させぼ moonlight serenade

自身の取扱説明書です
きっと

イマガソノトキ

2016-01-13 07:59:32 | 日々のこと




いまが、その時。



たいていのコトを

そうやって

やり過ごそうと

年頭に

ちいさく

決めた





想わぬ展開を


予期せぬ出来事を




そんな中

観た




「幸福な食卓」




瀬尾まいこさんの

原作は

とても素晴らしく

いつか

映像も



想っていました




家族を持って

ずいぶんと

経つけれど

いつだったか

手相占いの方に

家族の縁が薄いですねぇと

首を傾げられたコトが

あった




たしかに

ほぼB型ばかりの家系は

何処となく

個の集合体



呼んだ方が

近い気もするし



チカラを合わせて

エイエイオー!

ではなく

キミの幸せを祈るよ!

グッドラック!

そんな

距離感で

気配で

繋がっている方が

性に合っているかもしれない



この映画を

観ていて

なんとなく

それが

肯定してもらえた気がして

すこし

ココロが

軽くなった





家族って

家庭生活って

ドッジボールに

似ているなぁと

想う



枠の中

だけでなく

枠の外からも

攻められたり

守られたり



あのボールは

責任。



姿を変えたモノ




いつも

だれかが

だれかに

投げつけたり

時には

勇気を出して

受け止めたり

している




ワタシは

昔から

ドッジボールが

苦手だった




誰かを狙うのも


誰かに狙われるのも





ヒートアップする

群衆を

出来れば

ブランコに

揺られながら

時には

ジャングルジムの

てっぺんから

眺めておきたかった




日々を

がむしゃらに

生きてるヒトには

そんな喩えなんて・・と

窘められそうだけれど



時折

そんなふうに

捉えては

いまでも

立ち位置を

客観視しようと

している




劇中の中で

お母さんが

云った台詞



「離れていると敏感になるのよ。

そばにいると

自然に見て取れるから

ぼんやりしていてもいいけど」




とても

好きでした




ドッジボールは

傍で見るより

実は

枠の中や

ふちにいる

方が

一定のテンポを

保てているから

ラクなのかも

なんて

気付きもしなかった

あの頃





この言葉の意味も


ドッジボールの

愉しみ方も


いまだったら

解るのかもしれません



そして

ここにいる意味も




何処か

他人事のように

構えている部分も




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