考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

勉強が出来るようになりたかったら

2007年10月20日 | 教育
まずは「バカ」になれ、と時々言っている。

 まあ、「自分は賢い、出来る」と思ってたら、勉強なんて絶対に出来るようにならないんだよね。

 白紙状態になって、それで初めて絵が描けるみたいなもので。相対的な存在である自分を捨て、それで、自分の「外」にある絶対性を受け入れる。相対性を脱ぎ捨てることが大事なんだ。でないと、絶対性は受け入れられない。

 距離=1/2・g・tの2乗という式がある。しかし、「外界」のどこを捜しても、この式にぴったり収まるものはない。摩擦や測定誤差や、さまざま要因で、この式は式の通りに働かないだろう。しかし、この式が当てはまるであろう、さまざまな事象から「帰納」することによって、この式は見出される。「外界」のどこを捜しても見出されることは決してないが、事象を抽象化することによって、「絶対性」を持って現れ出てきたのがこの式である。
 この式から演繹することで、月でも火星でも、物体が落ちる距離の予想が立てられ、観測結果は近似値を取る。これが可能なのは、この式が「絶対性」をもっているからである。「外界」には決して存在しないものの、人間の内に「絶対性」を持って存在するのである。それで、その他の「絶対性」を持つ力学により、人間は身近にもさまざまなモノを作り、また、月にも行った。

 「自らの相対性を捨てる」とは、測定誤差や摩擦係数など、「物体の落下」そのものに関わらない事象をすてろということである。それで、「物体の落下」だけに焦点をあてることが「絶対性」に繋がるのである。だから、式そのものは、人間の「内」にしかない。これを誰にでも(かどうかは疑問だけど)わかるように、式の形にして「外」に出してくれたのが、たぶん、ニュートンなりなんなりの古人だったのだ。
 
 人類の「知の系譜」は、多くのそのような普遍としての絶対性に満ちている。それを受け入れ、取り込み、自分の中で更に「深化」させる。それが「勉強」なんだよ。


2 コメント

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絶対性ではなく法則性 (heisan)
2007-10-26 13:04:35
> 距離=1/2・g・tの2乗という式

これは,(物理の)法則です。


> この式から演繹することで、月でも火星でも、物体が落ちる距離の予想が立てられ、観測結果は近似値を取る。これが可能なのは、この式が「絶対性」をもっているからである。

この一文の「絶対性」の部分を「法則性」と読み替えると,わたし的には非常に意味が通ります。


> 事象を抽象化することによって、「絶対性」を持って現れ出てきたのがこの式

ほり先生は,「帰納的に法則を抽出する過程」に着目されているようですが(そして,その法則性は他のところでも成り立つから,絶対性っぽい,とおっしゃってられますが),
私は,「そのようにして抽出された法則すら,実は絶対でない」「その法則が成り立たないところもまたある」「その法則を絶対だと思う心が学問の自由を奪う」というところに,より着目します。
いかなる法則も,「疑っても良い」という余地が残されている限り,それはあくまで「法則」であって,「絶対」ではありません。
或る法則が「絶対」になるときというのは,「その法則の真理性を疑ってはいけない」という風に,疑ってかかる心が禁止されたときです。しかし,この心を禁止しておこなわれる所行というのは,もはや「学問」ではありませんね。


<結論>
ほり先生が「絶対性」という言葉で表現されていたものは,私の言葉では「法則性」である。
また少なくとも私は,「法則性」のほうが,より多くの人に通じる表現だと思っている。

その理由は,「一般に,法則が絶対性を持ち得るのは,その法則の適用範囲内に限られる」からである。
もし,「あらゆる条件の下で成立する法則」というものがあれば,その法則は絶対性を持つと言えるが,そのような法則はそもそも存在しない。

「或る法則があらゆる条件の下で成立する」ということを言うためには,その法則が成立するかどうかの検証をあらゆる条件の下で行なう必要がある。
しかし現実問題として,我々は時間的・技術的制約から,「あらゆる条件の下で」検証を行なうことはできない。
したがって,「あらゆる条件の下で成立する法則」は存在しない。

もし,法則が「絶対性を持つ」と頑なに信じている人が居るとすれば,それは「法則には適用範囲というものがあり,適用範囲外ではその法則は成り立たない」ということをその人が知らないことを意味する(その人が「井の中の蛙」状態であることを意味する)。


<まとめ>
具体例(例1:自由落下における経過時間と移動距離の関係)から抽象される法則(例2:大阪であろうと東京であろうと,例1の関係は変わらない)は,その法則が成立する範囲(例3-1:地球上という場所的条件,例3-2:1秒2秒という時間的スケールの条件,例3-3:1m2mという距離的スケールの条件)の内側においては,絶対性を誇るが,その法則が成立する範囲外(例4-1:宇宙空間という場所的条件,例4-2:1フェムト秒2フェムト秒という時間的スケールの条件,例4-3:1ナノm2ナノmという距離的スケールの条件)では,その法則は絶対性を持たない。



> 人類の「知の系譜」は、多くのそのような普遍としての絶対性に満ちている。

これは私の言葉で言えば,

人類の『知の遺産』は,『先人たちがこれまでに発見してきて(かつ有用であった)数々の法則の集まり』として捉えることができる

となりましょうか。
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Unknown (yuusaki)
2009-04-15 00:52:46
それは信仰では?
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