内的自己対話-川の畔のささめごと

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誤植に感応する詩人の感性 ― 吉増剛造『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』

2019-06-15 14:23:32 | 哲学

 吉増剛造氏の『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』(講談社現代新書、2016年)は、二人の聞き手を前にして氏が語った生い立ちの記である。原稿に起こした後、吉増氏がどの程度手を入れたのかはわからないが、氏独特の語り口が生き生きと再現されている。氏とはストラスブールやパリで何回かお目にかかり、お話を伺う機会があったので、本書を読んでいると、その肉声が聞こえてくるように感じられる。
 2000年のことだったと記憶しているが、日本学科主催で吉増氏に逐次通訳付きのご講演をしていただいたことがある。その前年末に刊行された『生涯は夢の中径―折口信夫と歩行』(思潮社)を基にしたお話だった。その講演の席に、思いもかけず、ジャン=リュック・ナンシー先生がいらっしゃった。先生は、氏の詩集『オシリス、石ノ神』(思潮社、1984年)の中の「織姫」の仏訳に衝撃を受け、 Corpus(Éditions Métailié, 初版1992年)の中で引用していた。それもあって、挨拶に来られたのだという。先生との繋がりについては、本書でも言及されている。
 本書には、氏の独自の詩的思索が展開されていて興味が尽きない。昨日読んでいて大変印象に残ったのが、ジェラール・ド・ネルヴァルの「黄金詩篇」(« Vers dorés »)の訳について言及している箇所だった。
 氏は、平凡社の『世界名詩集大成』の中の同詩の訳がとても好きだった。ところが、あるとき、ネルヴァルの専門家である入沢康夫と電話で話していて、その訳に誤植があると知る。「愛の神秘は金属の中に息う」(« Un mystère d’amour dans le métal repose »)とあるべきところが、「愛の神秘は全層の中に息う」となってしまっていたのである。これについて氏は次のように語っている。

ネルヴァルの「愛の神秘は金属の中に息う」というのもいいけれども、僕は誤植の「愛の神秘は全層に息う」というそれにも反応して感応してるの。[中略]僕の中で、誤植を起こしたときの印刷所の職人が感じたであろうような何かっていうのにかなり過剰に反応するの。だから両方よしとする。そういう誤りが起きると誤りにも何かちょっと生気があるんだよね。

 たとえ訳としては間違っていても、詩人はその表現に感応する。詩人の中にいわば化学反応が起こる。それが詩的創造の養分ともなる。
 正解は正解としてそれを尊重しつつも、誤植という人間の誤りがこの世界の中に図らずも生み出した別の声を詩人は聴き取る。詩的真実の在り処に触れる思いがする。












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