報道特集で「いのちの授業」なる活動を紹介していた。
乳がんを患ってから命の大切さを中学生たちに伝える活動をライフワークとした女性教師の1年間をカメラは追っていたが、1ヶ月ほど前に亡くなられた。
様々な活動を実践している素晴らしい人たちがいるものだと感心する。
「いのちの授業」を実践している方々は全国にいるらしい。
以前、自死遺族の話を聞いたときにも感じたことだが、話を聞きながら残された遺族の苦しみや悲しみが我が思いに重なってくる。
何があっても自分から死ぬなどとは考えてはいけないと強く思う。
災害ボランティア養成講座で教えられたことも、「被災者の立場」に立つことであった。
私たちは労働運動を実践している。
なによりも働く場を失う苦しさ・辛さを知らねばならない。
“雇用の場”はすなわち“生きる場”である。
数年前になんとか無事定年まで勤めさせるため苦労した組合員がいた。
なかなか個性的な人で、ある意味会社では厄介者扱いされていた人だ。
職場を転々として精神的に追い込まれて休みがちになってしまった。
若い頃には仕事もできた人であったが、使いこなせなかった上司にも問題はあったと思う。
そんな彼の相談ごとに3年間付き合ってきた。
家に行って奥さんとも話し合ったりして、そして定年を迎えた。
男にとってやはり定年まで勤め上げたということは嬉しいものである。
喜ぶ彼の顔を見て私も本当に嬉しかったことを思い出す。
救えた人もいたが救えなかった人もいた。
でも力不足であろうがなかろうが、救おうという気持ちだけは持ち続けなければならない。
“雇用”は“生命(いのち)”でもあることを忘れないようにしよう。