いつか、どこかで

花、昆虫、そして鳥など身近で見られるものを撮っています

鉄ちゃんに~。

2007-05-06 21:34:10 | お出かけ

これは別子銅山記念館の屋外に展示保存されている【別子1号】です。
















これは【別子1号】を82パーセントに縮小したもので、端出場駅から観光坑道までの
400mを時速10kmでゆっくりお客さんを運んでいます。
(昔は蒸気機関車、今は電車です)













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別子銅山ウォーク ③

2007-05-06 17:50:40 | お出かけ
周囲を深い山々に囲まれ、今の季節は新緑が美しく川の水も川原の石も緑色を帯びていました。















ウォークの折り返し地点並びに昼食場所になったのは大山積神社とその右手の別子銅山記念館です。
記念館は日曜祭日がお休みと言うことで入館できませんでした。
なんと~、珍しいですよねぇ~。
記念館の屋根の上はサツキの緑で覆われていました~。
サツキが満開だったら、どんなに素晴らしかったことか・・・




お弁当を大山積神社の脇の石段に腰掛けてしっかり食べた後、
コーヒーが飲みたくなって、すぐ近くのこれも住友が昭和3年に作ったグランドに降りてみました。
ここにも鉱山から出た石をたくさん使った階段状の観客席がほぼ当時のままに残っていました。





帰りのコースではこんな吊り橋(車屋橋)も渡りました~。
一度に渡れるのは13人とか20人とか言われていました。
これが、揺れるの揺れないの・・・・って!揺れるんです!
距離は短いのに真ん中辺りに差し掛かったら、上下左右に揺られて中々ロープを持てない、
やっとの思いで持てたと思ったら今度は余計に振られて落ちそうな感じ!
顔がひきつり泣きそうな位怖かった~~。
徳島県の祖谷山村のかずら橋を渡った時より恐怖でしたよ。






ウォーク終了後、鉱山鉄道(電車だけど・・・)に乗って観光坑道へ行きました。
坑道に入る前にこんな綺麗な水が~。





観光坑道(端出場坑道)の入り口です。
ここでは江戸時代の銅を掘る人たちの様子が人形を使って再現されて居るのを見たり、
重さ30キロのあら銅を背負って12キロもの山道を下った【中持ちさん】と呼ばれた人たちの体験や、
一人が2時間、24時間休むことなく続けられた坑内の湧き水の引き上げの体験なども出来ます。

今回のウォークはただ楽しいだけではなくて、知らなかった銅山の
長い厳しい歴史に触れることが出来た貴重な1日でした。
そして、丁寧な説明をして下さったボランティアガイドの方に感謝しています。



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別子銅山ウォーク ②

2007-05-06 16:08:32 | お出かけ
5月4日 愛媛県新居浜市にある、昭和48年に閉山となった別子銅山の線路跡を歩いてきました。
スタート地点はマイントピア別子(銅山のテーマパーク)から~




別子銅山に電気を供給する為に明治45年に建設された【旧水力発電所】です。





『昔は鉱山列車が、今は鉱山観光列車が通っている』とボランティアガイドさんから
説明を聞いたと思うのですが・・・(間違っていたら
煉瓦のトンネル、趣きがありますね。






コンクリート製のYの字の形をしたものは、この上に樋のようなものを置いて坑内の排水を流していたのだそうです。
閉山となった現在もこのY字のコンクリート製の物の下にある細長い箱を並べた様に見える所を
坑内からの排水が流れているそうです。

この辺りには昔鉱山で働いていた人達の住宅の跡と思われる石積みが点在していました。




坑内排水(銅や鉄などの金属を含む水)を処理するための施設もありました。
明治38年に建設され、現在も使われています。




歩きながら、下を見るとこんな景色が~。






薄暗いトンネルの中は石ころが沢山あって歩きにくく、抗水路の上を歩きました。





足元に小さな紫色の花がポツンポツンと咲いていました。

この時は花の名前が判らなかったのですが、今日(5月7日)管理人さんに教えて頂きました。
【キランソウ】です。別名は【地獄の釜のふた】なんですって!(チョットびっくり)




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