朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

憲法記念日に改めて思うこと

2024年05月03日 07時52分42秒 | 法・裁判
5月3日は憲法記念日。
1947年5月3日に日本国憲法が制定されたことを記念しており、
今年で満77年。いわば「喜寿」にあたる。
しかし昨今は喜ばしくない事態が目に余る。
その長寿を喜ばしく思わない魑魅魍魎の跳梁跋扈。

近代憲法には「権力の統制」という役割が含まれている。
「権力は腐敗する」「人治から法治へ」という価値判断から、
三権分立や選挙制度などが構築されている。
ベースになっているのは個人の尊厳、といったところだろう。

しかるに、昨今。
統制されるべき権力側が
己らの好き勝手を公認させるために「憲法改正」などと喚くのは、
(ベタな表現だが)盗人が牢獄の鍵をよこせ、自由に使わせろ、と言うようなもの。
奴らは喚きつつ、
統制を弱める(=己らの自由放埓範囲を拡大する)取引の代償として、
「憲法改正」に及ばないような事項を殊更に取り上げて
「だから憲法改正しましょ」と猫撫で声で囁いている。

別に憲法改正そのものが悪いと言っている訳ではない。
ただ、権力の統制や平和主義といった日本国憲法の骨子に強酸をかけて脆くしようとする連中が
「77年も改めていない、異常だ」とほざくのが危険であり、不愉快だ、という話。
それならば改正しない方がはるかにマシだろう。

そんなことを、長寿を迎えた憲法を安楽死させようとする連中を
横目に見ながら思っている。
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日本の後進性が晒された事件

2020年01月05日 14時02分02秒 | 法・裁判
【声明全文】ゴーン被告「私はレバノンにいる」渡航禁止も出国 _ NHKニュース

「私はいまレバノンにいます。
 もはや私は有罪が前提とされ、差別がまん延し、基本的な人権が無視されている不正な日本の司法制度の人質ではなくなります。
 日本の司法制度は、国際法や条約のもとで守らなくてはいけない法的な義務を目に余るほど無視しています。
 私は正義から逃げたわけではありません。
 不公正と政治的迫害から逃れたのです。
 いま私はようやくメディアと自由にコミュニケーションできるようになりました。
 来週から始めるのを楽しみにしています。」

実際のところ、「国際法や条約のもとで守らなくてはいけない」もののみならず、
憲法で規定されたルールすら守られているのか、疑問。

日本国憲法

第三十六条
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

第三十八条
 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
第2項
 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
第3項
 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

など。

昨今の判決や裁判官の任免を見ても、だが、
「三権分立」と言い乍ら「司法」が「行政」に従属しているのが
最大の問題点ではないだろうか。

金と外国籍のあるゴーンは逃亡できたが、
逃亡できずに留置され、自白を強要され、
その自白を元に刑を執行されるケースは未だに途絶えない。
この日本の「後進性」が如実に露呈した事件、と言えるだろう。
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恥ずべき強弁

2012年11月08日 03時58分58秒 | 法・裁判
時事ドットコム:「冤罪」と認めず=直接謝罪も否定-再審無罪に東京高検

先日無罪判決が確定した所謂「東電OL殺人事件」についての
検察幹部の強弁。

嗚呼、冤罪が頻発しても、本当に何も変わっていないんだなあ。
非常に不愉快で、情けなくなった。

「当時の証拠関係では間違いではなかった」と言うが、
「無罪推定」の原則に反して己のストーリーを優先して、
別の人間の存在を示す証拠を隠蔽していたのではなかったのか?
それも間違いではなかった、と言うのか?
確かに有罪推定で判決を下した裁判所の罪の方が遥かに重いし、
裁判所と人事交流を通してズブズブの検察当局としては、
裁判所批判に通じかねない「反省」はできないのかも知れないが。

そして「真犯人を逮捕しなければ冤罪と言えない」も狂っているとしか思えない。
それは「無罪判決だけど、本当は被告がやったかも知れない、と思っているんだよ」という負け惜しみ、
或いは15年監禁した冤罪被害者にさらに鞭打つ発言と感じる。
菅家さんの時は真犯人を見つける前に「冤罪」と認めたのではないのか?
その違いは何なのだ?
逆行しているように見える。

結局、「今回は新しい証拠が発見されたので已む無く無罪にした、
最初の有罪にした裁判は誤っていない」と言いたいのだろう。
しかしその際の証拠の扱い、取調べなどに誤りはなかったのか?
このあたり、検察・裁判所とも己らの正当化・自己弁護に走り、
誤りを自ら正す自浄能力に欠けていると感じる。
いっそ、冤罪被害者に国際機関に訴え出てもらって、
「人権侵害」「日本の司法制度は法治国家の態を為していない」と
国際的な指弾を受けないとダメなのかも知れない。
それでも尚、冤罪を生み出す構造を改めることはできないのでは、と
悲観的に感じてしまうほど根深いのだが。

特に外国人が冤罪被害者になった今回の件、
私は別に「憂国の士」でも「愛国者」でもないが、
「同じ日本人と思われると恥ずかしい」と怒りを覚えてしまった。
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「推定無罪」は口先だけか

2010年10月06日 07時57分54秒 | 法・裁判
社説:検審「起訴議決」 小沢氏は自ら身を引け - 毎日jp(毎日新聞)

検察審査会が2度目の「起訴相当」を議決し、
小沢が強制起訴される見込みとなった。

これを受けて「議員辞職すべきだ」といった声が上がっているが、
根本的に狂っているとしか思えん。
これは、いったい何なんだ?

検察審査会は「裁判の場で黒白をつけるべきだ」と言っている。
個人的には検察が起訴/不起訴を独占する状況へのチェックの役割を
検察審査会が果たすのは、
その情報公開等に課題があるとは言え、
まあ、良い方向かな、と思う。
ただ、あくまでもその強制起訴は「黒白を法廷でつけるため」のもの。
「白の可能性もあるにせよ、法廷に出せ」と言っている。
従来の検察による「有罪と認定されるだろうから、起訴する」ものとは
位置付けが異なるのではないか。
# 検察当局による起訴とてシロの可能性があることに変わりはないが、
 その点には今回は触れない。

にも関わらず、マスコミは「道義的責任があるから」とか
「有罪になる可能性があるから」とか言って
「議員辞職せよ」などと小沢が不利益を甘受すべきだ、と言う。

これは整理して言うと、
「裁判で無罪になる可能性がけっこうある(少なくとも、従来の検察による起訴よりも高い)」
にも関わらず、
「不利益を甘受せよ」と言っている訳だ。
これは、正しいのか?
裁判で有罪判決を受けていないのを、社会的に吊るし上げる行為。
これは小沢の言う通り、「魔女狩り」「魔女裁判」でしかないのではないか?
単に小沢は今までからグレーな行為をやってきている、
叩くべき(と国民が考える)けしからん存在だ、
だから不利益も甘受するべきだ、
と指弾しているように見える。
# いきなり、何の思い当る節もないのに起訴されて、
 「裁判に時間がかかるから、仕事を辞めろ」と言われる状況は、
 想像するだに恐ろしい。
 「私はそんな目には遭わないだろう」と考えるのは、
 妥当だけど正しいとは思えん。

結局、「推定無罪」と口では言っているけど、
そんなこと思ってもいないのではないか?
吊るし上げ、社会的制裁を加えるに際して、
「まだ裁判で有罪判決が確定した訳ではない」なんて抑制が効いているとは思えない。

仮に圧力が奏功して議員辞職したとしよう。
万一(よりも高い確率だが)無罪になったとき、
マスコミはどう対応するのだ?
先日、厚生労働省の局長が無罪判決を受けた時、
「復職したが、失われた日は帰ってこない」と書いたのではないのか?
同じ過ちを繰り返すのは阿呆だ。
あるいは口先だけで、自らの報道が与えた不利益を反省なんかしていない訳だ。

もしかすると、今度は「過ち」と認めないのかな。
「無罪判決だったけど、証拠がないだけで本当は有罪だ」論調で
押し切るのかも知れない。
…ますます「推定無罪」なんか口先だけだ。

まあ、仕方ないのかなあ…。
結局「手続」や「論理」を軽視する(とマスコミが認識している)国民に
相応しいマスコミなのかも知れないし。

しかし、今回の論調はあまりにも危険過ぎる。
戦前の「治安維持法」は悪法だった、と今は思っているけど、
当時の国民の大多数はそう思っていなかっただろう。
将来、何か大問題が起こった時に
「何であんなバカな時代だったんだ」と
思ってしまう可能性が高い、と漠然と感じる。
「小沢を排斥したい」と思惑から、政争の具として利用するには
あまりに危険な刀ではないか?

# 少しうがった見方をすると、
 今後小沢が無罪になり、
 「検察審査会によって政治家を強制起訴するのはやめよう」という論調に
 もっていくための下準備かも知れんな。
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お手並み拝見

2010年09月22日 07時56分59秒 | 法・裁判
郵便不正事件:大阪地検の主任検事逮捕 証拠隠滅容疑 - 毎日jp(毎日新聞)

自ら作ったストーリーを証明するために、
証拠を改ざんする、という本末転倒。

あまり触れられていないようだが、
特定の日付に最終更新日時を変更するのって、
普通の方法ではできないのではないか。
パソコンの日付を変えるか、あるいは特別なソフト(フリーだが)が必要で、
いずれにせよ真っ当な方法ではない。
「最終更新日時を変更する」のが定常的に行われていた可能性があり、
同様の証拠の改ざんが以前から行われていたのではないか、と感じてしまう。
少なくともこの検事が対応した全ての事件の内、
「最終更新日時」が証拠の一環になっている事件は全て見直す必要があるだろう。

「誤ってデータを書き換えた」なんてあり得ない。
「この日付だったらいいのになあ」とか言って遊んでいた、とでも言うのか?
誤って書き換えてしまったら元の日付に再度書き換えれば良いのに、
それもやっていない。

最高検が捜査にあたる、というのだが、
正直、可能なの?と疑問。
やけに「逮捕」が早かった印象がある。
この検事がこの事件に限って犯罪を犯した、と矮小化して
幕引きを図りたいように見える。
しかし、この検事が担当した他の事件についても怪しいものだし、
他の検事がやっていないとも思えない。
本当に、組織ぐるみでやっていないのか?
最高検もしょせん「内部」の人間であり、
問題があってもできるだけ矮小化し、
自らの肥大した権力を守るために隠そうとするのではないか?
こういうときだけ「無罪推定」で
「証拠隠滅の証拠がある時のみ、対応する」のではないか?
相撲協会を笑ってはいられまい。

個人的には、
権力をチェックするはずの検察が
組織内はチェックできないことを露呈し、
国民や裁判所の「検察は正しい」幻想を破壊し、
本来の「無罪推定」を思い出させてくれても良い、と思うが。

まあ、捜査と、
その後の再発防止策を見てみよう。

【追記】
ソフトに限らず、PCの日付を変えれば最終更新日時を直せるか、と気付いたので修正。
いずれの方法にせよ、過失ではなく故意だろうと感じるが。
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言い知れぬ不気味なもの

2010年04月28日 07時50分17秒 | 法・裁判
時効廃止 改正刑事訴訟法が成立 即日施行目指す(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

殺人罪などの時効が廃止された。
>殺人など一部の罪の公訴時効が廃止されるのは
>刑事訴訟法の前身である治罪法制定(1880年)以来初めて
という大きな見直しの割には、
「今捜査中の事件の時効を成立させない」ことが最優先で、拙速な印象がある。

何だろう、何とも言えない気持ち悪さがある。
私が法律を勉強した者であり、
また、
「国家・権力は暴走するものである、だからそれを食い止めるために歯止めが必要」という
歴史観・国家観で生きているためだとは思う。
最近クローズアップされる冤罪事件を見ると
「自分が日常生活を送っている中で、逮捕されたらどうしよう」とも思ってしまうし。
そのあたり、私は国家や権力に対してネガティブなのだが、
手放しに肯定的な人が多いのかなあ。

今回の時効廃止は、捜査を終結させないのもあるが、
「時効まで逃げ切る」ことを不可能にして
犯人が自首するように、というのもあるのだろう。
それも、何となく「犯罪を犯したのだから、心労はその報いであり、問題ない」とも思いつつ、
何か引っかかるところがある。
引っかかってもムダかも知れないが。
「犯罪者にも人権はある」と言ったところで、
「被害者の身になれ」と叫ばれ、議論を拒否されて終わりそうではあるし。

この件に限らず、
「議論する必要なし」の風潮が不気味なのかな。

# 付帯決議で
 「(1)冤罪(えんざい)が発生しないよう捜査資料や証拠物の適正な保管」
 が求められているようだ。
 調書に使ったメモを「破棄」(隠蔽)するなんて論外なのだろう。
 まあ、どうせ付帯決議だ、と言って無視するのだろうが。
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司法官僚の裁判支配

2009年12月16日 10時23分55秒 | 法・裁判
「司法官僚」(新藤宗幸)読了。
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今の司法が、「最高裁事務総局」を始めととする
司法内の官僚機構に支配され、
各裁判官の自主的な判断が損なわれている、という問題意識。
このあたりの実態を知らなかったので、
詳細な事実を積み上げて描写されていく光景は新鮮で、
腹立たしく感じさせてくれるものだった。

ただ、この本で対策として提示されている
形骸化した「裁判官会議」の実質化が、
果たして現実的なのか不安を持った。
方向としては良いように思うのだが、
実際には今、各裁判官は内容を理解し切れないほどの事案を抱えている。
その状況で「裁判官会議」に時間を掛けられるのだろうか。
結局、今の要員のままでは形骸化せざるを得ないのではないか?
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監視社会への、何となくの危機感

2009年11月28日 05時42分23秒 | 法・裁判
全国初のネットカフェ規制条例=年明けにも案提出へ―メールで意見募集・警視庁(時事通信) - Yahoo!ニュース

権利の獲得や、
戦前戦中の様々な弾圧の歴史を意識すると、
どうしても何か監視されるような規則に対して、警戒感を持ってしまう。
# それは、自分が何かあれば弾圧される側だろう、という
 意識から出ているのだろうが。

確かに「匿名性を利用した犯罪を防止する」といった理由付けは
魅力的に聞こえる。
また、自分でネットカフェ(というかマンガ喫茶)を利用する時も、
本人確認がある方がPCに変なソフトなどが仕込まれている
可能性は低く、安全だろう、と思っている。

しかし、それと「義務付け」「罰則」は別だろう、と感じる。
まずは「パソコンを利用したかどうか」を保存するだけだ、ということだが、
今後何か事件が起これば、
サイトのアクセス履歴やら何やらが保存されるように
変更される可能性は高いと思う。

そして、大多数の人は影響がないから、
「別にいいんじゃないの?」と特に否定もしない。
むしろ「犯罪を防止するためにはその方が良い」と賛成したりする。
商店街の監視カメラとか。

でも、と思う。
「治安維持法」だって、当時の国民の大部分にとっては関係ない、
「別にいいんじゃないの?」と思える法だったのではないのだろうか。
「治安が良くなる、何が悪い?」とか。
ではその法は日本を良い方に向けたか?というと
そんなことはないだろう。
これは極端な話かも知れないが、
権力が自己を守るために少数者を監視・弾圧する仕組が
どこを入り口に作られていくかは分からない。
そして、事あらば作ろうとする感じがする。

現時点で、自分にとって問題とならなくとも、
行動を監視するような法律・規則に対しては、
敏感に目を向けておく必要があると思う。
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国策捜査の構造

2009年10月09日 08時38分22秒 | 法・裁判
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」(田中森一)読了。

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特捜検事を辞め、
弁護士になった筆者の様々な経験や関係した人々に関する思い出話。
いろいろ考えずに楽しめる本。
私はバブル時代のことはあまり知らないので、
その頃の裏世界の話も面白い。

検事時代の経験で、
どのように官僚や政治家の思惑に絡め取られていくかが描かれていた。
直接的な圧力がかかることもあるが、
検察官僚の中で「ここまで進めると出世に響く」という
自制が働くようだ。
検察官も官僚であり、官僚機構の中での出世を目指す以上、
その不正を暴くのは構造的に難しいのか。

小沢秘書の献金問題の中で、
漆間が「自民党議員に及ばない」と漏らした事件があった。
結局それも、政治家が圧力をかけた、というよりも
検察官僚の自制の結果が漆間に伝えられた結果なのだろう。

このあたり、「国策捜査だ」と非難しても意味がないだろう。
「不偏不党」「公正中立」なんて幻想。
全て(広く言えば)「国策捜査」であり、
その構造を暴き、改めていく必要があるのではないか。

政権交代し、このあたりがどのように変わっていくのか。
単に顔色を伺う対象が変わるだけにならないか。
幻想を勝手に前提にせず、
警察・検察と持ちつ持たれつの関係にあるマスコミに依存せず、
フラットに監視していく必要があるのだろう。
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単なる反省のポーズか?

2009年10月07日 20時36分01秒 | 法・裁判
足利事件 供述も録音 別件調べテープ 否認後に「自白」(産経新聞) - goo ニュース

検察側は、
検事正が謝罪しても、
テープは開示しない、と言うんやね。

まあ確かに、
再審裁判でこの「自白」のテープが必要か、というと、
恐らく、なくても無罪になるのだろう。
しかし、なぜ冤罪を発生させたのかを解明するのであれば、
嘘の自白に至った過程を示すテープは、
開示されるべきものだと思うのだが。

検察側としては結局、
今回の事件は冤罪でした、ごめんなさい、で済ませて、
今後は起こさないようにしよう、なんて考えていないのだろう。

しかし謝罪には、
「今後同じことを繰り返しません」という意味が含まれるべきものでは?
結局謝ったところで、それは反省のポーズでしかないのか、と
思ってしまう。
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