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平和憲法の実現

2006年05月07日 19時32分32秒 | 政治
改憲(「創憲」とか「加憲」とかいっているが、結局同じこと)の
動きは逆らいがたいものになっている。
結局民主党も「憲法を変える」ラインに乗っているのだから、
「郵政解散」のはずが、委任したはずのない憲法論議をする人数になっている。

一言で「改憲」というが、むろん、必要な修正もあると思う。
例えば新しい権利の概念(プライバシー・知る権利など)を組み込んだ方が
良いと思う。
ところが、今の「改憲」の動きが、全条文を併せて「賛成」か「反対」か、を
問う形になっているので、
必要な修正が含まれていたとしても「反対」と言わざるを得ない。

第9条も、例えば「自衛権は認める」ような変更が加えられるのだろう。
しかし、それは正しいのか。
「自衛」の名の下に日中戦争から太平洋戦争は行われたのではないか。
「自衛権」の概念を入れてしまうことは、第9条が持っていた「完全非武装」に
つながる可能性を抹殺してしまうと思う。
「自衛のための武力を持つのは当たり前だ、非武装は非現実的だ」というのは
簡単だが、非武装のための努力をしてきたのか。
アメリカの政策として、日本は「非武装」ではなく、ソ連・中国に対する
「不沈空母」であることが求められたから、世界第何位という武力を
持っているが、本当にそれを放棄できないのか。
例えば(現状の体制等を考えると難しいが)国連を信頼し、
自分の国では武力を持たなくて済むような行動をしておれば、
非武装の国家として存続できたのではないか。

もちろん、非現実的なことは確かだし、具体的にどうすれば良いかも分からん。
それは一度も実現していない壮大な実験だろう。
しかし、憲法がたとえ「押し付け」であったとしても、
戦後、大多数の国民の賛同を得てきたことは確かだし、
その背景には敗戦の下、「絶対に戦争はしたくない」という素朴な
望みがあっただろう。
そこには「自衛のためには保持してもいい」といった想いはなかったと思う。
これが、第9条の原点だと思う。
この原点を無視して「自衛のための武力」や「アメリカの同盟軍としての
武力行動」などと拡大解釈していくのは危険である。
非現実的だ、という前提の下に規範なく現実に合わせていく動きを
食い止めなければならない。
そして、ただ「護憲」と叫べば良いのではなく、
「武力放棄をどうすれば実現できるか」と真剣に考えていかなければ、
改憲勢力を押し返すことはできないだろう。
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