考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

文字が書かれたものの価値

2013年09月17日 | 教育
 授業中、生徒の机の上がいっぱいになる。教科書、ノート、時に問題集、それに辞書。辞書はけっこう嵩があるから邪魔な存在だ。生徒によっては床に置こうとするが、私は許さない。
 「文字が書かれたものを直接床に置いてはいけないよ。」と言う。
 重くてかさばる辞書を濡れないようにして漬け物石代わりにするとしたら、ひょっとしたらその使用法はまあ許されるかもしれないと思うが、辞書を積み上げて踏み台にするのは絶対にいけないと思う。
 学生時代、英語の辞書をくしゃくしゃにして使いやすくするのが流行っていた。試したが、挫折した。そこまでくしゃくしゃにできない。線を引くのもためらう。汚れるのが嫌なのだ。字が書かれたものは、図書館の本でなくとも、そのまま大切に、使ったか使わなかったのかわからないのが一番良い、そういう使用法が良いと思い込んでいるようだ。
 中学高校時代、学習用として、参考書や英語の教科書には授業中を含めて、線を引くといった書き込みは大いにやった。本文や説明の部分で、後で復習するときに勉強しやすくするためである。ただ、「問題」の答えの書き込みをしたことはない。「もう一度やる」を前提にしていたからだろうと思う。
 しかし、ハードカバーはもちろん、ソフトカバーの本であっても自分が読む本に、私は書き込みをしない。「しない」というより「できない」ような気がする。気になった箇所など印を付けておいたら、どんなに後で役に立つかと思う。それが面倒だからと言うより、やはり、したくないのだ。だから、読んでしまえば、そのまま記憶の彼方に遠のく。付箋を付けるのもイヤなのだ。「研究」とか、ちゃんとした「勉強」をするとなると、引用元がわからなくて困ることになる。
 最近の教科書は、コミュニケーション関係の活動中心の教科書は特に書き込んで使うように作ってあったりするが、どうしても抵抗を感じる。教科書のつるつるした紙は、書きにくいものであろうし、それでなくても抵抗を感じる。自分が授業をするときに使う教科書には、鉛筆で言うべきことなどの書き込みをしているが、どんな重要事項も、マーカーで強調しないし、見やすいようにペン書きもしない。できないのである。鉛筆の文字はいつでも消せる。しかし、インクは消せない。
 私は、書物というものは、所蔵を委託されたものであると思い込んでいるのだと思う。イマドキのことだから、本も消耗品である。学校図書館の本であっても、除籍にしてどんどん廃棄している現状も知っている。実に心が痛む現実であるが、自分が手にしている本は、私の代で粗末に扱ってはいけないと思おうとしているようだ。現実は、決してそんなわけでもなく、図書館の本のように自分自身も本を処分しているし、上記の教科書も、私が使えば私が最終の使用者である。わかっているが、消耗品として扱えない。
 「文字が書かれたもの」は、人類の知的財産だろう。何千年にもわたって受け継がれてきた財産が形を変えて今そこかしこに存在している。あまりに量があるから、価値が減じているのだろう。しかし、書字の価値を忘れては、ふざけた言い方をすれば、それこそ、教師という商売あがったりである。たとえ教師という仕事でなくても、苟も教育を受けた者の仕事は、自分に与えられた「文字が書かれたもの」また「その価値」をまだそれを持ち合わせていない者に「パス」をすることではないだろうか。私は無意識的にそのように感じているのではないだろうか。生徒には、紙の辞書を引いたら、気がついた部分に線を引いて、未来の自分へのメッセージにしろと言っている。しかし、自分はそうしない。できないのである。不自由だなとも思う。

4 コメント

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書き込みへのためらい (madographos)
2013-09-17 06:27:00
私も辞書には書き込みはしません。高校生のころはいろいろ線を引いてみたのですが,どんどん使いにくくなったし,それより,やはり本に書きこむのには抵抗があるのです。本に書きこむことへのためらい,本を汚すことへのためらいは,大切にしなければならないと思っています。こちらからもTBさせていただきます。よろしくお願いいたします。
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書物という財産 (ほり(管理人))
2013-09-17 23:46:45
madographosさん、コメントおよびTBをありがとうございます。
「知」は決して消耗品ではないことと関係があるような気もしてきました。
参考書やプリントなどの書き込みは、「試験勉強」のためだったりします。これって、一種の消耗品、それこそ、「役に立つ」という浅薄な目的と関係があるのかなぁという気にもなってきました。
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言葉への愛、人への愛 (わど)
2013-09-24 17:29:30
台風到来とともに、秋刀魚の季節も深まりをみせる今日この頃、ほり先生も梨などかじってお元気にされているかと想像しています。
それにしても、感動的な文章。ありがとうございます。製本をふくめて本というものにも「現代」が現れているのだと、いまさらながら気づかされました。本の扱いというモチーフをとおすことで、つい忘れがちになる言葉への愛、人への愛を、著者は切なく(笑)読者に伝えようとしている。そんなふうな読後感をもちました。
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サンマもなしも好き (ほり(管理人))
2013-09-24 23:41:12
わどさん、コメントをありがとうございます。

喜んでいただいて嬉しいです♪

養老先生は、電子書籍以前は、旅先でペーパーバックをべりべり裂いて持ち歩いていたようですが、とてもじゃないけど、そんなことできないです。
性分なのでしょうねぇ。
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