内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「自己肯定感」という言葉に対する小さな私の違和感

2024-10-10 18:00:01 | 雑感

 いつの頃からかはっきりとは特定できないが、私がまだ日本にいた頃にはそんなに聞いた覚えがないから、おそらくは一九九〇年代末からだと推測されるが、「自己肯定感」という言葉が近頃よく使われるようになったという印象がある。最初はおそらく心理学や教育の分野で使われ、後に一般にも広く使われるようになったのだろうか。
 なんか違和感を覚える言葉で、もっと言えば気持ち悪い言葉で、私自身は、いい意味でも悪い意味でも、自分に対しても人に対しても、けっして使わない。
 この語の使用例を最近読んだケア関連の書籍から拾い出してみた。あらかじめ断っておくが、これはあくまで用例提示のためで、引用する本の著者たちを批判する意図はまったくない。

真に聴いてもらう体験を多くの参加者が生まれて初めてする中で、希死念慮につながる自己肯定感の低さが改善し、他の人から承認されていると感じるようになる。(村上靖彦『母親の孤独から回復する』講談社選書メチエ、2017年)

「私は~できる」という自己肯定感とは逆向きの、「できない自分」に気づき、「社会に戻れないんじゃないか」という焦燥感を抱くようになる。(村上靖彦『ケアとは何か』中公新書、2021年)

毎日のケアに追われる中で、自分の健康や将来について考える余裕のない人もいます。いろいろなことが積み重なって、自己肯定感が低くなってしまう人もいます。(澁谷智子『ヤングケアラーってなんだろう』ちくまプリマー新書、2022年)

 「自己肯定感」は「低い」という形容詞と組み合わされて使われることが多く、自己肯定感が低いことはその人自身にとって望ましくなく、高くなるように何らかのケアが必要だという文脈で使われることが多いようである。
 ちなみに、「自己否定」という言葉は以前からあるが、「自己否定感」というのは寡聞して聞いたことがない。
 自己肯定感の中身はいったいなんなのだろうか。自己肯定ではなく自己肯定感であるから、自己を肯定するという行為の問題ではなくて、自分について「これでいいのだぁ」という実感のようなもののことなのか。
 特定の能力・技能の不足、ある特定の分野での有能さの欠如、生活の余裕のなさ、失敗の繰り返しなど、それらそのものが自己肯定感の低さなのではない。それらが要因となって自己評価が下がり、自信を失ってしまい、結果として、そのままの自分を肯定することができにくくなった状態を指して「自己肯定感が低い」というのであろうか。
 では、「あなたはちょっと自己肯定感が低いから、もっと高くしたほうがいいですよ」とか「高くするように一緒に頑張りましょうね」とか「そうなるようにサポートしていきますね」という話なのか。ちがうだろう。
 そもそも自己肯定感が問題になること自体が問題なのではないのか。この造語がもともとありもしないもの(感)をあるかのように思わせ、それが「低い」とか「高い」とかいう疑似問題を発生させているだけにしか私には思えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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