今日は写真9枚と少々長めのお話となっておりますので、
お時間に余裕のある時に読んでくださいませ。
父、今日86歳の誕生日でした。
好きなにぎり寿司とケーキでささやかに祝いました。
それにしても、86年って歳月、長いよなぁ~。。。
86年の間には嬉しい事、悲しい事、悔しい事、てんこ盛りだよね。
74歳までは怪我こそあるものの病気知らずで・・・
家族の為に良く働いてくれた。
74歳で心筋梗塞で倒れた時も運が良い人間はそんなものかもしれないが、
たまたま、私が仕事が休みで家に居た。
いつものように1人で留守番をしている日だったら、どうなっていたか!?
寿命がある人間は何度も命の危険に晒されてもそれを回避して、
生きられるのかもしれない・・・と父を見ていると思う。
その後に難病に指定されている病気に罹った時も、
最初は肺炎かも?と言うことで入院したが、熱が上がったり下がったりを繰り返し、
熱が何日も続いた挙句、血液検査の結果は難病に指定されている全身性エリテマトーデスと告げられた。
その際、担当の医師から何の説明も無いまま大量のプレドニンが投与された。
(今の時代、”インフォームド・コンセント”は必ずあるのが当たり前のはずなのに)
1日の服用が大量の場合、様々な弊害も伴うわけでその説明が無いことで
担当の医師を信頼できなくなった私が、無理やり転院を決めた。
医師はこれまでの病状の経過を書いた物は渡してくれたが、紹介状は書いてくれなかった。
倉敷市の信頼できる総合病院に入院させて貰えるかどうかわからぬまま、
それでも、其処に行くしかない!と言う強い気持ちで受診した
結果、病室に空きが無い状態だがこのまま家に帰らすわけには行かないと
病室の段取りをして貰えて無事入院できた。
この時、すでに薬の副作用で喉にカビが生えていた。
これに気がつくのが少し遅れたら肺炎を併発して、命の危険があった。
その後も何度か入院を繰り返し、医師から『危ない状態です、覚悟してください』と
2度も3度も宣告されたにも関わらず、今日も元気に誕生日を迎えられた。
この病気を知り尽くしている専門の、そして、”人間には自然治癒力がある”と言う考えの、
素晴らしい医師に出会えた事も父のラッキーさを物語っていると思う。
今は僅かな量のプレドニンを服用しているものの、好きな肉もの、油を使った物を好んで食べ、
言いたい事を言って座ったり寝たりの生活をしている。
最近は足が富に弱って、手すりを持ってやっとやっと歩く状態だが、
本人はまだまだ、何でも出来ていた頃の気分のままである。
この先、出来なくなる事だらけなのは目に見えているが、
いろいろなサービスを利用しながら、最後まで家で暮らしてもらえたら・・・と考えている。
もっと、もっと、長生きしましょうや。母の分も!
父、誕生日おめでとう~。
お時間に余裕のある時に読んでくださいませ。
父、今日86歳の誕生日でした。
好きなにぎり寿司とケーキでささやかに祝いました。
それにしても、86年って歳月、長いよなぁ~。。。
86年の間には嬉しい事、悲しい事、悔しい事、てんこ盛りだよね。
74歳までは怪我こそあるものの病気知らずで・・・
家族の為に良く働いてくれた。
74歳で心筋梗塞で倒れた時も運が良い人間はそんなものかもしれないが、
たまたま、私が仕事が休みで家に居た。
いつものように1人で留守番をしている日だったら、どうなっていたか!?
寿命がある人間は何度も命の危険に晒されてもそれを回避して、
生きられるのかもしれない・・・と父を見ていると思う。
その後に難病に指定されている病気に罹った時も、
最初は肺炎かも?と言うことで入院したが、熱が上がったり下がったりを繰り返し、
熱が何日も続いた挙句、血液検査の結果は難病に指定されている全身性エリテマトーデスと告げられた。
その際、担当の医師から何の説明も無いまま大量のプレドニンが投与された。
(今の時代、”インフォームド・コンセント”は必ずあるのが当たり前のはずなのに)
1日の服用が大量の場合、様々な弊害も伴うわけでその説明が無いことで
担当の医師を信頼できなくなった私が、無理やり転院を決めた。
医師はこれまでの病状の経過を書いた物は渡してくれたが、紹介状は書いてくれなかった。
倉敷市の信頼できる総合病院に入院させて貰えるかどうかわからぬまま、
それでも、其処に行くしかない!と言う強い気持ちで受診した
結果、病室に空きが無い状態だがこのまま家に帰らすわけには行かないと
病室の段取りをして貰えて無事入院できた。
この時、すでに薬の副作用で喉にカビが生えていた。
これに気がつくのが少し遅れたら肺炎を併発して、命の危険があった。
その後も何度か入院を繰り返し、医師から『危ない状態です、覚悟してください』と
2度も3度も宣告されたにも関わらず、今日も元気に誕生日を迎えられた。
この病気を知り尽くしている専門の、そして、”人間には自然治癒力がある”と言う考えの、
素晴らしい医師に出会えた事も父のラッキーさを物語っていると思う。
今は僅かな量のプレドニンを服用しているものの、好きな肉もの、油を使った物を好んで食べ、
言いたい事を言って座ったり寝たりの生活をしている。
最近は足が富に弱って、手すりを持ってやっとやっと歩く状態だが、
本人はまだまだ、何でも出来ていた頃の気分のままである。
この先、出来なくなる事だらけなのは目に見えているが、
いろいろなサービスを利用しながら、最後まで家で暮らしてもらえたら・・・と考えている。
もっと、もっと、長生きしましょうや。母の分も!
父、誕生日おめでとう~。
私も同じ日にひとつ年を重ねることができました。
一緒に「おめでとう!」ですよん。
じっくりじっくりはなさんの文章を、かみ締めるように読ませていただきました。
加齢とともに遅い来る病魔のひとつひとつをご自身とご家族とで乗り越えての今、なんですね。
全身性エリテマトーデス・・・膠原病の一種ですね。うちでは母が何十年前、その疑いあり、ということで通院(当時の我が家は入院治療できる環境ではなかったので)したことがあります。お薬(ステロイド)の副作用で顔がパンパンになってたと思います。
父は父で間質性肺炎になったとき、どんな抗生剤でも熱が下がらず最後はステロイドの大量投与療法で命を救われました。
お薬って、魔法のように効果をあらわすこともあるけれど、逆に命を縮めてしまうことがありますよね。
医学の進歩とともにお薬に頼りがちな現代人ですけど、自分が本来持っている自然治癒力を忘れたら駄目なんだよなぁ。
わかっちゃいるけど、すぐにお薬を飲んで目先元気でいようとしてしまう自分自身を反省!です。
それにしてもはなさん・・・
優しいなぁ。
はなさん、本当に強くて、そして優しい。
私は父に、母に、そんな風に接することが出来るでしょうか。
そんな素敵な言葉をかけてあげることが出来るだろうか。
出来ない・・・と思う。
自信がありません。
次から次へと出来ないことが増えてきて、忘れてしまうことも増えてきて、火の始末など危ないことも増えてきて、逆にどんどん横柄で頑固でわがままになっていく父に、どう接していくのが良いのか・・・どう接したら母が納得し(母はどうしても父のそういう変化を受け入れられないのだと思います)、父も穏やかでいてくれるのか、頭を悩ませています。
難しいです・・・
とかいろいろ書いてしまったけれど
お父様、お誕生日おめでとうございます!
これからも素敵なご家族に囲まれて、毎日を楽しんでくださいね。
父に誕生日のお祝いの言葉をありがとうございます。
そして、MARIN-MAMAさんも同じ日がお誕生日でしたよね。
遅くなりましたが、MARIN-MAMAさん、お誕生日おめでとうございます。
これからの1年もマリンちゃんとご家族皆さんで充実した楽しい日々をお過ごしくださいね。
長い話を丁寧に読んで下さってありがとうね。
まず、父の病名を知っていらっしゃる事に驚きました。(誰でも知っている病名ではないので)
それもお母様がその疑いで治療をされたことがある・・・って!
その上、お父様もプレドニンの大量投与を受けた経験があるのですね。
どんな薬を使っても効かない時、最後に使う薬だけに、医師の厳重な管理の下で使わないと命を救う為に使った薬で逆に命を落とす結果になる事も・・・
実際、そんな崖っぷちに何度か立たされたのですけどね。
そんな時に、何でもかんでも即!薬だ、即!検査だ、みたいな医師ではなくて、じっくり向き合って自分自身にも治せる力が元々あるんだと
勇気付けて下さった医師に出会えた事が大きな力になったと思っています。
もちろん、充分な治療をしながらですが。
そう言う私も何かと言うとすぐ薬に頼ってます。
MARIN-MAMAさんはお仕事を持っていらっしゃるから、どうしても余計に早く治したいってお薬を使いますよね。まぁ~それ位は普通だけどね。
えっとね、私、優しくないですよ。
キツイし、厳しいばかりですよ。
いつも、どうしてそんな事言うの!?とか
何でそんな事をするん!?って連発してますよ。
とにかく毎日ずっと顔を合わせて、ずっと細かくチェックしてるもので・・・腹が立ったり、情けなくなったり、そんな事の連続ですから。
ただ、反面、余り言い過ぎるとションボリするので可哀想になるって言うか・・父にだってプライドがあるでしょ。
そこら辺りが一番、難しいかなぁ~。。。
父を見ていると、高齢になれば日を増す毎にこんなに様々な事が出来なくなる現実から逃げるわけにもいかず・・・
その厳しい現実をわが親のことと認めるのにはかなりの時間が掛かりましたよ。
お母様のお気持ちも幾らかはお察し出きます。
自分の親が、あの夫が、妻がまさか?・・こんな風に・・と思うのが身内と言うものではないかと。
目の前にある現実を受け入れたくない、と思うのも身内だからこそではないでしょうか?
そんな思いも時間と共に、受け入れざる得なくなって、いつの間にか受け入れて来た感じです。
私は長く看護師をして居たし、介護現場の経験もほんの少しありますが、これから先に本格的な介護が必要になって来た時、どれだけの事が出来るのか全くわからないし、自信なんて全然ないのよ。
考えると不安だらけ・・・でも、そうなったらなったで『やるしかない』と思って覚悟だけはしてるつもりなの。
自分の親だから、逃げないでがんばるぞ!って
こうしてMARIN-MAMAさんにお返事を書きながらも自分に言い聞かせてるのかも・・・です。
いろいろ難しかったり、頭の痛い事が多くなるけど、今、良かれと思う事をしながら乗り切っていきましょう。
似た事例はあっても、どれ一つとして同じ事例はないので、自分の家流で。
私も、ついつい、たくさん書いてしまいました。
MARIN-MAMAさん、本当にありがとうございます。父に代わってお礼を申し上げます。
本当にいろんな病気があるものなのですね。
話としてはけっこう重い話なのに、ホオジロのあどけない姿に救われている部分があります。
人には運不運ってあるんですね。
幾度となく生命の危機がありながらにして乗り越えてこられ
また良い先生に恵まれた事も運の強さを感じます。
本当に良かったですね。
少しでも長くお元気で暮らせますように。
父とおばぁちゃんは1歳ちがいなのですね。
そうですよね~。私も父がこの病気にならなかったら知らずにいた病名かもしれません。
86年生きて来たんだなぁ~。。。って改めて思ってみたら、いろいろ書いていました。
もくもくと餌を探すホオジロを間に挟んで、なるべく簡潔にあった事を書いて置きたかったのですが、やっぱり重くなってしまいました。
読んで下さって暗い気分になられていたら、ごめんなさいね。
pochikoさん、優しいお言葉をありがとうございます。
好きな物を食べて、少しでも長生きしてくれたら良いなと思っています。