朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

「刈り取る」政治に価値はない

2009年12月22日 06時45分21秒 | 政治
ブログ市長:「刈り取り作業を」と発言 障害者問題念頭に - 毎日jp(毎日新聞)

前にもくどくど書いたが。

この「刈り取り作業」発言、
今回は障害者に関してだけかも知れないが、
この市長は他の「弱者」とされる人に対しても
そう考えているように思う。

「刈り取り」は非常に安易。
金を稼ぎ、健康な若い人間だけで構成された国家を運営するのは楽だろう。
税金は入ってくるし、健康保険はさしてかからないし、
年金も払わずに済む。
しかし、現実の世界はそうではない。
だからと言って「刈り取り」と称して、
失業者を餓死させ、病人は死ぬに任せ、
老人は姥捨て山に送るのが適当なのか。
それは「政治」の役割を放棄しているのではないか。
そんな役割を放棄した者は不要だし、邪魔。

別の観点。
「刈り取る」ことは、本当に「活力ある社会」につながるのか?
腐った枝を直さず、刈り取るだけだと、木はどんどん細くなる。
結果風雨に耐えられなくなり、幹ごと折れてしまう。
それは社会でも同じではないのか?
一度腐るとフォローがなく、
刈り取られるだけで再起する可能性が低い、となれば、
リスクは取れなくなる。
また、同様の人間が集まっている社会ほど変化に弱いのは、
倒産した企業のパターンで語られているだろう。

しかし、この市長の発言・存在で
「阿久根」という市のイメージが良くなっているとは思えない。
発言の意図を説明する訳でもないし。
市のために、この市長を刈り取った方が良いのでは?
そうでないと、市全体が腐ってしまうぞ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 12月21日(月)のつぶやき | トップ | 12月22日(火)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事