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川柳川柳師の死と「ガーコン」について。

2021年12月31日 08時45分34秒 | 落語・講談・お笑い
落語家の川柳川柳さん死去:時事ドットコム

今年亡くなった噺家は何人かいるが、
その内の一人が「川柳川柳」師。
関西にはほぼ来ない方だった。

「川柳川柳」という名前を初めて知ったのは、恐らく高校時代。
何かの本で触れたのがきっかけだったと思う。
私自身は上方の人間であり、東京まで生の落語会に行く習慣はなかったし、
師はラジオにもあまり出演していなかったので、
実際に高座を聞いたのはテープか何かで、大学に入ってからだった。
入り口は当然のように「ガーコン」。

川柳師の少年時代から戦後までの経験や世相を語りながら、
当時の流行歌を歌いまくる。
「歌は世につれ」と書かれていることも多かったようだが、
普通のくくりで言えば「漫談」になるだろう。

東京に転勤になって、初めて生で見た。確か神楽坂。
(喬太郎師を生で初めて見たのもこの時。「白日の約束」で、これも強烈だった。)
「大ガーコン」+ラ・マラゲーニャだと思う。
その後、定席や「終戦記念寄席」等々、そこそこの回数見ているが、
殆ど(…全て?)「ガーコン」だったように思う。
もちろん「ジャズ息子」や様々な艶笑譚も素晴らしいのだが、
生ではお目にかからなかった。

常に「ガーコン」でも、寄席の中では爆笑を呼ぶ、名物だったと言えよう。
「漫談」ではあるのだが、
まずはよく通る声、美しい歌声、そして毒舌、
体験に裏打ちされた説得力、
実は基本となる確かな技術と客席の空気を読む力と、
そういったものが相俟った異色作だと思う。

こういったネタは継承されず、その人限りのものなのだが、
「歌は世につれ」等とネタ帳に書かれていたこのネタに「ガーコン」と名付けたと云う亡き右朝師や、
現小せん師が今でも演じていると云う。
右朝師は「お取次ぎ」と言って演じていた。
小せん師がどのようなスタンスで演じているか、一度聞いてみたい。
# 右朝師の「私小説、芥川狙い」というのがこのネタの本質だと思うので、
 「中沢家」同様、他の噺家が演じるのは難しいのでは、というのが
 私の率直な感想。

川柳師の自伝も面白いので、お勧め。
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酒乱だった川柳師の安らかなお眠りを祈って。
美空ひばり 530527 『賛美歌405番 神ともにいまして』 ひばりの陽気な天使


アーメン。

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