朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

東京都知事選から思うこと

2024年07月13日 10時53分48秒 | 政治
東京都知事選挙が終わった。
都知事選挙、なぜ小池は勝ち、石丸は票を伸ばし、蓮舫は伸びなかったのか(大濱崎卓真) - エキスパート - Yahoo!ニュース

私は有権者ではないので傍から見ているだけだったのだが、
民主主義の毀損を感じる選挙戦だった。

最初に「選挙ポスター掲示板のスペースを売却する」という話が出てきた。
「掲示板ジャック」が物議 ポスター枠「売却」、問われる良識―「常識外れ」と有権者・都知事選:時事ドットコム
安価で都内各地に大量の広告を打てるし、盲点になっている、という点からすれば、
「ビジネス」としては非常に優れたアイデアなのかも知れないが、
選挙の目的から考えれば当然「常識外れ」でしかない。
逆に言えば、そこまで選挙や民主主義の「常識」が変質してしまっている、ということだろう。
「思いついても、そんなことはしないだろう」という「常識」が失われつつある。

現職の小池は政策論争から逃げた。
人間の心理を踏まえると、
4年間の実績で「できたこと」より「できなかったこと」の方が有権者の印象に残る。
しかし、知名度等を考えれば現職の方が有利。
つまり現職は、政策論争に参加せず、現職の知名度を利用して逃げ切りを図る、というのが
選挙に勝つための戦略としては正しい、ということになる。
そんなことは分かっているのだから、マスコミ等は「政策論争に参加しない」ことを徹底的に批判することで、
公正な選挙戦を支援するべきではないか。
現職が政策論争から逃げようとするのは当然の話であり、
それを徹底的に非難しないのは、現職を支援する活動に他ならない。

逆に、蓮舫は「政策論争」に巻き込まなければならなかった。
早く政策を提示し、その土俵で戦うべきだった。
それを「先に提示すると不利になる」とか言って逃げたのは愚策だろう。

結果、石丸にも大差を付けられて「3位になる」という惨敗を喫することになった。
もちろん、選対陣営に広告代理店に繋がりがある者を入れ、
マーケティング的に巧みに支持を拡大した石丸が「上手くやった」面はあるにしても、
そもそも「組織だろ」というイメージを持たれてしまい、
広がりに繋がらなかった失策を反省しないと、次回以降も勝ち目はないだろう。

石丸については、選挙後になって色々とマスコミがアリバイ作りで叩いているが、
それは選挙前から分かっていた話であって、何を今更、である。

結局、民主主義≒選挙と捉えてしまうと、
短期間で様々な手を打てる広告戦略や
その期間に不利になる報道をする(有利な報道をしない、も含めて)マスコミを味方にする者に勝つことは不可能だろう。
「選挙がすべて」という言い草に乗っかってはいけない。
その土俵で戦っては勝ち目がない。
「政策をパクられたら」とか言うけど、そんなことを言っても仕方がない。
目的は「政治を良くすること」であり、「良い政策がパクられるのは良いこと」と思うしかないのでないか?
もちろん公職選挙法の縛りがあるから「立候補予定者」等は書けないだろうが、
日常から、極端な話前回選挙が終わったタイミングから、
その地方自治体のあるべき政策を掲げて、それを広げる運動を始め、継続するべきではないのか?
それが「選挙がすべて」ではない、あるべき民主主義社会の状態ではないのか?

「何も変わらない」「政治は政治家に任せておけ」と言う連中は、このような動きを冷笑し、
「自分の仕事をしろ」とほざくのだろうが、
民主主義社会においては一人一人が「政治」「政策」に関心を持つことも「仕事」である。
報酬が出なくても、それも重要な「仕事」である。
選挙の時だけ関心を持つような状況で、
単なる人気ではなく「自分に合った候補者」を選択することができるのか?

そして、自分の生業に追われている状況で、
民主主義の参加者としての「仕事」をこなすのは難しい。
「政治・政策について考える余裕なんかない」という話になってしまう。
だから一人一人の国民の生活を安定させる、というのは
本来の民主主義ではベースとなる基本的な態度になるのではないか。
逆に為政者側は、自分たちが都合よく振る舞いたいから、
国民の生活は不安定で日々の生存に汲々としている方が望ましい、という構造になる。
「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」というのは、過去の話ではない。

さて、どんな社会が望ましいのだろうか?
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憲法記念日に改めて思うこと

2024年05月03日 07時52分42秒 | 法・裁判
5月3日は憲法記念日。
1947年5月3日に日本国憲法が制定されたことを記念しており、
今年で満77年。いわば「喜寿」にあたる。
しかし昨今は喜ばしくない事態が目に余る。
その長寿を喜ばしく思わない魑魅魍魎の跳梁跋扈。

近代憲法には「権力の統制」という役割が含まれている。
「権力は腐敗する」「人治から法治へ」という価値判断から、
三権分立や選挙制度などが構築されている。
ベースになっているのは個人の尊厳、といったところだろう。

しかるに、昨今。
統制されるべき権力側が
己らの好き勝手を公認させるために「憲法改正」などと喚くのは、
(ベタな表現だが)盗人が牢獄の鍵をよこせ、自由に使わせろ、と言うようなもの。
奴らは喚きつつ、
統制を弱める(=己らの自由放埓範囲を拡大する)取引の代償として、
「憲法改正」に及ばないような事項を殊更に取り上げて
「だから憲法改正しましょ」と猫撫で声で囁いている。

別に憲法改正そのものが悪いと言っている訳ではない。
ただ、権力の統制や平和主義といった日本国憲法の骨子に強酸をかけて脆くしようとする連中が
「77年も改めていない、異常だ」とほざくのが危険であり、不愉快だ、という話。
それならば改正しない方がはるかにマシだろう。

そんなことを、長寿を迎えた憲法を安楽死させようとする連中を
横目に見ながら思っている。
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生成AIを比較してみた

2024年04月06日 14時10分39秒 | 社会
様々な生成AIが発表されているが、よく分からないところもあるので、
試しに比較してみた。

質問は
「桂米朝について、落語に詳しくない人に分かるように説明してください。500字程度で。」
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ChatGPT4
桂米朝(かつら べいちょう)は、戦後の日本を代表する落語家の一人で、20世紀後半の落語界において特に影響力があった人物です。1925年に大阪で生まれ、落語家としてのキャリアを積む中で、その独特の話術や人間味溢れる演技で広く人気を博しました。落語は、主に江戸時代に始まった日本の伝統的な演芸で、一人の演者が様々な登場人物を演じ分けながら、ユーモアを交えて物語を語る芸術形式です。

米朝は、特にその柔らかく聞き取りやすい言葉遣いと、人物描写に富んだ繊細な話し方で知られています。また、彼は多くの古典落語を現代に合わせてアレンジし、より広い聴衆に受け入れられるよう工夫を重ねました。このような努力は、落語を古典的な枠を超えて、現代の人々にも親しまれる芸術形式として確立させることに貢献しました。

さらに米朝は、自らの落語家としての活動にとどまらず、後進の育成にも熱心でした。彼のもとで学んだ弟子たちは、現代落語界の中心的な存在となり、その教えは今もなお多くの落語家に受け継がれています。1980年代には、落語芸術協会の会長を務めるなど、落語界全体の振興にも力を尽くしました。

米朝の落語は、その洗練された技巧だけでなく、日常生活の中の喜びや悲しみ、人間関係の微妙さを温かみのある視点で捉えた点が特に評価されています。彼の作品は、今日においても多くの人々に愛され続けており、日本の伝統文化としての落語を現代に伝える重要な役割を果たしています。

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Perplexity
桂米朝は日本を代表する落語家です。
桂米朝は1950年に東京で生まれ、落語家の家系に育ちました。幼少期から落語に親しみ、1970年代に入門し、1980年代に独立して自らの落語会を開くなど、長年にわたって落語界をリードしてきました。
桂米朝の特徴は、独特の話し方と表情、そして豊かな表現力にあります。彼の落語は、聴衆を引き込む語り口と、細かな仕草や表情の変化によって生き生きと描き出されます。また、古典落語の枠にとらわれず、現代的なネタも手がけるなど、柔軟な姿勢も魅力の一つです。
桂米朝は、落語の伝統を守りつつ、新しい可能性を切り開いてきた第一人者といえます。彼の落語は、聴衆を楽しませるだけでなく、時代とともに変化する人々の価値観や感性にも応えてきました。
落語に詳しくない人でも、桂米朝の落語を聴けば、その独特の世界観と表現力に魅了されるはずです。彼の落語は、日本の伝統文化の魅力を感じられる貴重な機会を提供してくれるのです。

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Gemini

桂米朝:上方落語を復興させた名人
桂米朝は、20世紀後半の日本を代表する落語家です。上方落語と呼ばれる大阪発祥の落語を復興させ、多くの人々に愛される存在となりました。

戦後の苦難を乗り越え、上方落語を復興

米朝は1925年生まれ。第二次世界大戦後、上方落語は衰退の一途を辿っていました。そんな状況の中、米朝は4代目桂米團治に入門し、独創的な話術とユーモアで人気を集めます。

彼の代表的な演目には、「死神」「芝浜」「饅頭こわい」などがあり、いずれも軽快な語り口と巧みな演技で観客を魅了します。特に「死神」は、死神と人間のやり取りを描いたコミカルな噺で、米朝の真骨頂と言えるでしょう。

テレビやラジオで活躍、落語を全国に広める

米朝は落語家としての活動だけでなく、テレビやラジオ番組にも積極的に出演しました。親しみやすいキャラクターと分かりやすい解説で、落語を多くの人に身近なものにしました。

また、落語の研究や後進の育成にも力を注ぎ、上方落語の復興に大きく貢献しました。その功績が認められ、1983年には人間国宝に認定、2009年には落語家として初の文化勲章を受章しています。

上方落語の魅力を伝える語り部

米朝は2015年に90歳で亡くなりましたが、彼の残した数多くの演目や功績は、今もなお多くの人に愛されています。上方落語の軽快なリズムとユーモアを味わいたい方は、ぜひ米朝の演目を楽しんでみてください。

参考情報

桂米朝公式サイト: http://www.beicho.co.jp/
上方落語家名鑑: https://kamigatarakugo.jp/directory/ichimon/katsura_beicho/

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クロード
桂米朝は、落語界の重鎮として知られる名人落語家です。以下のようにわかりやすく説明できます。

落語は、一人の話芸で、苦しみや哲学、人間情などを描いた語り芝居芸です。桂米朝は、その落語の世界で最高の腕前を持つ名人の一人です。

米朝は1937年生まれの87歳(2024年現在)の高齢者ですが、舞台に立ち続けています。話の構成力や語り手の妙、そして豊かな表現力が高く評価されています。話の盛り上がりを期せずにタイミングを計る「化け」の演技は絶妙とされている。

並行して上演される作品は、古典落語から現代風の新作まで幅広く、珍しい作品の発掘と継承にも興味力を持っています。不安があります。

一連の名跡を引き継いだ実績から、落語を守る「錬華の松」とも呼ばれています。 。

このように、桂米朝は長年にわたる芸歴と卓越した語り口で落語の世界を牽引してきた最高の名人だろう。

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それぞれ、大なり小なり傷はある。
それは「生成AI」というものが基本的に内容を理解している訳ではないので、
致し方ないところではある。

また、この質問に対する回答には誤りが多いが、
他の質問内容についてはより正確に答えられる、というケースもあるだろう。

要は、「信じ過ぎず、でも全否定するものでもない」ということですわな。
色々と試してみる中で、クセや自分に合ったものを探せば良いのだと思う。
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「イコマド」の「茜×藍」イベントに参加しました

2024年02月25日 19時25分35秒 | 身の回り
あかねさす紫野行き
標野行き野守は見ずや
君が袖振る
(額田王)

生駒市のコワーキングスペースである「イコマド」の「茜×藍」イベントに参加した。
イコマドで「専門家登録」しているのだが、その関係で誘われたので。

特に「茜」はよく知らなかったのだが、
教えてもらったこと、その他いろいろと思い浮かんだことを備忘で。

・色番号で指定できる「茜色」という色は存在しないのではないか。
単色で指定できる色ではなく、あくまでも日の色、特に日没時のグラデーションが「茜」なのではないか。
「茜」という字は「草冠に西」である。
西に沈む夕日の色であり、その色を採る草が「茜」なのではないか。

・「茜」は禁色らしい。
天皇、あるいは高貴な人しか付けられない色。
天皇を象徴するのが日であり、その色が「茜色」。

・江戸末期に薩長が持ち出した「日の丸」は、「茜色」で染められていた。
言わば皇室の色。
戦後は気にせず色番号で指定された「赤」になっているが。

・「茜」はいわば雑草。棘のある草。
マンガで「茜」或いは「あかね」と言えば、
私のイメージでは「らんま1/2」の「天道あかね」。
棘、ありますよね(笑)
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咲太夫死去

2024年02月19日 09時36分17秒 | 歌舞伎・文楽
人間国宝で人形浄瑠璃文楽太夫の豊竹咲太夫さん死去 79歳 _ NHK _ 訃報

1月末に咲太夫が亡くなったことを、先週くらいに知った。
文楽自体への私の関心が低下しているせいでもあるが、
根本的に言えば咲太夫に「興味がない」。

基本的に住太夫を中心に見てきており、嶋太夫はそれはそれで好きだったけど、
綱太夫は好きではない。
という中で咲太夫って、嫌いではないけど全く好きでもない人。
千歳の方がまだ面白いと思っていた。
長い間見ていない(住太夫の引退興行が最後?)から、
良くなっていたのかも知れないが。
声があまり通らず、何言っているかよく分からないオネオネしている人、という印象なんだよなあ…。

# そもそもが津太夫好きで越路はそこまでではない、という人間なので、仕方ないのではあるが。
4世竹本津大夫の熱演 野澤勝太郎 盛綱陣屋の一部 文楽

今見たら「クサい」んだけど、こういう芸もあって良いでしょう?(笑)

最近の大夫さんは、全く追いかけられていないが、
「団菊じじい」になるのも良くないので、
また文楽劇場に足を運んでみるかな…。
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