考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

アタマは良くなる!

2006年06月24日 | 教育
 ちゃんと見たわけでないが、NHKの再放送で、100才を超えて中国語の勉強をしているお爺さん幼稚園の先生(?)などの話をやっていた。MRIか何かの写真で、ふつーの人の海馬は、5ミリくらいらしいのに、その人のは1センチもあると言う。海馬は記憶を司る。これまでは、年を取ると海馬はやせ衰える、つまり、新しい神経細胞が作られることがないというのが定説だったが、年を取っても成長することがわかったのだ。(ロンドンのタクシー運転手の海馬が年を取った人の方が大きいという検査結果もあるらしい。ロンドンのタクシー運転手は、道を覚える試験が大変なのだ。何かで読んだ。)
 簡単に言うと、アタマは使えば良くなると言うことである。

 以前、コメントか何かに書いたかもしれないが、私、たぶん、勉強をしたお陰で記憶力が良くなったところがあると思う。

 とにかく私は記憶力が悪い。抽象化能力と思考力はある方かもしれないし、読解力もある方だろう。でも、それに比べてとにかく記憶力が悪い。特に言語で表現すべき記憶力が悪い。とにかく覚えられない。(自分で考えた論理でも忘れる。いきなりその場で説明することができない。笑)

 社会科の先生は、記憶力の強い人が多いようだ。「覚えるのに苦労をしたことがない。」と言っている人を知っている。わからないことを聞くと、たちどころに帰ってくる。コトバにもよどみがなく、素晴らしいものである。(こういう知人は実に有り難い。)しかし、この人、数学が弱い。だからか何か、論理的な話になると整合性に欠ける。(社会の先生には「独創的」な方が多いのはだからかと思う。)

 で、私の社会科は、中学時代からもの凄く苦労をした。中一で地理、中二の歴史が大変だった。白地図を自分で書き、覚えることを全て書き込んで勉強をした。年表を自分で作ってすべて纏めて覚えるべきことを整理した。実に涙ぐましい努力である。教科書を読んだくらいでは覚えられないんだもの、しょーがない。。。その中学生の時に思ったのは、「中学の勉強でこんなに大変なのだから、高校に入ったら、私、どうなるのだろう? ついていけるのだろうか」だった。ホントに心配だった。でも、実際は、何とかなった。もちろん、高校に入っても、同じように大変な思いはした。しかし、振り返れば何とかなったようだ。
 不思議である。高校の知識量は半端じゃない。それでも、何とかなった。

 考えられるのはただ一つ、中学の勉強があったから、私は高校の勉強ができたと言うことである。
 中学の勉強で、私の海馬は多少太ったのだろう。それで、高校の勉強も何とかついて行けたのだろうと思うのだ。だから、もし、中学で私は勉強をさぼっていたら、あの高校の成績はなかったのではないかと言うことだ。
 中学で学習したことを骨組みに、私は高校の内容を習得できたのだと思う。もちろん、アタマの良い人だったら、いきなり高校内容をやったとしてもついて行けただろう。しかし、私は違う。

 中学や高校の時は、こんなこと、思いもよらなかった。しかし、こういった番組を見ると、なるほどと自分のことと重ねて見ることができる。もちろん、私の生まれつきの能力は、元々アタマの良い人と比べれば全然大したことがない。それでも、使っていれば、何とか出来あがっていくものではないのか。

 しかし、こう書くと、次に書くべき内容が決まってきそうで、実はちょっとイヤなのである。(苦笑)

 「人生、まだ、半ばである。しっかり勉強をして、脳を鍛えろ。」

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