昨日の記事では、声に出して読むということについて少し考えてみました。これは私自身日頃から実行していることで、私なりに吉増氏の言うことが感覚として摑めるところがいくらかはあります。
『詩とは何か』でさらに印象深いのは、氏が他の詩人の作品を書き写すということを何年か日課にしていたことです(今でも続けられているのか、それは知りません)。吉本隆明さんが亡くなってから、吉増氏は『日時計篇』という吉本さんの初期詩篇をほぼ毎日一篇というペースで書写していきました。このとこについては2015年8月28日の記事にかなり詳しく書きました。
『詩とは何か』のなかにもその書写のことが出て来ます。そこを読んでみましょう。
わたくしは吉本隆明さんの「日時計篇」という、二十六歳から七歳のときに五百数十篇を毎日毎日どこに発表することもなく書かれた詩を書き写すときに、平仮名、漢字、独特の表現をわたくしなりに片仮名に変換して、しかも刻みつけるようにして彫刻的に紙の上に筋をつけて、そして書き写しているときに、……そのとき立ちあがってきたものは、八重山か沖縄の方々に、あるいは異国の方々にも、話し掛けている声のような気がいたしますが、……この片仮名に書くときにも、言葉のというよりも、わたくしたちの心の奥底に潜んでいる別の、別の心の大陸の杣道、枝道、獣道、白くて細い、雲のようなときに触れるような経験を、片仮名で書いている刹那にいたしておりました。
書写することで、黙読しただけではもちろんのこと、声に出して読んでも聞こえては来ないかもしれない声が聞こえて来る。しかも、片仮名に変換しつつ書写することではじめて、「別の心の大陸」が立ち現れて来る。その大陸を一歩一歩踏みしめるように言葉を刻みつけていく。この「大陸」への道が誰にでも開かれてくるのか、それはわかりません。「声」が誰にでも到来するか、それもわかりません。ただ、少なくとも、書き写すことは誰でも始めることができます。「大陸」への杣道がおぼろげながらでも現れて来るの待ちつつ、「声」が聞こえて来るのを待ちつつ、書き写しつづけることはできるはずです。
上に引用した箇所は、原民喜の「燃エガラ」という詩について語っている節の中に出てきます。その次の段落も引用しましょう。
広島で原爆を経験した原民喜さんがどうしても片仮名書きでしなければ語れなかった「経験」、あるいは『戦艦大和ノ最期』を書かれた吉田満さんが全文、漢字と片仮名で書かれた、あの非常時の表現のようなもの。やってごらんになるといいですよ、片仮名で書かれてみると、論理や意味や思想はそのままでありながら、別の血液が流れはじめますから。
床に正座して、大きな紙の上にかがみ込むようにして「日時計篇」のなかの一篇をそれこそ刻みつけるように書写されていた吉増氏の姿を想い出します。詩を書写するという行為は、体を使って、読む、というよりも、言葉の彼方の別の大陸へと通じる杣道を身をもって探し、辿る、ということなのかもしれません。