回はワークショップが始まる一時間前に、ビデオ上映会と称して、博士の実際のカウンセリングを録画したビデオを観る機会が与えられた。
内容は著作権に触れるので話すことはできないが、このセッションの様子を見ただけで私は感動した。過去にも何人かのカウンセリングの様子を映した記録を観たが、これほどまでに心を揺さぶられたのは今回が始めてだった。

簡単に説明すると博士がしたことは、クライエント(男性)に対し、彼の心の中の深いところにあるものを鏡というかたちで示したのだった。
鏡といっても当然のことながら実際の鏡ではない。
クライエントの言葉から心の奥底にあって、彼自身気づいていなかったものを博士が感じ取り、それを言葉の鏡にして投げかけたのである。

博士のその言葉と「それを聞いてどうですか?」との問いかけを聞いたクライエントは、そこから大きく変容を始めた。
それそれはは感動に満ちたものだった。
今まで悲観的だった彼の思いが、その鏡を切っ掛けに大きく変容を始め最後には信じられないほどの力となって彼を前向きにさせたのである。
観終わって気がつくと、私の目じりにうっすらと涙が滲んでいた…

ワークショップは三時間半に渡って行われた。
シュナイダー博士は背が高く、髭を蓄えた素敵な紳士だった。

ここでの内容も、シュナイダー博士の著作権にかかる問題上記すことはできないが、デモンストレーションが行われるなど大変刺激的な内容であった。
終了に際して、参加者のひとりが「日本でこの実存主義的心理療法を学べるところは無いのか?」「どうすれば学べるのか?」と言った質問をして博士を困惑させる場面があったが、同様な思いを抱いたひとは他にもいたのではないか。もちろん私もそのひとりであった。

今回の開催に際して、案内のチラシには最初で最後の来日になるかもしれないとの記述があったが、やはり今回限りというのはあまりにもったいない。
単なる心理療法の域にとどまらない、人間の本質に迫った生きること、そして死といったものを見据えた深いレベルのアプローチだったことは間違いない。
そしてそうした哲学的なものが、今、社会に求められていることも見逃せない事実である。
現に前回紹介した「ガン哲学外来」がそうであり、「ガンに留まらず、あらゆる病気に対しても同じような外来が欲しい」との要望も多く寄せられているという現実がある。

シュナイダー博士が話していたが、ある学者が「今後、実存主義的心理療法は心理療法の核となっていくことだろう」と言ったそうである。
実際、すべての心理療法の土台となるのがこの「実存主義的心理療法」なのだという。

ホリスティック医学を軸とする病院への見学から始まって、ガン哲学外来のニュース、2月の教育分析で受けた講師からの「本物のメゾット・テクニック」のレクチャー、著書「セラピープロセスの小さな一歩」、3月の教育分析での講師のレクチャー、ワークショップ、そして大講演会と続いた私のこの一ヶ月間を振り返ってみるとき、何か大きな世界のなかに佇んでいる自分が見える。
それが何を意味しているのかはまだわからないが、何かしらのメッセージがこめられているよう気がしている。


ガン哲学外来

2008-03-14 10:11:11 | 心・身体・癒し
2008年1月30日、順天堂大学付属医院にガン哲学外来が開設された。
大学で病理学を教えている桶野先生が、がん患者と接している過程で、生と死という誰もが避けられない現実を見据えることの重要性、共に向き合っていくことの必要性を感じて開設に向けて尽力された結果実現したという。
現在は月に二回、先生が直接外来を担当されているということだ。

この取り組みは国内外で初めての試みであり各方面から注目と期待の目を注がれているようで、ニュース、新聞のみならず、週刊誌にも取り上げられたほど。
事実、月に二回、一回に二組の患者さんとその家族という条件に対し、受診を希望するひとが殺到しているそうだ。

私もこのニュースを知った時は、身体が震えるほどの感動を覚えた。
なぜなら、これこそが私が目指すカウンセリング、ケア、サポートの姿であったからだった。
しかも驚くことに、受診は無料で行われている。
そこに私は桶野先生の並々ならぬ意欲と心意気を感じたことは言うまでも無い。
と、同時に桶野先生の思いを汲み、無料の診療をすることを決断した順天堂医院の英断に拍手を送りたいと思った。

では何故哲学なのか…最初にその外来の名前を知った時、わたしのなかに生まれたことは「何故哲学なのか?」という疑問だった。
率直に言えば、私は学院に入学し心理カウンセリングを学び始めた時点で、自分は「心理学」を学ぶのだという意識を強くした。
それは同時に「哲学」といったものとは別個のもの「哲学的発想は不要である」という気持ちを抱かせることにもなったのだった。
それゆえに、今回の「ガン哲学外来」という名称に漠然と何故?という思いを抱いたのである。

が、しかし先日の学院主催の大講演会で「実存主義的心理療法」の専門家から実存主義的心理療法とは何であるかという話を聞いて、哲学というものがいかに心理療法に必要かということを知ったのだった。
と、同時に「ガン哲学外来」の命名の意味と価値に気づくことができた。

ひとは生まれそして死んでいく。誰もがそれを避けることはできない。
そしてその現実を最も突きつけられるのがガン患者とその家族、そしてそのガン患者と真正面から向き合っている医療現場の専門家だ。
哲学それは何も特別なひとが学び、関わり、探求していくものではない。
毎日の生活のなかで誰もが感じ、考え、時に直面する問題なのである。

今回のガン哲学外来の開設に際して、あるひとが言っていた。
「本当は誰もが哲学を持っている。強いて言えば、その哲学に高低の違いがあるだけである」と…

更に「こうした取り組みはガンのみならず他の多くの病気の患者とその家族に対しても行われてしかるべき」との声も上がり始めている。

この話を講師にしたとき、講師が話してくれたのは「今までの医療、特に外科は病そのものを治癒するという視点のみで患者と接してきたところがある。が、医療のほうから始めたということは、ようやく医療が人間に近づいてきたということだろう」ということだった。

ほんの少しずつではあるが医療を取り巻く環境は変ってきているのかもしれない。
わたしが想う世界にはまだまだ時間がかかりそうだが、現実に始まったという事実がきっと他の機関に対しての影響力をもたらしてくれることだろう。
それを期待している。

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呼吸を制するとは心身を制すること

2008-03-11 10:09:48 | 心・身体・癒し
以前、スポーツにおけるイメージトレーニングについての番組を見た。

内容としては某大学の先生が講師となり、身体を使いながら実際のイメージトレーニングとはどういうものかを示すというもの。

現在、日本のスポーツ界でのイメージトレーニングの第一人者というこの先生が、初めてイメージトレーニングというものの存在を知ったのは、1985年、アメリカに空手留学したときだったという。
アメリカの空手仲間に日本ではどういうトレーニングをしているのかと訊かれ、当時日本ではまだ主流だった「精神論的(いわゆる根性を鍛える)なもの」と答えた彼に浴びせられたのが、「アメリカも三十年前はそうだった」という屈辱的な言葉であったことが、イメージトレーニングを学び始める切っ掛けになったそうである。

番組の進行をしているふたりの男性が、実際のイメージトレーニングを体験する様子が映し出されたが、そのなかで興味深かったのが、呼吸法。

普段、私たちはあまり意識することなく自然なかたちで呼吸をしている。しかし、改めて意識してみると呼吸と身体とのあいだには密接なつながりがあることに気がつく。
例えば自分のエネルギーをどうすれば最大限に使えるか。
実はそこにも呼吸が関係している。

これは実際にやってみるとよくわかる。
少し足を開いて立つ。
両脇を締め両手の拳を握り、胸の位置におく。
そこから勢いよく拳を息を吸いながら前に突き出してみて欲しい。
果たして力いっぱい両手を突き出すことはできるだろうか。
結果は「NO」である。

次に逆に息を吐き出しながら、やはり同じように両手の拳を前に突き出してみて欲しい。
先ほどの「息を吸いながら」とはまったく違った結果になることに驚かれるかもしれない。

このようなことひとつとっても、明らかに呼吸によってエネルギー、パワーが異なることに気がつくことだろう。
私たちが思っている以上、呼吸は私たちの身体や能力に影響を与えているのだ。

脳は効果的に身体を動かすことによって活性化することが最近の研究で判明したそうである。
と、同時に呼吸法がストレスを取り除き、能力(脳力)の活性化に効果をもたらすことは、すでに瞑想法で述べたとおり。

では、具体的にどういう呼吸法が良いとされているのだろう。
ボディフォーカスト・アプローチの瞑想法は、いかにも簡単で自然。誰にでもできる方法だが、これにちょっと意識をプラスすれば、より以上以前脳からの物質の発生に効果的と予想することができる。

ストレスを解消し、能力(脳力)を引き出すにはまずはゆっくり大きな深呼吸をすることだ。

何かを始める前に大きく深呼吸をしてみよう。
息をゆっくりと吸ったりはいたりすることにより、血液中の二酸化炭素量が増加し、脳内でセロトニンという物質が発生する。
このセロトニンという物質は脳の神経伝達物質で、脳に大変良い効果をもたらすといわれている。
その一番の効果はストレスを和らげる作用であり、非常に重要なものだという。

ある大学の先生の話によると、脳は大変ストレスに弱く、脳にある「海馬」という部分で抑制できないほどのすトレスを受けると、視床下部や脳下垂体、副腎皮質といったふうに連鎖反応が起こり、結果的には記憶を司る「海馬」の細胞を死滅させることもあるそうだ。

この「海馬」というのは実は重要な器官で、例えば虐待を受けて育った子どもの「海馬」には萎縮がみられるなどといった、何らかの異常が見られるという報告が随分、昔になされたことがあった。

また、セロトニンには「うつ病」の治療に使われるなどして、意欲を促進する効果もあるとされている。
このことからも、いかに「呼吸」が私たちの心身に深く関わっているかを理解してもらえたのではないだろうか。

脳は何かをしようという意欲があって初めて力を発揮する。
それゆえに、効果的に呼吸を行うことが重要なのである。
難しいことは何もない。

呼吸法が結果的にストレスを取り除き、意欲を高め最大限の力を発揮することに深く関わっていることを理解し、ぜひ日々の生活のなかで実践してもらえたらと思うのである。