ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

来年もどうぞよろしくお願いします

2008-12-31 12:19:00 | 心・身体・癒し
2008年も今日を残すのみとなりました。


おかげさまで、充実した一年を過ごすことができました。

来年は、この一年間で実現できたことを継続、持続させながら、少しずつでもスキルアップ、成長していけるように努力したいと思っております。

今年も稚拙な文章を綴ったブログを読んでいただきまして有難うございました。

来年もどうかよろしくお願い致します。

どうか皆様、よいお年をお迎えください。



元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora)

http://homepage2.nifty.com/kokoro-sora/

ブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず
 http://blog.livedoor.jp/kokoro_tobira_sora/


携帯からもブログ「心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはずが、アクセスできるようになりました。  
 http://mobile.livedoor.com/

いのち08'

2008-12-28 10:56:19 | 心・身体・癒し

昨日、ある報道番組で「いのち」についての特集が組まれたのを見た。
それは山田泉さんという、癌に侵されながらも、いのちの大切さ、生きることの尊さを伝えようと、全国各地の学校などで講演を続けてきた女性の記録であった。

山田泉さんは、そもそも養護教諭として学校に勤務する先生だった。その彼女が十数年前にガンを発病。手術をするが、数年後に転移。
抗ガン剤治療を続けてきたが、治癒するどころか病巣は次々と彼女の身体を蝕み、最後には全身に転移。抗ガン剤も効かなくなるという厳しい現実に直面させられる。
そんななか、激しい痛みに耐えながら彼女は学校での講演を続けたのだった。

彼女をそこまで突き動かしたものは何だったのか。
それは学校の現場で繰り広げられる、いじめそしていのちを軽んじる子どもたちの言動や行動だった。
そうした実情を毎日、毎日、目の当たりにさせられ、山田先生は自分の心身が引きちぎられるような、ズタズタにされるような思いを味あわされたという。
それは死と背中合わせに今を生きている先生にとっては耐え難いことだったという。

あまりにひどい状況に先生は、自分の闘病生活やいのち、生きること、そして死というものを子どもたちに話し伝えていくことを決心する。

おそらくどこの学校でも、いじめなどの問題を抱えており「いのち」の大切さや「生きる」ということについての授業はなされているはずである。
しかし多くの場合、授業をしている先生自身、果たして「死」というものを真剣に考えたことがあるかといえば、少々疑問だ。ましてや「死」に直面した経験や、今まさに直面している先生がどれだけいるだろう。

学校での取り組みは、あくまで机上で練られ、通り一遍の「いのちを大切に」的な話で終わってしまっているところがほとんどではないだろうか。

しかし山田先生は実際にガンと向き合ってきた。
その事実はほかのどんな取り組みよりもひとの心を打つ。
死が間近に迫っている現実の厳しさ。
生きることへの執念、いのちの重さ、死への恐怖etc が迫力をもって彼女の話を聞いている子ども達の胸に確かに響いたようだった。

先生は、週に一回程度、自宅に子どもたちを呼んで話を聴いていた。
その多くは不登校になって、学校へ行けない子供たち。
テレビでは何度もそうした子ども達との交流の様子が伝えられたが、先生がよく言っていたのは「休んでもいい 立ち止まっていい  死を考え選ぶことだけはしてはいけない」ということだった。

ひとりの女子生徒が人間不信で学校にいけないと言っていたが、先生はその子にも「今はそれでもいい、死を選ぶことだけはしないように」と話していたが、その女の子は自分を受け入れてもらったことに安堵したのか涙を流していた。

山田先生が学校に出向き講演をしたあと、感想を生徒達に書いてもらったものが紹介されていたが、ほとんどの子ども達はいのちについて考え、今までの自分を反省したとの内容を綴っていた。
簡単に友人に「死ね」「死んでしまえ」と言っていたが傷つけていたことに気づいたといった言葉が綴られていた。

番組では、ある女の子と山田先生との交流の様子が紹介されていた。その女の子は小学校6年生だという。
幼少のころに白血病を発症、骨髄移植を受け一度は治癒したが、数年後に再発。
再び骨髄移植を受け、今は治癒したということにはなっているが、いつまた再発するかわからない状況に不安な毎日を送っているという話だった。

実は彼女は自分の病気のことについて、クラスメートには話していないという。その理由はいくつも考えられる。

そんな彼女に転機が訪れる。彼女の学校に山田先生が講演にやってきたのだ。
先生の話に熱心に耳を傾ける子ども達、話を聴きながらみんな涙を流していた。
もちろんそこには彼女の姿もあった。じっと耐えるように聞き入っる彼女。しかし、講演が終わった瞬間、彼女は堰を切ったように泣きじゃくったのだ。
先生がやさしく女の子の肩を抱いた…

それから数日後、彼女はクラスメートに自分の病気のことを話すことを決心する。山田さんとの出会いが彼女に変化をもたらしたのだ。

一方、山田先生の病状は進み、通常の抗ガン剤治療では効果がないところまでいってしまう。すでに医師からは治らないとの宣告を受けている。

副作用が強い、きつい薬をつかっての抗ガン剤治療が始まった。
そんなある日、女の子が山田先生の自宅を訪れる。
先生は彼女から自分の病気をクラスメートに話すことを決心した報告を受けていた。
先生は言う「自分のことを話さないのは、自分に変な同情をして欲しくなかったからだよね、変な慰めや哀れみをもって欲しくなかったからだよね」と。

先生や女の子が自分の病気のことを通して伝えたかったのは「癌」という病気を分かって欲しい「いのち」の大切さや「生きること」の重さ、尊さを分かって欲しいということだったのだ。

先生は、自らのいのちが長くないことをわかっていて、女の子に「バトンタッチするからね」と話し、バトンタッチされた女の子が頷く姿が心に響いた。

それからまもなく、女の子はクラスメートの前で自分の病気のことを話した。
頑張って、しっかりと伝えた。
友達のなかには涙を流す子もいた。メッセージは確かにみんなの心に響いたようだった。彼女も最後には泣いていた。

今年の秋、山田泉先生はホスピスに入院した。そして晩秋の頃、四十七歳の生命を終えられた。
たくさんの生徒達に、生きることの素晴らしさ、いのちの大切さを伝えて…

改めて思う。
今、生きていること、いのちがあることは決して当たり前ではない。
その事実をしっかりと受け止め、自分のいのちだけでなく、他人のいのちをも大切に思って生きていって欲しい。

「死」をたやすく口にして欲しくない。
ひとを傷つける「道具」にして欲しくない。
「死」は「生」と同じように尊い、生きるものすべてに与えられる「いのち」の営みなのだ。

 


語らいのとき08'

2008-12-22 10:56:45 | 心・身体・癒し

昨日、カウンセラー学院時代のクラス会が開かれた。

今年の春、担任だった講師が名古屋に赴任。
それを機に五月の連休、クラス会が開かれたのだが、後日、先生から「単なる飲み会的クラス会ではなく、ひととは、人生とは、カウンセリングとはをみんなから聞きたいと思っている」とのメッセージをもらっていた。
実は私も先生と似たような思いを教育分析を続けるなかで感じ始めていた。
教育分析はあくまで一対一。時間も一時間と限られている。
そこに内容的な限界と、時間的な不満足感を抱き始めていたのだ。

それを解消する手段のひとつとして、仲間のひとたちとの語らいの場を設けられたらいいと思っていたところに先生からのリクエストだった。

寄せられた要望と私の願望が一致。
早速、先生と内容を具体的に煮詰めたり、時間的な問題について調整していたのだが、名古屋と東京では遠すぎてなかなかまとめるのも大変。
やっとここへきて概要が決まり、急遽「茶話会」との名目での開催となった。

告知から開催まであまり時間がなかったことから、果たしてどれほどのひとに参加してもらえるかと心配したが、暮れにも関わらず、予想以上の十名が集まった。

メンバーは、五月のクラス会で会ったひともいるが、卒業以来初めてのひとや広島から参加のひともいて和気藹々。旧交を温めあった。

学院に在学中と同じように、自己紹介から始まったが、それぞれ皆色々な方面で活動していた。

引きこもりに対しての援助活動をしているひとや会社の人事課に在籍しているひと、会社に勤めながらカウンセリング活動をしているひと。
私のようにまだまだ軌道に乗らないひとなど様々。

さらに驚いたのは、学院から離れてから、新たに学びの場を求めていたひとが多かったことだ。

学院では仲間が同じカリキュラムを勉強していた。内容はあくまで基本的なもので、人間性心理学や行動主義的心理学など幅があり、今にして考えると自分にどの分野が合っているかを掴むところまではいっていなかったひとが殆どだったように思う。

しかし、卒業して色々なひととの出会いのなかで、自分は何がしたいのか、どんな方向に進みたいのかが明確となったのだろう。
それに沿った生き方を実践していたことに大いに刺激を受けた。

正直、自分のことを思ったときに活発な活動をしているわけではなく、少々考えさせられなかったわけではない。
しかしすぐに思ったのは、自分は他人と違うところを見て、他人と違うことをしていきたいとの気持ちを持ってやってきたということだった。

見ているところが違えばその道のりや時間も異なる。すべてがその方向にあった出会いであり進みかたなのだ。

現在の仕事や日常を報告するなかで、私たちは勿論、先生も興味深い話があったらしく熱心に聞く場面が見受けられたり、知らない世界に身をおいているひとの話に関心を示すなど、あっという間の三時間だった。

みんなで賑やかにおしゃべりをしながら飲んだり食べたりするのもいいが、こうした時間に意味と価値を見いだせる感覚を大事にしたいと思う。

今後もこうした時間をとの要望を受け、一年に一度くらいは開催したいと思っている。

 

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』

http://www.therapy.jp/messages.shtml


今年最後の教育分析08'

2008-12-19 10:55:52 | 心・身体・癒し

昨日(12月19日)、今年最後の教育分析を受けた。

今月のテーマは先月に引き続き、周波数、波動を合わせるということについて。

この1か月の間、ずっとこのテーマで考えていた。
そして、ある疑問が湧いた。

それは、ただそこにいることで、なぜクライエントは気づきを起こすのかということだった。

周波数があったことで、カウンセラーは同じ経験を始めるということ、気づきが起こるということは、私自身が実際に体験し、体感としてもわかるだけに、周波数と気づきの間にいったいどんなことが発生するのか、それを知りたくなった。


先生の話によれば、クライエントにはエッジが存在している。
カウンセラーの周波数が、そのエッジに影響を与え、エッジに小さな崩れを起こすのだという。
その結果、クライエントがカウンセラーの周波数に同調を始めたことで気づきがおきいるのだという。

それだけに、カウンセラーの条件として純粋性が求められるという話だった。
そして、クライエントや相手のどんな周波数にも合わせられるように、繊細な感覚を磨いていかなければならない。


最後にカウンセラーとしてのトレーニングのレクチャーを受けたが、やはり瞑想が重要なツールとなる。
繊細な感覚と意識、同時にクライエントの話を聴きながら整理していくというふたつの作業が必要だという。
これをたまたまではなく、常に実践できることが求められる。トレーニングをするようにとのアドバイスをもらい緊張感が走った。

今年の教育分析はこれで終了。

来年は、早々に1回体験のワークショップと名古屋での3回シリーズ、そして2月、3月、4月の3回シリーズワークショップが開催される。

ボディフォーカスト・アプローチのスキルアップとともに、この「存在=プレゼンス」のトレーニングと、スキルアップが主なテーマになりそうだ。


 

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』

http://www.therapy.jp/messages.shtml


存在する意味と価値08'

2008-12-15 10:57:32 | 心・身体・癒し

先日の学院時代の仲間との茶話会は、私の意識に少なからず影響を与えたようだ。

仲間の人たちはそれぞれ自分の思う世界に進み、日々精進し、向上への道を歩んでいたひとが殆どであった。

積極的に様々なひとと触れ合い、そこからまた人脈を得て自分の可能性を広げていたのだ。

その表情からは、迷いは露ほども感じられず輝いてさえ見えた。

そんな仲間たちの様子に一瞬ではあったが、自分はもしかしたらのんびり構え過ぎてきたのかもしれない。もう少しひととの関わりを積極的にしてらよかったのだろうかとの思いがよぎった。
このような思いを抱いたのは、初めてだった。

しかし、時間が経つにつれて湧き上がってきたものは「果たして心理の世界において、私が存在する意味と価値とはどこにあるのか」という思いだった。

そして気がついたことは、私が今まで学んできたBFAは他のひとたちがすでにしている分野とは違い、まだまだ知名度が低いこと、そしてそのなかにあって長く継続しているひとは更に限られていることだった。

この二つの事実に気づいたとき、私が目指すべきことは、今以上に深くBFAを追究し自分の身にしっかりと入れること、BFAを伝えることだとわかった。

そういう点で来年は今まで以上に集中してBFAとカール・ロジャーズがいう第四の条件「存在=プレゼンス」を学んでいこうと思っている。

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』

http://www.therapy.jp/messages.shtml


伝えるということは・・・08'

2008-12-13 10:55:28 | 心・身体・癒し

振り返れば、今年の活動は「伝える」ということに終始していた。

学院に入学して、ボディフォーカスト・アプローチと出会い、瞑想を日課にしたことから始まった私の変容は、価値観が何度も大きく変わるたびに深まり高まったように思う。

そうした体験から、私のなかにボディーフォーカスト・アプローチを伝えたい、ひろく、多くのひとに知って欲しいと強く願うようになったのだった。

伝える、広めるという行為にはいくつかの方法がある。
そのひとつがワークショップであり、もうひとつが書いて伝えるということだ。
このふたつのことを私は今年初めて実践した。

ありがたいことにワークショップは参加してくれたひとたちから「よかった」とのメッセージをもらい、書いて伝えるということはブログから発展したかたちでひとつの態をなそうとしている。

これらのことを経験していくなかで気づいたことがある。
それは「伝える」という行為が、その対象のひとや、関わりをもったひとに単に「伝わる」だけではなく、「影響」をも与えていたということだった。

それはものごとに対しての考え方であり、捉え方や感じ方にまで及ぶ。
もしかしたら、それは初めからそのひとのなかにあったのかもしれない。

しかし、出会ったことで、自分のなかにすでにあったことに気づいたり、そのひとが今まで上手く表現できなかったものが「伝わってきた」ことにより、表現できるようになったという変化のきっかけを与えたことを私はつい最近知ったのだった。

思えば私は十代の頃から、自分が「コレだ!」と思うと、他人にも伝えないといられなかった。
それは演劇や音楽、美術や書籍といったものから、過去や現在に関わらず「人物」まで多方面に渡ったが、「伝える」ことに一生懸命になって「影響を与える」ということまで意識が及んでいなかった気がする。

しかし今回「伝える」ことに留まらず「影響を与えた」ことを目の当たりにして、私は改めて「伝える」ことの意味や価値、その重さを実感している。

よいものを正しく伝えること。そして、いいかたちで影響を与えられるように伝えることが私に求められていることなのだと思う。

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』

http://www.therapy.jp/messages.shtml


 


内的世界08'

2008-12-13 10:54:29 | 心・身体・癒し

内的世界

数日前、新聞の夕刊に沢木耕太郎さんが、ある映画について書いた文章を読んだ。
彼が紹介していたのは「ラースと、その彼女」というアメリカ中西部の小さな町が舞台の映画だった。

沢木さんの文章の書き出しからして少々ショッキングではあったのだが、読み進むうちにまさしくこれは私が今、教育分析を受けているなかで、講師の大高先生が心理カウンセリングで最も重要だと言い続けてきた内的世界、そして受容というものを映像化した映画であることがわかってきた。

沢木さんは最近、アメリカのある町のデパートの子供服売り場で、赤ん坊を抱いている若い女性を見かけたという。
単にその事実だけを追えば何も不自然さは見出せないのだが、実は彼女が抱いている赤ん坊は等身大の裸の人形であった。
そして、その背後には彼女を心配そうに見守る年配の男女の姿があったという。

その光景を見たとき沢木さんが思い出したのが、先に書いた「ラースと、その彼女」という映画だったという。

「ラースと、その彼女」の大まかなストーリーはこうだ。
ラースはアメリカ中西部の小さな町に住む若者だった。
彼は兄夫婦が住む家の車庫を改造したロッジで、ひととの関わりを恐れるかのように孤立して生きていた。
わずかな人たちと言葉を交わすくらいで、兄嫁が一緒に食事をと彼を招くのだが応じようとしない。

あるときラースのもとに大きな木の箱が届く。
そして、ラースは兄夫婦に自分のガールフレンドを紹介するといった。

兄夫婦が喜ぶなかラースが彼女として連れてきたのは、何と車椅子に乗せられたラブドールの人形であった。
驚愕する兄夫婦。
しかしラースは人形にビアンカという名前までつけて、あたかも本当の人間であるかのように扱うのだった。

困惑した兄夫婦は、町の女医さんのところに二人(ラースとビアンカ)を連れて行く。
すると女医さんは兄夫婦に「ラースと話をあわせなさい」と言うではないか。
ここから町全体を巻き込んだ「ラースとビアンカ」の物語が始まるのだった。

兄嫁はラブドールに衣服を着せ、ラースの知人は二人をパーティーに招く。
さらにビアンカが病気になったと嘆くラースの元に、教会仲間の老女達が見舞いに訪れる。
しかし彼女たちは、彼の傍で編み物や刺繍をするだけ。
そしてこう言うのだった「悲しみのときはそっと付き添うの」と…

こうした日々のなか、ラースの心の奥にあるもつれた糸が徐々に明らかになっていく。
彼が生まれてすぐに母親が亡くなったこと。
妻を亡くした父親がすごく気難しい人間になってしまったこと。
その息の詰まる生活から兄は先に逃れ、ラースが父親と最後まで共に暮らしたことなどが見えてくるのだった。

こうした歴史のなかでラースは徐々にひととの関わりを恐れ、拒むようになっていったのであろう。
しかし彼とビアンカを町じゅうのひとが受け容れたところから、彼の心のなかの氷は少しずつ、少しずつ解けていったようだった。
徐々に女性と握手ができるようになっていくラース。
そうした生身のひとと真正面から向き合い、触れ合えるようになったとき、ビアンカはただのラブドールに戻っていく…。

沢木さんは言う「奇跡の物語である」と。
「神も聖人も超能力者も出てこない。奇跡を行うのは、人々の「受容」という態度である」 「否定し拒絶するのではなく、受け入れる」

私はこの記事を読みながら、大高先生がずっと言い続けてきた世界がここにあると感じた。

「受容こそが究極である」といった先生の言葉、そして「つねに意識するのは、相手の内的世界について思いをめぐらせること」だと教えてくれた先生の姿勢、ポリシー、哲学が「本物」であることをこの映画は証明している。

最近、私のなかに芽生え始めた「技術じゃないところにあるもの」「技術を超えたなにか」について先生は「周波数」「波動」といったものを通して示してくれた。
そして、そこに究極の「存在」というものがあることを、これから示そうとしてくれている。

私にとって、この映画(の記事)はまさに出会うべくして出会ったもののように思われた。
究極の受容がどういうものであるか、存在とは…
それを体感として理解する、今はその時期なのかもしれない。


 

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』

http://www.therapy.jp/messages.shtml
 

 


喉を開く08'

2008-12-10 10:53:36 | 心・身体・癒し

先日、ある番組で喉の筋力の低下による嚥下障害についての話を聞いた。

年齢が上がるにつれて、誤嚥下による問題が生じやすくなる。
高齢者が肺炎に罹る場合、その5割以上が誤嚥下によるものということは結構知られているのではないだろうか。

この誤嚥下を起こしやすい原因のひとつが、喉の筋力低下なのだそうだ。
そして、それと一緒にとりあげられていたのが、年齢が上がるにつれて、声が出にくくなるということだった。

実際、私の母親も今年79歳になったのだが、若い頃は音楽が好きで、毎日のように歌を歌っていた。

それがあるときから歌を歌わなくなって、気がつくと声が出にくくなっていた。
たまに歌を歌っても、声がほとんど出ない。
歌を歌えるような喉の状態ではなくなってしまったのである。

そうはいっても高齢者であり何年も歌うことを忘れていたせいと、あまりきにしないでいたのだが、今回、喉の筋力低下が誤嚥下の引き金になると知って、このままではいけないのだと気がついた。

ではどうやってのどの筋力低下を抑えるか、復活させるかというと、歌を歌うのが効果的なのだそうだ。

最初はなかなか喉を開くことができず、大きな声で歌うことも難しいかもしれないが、毎日少しずつ歌をうたうのがいいという。

胸を開き、お腹から喉を開くようにして声を出すことで、徐々に喉の筋力が回復して、結果として誤嚥下も防ぐことができるようになっていくのではないか。

その話を聞いた日から毎日歌うようになった母、少しずつではあるが声が出るようになってきた。

普段、身体の筋力や機能に関心をもっていても、喉の筋力にまでは意識を向けていない場合が多い。
しかし、ものを食べたり飲んだりした時にむせやすくなったと感じたら、筋力の低下を疑ってみるといいかもしれない

 

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』

http://www.therapy.jp/messages.shtml
 

 


そのひと時間08'

2008-12-07 10:57:09 | 心・身体・癒し

師走となり、何かと忙しくなってきた。
今年もあと残すところ三週間。
否が応でもこの一年を振り返ってしまう。

私個人のことを言えば、今年はとても多忙かつ充実した時間を過ごすことができた。
短大、ワークショップそして書くという作業。どれもがずっと私がやりたかったことだった。そして、それがすべて叶ったのが今年だった。

身近な友人や家族はそれらが一度に押し寄せたことに驚き、多忙な私の体調を心配し気遣ってくれたが、私自身はいたって元気で、ほとんど疲れというものを感じないまま夏を過ごし秋をむかえ、いま冬へとむかっている。

もちろん体調を無視して動していたわけではない。
それなりに休息をとったり、ちょっと疲れたなと感じた時は、今まで飲んだことのない栄養ドリンクを飲んだりと、それなりには気をつけて生活してきた。
そうした小さな自分への気遣いが、結果的には一年を通して健康でいられたことにつながったように思う。

学院に入学してから三年。心理カウンセラーの資格を取得して二年。
在学中からカウンセラーの活動を始めたひとや、卒業してすぐにカウンセリングルームを開業したりカウンセラーとして就職したり、半年、一年が過ぎた頃から活動をし始めたひとがいるなか、私自身は必ずしも順調とは言えなかった。

しかし今年、念願だったワークショップを初めて開催できたこと、書いて伝えるということをひとつのかたちにすることができたことを考えたとき、この二年という時間が私にとって必要な時間だったのだと心の底から思う。

ひとは皆、それぞれの人生を生きる。
ひとりとして同じ人生はない。
それと同じように、ひとは皆、それぞれの時間を持っているのではないだろうか。
そして、それぞれの時間に合わせて生きているのだと思う。

たとえ同じ時期に同じことを始めたとしても、みんなそれぞれ見ているところ、目指しているところは違う。
それゆえに、そこにたどりつくために必要な時間もみんな違うのだ。


確かにこの間、ちょっとした焦りから迷った時期もあるにはあった。
しかし、結局は最初の場所に戻ってきていた。
そして、そこにいるときが私にとって一番居心地の良い場所、私らしくいられる場所なのだと感じてきた。

今、改めてこの三年を振り返ってたとき、やはり私が最初に思い描いた世界はこれだったのだと思っている自分、ここしかないのだと確信している自分がいる。

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』

http://www.therapy.jp/messages.shtml

 


待つということ08'

2008-12-04 12:51:19 | 心・身体・癒し

学院に入学して三ヶ月くらいが経った頃から、卒業して復習講座に通っているあいだの二、三ヶ月休んだのを除いて、三年あまり教育分析を受け続けている。

教育分析と言っても、私の場合は途中から半分スーパービジョンのような、ボディフォーカスト・アプローチのレクチャーのような意味合いが強くなっているので、カウンセラー仲間に言わせると「それはもう、教育分析ではない」のだそうだ。

ただ、私自身は他の講師の教育分析を受けたことがないので、一般的な教育分析というものがどういうものなのかが分からない。
強いて言えば、明らかにスーパービジョンだけを目的とする時間を過ごしていないということだけである。

先日、たまたまBFAの仲間と先生を交えての会があり、仲間から私が受けているものは「教育分析の内容ではない」と言われると話したところ、先生からも「技術的な内容になっているからね」との感想をもらった。

しかし、ここまでくるには相当の時間がかかった。
そして、その時間をトレーナーである先生はじっと待ってくれていたということに、先日気づかされた。

その具体的なことを話すのは、もう少し時間が欲しいのだが、私が今取り組んでいる「書く」ということ「伝える」ということの過程で明らかになったことだった。

先生が私との教育分析のなかで感じてきたことを、今回話してもらう機会があったのだが、そのなかで実はこんなことを感じていたのだということがわかった。

それは「生と死」そして、それにまつわる「時間」というものの概念、解釈についてだったのだが、そのテーマで話しているとき先生は、自分の考えを語ることなくあくまで私のなかにある概念、解釈を聞くことに徹してくれていたのだった。

それを今、改めて聞いてみたところ、あの頃、先生は私の考え方に違和感を抱いていたという。

そのときから三年。
現在、私が抱いている「生と死」そして、それにまつわる「時間」についての概念は、明らかに変化するとともに健康的なものに変わっている。

もし、あのとき先生が違和感を感じた気持ちそのままに「これが正しいのだ」「こうした考え方がある」と言葉にしていたら、いったい私はどう受け取り、解釈し判断していただろう。
おそらく深いところを感じることなく「ああ、それこそが正しい感じ方、考え方なのか」と理解し受け容れただろう。
そして、それはあくまで表面的なことであり、心の底から腑に落ちての理解ではなかったと思う。

しかしこの三年間の学びや体験によって、私は先生が言う、本来あるべき「生と死」そしてそれにまつわる「時間」についての概念、解釈を、自らの内から湧き上がる気づきや思いによって獲得したことを、先月の教育分析で確かめることができたのだった。

クライエントによっては、相談したことに対して、手っ取り早い解決法やアドバイスを欲しがるひともいるかもれないが、今回の自身の体験によってクライエントの変化をいかに待つか、待てるかも、カウンセラーの度量のひとつとして大きな要素を占めていることに気がついた。

それにはまず、クライエントが自らの力で成長できることをカウンセラーが信じ、信頼することができなければ成立しない。

待つことはつらい、大変作業でもある。
しかし、私はクライエントを信じ待ちたいと思う。
私が待ってもらったように。

 

ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com

ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora

ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora

ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada

元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』

http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php

日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』

http://www.therapy.jp/messages.shtml
 

 


我慢からたおやかへ08'

2008-12-01 11:49:45 | 心・身体・癒し

この七ヶ月とり組んできた「書いて伝える」という作業も、いよいよ終わりを迎えようとしている。
当初の予定では、九月末で終わるはずだったが、途中、中だるみがあったり、まったく筆が進まなくなったりした時期があって、三ヶ月延びてしまった。

しかし、今になってみれば、それでよかったのだと心から思う。この二ヶ月あまりの間に大きな表現に対しての意識の変化があったからだ。

学院に入学してから今日まで、ずっと教育分析のトレーナーとして私のことを見続けてくれた先生の言葉が、変わる切っ掛けを与えてくれたのだった。
今まで「書く」ということの作業の中で、最も大切にそして伝えたいと考えていたのは、やはりボディフォーカスト・アプローチ(BFA)。

この三年余り、BFAをやってきたことで私はずい分と変わった。それは心のみならず身体もなのだが、その最も大きな理由が、「心が変わったことで身体が変わった」というもの。
それをどうしても伝えたいと思っていた。

しかし、先日、先生から「自分のことをあまり伝えていないのではないか」との指摘を受けたのである。
はじめ私は、その言葉が持つ意味を、自分に都合の良いように捉え「私は自分のことよりも、BFAのよさ、素晴らしさを一番に伝えたい。そのためには自分のことはあまり踏み込んだ伝え方は避けたいのだ」と先生に答えていた。

ところが時間が経つにつれ、自分の考え方は違うのではないかと思い始めてきた。本当は逆なのではないかと思うようになってきたのだ。

本当にBFAのよさ、素晴らしさを伝えたいのならば、私がBFAと出会う前にどんな生活をしてきたか、生き方をしてきたかをきちんと話さないといけないことに気がついた。

以前はこういう状態だったが、BFAと出会ったことで、こんな風に変わったのだということを明確にしないと、伝わるものも伝わらない。
「このままではいけない」と気づいたのである。

そこに気づいたことを機に、表現をし直す作業を始め、そして数日後かけて作業は終わることができた。

そして先日、「打ち合わせ」なるものをしてきたのだが、今まで私が抱いていたイメージ「我慢する力」が、実際のイメージとどこかズレが生じ始めていることに気がついた。
今までしっくりいっていたものが、あるときガラッと変わり、まったくしっくりいかなくるということを、私はこのとき初めて体験した。

しかし結局それはまさしく私自身の生き方の変化でもあったことに他ならない。
そこに気づくことができた瞬間、私のなかでちょっとした感動が生まれた。

「そう、そうだったのだ」と・・・

そして出てきたのが「たおやか」という言葉だったのである。

まわりを受け容れながら、自身の芯になるところは揺るがないというイメージは、まさに今の私の心そのものであった。

「我慢する力」から「たおやかへ」今、この言葉がしっくりいっている。