朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

生成AIを比較してみた

2024年04月06日 14時10分39秒 | 社会
様々な生成AIが発表されているが、よく分からないところもあるので、
試しに比較してみた。

質問は
「桂米朝について、落語に詳しくない人に分かるように説明してください。500字程度で。」
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ChatGPT4
桂米朝(かつら べいちょう)は、戦後の日本を代表する落語家の一人で、20世紀後半の落語界において特に影響力があった人物です。1925年に大阪で生まれ、落語家としてのキャリアを積む中で、その独特の話術や人間味溢れる演技で広く人気を博しました。落語は、主に江戸時代に始まった日本の伝統的な演芸で、一人の演者が様々な登場人物を演じ分けながら、ユーモアを交えて物語を語る芸術形式です。

米朝は、特にその柔らかく聞き取りやすい言葉遣いと、人物描写に富んだ繊細な話し方で知られています。また、彼は多くの古典落語を現代に合わせてアレンジし、より広い聴衆に受け入れられるよう工夫を重ねました。このような努力は、落語を古典的な枠を超えて、現代の人々にも親しまれる芸術形式として確立させることに貢献しました。

さらに米朝は、自らの落語家としての活動にとどまらず、後進の育成にも熱心でした。彼のもとで学んだ弟子たちは、現代落語界の中心的な存在となり、その教えは今もなお多くの落語家に受け継がれています。1980年代には、落語芸術協会の会長を務めるなど、落語界全体の振興にも力を尽くしました。

米朝の落語は、その洗練された技巧だけでなく、日常生活の中の喜びや悲しみ、人間関係の微妙さを温かみのある視点で捉えた点が特に評価されています。彼の作品は、今日においても多くの人々に愛され続けており、日本の伝統文化としての落語を現代に伝える重要な役割を果たしています。

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Perplexity
桂米朝は日本を代表する落語家です。
桂米朝は1950年に東京で生まれ、落語家の家系に育ちました。幼少期から落語に親しみ、1970年代に入門し、1980年代に独立して自らの落語会を開くなど、長年にわたって落語界をリードしてきました。
桂米朝の特徴は、独特の話し方と表情、そして豊かな表現力にあります。彼の落語は、聴衆を引き込む語り口と、細かな仕草や表情の変化によって生き生きと描き出されます。また、古典落語の枠にとらわれず、現代的なネタも手がけるなど、柔軟な姿勢も魅力の一つです。
桂米朝は、落語の伝統を守りつつ、新しい可能性を切り開いてきた第一人者といえます。彼の落語は、聴衆を楽しませるだけでなく、時代とともに変化する人々の価値観や感性にも応えてきました。
落語に詳しくない人でも、桂米朝の落語を聴けば、その独特の世界観と表現力に魅了されるはずです。彼の落語は、日本の伝統文化の魅力を感じられる貴重な機会を提供してくれるのです。

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Gemini

桂米朝:上方落語を復興させた名人
桂米朝は、20世紀後半の日本を代表する落語家です。上方落語と呼ばれる大阪発祥の落語を復興させ、多くの人々に愛される存在となりました。

戦後の苦難を乗り越え、上方落語を復興

米朝は1925年生まれ。第二次世界大戦後、上方落語は衰退の一途を辿っていました。そんな状況の中、米朝は4代目桂米團治に入門し、独創的な話術とユーモアで人気を集めます。

彼の代表的な演目には、「死神」「芝浜」「饅頭こわい」などがあり、いずれも軽快な語り口と巧みな演技で観客を魅了します。特に「死神」は、死神と人間のやり取りを描いたコミカルな噺で、米朝の真骨頂と言えるでしょう。

テレビやラジオで活躍、落語を全国に広める

米朝は落語家としての活動だけでなく、テレビやラジオ番組にも積極的に出演しました。親しみやすいキャラクターと分かりやすい解説で、落語を多くの人に身近なものにしました。

また、落語の研究や後進の育成にも力を注ぎ、上方落語の復興に大きく貢献しました。その功績が認められ、1983年には人間国宝に認定、2009年には落語家として初の文化勲章を受章しています。

上方落語の魅力を伝える語り部

米朝は2015年に90歳で亡くなりましたが、彼の残した数多くの演目や功績は、今もなお多くの人に愛されています。上方落語の軽快なリズムとユーモアを味わいたい方は、ぜひ米朝の演目を楽しんでみてください。

参考情報

桂米朝公式サイト: http://www.beicho.co.jp/
上方落語家名鑑: https://kamigatarakugo.jp/directory/ichimon/katsura_beicho/

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クロード
桂米朝は、落語界の重鎮として知られる名人落語家です。以下のようにわかりやすく説明できます。

落語は、一人の話芸で、苦しみや哲学、人間情などを描いた語り芝居芸です。桂米朝は、その落語の世界で最高の腕前を持つ名人の一人です。

米朝は1937年生まれの87歳(2024年現在)の高齢者ですが、舞台に立ち続けています。話の構成力や語り手の妙、そして豊かな表現力が高く評価されています。話の盛り上がりを期せずにタイミングを計る「化け」の演技は絶妙とされている。

並行して上演される作品は、古典落語から現代風の新作まで幅広く、珍しい作品の発掘と継承にも興味力を持っています。不安があります。

一連の名跡を引き継いだ実績から、落語を守る「錬華の松」とも呼ばれています。 。

このように、桂米朝は長年にわたる芸歴と卓越した語り口で落語の世界を牽引してきた最高の名人だろう。

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それぞれ、大なり小なり傷はある。
それは「生成AI」というものが基本的に内容を理解している訳ではないので、
致し方ないところではある。

また、この質問に対する回答には誤りが多いが、
他の質問内容についてはより正確に答えられる、というケースもあるだろう。

要は、「信じ過ぎず、でも全否定するものでもない」ということですわな。
色々と試してみる中で、クセや自分に合ったものを探せば良いのだと思う。
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それでも原発?

2024年01月06日 14時59分57秒 | 社会
志賀原発「異常なし」から考えた 運転中だったら?「珠洲原発」だったら? 震度7の地震は想定内なのか:東京新聞 TOKYO Web

# 1年位前にも、同じようなことを書いているけど(笑)

元日から震度7の地震に見舞われた。
「地震からの復旧という状況で、原発のことを言うな」
「地震を政治利用するな」的な罵声が聞こえるらしく、
妙に忖度してあまり語られていないように見えるが、
このタイミングで問題提起しなければ、また日常に埋没して惰性で流されてしまう。

やはり、特に地震大国日本において、原発は危険過ぎるのではないか?

「想定外」という言葉は聞き飽きた。
意図的に目をつぶっていたのでは、という疑念もある。
そうでなくても、人間は全知全能ではない。
「想定外」は起こり得る、というのが本当に理知的で誠実な態度ではなかろうか。

そして、原発は「想定外」が起こった際の犠牲が大き過ぎる。
それは現在生きている日本人が全滅するだけではない。
現在、意思表示を(原理的に)できない未来世代への影響も甚大。
それはもちろん、「原発」だけでなく、火力発電にせよ太陽光パネルにせよ風車にせよ、
何にだって付きまとっている。
しかしその中でも、遺伝子レベルで甚大な影響を与える、というのは大きな違いではなかろうか。
そのあたり、「世代間倫理」の論点からすると、
「今、ここにいる」者だけが有権者になっている多数決民主主義の限界だろう。
そして、自分が生きている間は事故は(確率的に)起きないだろう、と思っている老いた連中が、
メリットや利権だけを享受して「死に逃げ」しようとしている。
# 日本の「国土」や「伝統」とか言っているくせに「原発推進」と言っている人間の神経は、私には分からん。
 原発事故で国土が汚染され、日本人が死に絶えたら「伝統」もクソもないだろうが。
 自分が生きている間だけ、「国土」や「伝統」が守られていたらいいのかい?それは自己満足じゃないの?
 ちゃんちゃらおかしい。仮名で書いたらちやんちやら。

また、以前にも考えたことだが、原子力発電は「フェイルセーフ」になっていない、
根本的に拙い技術ではないだろうか。
Wikiでは「フェイルセーフ」とは
>なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、
>常に設計時に想定した安全側に動作するようにすること。またはそう仕向けるような設計手法で信頼性設計のひとつ。
と記載されている。
自動車は故障すれば止まる。踏切は故障すればバーが下に降りてくる。安全な方向に設計され、作られている。
しかし、原子力発電においては、
「外部からの電力が供給される」という外力がなくなれば、外部電源喪失でメルトダウンに繋がる。
非常電源も結局は「時間稼ぎ」であり、それが失われれば遅かれ早かれメルトダウンに繋がる。

この「フェイルセーフ」が実現できていない上に、事故時の影響が甚大な「原子力発電」。
この技術は、根本的に(そして、原理的に)拙劣ではないだろうか。

そんなことを考えると、原発からの脱却は急務ではないか。

熱さを忘れない内に、
喉元にトゲを刺しておきたい。

私は、
東日本大震災よりさらに致命的な事態が発生してから
「いやあ、危ないと思っていたんだよ~」と訳知り顔するのは恥ずかしいので、
後世に顔向けできるようにするため、アリバイ作りしておきます。
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2024年、引き続きタブーは解けていくか

2023年12月31日 12時14分50秒 | 社会
2023年は、「タブーが崩壊し始めた年」と言われるのではなかろうか。

例えば旧ジャニーズ事務所。
ジャニー喜多川による性加害問題 - Wikipedia
はっきり言ってこの問題、別に目新しい話でも何でもない。
一部のメディアでは随分前から報道されていたが、
大手マスコミが利益誘導か忖度かで報道して来なかっただけの話。

或いはタカラヅカ。
タカラジェンヌに様々な負荷が掛かっていることは、別に知られていない話でもない。

さらに自民党の(旧安倍派、と限定する話でもない)パーティ券。

また、年末に出てきた松本人志の話。
まだ「事実」と確定した訳ではないが、
吉本のあまりにも早い否定は、逆に「ヤバい」という問題意識の裏返しのようにも見える。

このあたりは、
「知られてはいるけど、様々な理由で報道されてこなかった」タブーに属する話ではないのか。
その話が漏出し、報道が広がるようになったのには様々な理由があるだろう。
例えばネットの拡散力。
「今まで黙っていたけど、勇気を持って話す人に背中を押された」という傾向。

そして今尚「タブー」とされていることはあるだろうが、
それは隠されるのではなく、公開され、解けていく方向にあると思われる。
私は基本的に良いことだと考えるが、
今度は権力側マスコミが、
権力側についてだけ「それがどうした」「皆やっている」的な反応で
明かされたタブーを矮小化していく動きを見せるのでは、と危惧している。

そのあたり、マスコミの「強者に阿り、弱者を叩く」構造を踏まえて
非難されるべきものをきちんと非難するように監視していく意識は必要だろう。
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原発が持続可能なエネルギー?ちゃんちゃらおかしい。

2022年12月27日 09時21分29秒 | 社会
カナで書いたらちやんちやら。(by 10代目桂文治)

日本の原発稼働状況 再稼働した原発は10基 いずれも25年以上運転 近づく「老朽原発」(福島テレビ) - Yahoo!ニュース

原発再稼働・建設に向けて舵が切られそうだが、
「ああ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なんだな」と感じる。
もう1回東日本大震災が必要なのか?
今度は「幸運」はなく、全電源喪失し、冷却機能は失われ、爆発事故を起こし、
チェルノブイリの如き事態を招きかねない、としても。

そもそも原理的に、「原発を稼働させる」判断をする正当性が、私たちにあるのか。
原発による利益(電気)は私たちが享受する。
その後の核廃棄物や廃炉、事故リスク等は私たちではなく、後の世代に押し付けられることになる。
このアンバランスを気にせず、今生きている私たちだけで功利判断をすれば、
そりゃ「原発を稼働させる」になるに決まっている。
でも、核廃棄物はどうするの?
50年だか100年だか知らないが、寿命が来た時に「廃炉」はどうするの?震災で使えなくなった原発の廃炉だって出来ていない。
それは「後世が上手くやってくれるだろうから、知らない」というのは、
あまりにも無責任な態度ではないのか?
# 自分らの年金額だけは絶対に減らしたくない、という「死に逃げ」高齢者みたい。
特に、「国民・国土を守る!」とか叫んでいる保守派の皆さまよ。
皆さまは、放射能で汚染されて住めなくなっても
日本領だから「国土・国民は守られている!」とでも言うのかい?

そして(とりあえず、限定は付けるが)「現在」の原発技術は、不測の事態への対応が不十分。
それは根本的に、現在の「原発」の技術が「フェイル・セーフ」になっていない(なり得ない?)ことに起因しているのではないか。
車が故障したときには「止まる」。
遮断機が故障したときには「降りてくる」。
基本的な「フェイル・セーフ」のベースは、「故障は起こるものだ」という冷厳な現実認識を背景に、
故障が発生して外力が働かなくなった場合には、安全な方向に(自然の力で)誘導することだろう。
しかるに、原発はどうか。
暴走しないように「冷やし続ける」必要がある。外力を与え続けることが前提。
外力で「冷やす」ことを止めてしまえば、暴走し、メルトダウンを起こし、爆発する。
或いは放射線を出し続けてしまう。防護壁を「作って」、止めなければならない。でも防護壁も劣化する。
例えば人類が死に絶えました、という状況で、原発はどうなりますか?安全に停止するのですか?
もう人類はいないから、後は知らんがな、で終わり?

不測の事態への対応が、「不測の事態は起こらない」と信じること(これも、「フェイル・セーフ」に反する思考なのだが)、
「事故」と言わないこと、「安全だ」と言い続けて自分の言葉に酔い、安全だと思い込むこと。
言霊信仰が事故対策って、どれだけ前近代なんだか。

今は「脱炭素」の文脈で「原子力がクリーンだ」と語られている。
日本はSDGsの嵐の中で主張できていない(あまりにも軽視していたため、最早居場所がない)が、
「脱炭素」はSDGsの中の一つの要素に過ぎない。
「脱炭素」のみを主張し、他の目標を無視することは、SDGsの求める「バランス」からかけ離れたことであり、
理解不足なのか、「脱炭素」を原発再稼働のために利用しようとしているんだな、と感じる。
例えば、原子力発電のためには「燃料棒」が必要になる。
この製造はどこで行われている?そのためにCO2は排出されていないの?
また、燃料棒製造は安全な環境で行われているの?働いている方の人権はきちんと守られているの?
特に、放射性物質の危険性やリスクがきちんと理解された上で、製造されているの?
そして、燃料棒を輸入している以上、為替や安定供給等のリスクから無縁ではない。

「脱炭素」と言うのであれば、SDGsについてある程度理解し、
さらに燃料棒の製造過程くらいはきちんと問題ないことを検証するべきだろう。
# これは別に、原子力発電に限った話ではなく、
 太陽光パネルとか風車とか、どの発電手段であっても考えなければならないこと。

特に、原発には核廃棄物の問題が付きまとう。
プルサーマル計画があったとしても、最終的にゼロにはならない。
誰も利用しない大深度に埋めれば良い、って、そのツケはやっぱり未来世代に押し付けられている。

個人的には、遠隔地の大規模発電所から(途中で失われる前提で)高電圧で都会に送電し、
各家庭に配電する、という仕組みは改めるべきでは、と考える。
今回の大雪でもあったが、やはり送電が途切れるリスクはあり、災害には弱い。
小池の意思決定に問題はあったし、技術的な問題点は山積しているが、
「各家庭での(いわゆる)クリーンエネルギー」プラス「大規模需要者の発電施設」をベースとし、
その中である程度地域でまとまって中規模の発電施設(基本はクリーンエネルギー)からの配電を受ける、
という「ネットワーク」的な方向性が、
少なくともハイリスクな原発推進よりはベターなのではないか、と思うのだが。
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石原慎太郎は死んだが。

2022年02月05日 09時42分50秒 | 社会
石原慎太郎 - Wikipedia

石原慎太郎が死んだ。
自分のブログのプロフィールに書いている通り、
私はこの男が嫌いである。
死んだところで変わりはしない。

この男の差別的発言、個人を個人として尊重しない発言から、
この男は民主主義社会(多数決主義でない、本来の民主主義社会、のイメージ)を破壊する者であり、
そのような「民主主義の敵」は発言してはならない存在である、と考えている。
# 民主主義社会におけるルールの大前提は、個々の参加者を個人として尊重すること。
 それをしない者はそもそもこの「民主主義社会」というリングに上がる資格のない者であり、
 口を閉じてろ、黙ってろ、ということ。

この男が生前、醜悪な顔でどれだけの人を侮蔑し、嘲笑してきたか。
そしてそれを「リーダーシップ」であるかの如く持て囃してきたか。
反吐が出る。

しかし石原慎太郎が死んだとて、
同様の連中は消えていないし、
「本音で喋っている」と当時以上に称揚され、マスメディアで跋扈している。

石原慎太郎の生前の発言はきちんと検証し、非難すべきは非難する。
そして同様の発言を繰り返す連中は、同様にきちんと非難していかなければ。
「死者に鞭打つな」とばかりに生前の発言が肯定されてしまうことは、
結局後継者どもの非難されるべき発言が非難されずに定着していってしまうことに繋がる。

正直、石原慎太郎を嫌う感情は、以前よりも弱くなっている。
それはこの男以外にも酷い連中が跳梁跋扈しており、
私が麻痺してしまっているからではなかろうか。
この男の死を契機に、
改めて「不適切な発言は不適切である」ときちんと捉え、強く非難していかなければ。
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2022年正月にあたって。

2022年01月02日 12時16分04秒 | 社会
のどかなる空の色かな年たちてゆるぶは人のこころのみかは(一葉)

2022年になった。
2021年も結局「新型コロナ」で明け、暮れた。
東京五輪もパラリンピックも、首相が菅から岸田になったことも、
総選挙で維新が躍進してしまったことも、
コロナ程のインパクトはなかったのかも知れない。

100年前、1922年にあったことを見てみた(Wikipedia)。
個人的に興味を持ったのは以下のようなもの。
・江崎グリコ設立
・全国水平社創立
・未成年者飲酒禁止法公布
・ヨシフ・スターリンがロシア共産党書記長に選出
・日本共産党結成
・ベニート・ムッソリーニが首相に就任
・大隈重信死去
・アルトゥール・ニキシュ死去
・山縣有朋死去
・ヘルマン・ロールシャッハ死去
・森鷗外死去
・ノーベル物理学賞にニールス・ボーア
・フグ田サザエ誕生

明治維新の元老の死(大隈、山縣)と世界的には独裁体制の萌芽(スターリン、ムッソリーニ)、
国内的には水平社や共産党の成立、といったところが興味深い。
これが100年前。

それからの100年。
「独裁か、民主主義か」の争いは「民主主義」の勝利に終わっているが、
この「民主主義」が多数決主義に堕している、と感じる。
橋下などはそれを否定しない。

根本的に言えば、「正義とは何か」という話。
単純多数決主義者は「正義なんて存在しない、多数者が正しい」と冷笑するのだろう。
しかし元々、民主主義や多数決というのは
「絶対的な正義は存在しないかも知れないが、それを追求すべきであり、
単一の王や少数の貴族でなく、多数の市民が考えた方がより正義に近付くだろう」という
仮定で正当化される考え方であり、
正義を希求しない民主主義は、結局アウシュビッツを否定するロジックを持たない
危険思想ではないのか。
そして、「知識を吸収する」「考える」を経ない市民が議決権だけ有している状態は、
民主主義の前提が掘り崩された、危険な状態ではないのか。

多数決によっても覆し得ない「個人の尊厳」がある。
その個人の尊厳を守るのが「自由主義」であり、
民主主義社会と云えども「個人の尊厳」を侵害するにあたっては
単なる多数決では侵害し得ない、
といった社会の基本理念が揺らいでいる、或いはそもそも明確にされていない、と感じる。
# これは、個人の自由や尊厳よりも「国家」「集団」に重きを置く
 「自由民主党」が長年の政権与党であり、
 結局は世間の風潮を作っている存在であるから、かも知れない。

それが今から100年前の出来事をピックアップしてみて感じたことであり、
今後の私自身のあり方や仕事のベースになってくるのだろう。
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「虚偽」「隠蔽」「銭ゲバ」「差別」「無責任」の腐った五輪開幕

2021年07月22日 08時16分54秒 | 社会
腐った五輪が開幕する。

「中止」「延期」を求める声は無視され、
「感染拡大」を恐れる声は「バブル」なる空虚な「出まかせ」で糊塗される。
利に聡いスポンサーはスポンサーであることを隠蔽し、
不買運動から逃れようとする。
直前になって尚、過去の差別・暴力に無反省だった者が表舞台に立ちそうになり、
慌てて辞任する。
任命した者は「私に責任がある」と称しつつも、責任をとろうとはしない。
2月に女性差別発言で辞任した森が、
いけしゃあしゃあと「歓迎式典」なるイベントに呼ばれる。いい面の皮。

「最も金のかからない五輪」と言われていた。
実際はどうか?

そもそも発端から腐っていた。
「福島はアンダーコントロールである」安倍の虚偽声明から始まっている。
なぜ、安倍首相は福島でアンダーコントロールについて問われたのか #みんなのWHY


「熱中症の恐れがあるので、激しい運動は避けるように」と言われる日本で、真夏に五輪を開催する。
何が「アスリート・ファースト」だ。口から出まかせもいいところ。

今回の五輪に関して噴き出た様々なトラブルは、本当に枚挙に暇がない。
五輪新記録ではなかろうか。
私も忘れていたが、怪しげな新国立競技場の変更五輪エンブレム盗用疑惑なんてのもあった。
そして女性蔑視発言による森会長の辞任。ジェンダー・ギャップ指数世界120位の面目躍如。

挙句、新型コロナウイルスの蔓延。
たまらず1年延長したが、現状はどうか。
ワクチン接種が広がりつつあるが、選手団に陽性の人が出たりしている。
ここは濃厚接触者でも陰性だったら様子を見ずに出場OK、とかや。

「新型コロナ」という目に見える形で、
「やめた方がいいぞ、諦めろよ」と示唆されているのに、
やめきれず、蛮勇で突き進む。
大新聞社はスポンサーになっているから、本気で止めようとはしない。
五輪終了後に「開催すべきでなかった」とか、「綾鷹」ででも濁すのかねえ。
敗戦の総括をしていない「与えられた」民主主義国の脆弱さを見る。

この愚かな意思決定(決定者が分からない、「真空の権力構造」かも)を、
次は過ちを繰り返さぬよう、気の毒な後世に書き残さん。
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欲しい本が多過ぎる…。

2021年02月20日 08時25分25秒 | 社会
哲学書新刊情報++というアカウントをフォローしているのだが、
朝から気になる本が次々と紹介されてきて困る。













ただでさえ読み切れずに溜まっているのだが、
何冊か買いそうな予感。
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2020年を振り返って

2020年12月31日 19時45分04秒 | 社会
2020年日本の10大ニュース _ 読者が選ぶ10大ニュース _ まとめ読み _ ニュース _ 読売新聞オンライン

様々な形になっているが、今年のニュースは
「新型コロナウイルスの感染拡大」と「安倍退陣、菅政権誕生」に塗りつぶされた印象。
「新型コロナウイルス」については、未だに「第三波」を巡って自粛要請等が出てきている訳で。

今年が始まる段階では、
「2020年はオリンピックの年だ」という声が大きく、
「オリンピックが終わった後、反動での不景気が心配だ」といった声が少し聞こえてきた程度。
それが、年明けすぐから「新型コロナウイルス」の影響で人の往来が出来なくなり、
業種による濃淡はあるにせよ、景気後退の局面に突入した。

「新型コロナウイルス」に対して、政府・地方自治体が有効な手を打てているか。
現在の状況を見ると、打てているとは言い難い。
その中に、実際に「新型コロナウイルス」がどの程度危険なのか(感染しやすさ、感染した場合の危険性)が
明確に示されていないため、必要以上に恐れたり、逆に過信のために急激に病状が悪化する、というケースが
あるように感じる。

政府・地方自治体は「感染拡大は防ぐ」「医療崩壊はさせない」と言いつつ、
「経済は止められない」とも言ってブレーキと同時にアクセルを踏んでいる。
これはやむを得ない面もあると感じる。
ただ、情報を政府・地方自治体が管理した上で、全ての決定を政府・地方自治体が下す、というのは
難しいのではないか?
政府・地方自治体がやるべきは、持っている情報を
「現状はこうで、この部分は分かっていない、こういう人にはこういうリスクがある」という形で
包み隠さず公開するべきだろう。
それを受けて、「では休業する」「こういう形で営業する」と住民が判断する。

勿論、住民の側にもその判断について「自分と判断が異なる」から、と言って
非難したり叩いたりしないだけの理性、自身の判断を相対化するだけの理性が求められる。
# その理性がないから、政府・地方自治体が全てを決定して「自粛要請」なんて誘導せざるを得ないのかも知れない。

感染拡大させないための「カルタ」だの「かきくけこ」だの、クソ下らんことをやっている、と思われがちだが、
結局それは、クソ下らんことをやらないと行動を変えない住民(だと正当化されている)のせいなのかも、と思うと、
「新型コロナウイルス」を巡る目隠ししたままの右往左往の原因は、
理性的な行動をしない(と政府・地方自治体側に思わせてしまっている)住民の側にある、とも言える。

ではその原因は何か?と考えると、
安倍政権とそれに阿ってきたマスコミの「罪」は非常に重大だ、と感じる。
首相というのは、国民の委託を受けて政治を行う「役割」を担う者である。
決して白紙委任されて振舞え、言動について改める必要のない「階級」では決してない。
# 実質的に「落選する」可能性のないことが、「階級」化を加速している。

この「政治家へのおまかせ」状態が、戦後民主主義という身に合わない「衣装」が捨てられた「本来の姿」なのか、
様々な要因によって「本来の姿」から逸脱してしまった状態なのか。
このあたりは、2021年以降の様々なニュースを見て、考えていくことになるのだろう。
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クラスター発生を叩くな

2020年10月19日 10時36分55秒 | 社会
「〇〇でクラスターが発生したので、1週間の業務停止」
てな記事をよく見る。
挙句、施設名を公開するとその施設や従業員が叩かれる、と云う。

しかし「クラスター発生」は、現状の検査体制では、
「運・不運」でしかなく、
明日は我が身、である。

陽性患者が偶々出る。
その患者の「濃厚接触者」として、会社・店の同僚が検査を受ける。
検査を受けると、同様に感染している。
と、その会社・店で「クラスター発生」と言われ、叩かれる。

陽性患者が出なければ、
その会社・店の同僚が検査を受けることはない、というのが
今の検査体制の特徴(問題点、とは敢えて言わない)。
もしかすると、実際には「クラスター」が発生しているのかも知れない。
それは、検査していないから分からない。
検査するかどうかは、最初に陽性患者が出るかどうか、という、
「運・不運」に大きく左右される。

そんな「運・不運」で左右されるもので、
「クラスター発生だ」と、
死者に鞭打つように叩きまくるのは不適切だろう。

明日は我が身、なんですよ。
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