ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

まだ心の整理はつかないけれど・・・

2012-02-27 11:53:59 | 心・身体・癒し

先週の火曜日、名古屋での「心の専門家のための」

 

アドバンスセミナーに参加してきました。

 

 

その時間、その場に起こったことは

 

プライバシーにかかわることなので

 

ここに紹介することはできないのですが、

 

あれ以来、そのときのことがずっと心から離れることは

 

ありませんでした。

 

 

そして、やっと今日あたりから自分自身のなかで

 

整理がつきはじめてきた・・・そんな気がして

 

ここへ書こうと思い立ちました。

 

 

以前、ここにも書いたことがありますが

 

私は生まれつき身体が弱く、生後30日にある手術をした

 

せいで、今も障害をもっています。

 

 

物心ついたときから病弱で、子供のときの記憶と言えば

 

常に熱を出しているか、おなかを壊しているか、

 

入院しているかのいずれかで、

 

元気だったり、はしゃぎまわったり

 

友達の家に遊びに行ったなどの記憶がほとんどありません。

 

 

先日の名古屋でのセミナーで

 

身体に記憶として残っている動作、姿勢

 

そういったものから記憶を紐解き、開放させるという

 

レクチャーがありました。

 

 

私が瞬間的に思い出したのは、幼いころ、入院していた病室で

 

お医者さんと看護婦さんがいて採血をしようとしている場面でした。

 

 

採血と言っても、まだ小さかったので血管が細く、なかなか血液

 

をとることができません。

 

どうしたかというと、首の血管に注射針を刺して血を採っていました。

 

腕や足首の血管に比べて、首の血管の方が太いというのがその理由。

 

 

首をグニュと曲げられるので、いくら病気慣れ、注射慣れしているとはいえ

 

怖くて泣いてしまいます。

 

最初、それを見ていた母は、お医者さんや看護婦さんに気を使って

 

「泣かないで」と言ったのですが、逆にお医者さんから「泣かせてください」と

 

言われてしまいました。

 

泣くと血管が浮き上がって採血しやすくなるというのがその理由。

 

記憶では、その日のことしか思い出さないのですが、多分その後も

 

何度か首から採血していたことは間違いないと思います。

 

 

そんな入院生活を、物心つくころから中学に上がるまで繰り返していた

 

せいでしょうか、いつしか自分のなかに「私はひとりなのだ」との

 

思いが生まれました。

 

 

たしかに両親は私のことを自分のことのように心配してくれる

 

ありとあらゆることを私のためにしてくれたり、犠牲にしてくれていた。

 

その事実に感謝しながらも、自分以外は他人なのだとの思いが

 

つねにあったことは否めません。

 

 

なぜなら、どんなに思いをかけてもらっても、つらい苦しい体験を

 

今、ここでしている、体感しているのは私であり、ほかの誰にも

 

それをそのまま伝えることは絶対にできないし、それを代わって

 

もらうことも絶対にできないということがわかっていたからです。

 

 

そして、その頃から私の心の深い、深いところに「ひとり」である

 

「孤独」というものが根付いたような気がします。

 

他人からみればそれはとても不幸な、つらいことのように

 

映るかもしれません。

 

 

しかし今、冷静にあのころのことを思い返してみると

 

逆に例えようもない「孤独感」を心の深いところで味わい尽くし

 

「この苦しみは、私しか引き受けられないのだ」とそれを認め、

 

受け容れたからこそ、「ひとり」でも生きていられた、

 

「自分以外は他人なのだ」という考え方があったからこそ

 

すべてを自分が引き受け得る覚悟ができ

 

つらさや苦しみにひとりで耐え続けることができたように思います。

 

 

もしそれを受け容れられないでいたとしたら

 

深い闇のような孤独感に耐え切れず、もしかしたら精神的に

 

おかしくなってしまうか、あるいは自ら命を絶っていたかも

 

しれないな・・・とも。

 

 

心の深い深いところにある悲しみ、苦しみの記憶

 

それをひとによっては闇と表現する方もいますが

 

そうしたものを持っていること、そしてそれをしっかりと自覚し

 

見つめることができ、そこに取り組んでいくこと

 

それが心理援助に携わる者に必要なのだと思いました。

 

 

そして、それが今、強く求められる時代であるということも…

 

それについては、後日、書きたいと思います。


お知らせです☆

2012-02-22 15:01:32 | 心・身体・癒し

いつもブログをお読みいただきましてありがとうございます。

ご存知の方も多いかと思いますが、日本カウンセラー学院を卒業した

5年ほど前から、ずっと学び続けている『ボディフォーカスト・アプローチ』のブログを

同時に書かせていただいてきました。

その「ボディフォーカスト・アプローチ」の開発者である、名古屋在住の大高直樹先生が、

昨年秋、ご自身のオフィスを名古屋市中心部の久屋大通駅近くに構えられたことは、

以前、ここにもお知らせしましたが、それを機に、ボディフォーカスト・アプローチという

名称から実体に即した名称への転換を検討されていました。

ボディフォーカスト・アプローチとしてワークショップをおこなっていた頃より、先生のなかでは

もっと広い世界、たとえて言うならトランスパーソナル世界やスピリチュアルな世界といった

精神世界と心理学を包括したものをお伝えしたい、広めたいという考えが芽生え、膨らんで

きたように思われます。

それにはボディフォーカスト・アプローチという名称は、身体に焦点を当てるアプローチ法

とのイメージが固定しているのではないかとの思いから、名称を変えることを決断されました。

正式な告知は、まだもう少し時間が必要と思われますが、一足先に、このブログのタイトルを

これからも継続していきたいと考え、変更することにいたしました。

みなさまのご理解をいただき、名称変更後もお読みいただければ幸いです。

【新名称】

『すべてを受け容れ、あるがまま、今、ここにある』 マインドフルネス・アウェアネス
       ↓

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。