「大阪市文化財協会」が令和7年3月31日を以て「府文化財センター」に統合される形で、解散する。
どうなる大阪の遺跡発掘・保存 二重行政解消で解散の市文化財協会、黒字経営でも容赦なし - 産経ニュース
「黒字なのに」もだし、「万博は赤字でも」というのもあるが、
そもそも「維新」は構造的に「文化」について何も思わない集団。せいぜい「儲かる文化か」「儲からない文化か」程度。
# だから文楽に対してもあのような政策になる。
それは、「維新」の考え方が極めて現世利益的であり、
「今、ここに生きる」市民による「多数決」「いわゆる民主主義」に支えられているから。
それらの市民は過去の蓄積を遺棄することについて極めて無神経であり、
今、ここに生きる自らが全てを決められる、と考えている。
そして大阪というのはそういう市民が多い街であり、「維新」は大阪に適合した存在ではある。
それは仕方のない話。
「維新」は伝統や文化といった自らの力で及ばないものではなく、
「金」や「数」といった現在自らの力を行使できる資源で多数派を形成しようとする。
また、数の力で従来は変えられなかった「少数派の権利」や「正義」の領域についても、
「既得権益」のラベリングを行うことで多数派によって侵食できる領域に引きずり出し、
「選挙で勝ったんだから」「気に入らなければ、お前らが選挙で勝てば良い」との罵声を浴びせて破壊する。
また、この破壊行為を「改革」と称して自らの手柄とする。
# 上記の罵声を本気で捉えるのであれば、
8割のアーリア人が2割のユダヤ人を虐殺することは肯定されかねないのだが。
これらの行為に対して「誤っている」と叫び、指弾する能力が、私たちには不足している。
私たちは子どもの頃から「学級会」などと最後は多数決で決定する習慣を身に付けているし、
「民主主義が正しい」という何となくの感覚で生きている。
しかし、「多数であることは、必ずしも正しいことを意味する訳ではない」という原点は
もっと私たちの思考習慣の根底に位置させるべきではないのか?
これが存在しないと、多数派が正しい、というシニシズムに陥ってしまう。
「今、ここにいる」私の判断が正しいかどうか分からない。
であれば、仮に誤っていたとして、回復可能な状況を残しておくべきではないか、と考える。
自らの判断や行為の誤謬可能性を踏まえて行動する。
自らに対する謙虚さが必要ではないのか。
破壊された文化は回復できない。
「大阪市文化財協会」の解散は、回復させることが可能な破壊なのか?
実際には可能かも知れないが、その議論が為されたようには見えないのだが。
どうなる大阪の遺跡発掘・保存 二重行政解消で解散の市文化財協会、黒字経営でも容赦なし - 産経ニュース
「黒字なのに」もだし、「万博は赤字でも」というのもあるが、
そもそも「維新」は構造的に「文化」について何も思わない集団。せいぜい「儲かる文化か」「儲からない文化か」程度。
# だから文楽に対してもあのような政策になる。
それは、「維新」の考え方が極めて現世利益的であり、
「今、ここに生きる」市民による「多数決」「いわゆる民主主義」に支えられているから。
それらの市民は過去の蓄積を遺棄することについて極めて無神経であり、
今、ここに生きる自らが全てを決められる、と考えている。
そして大阪というのはそういう市民が多い街であり、「維新」は大阪に適合した存在ではある。
それは仕方のない話。
「維新」は伝統や文化といった自らの力で及ばないものではなく、
「金」や「数」といった現在自らの力を行使できる資源で多数派を形成しようとする。
また、数の力で従来は変えられなかった「少数派の権利」や「正義」の領域についても、
「既得権益」のラベリングを行うことで多数派によって侵食できる領域に引きずり出し、
「選挙で勝ったんだから」「気に入らなければ、お前らが選挙で勝てば良い」との罵声を浴びせて破壊する。
また、この破壊行為を「改革」と称して自らの手柄とする。
# 上記の罵声を本気で捉えるのであれば、
8割のアーリア人が2割のユダヤ人を虐殺することは肯定されかねないのだが。
これらの行為に対して「誤っている」と叫び、指弾する能力が、私たちには不足している。
私たちは子どもの頃から「学級会」などと最後は多数決で決定する習慣を身に付けているし、
「民主主義が正しい」という何となくの感覚で生きている。
しかし、「多数であることは、必ずしも正しいことを意味する訳ではない」という原点は
もっと私たちの思考習慣の根底に位置させるべきではないのか?
これが存在しないと、多数派が正しい、というシニシズムに陥ってしまう。
「今、ここにいる」私の判断が正しいかどうか分からない。
であれば、仮に誤っていたとして、回復可能な状況を残しておくべきではないか、と考える。
自らの判断や行為の誤謬可能性を踏まえて行動する。
自らに対する謙虚さが必要ではないのか。
破壊された文化は回復できない。
「大阪市文化財協会」の解散は、回復させることが可能な破壊なのか?
実際には可能かも知れないが、その議論が為されたようには見えないのだが。