NHKでヒューマンドキュメンタリーの再放送を見ました。
18歳で亡くなった華子さんという女性と「先生」とよばれた70代後半の女性の方との700通に及ぶメールのやりとりを記録した番組です。
生まれつき心臓疾患を抱えていた華子さんは8歳のとき心臓移植手術を受けました。
生命は助かったものの、結局健康体と言われる状態には回復することは叶わず、主治医の先生からは10年をめどにしていきましょうと宣告されたといいます。
番組では10年後、18歳になった華子さんの日常を追い続けて記録し続けました。
心臓移植手術後も体調がすぐれないまま華子さんは15歳で人工呼吸器を装着します。
声を発することができなくなったことから会話はもっぱら携帯電話と手書きボード。
70代後半の「先生」とのやりとりもメールでおこなわれていたのですが、昨年の夏ごろから華子さんの容体が悪化、むくみがひどくなってきます。
検査の結果、腎機能が著しく低下してのむくみと判明。
在宅診療で通ってきていた主治医の先生は、華子さんに透析治療が必要なことを話し、華子さんにどうするかの選択をゆだねます。
華子さんが出した結論は、透析を受けることなくこのまま在宅で家族と一緒に過ごすというものでした。
ご両親、主治医の先生も華子さんの意思を尊重。
そのまま透析をしない治療を続けることを承諾します。
そして数か月。
段々と華子さんの症状は悪くなっていきました。
むくみがひどくなり、顔、身体じゅうがパンパンに腫れ上がっているのがわかります。
それでも華子さんはそれが自分らしく生きることと、「先生」とのやりとりを続けていました。
しかし、その様子を見守っていたご両親の胸中は大きく波打ちます。
お母さんは勿論のこと、お父さんの心の揺れはそれはそれは大きく、ある日、主治医の先生に、どうにかして華子さんに生き続けてほしい、そのために延命治療である、透析を受けて欲しいという心情を吐露します。
その夜、主治医の先生を交えての家族3人の話し合いがもたれました。
主治医の先生が、華子さんにお父さんの気持ちを伝えると、それを聞いた華子さんが、携帯に文章を打ち先生に渡して読んでもらう。
そうしたやりとりが何度か繰り返されました。
そして出した結論は・・・このまま家で生活する、透析は受けないというものでした。
最終決断をして間もなく、徐々に華子さんはメールも打てない状態に陥ります。
「先生」とのやりとりが、とうとうある日途絶えることとなります。
返事が全く来なくなっても、「先生」はそれでも華子さんへメールを送り続けました。
最後のメールは、悲痛なものでしたが「先生」はメールすることをやめませんでした。
そして昨年の秋、華子さんはお父さんの腕のなかで眠るように18年の生涯を終えます。
生きるということは、いったい何なのでしょう。
生まれたときからずっと病気と闘い、病気とともに生きた彼女の人生
番組を見ながら、そのことをずっと考えていました。
彼女にとって生きるとはどういうことだったのか、何を意味していたのか。
ご両親と主治医の先生との話し合いの中で、彼女が言った言葉がとても心に残りました。
「私はもう充分に頑張った」
この言葉が、すべての思いを物語っていました。
生命はかけがえのないものです。
そして生きることは、何ものにも代えがたい大事なことでありほかのすべてのことより最優先するものと多くのひとたちは考えていることと思います。
私も基本的には、そういう考え方で生きています。
しかし、一方で「生命よりも大事なものがある」と思っていることも事実です。
それは「ひととしての尊厳」です。
華子さんは18年間、精一杯頑張って生きてきました。
心臓移植、人工呼吸器の装着とやれることだけのことをやって生きてきたのです。
四人で話し合った際、お医者さんが華子さんの気持ちを慮り「自分らしく生きられない」という言葉を代弁していましたが、
おそらく彼女にとって、このうえ透析を受けるということは、「自分らしく生きられない」そう考えたのだと私も想像します。
何が正しくて、何が間違っているかという問題ではない。
華子さんのように生命の極限まで生きてきた、生き抜いたひとにとって「自分らしく生きるということはどういうことなのか」究極の選択が延命治療をしないということだったのだと思います。
今、こうして丈夫になってブログを書いている私ですが何度となく死と背中合わせの時を経験してきました。
それだけに華子さんの生きるということへの真摯な姿、どのように生命をまっとうするかということについての選択はとても他人事には思えませんでした。
生きていることが当たり前ではなく、今、ここに生かされている
その意味と重さを改めて感じています。