ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

大切なものを失ったあなたへ

2011-08-30 13:36:27 | 心・身体・癒し

図書館が近くなったことから最近は色々な本を借りて読むことが簡単にできるようになりました。

先日、悲嘆・喪失体験についての本を数冊借りて読みましたが一番こころに響いたのがこの本でした。

悲嘆からの回復に決まった段階などない。

みんなそれぞれに違っている。

二歩進んでは一歩戻る

死別だけがグリーフではなく

離婚や仕事を失うことも喪失なのだ


そして

グリーフの作業に完了はない

それは延々と続くものであり

そのなかで新しい生き方をみつけていく

そのサポートをするのがカウンセラーの仕事

という内容が印象的でした

 

おすすめの一冊です

 

「大切なもの」を失ったあなたに―喪失をのりこえるガイド/ロバート・A. ニーメヤー
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生きるということを考える

2011-08-27 13:38:49 | 心・身体・癒し

NHKでヒューマンドキュメンタリーの再放送を見ました。

18歳で亡くなった華子さんという女性と「先生」とよばれた70代後半の女性の方との700通に及ぶメールのやりとりを記録した番組です。


生まれつき心臓疾患を抱えていた華子さんは8歳のとき心臓移植手術を受けました。

 

生命は助かったものの、結局健康体と言われる状態には回復することは叶わず、主治医の先生からは10年をめどにしていきましょうと宣告されたといいます。

 

番組では10年後、18歳になった華子さんの日常を追い続けて記録し続けました。


心臓移植手術後も体調がすぐれないまま華子さんは15歳で人工呼吸器を装着します。

 

声を発することができなくなったことから会話はもっぱら携帯電話と手書きボード。

 

70代後半の「先生」とのやりとりもメールでおこなわれていたのですが、昨年の夏ごろから華子さんの容体が悪化、むくみがひどくなってきます。


検査の結果、腎機能が著しく低下してのむくみと判明。

 

在宅診療で通ってきていた主治医の先生は、華子さんに透析治療が必要なことを話し、華子さんにどうするかの選択をゆだねます。


華子さんが出した結論は、透析を受けることなくこのまま在宅で家族と一緒に過ごすというものでした。

 

ご両親、主治医の先生も華子さんの意思を尊重。

 

そのまま透析をしない治療を続けることを承諾します。


そして数か月。

 

段々と華子さんの症状は悪くなっていきました。

 

むくみがひどくなり、顔、身体じゅうがパンパンに腫れ上がっているのがわかります。

 

それでも華子さんはそれが自分らしく生きることと、「先生」とのやりとりを続けていました。


しかし、その様子を見守っていたご両親の胸中は大きく波打ちます。

お母さんは勿論のこと、お父さんの心の揺れはそれはそれは大きく、ある日、主治医の先生に、どうにかして華子さんに生き続けてほしい、そのために延命治療である、透析を受けて欲しいという心情を吐露します。


その夜、主治医の先生を交えての家族3人の話し合いがもたれました。

主治医の先生が、華子さんにお父さんの気持ちを伝えると、それを聞いた華子さんが、携帯に文章を打ち先生に渡して読んでもらう。

そうしたやりとりが何度か繰り返されました。

そして出した結論は・・・このまま家で生活する、透析は受けないというものでした。


最終決断をして間もなく、徐々に華子さんはメールも打てない状態に陥ります。

「先生」とのやりとりが、とうとうある日途絶えることとなります。

返事が全く来なくなっても、「先生」はそれでも華子さんへメールを送り続けました。

最後のメールは、悲痛なものでしたが「先生」はメールすることをやめませんでした。

そして昨年の秋、華子さんはお父さんの腕のなかで眠るように18年の生涯を終えます。


生きるということは、いったい何なのでしょう。

生まれたときからずっと病気と闘い、病気とともに生きた彼女の人生

番組を見ながら、そのことをずっと考えていました。

 

彼女にとって生きるとはどういうことだったのか、何を意味していたのか。

ご両親と主治医の先生との話し合いの中で、彼女が言った言葉がとても心に残りました。


「私はもう充分に頑張った」

この言葉が、すべての思いを物語っていました。


生命はかけがえのないものです。

そして生きることは、何ものにも代えがたい大事なことでありほかのすべてのことより最優先するものと多くのひとたちは考えていることと思います。

私も基本的には、そういう考え方で生きています。

しかし、一方で「生命よりも大事なものがある」と思っていることも事実です。

 

それは「ひととしての尊厳」です。

華子さんは18年間、精一杯頑張って生きてきました。

心臓移植、人工呼吸器の装着とやれることだけのことをやって生きてきたのです。

四人で話し合った際、お医者さんが華子さんの気持ちを慮り「自分らしく生きられない」という言葉を代弁していましたが、

おそらく彼女にとって、このうえ透析を受けるということは、「自分らしく生きられない」そう考えたのだと私も想像します。

何が正しくて、何が間違っているかという問題ではない。

華子さんのように生命の極限まで生きてきた、生き抜いたひとにとって「自分らしく生きるということはどういうことなのか」究極の選択が延命治療をしないということだったのだと思います。


今、こうして丈夫になってブログを書いている私ですが何度となく死と背中合わせの時を経験してきました。

 

それだけに華子さんの生きるということへの真摯な姿、どのように生命をまっとうするかということについての選択はとても他人事には思えませんでした。


生きていることが当たり前ではなく、今、ここに生かされている

その意味と重さを改めて感じています。


透明になるということ

2011-08-24 14:11:34 | 心・身体・癒し
先日、暫くぶりに大きな気づきがあった。

その内容の詳細についてはなかなか説明するのが難しいのだが、カウンセリングの場において、カウンセラーはクライエントと向き合ったとき、その存在を消すことがとても重要であるということが体感できた。
という表現が一番的確のように思う。


今回もやはり気づきは、一瞬にしてビジョンとなって降りてきた。


敢えて降りてきたと表現したのは、そのビジョンが右の頭上に見えたからだ。


ある時期から、私の気づきはそうした形で表れるようになった。


ビジョンはひとの輪郭だけが白く感覚的には透明だった。


その白くて透明なイメージがが、目の前の小さな扉をひらきなかに入っていこうとしていたのである。


感覚的にああ、扉の向こうはクライエントの世界そして入っていこうとしているのはカウンセラーである私と理解したがそれだけではなかった。


私はクライエントの世界つまりクライエントの価値観や考え方、人生観のなかに入り、そのひとが求める姿、かたち生き方へ向かっていくプロセスを見守り共に歩く存在であること。そこには私があってはいけない。私の価値観や考えがあってはいけないということが体感とわかったのだった。
そこに在る。ということの意味が、また少しわかった気がした。

あの日を境に何かが変わった

2011-08-23 13:33:17 | 心・身体・癒し

3.11を境にして、以前の自分と何かが変わったと自覚している方が多いように見受けられます。

その具体的なかたちはひとそれぞれ。

目に見えるかたちもあれば、目に見えないかたちのひともいる。

明確に変わったと言うひともいれば、漠然と変わったと言うひともいる。

 

本当にひとり一人違っています。

そして、その変わったひとのひとりとして私自身もいます。

明らかに変わったと思うのは、自分がどう感じているかどんな価値観をもっているかを自覚し、そのうえで発言をしたり行動を起こすようになったことでした。


その具体的なもののひとつが原発に対しての考え方です。

 

なぜ、その考え方になったかは、3.11からの日記を読んでいただくとわかるのですが、一番大きな理由は自分自身でやったワークがきっかけでした。

それまでは、自分たちが選択してきたことで、自分たちが被害をこうむること、危険に身をさらすことは仕方がない、自業自得なのだからと冷めた思いで状況を見続けていました。

でも、ある朝セルフワークをして出てきた結合双生児のビジョンそして、湧きあがったベト君、ドク君との言葉が聞こえてきたとき「そうではない。私たちはこれからこの日本という国に生まれてくる、そして日本の将来を担う未来の子供たちのために安心して暮らせる土地を受け継がせる義務があるのだ」と気が付いたのでした。


あれから5か月がたち、世の中はさまざまに揺れ動きました。

そして今も揺れ動いています。

 この先どうなっていくのかもわかりません。

 ひとの心は変わりやすく、移ろいやすいものだと痛感します。

 正直、悲観的な気持ちにさえなることがあります。

 でも、そんな日々のなかにあっても、心のなかに生まれた原発への思いだけは変わっていません。

実は、最近になって気がついたことがあります。

 それはブレなくなったということです。

 ボディフォーカスを学び始めて5年余り、ずいぶんとブレなくなっていましたが、3・11を境に今まで以上に「ゆだねる」思いが強くなり、以前に増してブレなくなった自分になっていることを実感しています。

 そして、そのひとつの表れが自分の意見をしっかり言えるようになったことでした。


「このひとと話をしても分かり合えないな」そう感じると、ついつい無理に分かり合うことはないと、積極的に話さずその場をやり過ごしてしまうことがあったのですが、今は、あなたの意見はこうなんですね、私の意見はこうですと主張することを厭わなくなってきている自分がいます。


ただ、まだそれをすべての場面でできてはいないことも事実。

そこが、これからの私の課題なのだと思います。

つい先日、ある方とお話をして本当の意味の心理カウンセラーになるためには公と私を使い分けることなく、公私ともに心理カウンセラーとして、いる(在る)必要があるのだということを思い知らさせました。


いつもカウンセラーマインドでいること、在ること。

それが「ただ、そこにいるだけで癒しが起きるカウンセラー」への入り口なのだということにも。

3.11からの変化はそこで終わらなかったようです。

これからその第2ステージが始まりそう・・・。

 


カラダセラピーって?vol.5 身体が変わった!

2011-08-21 13:19:17 | 心・身体・癒し

「カラダセラピーで身体が変わった」といつも話したり書いてきましたが、

では実際にどんな風に変わったのでしょう。

この5年余り、ボディフォーカスト・アプローチBFAを学び、実践してきた私の事例でお話しすることにします。

最も顕著なのは、丈夫になったことでした。

学院に入る前は、常に身体に心配を抱えていました。

身体が弱いというだけでなく、冬になると決まって感染症を起こし点滴を一週間ほど続けなけば熱が下がらない。

そういうことを繰り返していたのです。


それが学院に入学。BFAと出会いワークショップに参加したりセルフワーク(瞑想)を毎日続けて実践していくうちに、いつの間にか心身が整い始めました。

あれほど毎年、冬になると決まって感染症を起こし点滴を一週間ほど続けなけば熱が下がらなかった身体が発熱さえ起こさないで済むようになったのです。

それだけではありません。

体調が整い始めるのと同時に、精神的にも安定。物事に動じなくなり、目の前に起こることに一喜一憂しなくなったのです。

それを一番に自覚したのは、BFAを始めて3か月後の学院の修了試験のときです。

今までは、焦りと不安で押しつぶされそうになり、家族に不安からくる焦りや、苛立ちをぶつけていたのが、淡々とした心持で試験日を迎えることができたのです。

もちろん試験に向けての勉強はしていました。

しかし、まったくといっていいほどの平常心で過ごすことなど考えられないことでした。


そして最も驚いたのが、学院の授業を一回も休まず通うことができたことです。

皆勤など夢のまた夢、あまりに病弱で学校を休んでばかりいたことから、留年を審議されたのも一度や二度ではありません。

そんな私が皆勤したのです。

これには、本人である私以上に家族が驚きました。

面白いのは以前の私を知っているひとと、現在の私しか知らないひとの印象が180度違うことです。

以前の病弱だった私しか知らないひとは、健康で丈夫になった私のことを信じられないと言い、健康で丈夫になった私しか知らないひとは、以前の病弱な、何かあるとすぐ熱を出し点滴を打った私を想像できないと言います。

それほど印象に差があるのですから、どれだけ変わったかが想像していただけるのではないでしょうか。

瞑想による変化については、さまざまな書物にも具体的な内容がいくつも書かれています。

次回はそれを紹介しようと思います。


戦争を知らない子供たち

2011-08-16 13:31:30 | 心・身体・癒し

今日は終戦記念日です。

 

子供のころにこの歌が流行りました。



この歌を歌っていた杉田二郎さんは

 

自分が戦争を体験していないで

 

この歌を歌っていることに

 

「いいのだろうか」と悩んだことがあったそうです

 

沖縄で歌うことにも

 

躊躇したことがあったそうです




でも・・・

 

たとえ自分が戦争を体験していなくても

 

駄目なものはダメ

 

いけないことはいけないこと

 

戦争はどんな理由があってもしてはいけない

 

そう言える自分でいたい




原爆はダメ

 

でも原発や

 

原子力はいい

 

そんなことを平気で言える

 

自分ではいたくない




戦争を知らない世代に生まれ

 

生きてきたこと

 

生きていることに

 

感謝しながら

 

生きていきたい

 

今、心からそう思います







戦争が終わって 

 

僕らは生まれた

 

戦争を知らずに 

 

僕らは育った

 

おとなになって 

 

歩き始める

 

平和の歌を  

 

口ずさみながら

 

僕らの名前を 

 

覚えてほしい

 

戦争を知らない子供たちさ

 


新盆

2011-08-15 13:29:18 | 心・身体・癒し

今、遠くから打ち上げ花火の音が聞こえてきました。

 

一昨日、13日は母方の祖父の命日。

 

お盆でもあります。



今年のお盆は、例年とは違った思いで迎えました。

 

3月11日に東日本を襲った地震と津波で

 

犠牲となった2万人近い方々の

 

新盆だということに、新たな衝撃を受けています。



26年前、ジャンボジェット機が御巣鷹山で墜落し

 

500人以上の方が亡くなったときも

 

とても大きなショックだったことを憶えています。



それをはるかに超える方々が一瞬のうちに

 

命を落としたことに改めて自然の猛威の恐ろしさを

 

感ぜずにはいられません。



今年のお盆に見る花火

 

ただ美しい、きれいとは言えない

 

複雑な思いがあります。

 

鎮魂のそして復興の祈りを込めて・・・

 


昼寝の効用

2011-08-14 08:52:10 | 心・身体・癒し

数日前、テレビのニュースを見ていたら、お昼寝の効果、効用をレポーターの女性が話していました。


今年の夏は、節電のため、日中の最も暑い時間帯に電気を極力抑えることを検討した会社が結構あるのだそうです。

そのひとつの対策が、お昼寝の時間を設けるというもの。

実際、取材した会社では、昼食後15分から30分程度のお昼寝タイムが設定されていて、時間になると社内アナウンスが「お昼寝をしましょう」と伝えていました。


専門家の話によると、お昼寝は疲労回復、集中力の向上に役立つのだとか。

取材でも、実験してお昼寝の効果を確かめていました。

お昼寝の前に、計算問題をしてもらい、その後15分間のお昼寝タイム。


目覚めてから、再び計算問題をしてもらったところ、参加してくれた全員が正解率がアップしていました。



このお昼寝。すればいいと言うものではなく、効果的な時間があるそうです。

年配者では30分が限度、若い人なら15分間程度が一番集中力を上げるのだそうです。

それ以上になると、寝すぎとなり、夜の睡眠に支障が出たりボーっとして、かえって集中力が低下するのだとか。

私もちょっとの時間昼寝をしてみたところ、確かに寝たあとは、スッキリとして、仕事がはかどったように思います。

9月までの暑さ対策として、可能なひとはお昼寝タイムを15分、一日のスケジュールに組み込むといいかもしれませんね。





カラダセラピーとは?vol.4集中できないときは

2011-08-11 08:48:11 | 心・身体・癒し

☆瞑想をしても集中できないときは☆

瞑想を始めたばかりの頃は、なかなか集中するのが難しいものです。

私たちは長い歴史の中で、いつしか感じることより考えることを優先するようになりました。


圧倒的に思考が勝ってしまっている現代人は、心を無にすることは難しいかもしれません。

なので瞑想をしていても、なかなか集中できないひとが多いようです。


まずは身体に意識を向けてみましょう。

どんな感じですか?

頭や顔、首や肩、腕や脚、掌や足先、指先、お腹や背中、腰はどうですか?

痛みや疼き、痒みやピリピリしたものを感じますか。

だるさや重さはどうですか?

もし何かを感じたら、その感覚を感じ続けていきます。


呼吸に意識をむける方法もあります。

そうすることで無理なく自然にできますよ。

 


神秘学にはまっています

2011-08-08 08:43:07 | 心・身体・癒し

最近、神秘学なるものと出会い、ちょっぴりはまり始めています。

きっかけは、ある方のツイッターに神秘学では、小宇宙に大宇宙があるとの考え方をしているとの文章を見つけたのが最初。


実は、20年ほど前のある日、突然、「胸の深いところの針の先ほどの一点と宇宙はイコールである」という言葉が湧き上がったことがあったのです。


なぜそんなことを思ったかは、今もって分かりません。

そして、その思いは忘れるどころか歳月がたっても、ずっーと消えることはありませんでした。

まさか、ツイッターで同じような言葉と出会うとは・・・それが神秘学と言われるものと通じているとは今回、初めて知ったのです。

で、神秘学とは何ぞやというところから本を読みはじめたのですが、ユング心理学に通じる世界だということが書かれていたのにはびっくりしました。

BFAの世界観にも深く通じていることは明らかです。

心理学を学ぶずっとずっと以前から、自分のなかにユング心理学的感覚があったことにちょっぴり感動するとともに、なぜ学院に入学した当初から、POP(プロセス志向心理学)に心惹かれたのか(POPのアーノルド・ミンデルは、ユング心理学が専門でした)、BFAに惹かれてきたのかその理由が、さらにもうひとつ増えました。


すべては必然と言いますが、これもまた、必然ということなのでしょう。





書くセラピーって何?vol.3遺言セミナー講師

2011-08-05 11:28:15 | 心・身体・癒し

前回は、書くセラピーを提供したいと思った最初の動機についてお話しました。

自分自身が書くことによって、うつ的症状から回復した体験があったことが一番の理由だったのです。

とはいえ、なかなか実現には至らず心理カウンセラーになって五年の歳月が流れていました。

それが今回、試行錯誤ながらスタートすることができたのは、今年一月に静岡県沼津市の淡島ホテルで開かれた「遺言セミナー」に講師として参加したことが大きかったと思います。


そのセミナーでは財産に関する遺言のほかに、法的拘束力の無い付言を書くことが盛り込まれていました。

遺言には、皆さんもご存知の通り、法的拘束力のあるものとの認識がありますが、もうひとつ法的拘束力がない「付言」という遺言が存在します。


法的拘束力がない=内容がないと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、意外や意外。

付言が果たす役割は、結構大きなものがあるのだそうです。


これは実際にファインシャルプランナーさんや司法書士さん、弁護士さんに聞いた話ですが、正式な遺言によって分配された財産を不服に思った親族が集まり、まさに一触即発かという場面で、実は・・・・と付言があることを教えられ、内容を読んでもらったところ、故人の深い深い思いに接して、不服を取り下げ円満に解決した事例が結構あるのだそうです。


私がお話をさせていただいたのは題して

「心に響く文章を書く」

一時間に渡って話をさせていただきました。

 

ワークショップを開催した経験はありましたが、セミナーの講師は初体験。

幸い講演は好評で、その後の夕食会でも、参加者の方から色々な質問や、具体的な感想として遺言のイメージが型にはまったものではないことへ感動の声を聞くことができたのです。

このことが転機となり、今年の春、念願だったWritingセラピー=書くセラピーがスタートしたのでした。



 


カラダセラピーとは?vol.3瞑想が基本です

2011-08-03 09:12:30 | 心・身体・癒し

カラダセラピーは、セルフワークが基本です。

セルフワークとは、イコール瞑想のことですが瞑想にも色々と種類があるようです。

ある言葉を、心のなかで唱えながら深いところへ入っていくものだったり、素人が指導を受けずに実践するとちょっと副作用があると言われているものもあるといいます。

カラダセラピーの基本であるBFAのセルフワークは、ヴィバッサナー瞑想法がベースになっています。

軽く眼を閉じ、意識を身体に向け、五感に起こるがままの状態を受け容れていきます。


何かが見えてきたら見えるがまま

何かが聴こえたら聴こえるまま

何かを感じたら感じるまま

 

その状態をただ、ただ感じ続けていけばいい。

考え事が湧いてきたら、「今は考えなくてもいい」と

考え事をしないことを、自分に許してあげます。


このとき、考え事をしてはいけないと捉えてしまうのは、自分に禁止令をだしてしまうことになるので、あくまで「考えないことを許す」というスタンスが大切。


瞑想をしているときに何かが見えたとしても

これは一体なんだろう?

何を意味しているのだろうなどと分析することは

必要ありません。


ただ、ただ自分のなかに起こることを認め、受容れていく

それがカラダセラピー=BFAの基本です。




書くセラピーって何?vol.2誕生のきっかけは

2011-08-02 09:12:13 | 心・身体・癒し

なぜ書くセラピーをしようと思ったか。

実は、それには結構深い理由があります。


あれは30代に入る直前の頃、うつ症状っぽくなった時期がありました。

以前、株本のぶこの物語として書かせていただいたのですが、

生後30日に手術をしたせいで、足と内臓の一部に障害を持っています。

 

そのとき、両親にお医者さん「娘さんは、二十歳まで生きられないだろう」と話したのだそうです。

その事実を、二十歳を過ぎてから聞いたのですが、二十代から三十代になろうとしたとき、

突然「二十歳までしか生きられないと言われたのが、三十歳を迎えようとしてる。果たして自分はこの十年間、なにをしてきたのだろう」という疑問が生まれたのでした。

あとから考えれば、「自分なりにしっかり生きてきた」そう思えるのですが、そのときはただもう、悔いることばかりで・・・毎日が煩悶の日々。

それに加えて、ちょうど父が教職を定年退職。

毎日が日曜日、今までは土日、夏休み、冬休みだけ一緒だったのが、二十四時間、四六時中一緒の生活に、どうやら、夫在宅症候群ならぬ父親在宅症候群にかかってしまったのです。

で、そのときどうしたかといえば、

毎日、毎日 朝・昼・晩 と 時間があれば日記を書いていました。

 

これだけ書けば、書くこともタネ切れなるはずですが、そこはやはり、心が疲れていたのでしょう延々と堂々巡りしていました。

でも、半年くらいそれを続けていくうちに、時間があれば書いていたものが、間隔が減り、回数も減ってきて・・・いつのまにはいつもの自分に戻っていたのです。


「書く」という行為が「癒す」のだと初めて気づいた瞬間でした。

 

そして、このときの体験が「書くセラピー」を始めるきっかけになったというわけです

実際に「書く」ことがうつ症状に効果があるということを、本で読んだことがあります。

 

また、カウンセリングに来られる「うつ症状」のクライエントさんにも頭や思いが混乱しているときに書くことで、気持ちを整理していただいています。

 

「書く」ことは実はこんな効果があるのです。