まだ五十代半ば、早すぎる死であった。
昨年の春、身体に病巣が見つかったが、できたところが難しい場所で担当の医師から手術ができないとの診断を受けたという。
更に病状は決して予断を許さない状態であるとの話に、親しくしていたカウンセラー仲間たちは大きな衝撃を受けた。
残された治療法は、抗がん剤治療。
数週間に一度、苦しい治療が始まった。
そして、最初のハードルをクリア。
半年後、二度目のハードルをクリアし、この春、三度目のハードルをクリアしたばかりの永遠の旅立ちだった。
彼は発病と同時に、自分の病気を自らのホームページで明らかにした。
さらに主治医と相談の結果、万が一のことを考えカウンセリングルームを閉じることを決意したのだった。
その頃はまだ、充分にカウンセリングをおこなえる体力、気力を持ち合わせていたが、病の性質上いつ病状が急変、クライアントに迷惑がかかるとも限らない。
それを考慮しての苦渋の決断であった。
その頃彼は、自分のホームページを病気と病状を説明した内容に変更、アップし、それ以降、病状について定期的に報告し続けた。
自らの病気と治療の経過を報告することで、少しでも自分の体験が多くの人たちに役立ってくれることを願ってのことだったと聞いている。
ホームページに付けられた新たなタイトルは「病と共に生きる」だった。
闘病との言葉どおり、一般的にひとは病に罹ると闘う。
そして病に打ち勝つとの意識を強く持つ。
そうした強い意思、強靭な心を持つことが病を乗り越える最大の力、パワーになるのだと、誰もが考えがちである。
しかし彼は違った。
事実と向き合い、病を受け入れ、対峙しながら限られた時間を精一杯生きようと考えたのだった。
いや、彼はもしかしたら限られた時間という捉え方ではなく、たとえどのような出来事に見まわれたとしても、すべては自分に与えられた時間という感覚で、今、このときを大切に生きることだけを考えていたのかもしれない。
そして常に快癒を信じ、奇跡を信じ、希望を持って新しい効果的な治療法が施される日を待ちながら一日でも長く生きることを自らに課していたのではないだろうか。
絶望ではなく希望を…執念よりも自然体で毎日を生きることをテーマにしての一年余りだったような気がする。
葛藤は当然あったはずだ。
苦悩に眠れない日々を過ごしたことも容易に想像できる。
しかし、彼は最後まで希望を持ち続けた。
彼を見守る私たちも彼が戻ってくることを祈り、信じた。
そうした日々をともに過ごすことで、彼から何があっても希望を持って生きることの大切さを教えられた。
亡くなる少し前、私も親しくしているカウンセラー仲間のひとがお見舞いに行ったそうだ。
彼はそのひとに「まだまだやり残したことがある。必ず戻る」と話したという。
残念ながらそれは実現しなかったが、改めてこの一年余りの時間を思うとき、直接的なカウンセラーとしての仕事はしなかったかもしれないが、その生き方や取組み方にカウンセラーとしての最後の仕事を見たように思う。
あるがままに、今、ここに生きることを身を持って示し、そして旅立った彼。
ここに心から哀悼と感謝の気持ちを彼に捧げます。
Nさん有難う、そして本当にお疲れさまでした。
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