内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

吉増剛造『詩とは何か』を読みながら想い出した事ども

2022-07-07 16:13:48 | 読游摘録

 今日は吉増剛造氏の『詩とは何か』(講談社現代新書 2021年)をずっと読んでいた。
 1999年、詩集『オシリス、石ノ神』の仏訳が刊行され、その機会にストラスブールのクレベール広場に面した書店で詩人自身による日本語原文朗読と仏訳朗読(日本学科の当時の上司による)が行われた。それを家族で聴きに行った。激しさと嫋やかさが交錯するその朗読に強烈な印象を受けた。その時購入した仏訳に「どうぞこれからもわたしたちの学びのためにがんばって下さいませ。ありがとうございました。’99 6.18 gozo」と献辞を書いてくださった。その一冊は今も大切にしている。この献辞については、2017年8月20日の記事ですでに触れている。
 翌2000年の2月だったか、前年に刊行された『生涯は夢の中径――折口信夫と歩行』(思潮社)に基づいた講演のためにストラスブールに再度いらっしゃった。そのとき、驚いたことに、ジャン=リュック・ナンシー先生が予告もなしに講演会場の教室に入って来られた。『オシリス、石ノ神』の中のいくつかの詩篇(仏訳初出は P0&SIE 1991年56号)に衝撃を受け、Corpus のなかでそのうちの一篇 « Orihime (Princesse tissandière) »(原詩のタイトルは「織姫」)の最初の四分の一ほどを引用しているナンシー先生は、その衝撃を受けた詩篇を書いた本人に挨拶に来たのだった。詩人と哲学者とのやりとりはほんの数分だったが、それに間近で立ち会うことができたのは幸いであった。
 二人のつながりについては、吉増氏自身が『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』(講談社現代新書 2016年)の中で少し触れている(同書については、2019年6月15日の記事で話題にしている)。
 講演後帰宅した私のところに講演の主催者であった日本学科の上司から電話があり、「席が一つ空いているから、レストランに来い」と吉増氏を囲む夕食会に急遽招かれた。もうどんな話をしたかよく覚えていないが、その年私が担当していた日本語の授業の内容について少しお話した覚えがある。
 その翌年だったか、もう何月のことか覚えていないが、吉増氏と天沢退二郎氏ともう一人の日本人詩人(名前は失礼ながら失念した)の朗読会がパリであった。当時パリ近郊に住み、INALCO で教えていた私は聴きに行った。朗読会の後、一言ご挨拶を申し上げた。覚えていてくださった。
 それからしばらくお目にかかる機会はなかったが、2015年3月にストラスブール大学と CEEJA で三日間に亘って行われた国際シンポジウム「間(ま)と間(あいだ)」の基調講演者としていらっしゃった。講演は短いものだったが、その場で吉本隆明氏の初期詩篇『日時計篇』の筆写の現場を見せてくださった。そのときの氏の姿と言葉から受けた強い印象については2015年8月28日の記事に書いた。
 『詩とは何か』そのものについては明日の記事で話題にする。