先日、あるワークを体験した。
そのときに体験したエクササイズというものが、相手と向き合い、ただただその相手から感じるものを、そのまま受け取っていくと言うものだった。
こちら側は、何も考えずただただ相手から感じるものを受け取り、展開させていてくだけである。
相手側が何を思い、何を考え、どういうスタンスでそこにいるか、どうあるかを探ることは一切しないこと。こちら側から発信しないことが約束事としてあるだけだった。
時間にして15分ほどだったろうか、最初に私の方が相手を感じる役割を務めた。
私が感じたのは、身体を小さくしたり、伸びをしたりという動作、身体の一部の温かさ、そしてビジョンであった。
イメージとして動物が出てきて、その動物が眠ったり、伸びをしたりしたのを見ていたが、そのとき感じたのは安心感と、活動したいという思いであった。
最後に、その動物の身体の一部に光が当たったところで終わっが、シェアをして驚くべきことが起こっていたことが判明した。
それは、相手に身体的な癒しが起きていたことだった。
「目の前にヒーラーがいると思った」との言葉に驚いた。
詳しく話を聞いてみると、相手のひとはある大きな怪我をしたことがあり、その後遺症に悩まされていたところだった。それが、私と向き合いはじめて間もなく、問題の場所に展開が起こったのだそうだ。
そして、それが内部にまで及び、回復へと導かれていく、そんな体感が得られたのだという。
所要時間15分の最後のところで、相手の調子が悪いと言う身体の一部に光が当たったのが見えた。
そこですべてが終わったわけだが、相手を感じつつ、そこで起こるプロセスに対して、私は一度として「何かをしてみよう」「施そう」「癒そう」という気持ちになることはなかった。
ただただ相手を感じ、起こることをそのまま受け入れ、展開に任せていっただけである。ひとつだけ、最初は相手を感じようと言う意識を持って取り組んだが、中盤辺りにさしかかったところで、これは相手に起こっているプロセスなのか、私のなかで起こっているプロセスなのかがわからなくなっていた。
そこが、あるいは癒しが起こった鍵かもしれない。
癒そうという気持ちで相手と対峙するのではなく、ただただ相手に起こることを感じていこう、感じ続けていこうという気持ちが、逆に相手に癒しという感覚を得てもらえることを体験できたことを感謝したいと思う。
ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com
ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora
ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』
http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada
ブログhttp://ameblo.jp/cocoro-iyasi-sora
元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』
http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php
日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』
http://www.therapy.jp/hitorigoto/