昨日、ある報道番組で「いのち」についての特集が組まれたのを見た。
それは山田泉さんという、癌に侵されながらも、いのちの大切さ、生きることの尊さを伝えようと、全国各地の学校などで講演を続けてきた女性の記録であった。
山田泉さんは、そもそも養護教諭として学校に勤務する先生だった。その彼女が十数年前にガンを発病。手術をするが、数年後に転移。
抗ガン剤治療を続けてきたが、治癒するどころか病巣は次々と彼女の身体を蝕み、最後には全身に転移。抗ガン剤も効かなくなるという厳しい現実に直面させられる。
そんななか、激しい痛みに耐えながら彼女は学校での講演を続けたのだった。
彼女をそこまで突き動かしたものは何だったのか。
それは学校の現場で繰り広げられる、いじめそしていのちを軽んじる子どもたちの言動や行動だった。
そうした実情を毎日、毎日、目の当たりにさせられ、山田先生は自分の心身が引きちぎられるような、ズタズタにされるような思いを味あわされたという。
それは死と背中合わせに今を生きている先生にとっては耐え難いことだったという。
あまりにひどい状況に先生は、自分の闘病生活やいのち、生きること、そして死というものを子どもたちに話し伝えていくことを決心する。
おそらくどこの学校でも、いじめなどの問題を抱えており「いのち」の大切さや「生きる」ということについての授業はなされているはずである。
しかし多くの場合、授業をしている先生自身、果たして「死」というものを真剣に考えたことがあるかといえば、少々疑問だ。ましてや「死」に直面した経験や、今まさに直面している先生がどれだけいるだろう。
学校での取り組みは、あくまで机上で練られ、通り一遍の「いのちを大切に」的な話で終わってしまっているところがほとんどではないだろうか。
しかし山田先生は実際にガンと向き合ってきた。
その事実はほかのどんな取り組みよりもひとの心を打つ。
死が間近に迫っている現実の厳しさ。
生きることへの執念、いのちの重さ、死への恐怖etc が迫力をもって彼女の話を聞いている子ども達の胸に確かに響いたようだった。
先生は、週に一回程度、自宅に子どもたちを呼んで話を聴いていた。
その多くは不登校になって、学校へ行けない子供たち。
テレビでは何度もそうした子ども達との交流の様子が伝えられたが、先生がよく言っていたのは「休んでもいい 立ち止まっていい 死を考え選ぶことだけはしてはいけない」ということだった。
ひとりの女子生徒が人間不信で学校にいけないと言っていたが、先生はその子にも「今はそれでもいい、死を選ぶことだけはしないように」と話していたが、その女の子は自分を受け入れてもらったことに安堵したのか涙を流していた。
山田先生が学校に出向き講演をしたあと、感想を生徒達に書いてもらったものが紹介されていたが、ほとんどの子ども達はいのちについて考え、今までの自分を反省したとの内容を綴っていた。
簡単に友人に「死ね」「死んでしまえ」と言っていたが傷つけていたことに気づいたといった言葉が綴られていた。
番組では、ある女の子と山田先生との交流の様子が紹介されていた。その女の子は小学校6年生だという。
幼少のころに白血病を発症、骨髄移植を受け一度は治癒したが、数年後に再発。
再び骨髄移植を受け、今は治癒したということにはなっているが、いつまた再発するかわからない状況に不安な毎日を送っているという話だった。
実は彼女は自分の病気のことについて、クラスメートには話していないという。その理由はいくつも考えられる。
そんな彼女に転機が訪れる。彼女の学校に山田先生が講演にやってきたのだ。
先生の話に熱心に耳を傾ける子ども達、話を聴きながらみんな涙を流していた。
もちろんそこには彼女の姿もあった。じっと耐えるように聞き入っる彼女。しかし、講演が終わった瞬間、彼女は堰を切ったように泣きじゃくったのだ。
先生がやさしく女の子の肩を抱いた…
それから数日後、彼女はクラスメートに自分の病気のことを話すことを決心する。山田さんとの出会いが彼女に変化をもたらしたのだ。
一方、山田先生の病状は進み、通常の抗ガン剤治療では効果がないところまでいってしまう。すでに医師からは治らないとの宣告を受けている。
副作用が強い、きつい薬をつかっての抗ガン剤治療が始まった。
そんなある日、女の子が山田先生の自宅を訪れる。
先生は彼女から自分の病気をクラスメートに話すことを決心した報告を受けていた。
先生は言う「自分のことを話さないのは、自分に変な同情をして欲しくなかったからだよね、変な慰めや哀れみをもって欲しくなかったからだよね」と。
先生や女の子が自分の病気のことを通して伝えたかったのは「癌」という病気を分かって欲しい「いのち」の大切さや「生きること」の重さ、尊さを分かって欲しいということだったのだ。
先生は、自らのいのちが長くないことをわかっていて、女の子に「バトンタッチするからね」と話し、バトンタッチされた女の子が頷く姿が心に響いた。
それからまもなく、女の子はクラスメートの前で自分の病気のことを話した。
頑張って、しっかりと伝えた。
友達のなかには涙を流す子もいた。メッセージは確かにみんなの心に響いたようだった。彼女も最後には泣いていた。
今年の秋、山田泉先生はホスピスに入院した。そして晩秋の頃、四十七歳の生命を終えられた。
たくさんの生徒達に、生きることの素晴らしさ、いのちの大切さを伝えて…
改めて思う。
今、生きていること、いのちがあることは決して当たり前ではない。
その事実をしっかりと受け止め、自分のいのちだけでなく、他人のいのちをも大切に思って生きていって欲しい。
「死」をたやすく口にして欲しくない。
ひとを傷つける「道具」にして欲しくない。
「死」は「生」と同じように尊い、生きるものすべてに与えられる「いのち」の営みなのだ。