世の中には、勉強をすることがどういうことかを知っている人と知らない人の2種類がいると思う。成績が良かったかどうかは、ちょっとあまり関係がないような気もする。
中途半端にできた人は、たいてい、知らない。(暴言)
だいたい、試験のために勉強をする、とか、食うために勉強をする、というのは、おおかた、知らない人の言うことである。
この点、学校の先生の多くは、勉強がなんたるかを知らない人がどうやら、多いようだと、やっとこの年になって思った。(苦笑)
私は、かなり勉強をしたけれど、やって良かったと思うのは、勉強をすると言うことがどういうことか、よくわかった、ということである。うん。ただ、説明すると、2時間くらいはかかると思う。
昨日、ダークマターのテレビがあった。最初の方というか、ほとんど見損ねた。物理の先生に、あれは見るべきだった、と言ったら、よくわからないものは見てもつまらない、と言われた。
私がわくわく見ることができるのは、私にとって、ニュートン力学も、アインシュタインも、量子力学も、ダークマターも、全部、ひっくるめて、「まったくほとんどわからない」から、ダークマターであろうと何であろうと、楽しめるのだろう。しかし、物理の先生は、ニュートン力学やその他諸々は、わかるから、まったくわからないダークマターは、つまらないに違いない。
「わからない」のも、なかなか良いものである。(笑)
授業の度に、イチローの話をしている。野球も英語の勉強も、同じなんだよ。
何の仕事だって、同じなんだよ。その意味で、英語も数学も、何もかも、同じなんだよ。
中途半端にできた人は、たいてい、知らない。(暴言)
だいたい、試験のために勉強をする、とか、食うために勉強をする、というのは、おおかた、知らない人の言うことである。
この点、学校の先生の多くは、勉強がなんたるかを知らない人がどうやら、多いようだと、やっとこの年になって思った。(苦笑)
私は、かなり勉強をしたけれど、やって良かったと思うのは、勉強をすると言うことがどういうことか、よくわかった、ということである。うん。ただ、説明すると、2時間くらいはかかると思う。
昨日、ダークマターのテレビがあった。最初の方というか、ほとんど見損ねた。物理の先生に、あれは見るべきだった、と言ったら、よくわからないものは見てもつまらない、と言われた。
私がわくわく見ることができるのは、私にとって、ニュートン力学も、アインシュタインも、量子力学も、ダークマターも、全部、ひっくるめて、「まったくほとんどわからない」から、ダークマターであろうと何であろうと、楽しめるのだろう。しかし、物理の先生は、ニュートン力学やその他諸々は、わかるから、まったくわからないダークマターは、つまらないに違いない。
「わからない」のも、なかなか良いものである。(笑)
授業の度に、イチローの話をしている。野球も英語の勉強も、同じなんだよ。
何の仕事だって、同じなんだよ。その意味で、英語も数学も、何もかも、同じなんだよ。
わからないことが遠くにあれば,届こうとして触手のように「わかる」を広げよう伸ばそうとする。その過程で必ず人は「考える」。だからほりさんはダークマターを楽しめるのだろうと思います。ブログのタイトルにあるように。
内田先生の語り口を「売れる」文章と形容されましたが、ほり先生のもなかなか(笑)。これらは教育者の語り口に共通するものではないでしょうか。
となると、わたやん先生のご発言、
>その人の「わかる」の範囲をできるだけ広げないように新しい知識を接続することになりやすい・・・。わからないことが遠くにあれば,届こうとして触手のように「わかる」を広げよう伸ばそうとする。その過程で必ず人は「考える」。
などと矛盾するのではないか、とお考えになる方もいらっしゃるのでしょうね。まして、ほり先生の、
>中途半端にできた人は、たいてい、知らない。(暴言)
> 「わからない」のも、なかなか良いものである。(笑)
などがあれば、なにがなんだか理解できない人も。
このあたりを自分なりに、常識の外側、世界の外側をキーワードに理解いたしました。もちろん常識を捨てろとか、この世界はつまらないとか、奇妙に過激なことをいっているわけではありません。自分の性根は過激ではありますが(笑)。
「触手」を伸ばすことそのものが勉強することだと思います。わかることが勉強、ではなくって。触手を伸ばそうとすることで、わかってくる。
以前に書いたような気もするけど、高校生の時、4次元以上のベクトルはわからなかったです。イメージがつかめなくて。ベクトルは比較的得意で、問題はそれなりに解けたけど、なんか、納得できる感じじゃなかったな。
でも、その十数年後、いろいろな物理の本を読んで、ペンローズの「心は量子で語れるか」も読んで、全然わからないまま読んでいた頃だったと思うけれど、突然、アタマの中で、「矢印」がゆらゆらしました。そのとき、4次元以上の次元の存在が実体としてわかったと思いました。そうなんですよ、3次元の次に4次元があり、その上に5次元があり、n次元へと続くんです。
私の脳の構造が変わったのだと思います。それが「わかる」ことなのです。
思考は、思考の「枠組み」や「次元」が大きく関与するから、わかる人はわかるけれど、わからない人はわからないと思います。
フルマラソンを走ると言うことが、実際に走ったことがある人しかわからないのに似た実感だと思います。(って、ハーフも10キロも、何も走ったことがないのだけど・笑)
関東「以外の地域」の方は、対応するネット局も、しっかり覚えましょう。
試験には「絶対に出ません」
生徒が勉強をしても伸びない理由は、こういったところにあるようです。