南町の独り言

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労使の社会的責任

2008-12-18 18:19:27 | ユニオン

某新聞社のデスクと意見交換。
派遣社員の雇止めが止まらないことに対しての考え方だ。
12月に入ってから通常月の倍近くの労働相談が入る。
その中には派遣会社との契約期間満了に伴う雇止めの相談も多い。
もちろん単組役員からも同様の悩み相談を聞くが、違法行為ならばともかく現法に照らし合わせただけではなかなか対応は難しい。
ましてや直雇用でないからなおさらである。

しかし道義上の社会的責任は労使ともに負わねばならない。
その責任を果たすという意味合いは単組においては“狭義のワークシェアリング”であり、連合や産別では“広義のワークシェアリング”だろう。
単組の状況を聞くと、仕事が減少したからといとも簡単に雇止めをしているとは思えない。
休日出勤や残業は無くし、職場配転や勤務シフト変更にも協力してなおかつ、有給を使用して就業日を減らしている。
それでも足らずに一時休業をしはじめた会社もある。
もちろん役員トップから率先しての節減であることは当然だ。

問題は大所高所からの労使の反省と、“広義のワークシェアリング”議論が無いことだと思う。
バブル崩壊後、企業は必死になって体質を強化して内部留保を蓄積してきた。
それは何のためだったのか。
マネーゲームに懲りていたはずなのになぜまた失敗したのか、本業にどれだけの投資をしてきたのか。
それも外需頼みではない内需を盛り立てるための投資をである。
今になって思えばバブル期の延長線上にしかない“量の拡大”をひたすら求めるための投資が多かった。
それを良しとしてきた私たちにも責任はある。

来春の賃金交渉についても意見交換。
彼は言う。
「一方で大量の失業者、その一方でベースアップが本当に支持されるのか」
しかしマスコミで取り上げるベースアップとは過年度の物価上昇分のことである。
それは生活維持分にしか過ぎない。
それはそれで要求することは当然であるが、問題はそれだけでは雇用創出を生み出せないことである。
過去のオイルショック時、盛んにワークシェアリングが叫ばれた。
アメリカ型社会は現在の日本のようにバッサリとレイオフ(首切り)する。
ヨーロッパ型社会ではそういう選択をせずに“雇用創出型ワークシェアリング”を行なう。
ドイツでは労使の闘争をもって時間短縮に挑む。
フォルクスワーゲンは93年に週36時間から28.8時間に短縮、年収は10%ダウンさせたが月収は維持をするという条件だった。
フランスでは立法措置によって時間短縮を実現させた。
オランダは「政・労・使3者合意」で賃金抑制と時間短縮と雇用増を実現した。

我が日本においては政治も経営も労働組合も本音で語り合っていない。
正々堂々と“定昇とベア(物価上昇分)”を要求したうえで、政権を交代させて立法措置で“ヨーロッパ型ワークシェアリング”を実現すべきだと、私は思う。