ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

*ホリスティックヒーリング宙(sora)*

ご訪問いただき有難うございます。                                    ☆身体に心の声を聴く☆心理カウンセラー、ヒーラー株本のぶこのブログです。                 ヒーリング宙(sora)は、五体満足だけが健康なのではないとの観点から、生老病死(しょうろうびょうし)を人間の本質と捉え、病・障害・老い・死を単に否定的に捉えず、その深い意味に気づき、生と死のプロセスの中で、より深い充足感の自己実現を目指すヒーリング&カウンセリングをコンセプトとしています。

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主な専門

【ヒーリング】 ■臼井式レイキヒーリング ■カルナレイキヒーリング 【カウンセリング】 ■慢性疾患をお持ちの方とそのご家族(長期闘病の精神的疲弊・疲労感)※闘病は本人のみならず親ござん・ご兄弟にも疲弊・疲労感を生じさせるものです。 ■うつ症状をお持ちの方のそのご家族(うつの連鎖を防ぐために)※夫or妻がうつに罹患し闘病が長期になると、パートナーまでもがうつに罹患するケースは意外に見逃されがちです。支える方もご自身の心の健康に留意しましょう。 ■病気ではない、と言われたがどうにも体の調子が悪いと感じる方 ■気分が晴れない、軽い鬱かな・・と思い悩んでいる方 ■対人関係 不安 ■人と接することに難しさを感じている方 ■家族との関係をよりよいものにしたい方 ■老親と成人した子の狭間で、やりきれなさ・閉塞感を感じている方(介護の疲れ・子どもとの心の行き違い) ■こんな自分になっていきたい方 (自己実現、自己成長) ■メンタルケア 心の健康を維持・整えたい。思いを整理したい方 ■グリーフケア、サポート (悲嘆・強い悲しみ) 【セラピー】 Writingセラピー

ドリームワーク

2006-10-25 07:52:41 | 心・身体・癒し
BFA単発セミナーに友人とふたりで参加した。今回から単発はテーマを決めてのセミナー。第一回目のテーマは「夢」。眠ってみる夢もあれば、将来に描く夢、私のように瞑想でみるビジョンも「夢」のひとつである。

この頃、同じ夢を何度も見るという女性がデモンストレーションでワークを受けた。彼女が見たという映像の話を聞いているだけでも、ちょっと現実とは離れているところがあり、とても興味深いものだった。

ワークの中盤から、彼女が手に持ち頭上に掲げている塊を投げるか、投げないかに焦点が当たる。明らかに壁(バリアー、エッジ)である。本人も投げれば新しい展開が見えることはわかっているが、怖さと現状維持が心地よいということや、周囲への配慮もあって長い躊躇が見られたが、結局塊は前方へと投げられたところでワークは終了。

フィードバックで、やはり夢と現実がはっきりと繋がっていることが確認され、ちょっとしたどよめきが起こる。一番驚いたのは、デモンストレーションをした本人だったようだが、イメージとしてはきっと繋がっているのだろうと思っていた私も目の当たりにしてちょっとした感動を味わった。 何気なく見る夢も、こうして探っていくと本人が気づかないでいる潜在意識のようなものの反映の場合がある。

私は今回、瞑想の時間で身体が揺れた。実は最近、ビジョンよりも身体の動きが多い。講師にそれを報告したところ、何かしら抱えているのだろうと言われてしまった。「う~ん、これでまた、しばらく教育分析か…」と思いながら、最近起こったことでの自分自身の反応が不思議に感じていることを思い出した。確かに未完了なものがあることをセルフワークは気づく前に知らせていたのだろう。

単発セミナーはテーマが決まっているだけに、参加者もそれなりの心構え、心積りがある人達が集まって、充実した時間だった。次回のテーマはまだ決まっていないが「生」や「死」、「肉親」や「友人」 「社会」や「世界」 「戦争」などというキーワードも出ていて、この分野で取り上げられる範囲の広さを改めて気づかされた思いである。

プロセスに乗る

2006-10-17 07:51:43 | 心・身体・癒し
先日、家族で三浦半島に出かけた。当日は気温が34度近くにもなる晴天で、日差しがギラギラと照りつける暑い日だった。遊びが目的ではなく、ある仕事を終えることが目的で出かけたのだが、それは海の上でなければ出来ないことだった。

船(ヨットではあったが)に乗ったのは、二歳になる年の夏に津軽海峡を渡る青函連絡船以来。海に出て間もなく、船長さんとその奥さんが「今日は夏には珍しく、富士山が見えますよ」と教えてくれた。なるほど、はるか向こうに富士山がうっすらではあるが眺めることができる。が、実は話はそれだけでは終わらなかった。「夏に富士山が見えるときは、必ず海はうねりが高いというのが定番なんです」と船長さん。

子どもの頃からシーソー、ブランコの類が、全く駄目な私である。船長さんのそのひと言で、すっかり気が滅入ってしまった。いかにして、海に放り出されないようにするか、頭の中はそのことでいっぱいだった。

そして案の定、船長さんの言うとおり、相模湾の中にいた時はさほどではなかった揺れが、外海に出た途端、物凄いうねりと一緒にヨットを襲ったのだった。

波しぶきは容赦なく、私たちの顔、衣服構わずぬらしていく。それでも全く動じることなく、実に悠然としているのは船長さんと奥さん。「飲み物はどうですか?」とお茶を差し入れてくれたり、「濡れていたら拭いてください」大きなバスタオルを差し出してくれたり、まったく地上と同じように、いや陸の上よりも軽快に船上を歩いたりする姿に、「さすが海を生業としている人だ」と思わずにはいられなかった。

予定では、小一時間は海上に留まることになっている。相変わらずうねりは収まるどころか、かえって大きくなるばかり。振り落とされまいと必死にバーにつかまっていた私ではあったが(もちろん救命胴衣は装着していた)、全身が緊張して硬直状態、段々と腕や手もしびれてきて限界を感じ始めてきた。とはいえここは海の上、逃げ場はどこにもない。心の中で「どうしよう…」と途方に暮れた、その時だった、不意にどこからか「プロセスに乗るんだよ」との声が聞こえてきたのである。

学院で学びはじめて間もなく出会った、アーノルド・ミンデルの『プロセス指向心理学』。そのプロセスワークを教育分析の時間のなかでレクチャーしてもらい「プロセスに乗る」ということを実践、体感して来た私だった。そして今、新たにBFAという恩師が独自の世界として生みだしたワークを受けながら、セルフワークが習慣となっている自分に、その声はまるで「こんなことくらいで、何をアタフタしているのだ」とでも言うかのように響いてきたのである。

「そうだ! プロセスに乗ればいいんだ! この流れ、波に乗ればいいんだ!」と、思ったその瞬間、あれほど揺れに抵抗し満身の力で必死に波に耐えていた身体の力が抜け、フワッと軽くなったのだ。もう、そこからは夢心地。波が沈む時は私もヨットと一緒に沈む、波が高くなれば私もヨットとともに上がる。海原を眺め、海の蒼さを味わう余裕、遠くに見える富士山や島々を眺める余裕も出てきて、いつもでも乗っていられそうな気分だった。

普段からプロセスに乗ることの意味や重要性、そこからの気づきなど色々な学びや実践を繰り返してきたつもりだったが、今回、本当の意味でプロセスに乗るということや、乗ることによってこんなに楽になれると言うことを、体験として味わったのだ。そして、それは今後のPOPやBFAを学んでいく上での貴重な体験だったと感じている。実際、それからしばらくの間セルフワークをすると、あの船の上での感覚が甦ってきて、そこから新たな気づきが生まれたことは大きな収穫だった。

先日、教育分析で講師が言ってくれた、「プロセスに乗るということが、壁を越えるということなんだよ」との言葉をわたしはあの時まさに体験したのだった。

テン・ネガティブマインド(10)「後悔し続ける」

2006-10-13 07:49:27 | 心・身体・癒し
「あのとき、ああすればよかった… あのとき、あんなことをしなければよかった… あんなこと言わなければよかった… あのとき、あんなこと… あんなこと…」

生きていくうえで何度も遭遇する後悔の思い。人間関係、仕事、etc…結構いっぱいあって、意外に尾を引いていることも。

時間を戻して、リセットしてやり直せたらどんなにいいだろう…と言ったところで、時間はどうしたって戻せない、過去に戻ることはできないのだ。

だったらどうすればいい?もちろん、後悔したことを忘れてはまた同じ失敗を繰り返しかねないし、後悔することも繰り返しかねない。でも、ここでちょっと一呼吸。そもそも私たちには学習能力というのが備わっている。それを上手く利用することだ。

あの時のことはあの時として割り切り、これでひとつ勉強できた、覚えられたんだと受け止め、そこから、じゃあ同じ失敗を繰り返さないのにはどうすればいいかな? 同じようなことが起こったら、今度はどうしたらいいだろう…どうすれば上手くいくかな…とちょっと想像しながら自分ができることから考えていくことがポイントのような気がする。そして、いつも目線は今と未来に向いていることが大事なのだ。

最善の方法をと思うのが当然なのだけれど、もしそれがあまりにレベルが高かったり、難しすぎたらかえって後悔の連鎖にはまりかねない。

初めは自分に優しく、徐々にハードルを上げていくのが無理のない目標への道標のような気がする。

後悔は誰にでもあること、ただそれをいつまでもし続けないことをちょっと意識してみたら、あなたの未来は今までと違ったものになっていくことだろう。


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☆雑感

2006-10-09 07:48:11 | 心・身体・癒し
先日、PGPが終了した。学院を卒業後、半年経って始まった復習講座はおよそ4ヶ月、全15回に渡って行われた。学院での講義、全43回も皆勤で終了した私だったが、今回も結局、一度も休むことなく受講できた。それは子どもの頃から病弱で、常に学校を休みがちだった私にとっては快挙にも等しい。

さらにこの15回の授業というのが、4人の講師全員から講義を受けられるという、学院で勉強していたときにはなかった、貴重な時間であったことも大きな収穫であった。

基本講義では体験できない、講師ひとりひとりが持つ個性の違いのようなものが感じられたのと同時に、新しい発見や意外性が垣間見られ、さらにそのことによって、私自身の気質や性格、価値観といったものまでも再認識できた気がしている。

そんな思いのなか、偶然にPGPが終了した同じ日、教育分析を受けた。講師に「これからはそんなに頻繁に受けなくてもいいよ」と言われてから実に4ヶ月ぶりである。この間、ある程度、自分で問題やモヤモヤしたものを解決したりはしてきたが、やはりどこかで思いの澱のようなものが溜まってくるのが実感としてあった。

「そろそろ飽和状態にきたかな」と感じての教育分析は、予想していた通りとても充実したそして満足感の得られる時間となったのである。この4ヶ月間の出来事とそれに伴う思い、心の揺らぎなど堰を切ったように話す私に、講師は時々控えめに相槌を打ちながらしばらくじっと聞き入ってくれたのだった。

今回のテーマは自由。初めからこのテーマで話そうと決めていたわけではない。人間関係から始まって、PGPでの思い、今後について、さらに自分がどうなっていることが理想なのかといったことまで話しながら気がついたのは、すべての根底に「自由でありたい」との思いがあることだった。それは奇しくも学院に入って間もなく受け始めた教育分析で話し続けていた思いであった。

結局、私はず~っと同じところを見、目指していたのだ。そしてそれを肯定し、前進していくことを促してくれた講師によって「このままでいいのだ」という確信に近い思いを獲得できたことは、私にとってはとても大きな収穫であり、ひとつの方向性が定まった瞬間だったと言えるかもしれない。

不思議なことに、教育分析を受け結論を出した翌日から、時間が今まで以上にゆっくりと流れるようになった。今までもプロセスワーク、そしてBFAと学ぶ過程で瞑想の時間を毎日のように取ることによって、時の流れがゆったりと変化した実感はあった。が、更に今回のことによって一層時間がゆっくりと流れる感覚を得られたことは、ちょっとした驚きだった。多分、それは自分自身と対話しつつ足元を見て歩むことを決めたことによるものだろう。

今回、講師との対話の終わりに「目指す」という言葉が出てきたことも初めてだった。困難な道なのかもしれない。しかし、講師が言ってくれたように、「それが一番しっくりいく」のだということを、私が一番よくわかっている。その思いに素直に従っていくのがプロセスであり、壁を越えてゆくことでもあるのだ。
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色に見るこころ

2006-10-05 07:46:12 | 心・身体・癒し
長い梅雨の時期から、やっとカッと暑い夏!と思っていたら、意外にも残暑が短く、早々に秋が訪れてしまった。つい数日前まで、我が家の周りは金木犀の花の香でむせかえるようだった。可憐で小さな花は、秋の雨に一度打たれてしまうと、あっという間に散ってしまい残り香を楽しむ暇も与えてはくれない。
数年前、北海道から東京へ転居して感じたのは、四季を通して季節ごとの花が絶えないということだった。半年間、雪に閉ざされてしまう北国の街はモノトーンの世界。コートや帽子などを派手な色にして、少しでも華やかさを演出しようとするのだが、やはり花が見られないということがこんなにもメンタルな面に作用するとは、逆にこちらに来て気づかされたことだった。春から秋はもちろんのこと、冬へのいり口から真冬、そして早春まで、パンジー、キンロウバイ、椿、水仙etcと、途切れることなく私たちの目を楽しませてくれる。と、同時に心を和ませ、癒してくれるのだ。
そういう点では、ずい分と花そのものにとどまらず。花が持つ「色」にも、心に働きかけるものがあるのではないだろうか。花の色が持つ力、あるいは心にある何がしかの思いが、花への印象に影響を及ぼすこともある。
小さい頃からあまり丈夫ではなかった私は、何度か入院生活を体験している。そのとき、お見舞いによく頂いたのが花である。ずっと以前は切花が一般的だったが、今は小さな籠に盛ったものが主流のようだ。色とりどりのいろいろな花をオアシスに挿し、綺麗な籠に盛られたそれは、殺風景な病室をぱっと明るくしてくれる。
私も何度か頂いたのだが、いつだったかそれを眺めながら、ふっと気づいたことがあった。
同じ花でも、色によって与える印象が違うということに気がついたのだ。多くの人たちは、病気をしているひとに贈るのだからピンクや淡いブルー、あるいはそれに限らないにしても淡い色合いが心を穏やかにさせてくれるだろうと想像するかもしれない。それは決して外れているわけではなく、実際、心に優しく働きかけて穏やかな心持になれる。ただ、そのとき私が感じたのは「黄色い花は元気をくれる」ということだった。黄色といえば、派手な目にもインパクトの強い色との印象があって、元気がないときにどうかな…と感じていたのだが、逆に気持ちを奮い立たせてくれる、エネルギーをくれることに気がついたのだった。もちろんこれは私が感じたことであって、果たして多くの人に受け入れられるかどうかは定かではないことをここで断っておきたい。
一方、心にある何がしかの思いが花への印象に影響を及ぼすことというのも、身近な人の話しから知らされたということがあった。その人は十代の頃に腎臓を患い、二十代になって人工透析をしなければいけなくなった。今では医療の技術や内容も向上して、ずい分と患者の負担は軽くなったと思うが、以前は結構スムーズにいかないこともあり、相当量の出血を起こすこともあったらしい。
そういうことを度々経験したことで、いつしか赤い色に拒絶反応を起こし、赤い花は嫌い、みるのも嫌という心理状態になってしまった知人は、家族に対しても赤い色の花を家に飾らないでくれと強く望んでいるという。
赤い花が直接何かをしたわけではないが、それを見ることによってつらい体験が甦り、結果的に嫌~なイメージを植えつけてしまったということだろう。なんとも哀しい記憶である。


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